第6話 愚者

 麓に下りるという話になり、ダンが肩を落とした。


「うへぇ、これからこの山を下りるのかー…俺だったら、この洞窟で野宿しても構わないんですけど」


 そうぼやくダンの気持ちもよく分かる。

 道らしい道もないこの山を登ってくるのは本当に大変だった。

 麓から少し登ると、草木も生えていない岩山といった感じで、危険な崖を登りもした。

 しかも神託ではこの山の中腹にある洞窟とだけ知らされていたので、正確な場所はダンの不安定な予知頼りだったのだ。


 夜明けとともに出発して、ようやく辿り着いたのが日も傾きかけてからだったけど、それでもダンにしては順調にいったほうだろう。

 実際、野宿も覚悟していた。

 もっとも、本当に危険なことになったら、僕は聖者様に会う前でも魔法を使うつもりでいたのだけど。


「この山は聖峰と呼ばれるが、魔境とも呼ばれているのを知ってるか? あまり長居しないほうがいい。日が暮れる前に降りるのは難しいかもしれないが」

「麓の教会は僕の家だから、場所は分かってますよ」


 聖者様が首をかしげる。

 普通、教会に子どもは住んでいないからだろう。


「教会…孤児院にいるのか?」

「首都の孤児院出身だけど、今は祖父母と暮らしてます。常駐の司祭がいないから、助祭の祖父が取り仕切ってるんです」


 助祭は神学校に行かなくてもなれるし、結婚もできる。

 聖者様は納得してうなずいた。

 しかし今度はサリアが不思議そうに首をかしげる。


「場所なら私たちも分かるけど、来るまでにダンが右往左往したでしょう。頼りないけど、帰りもダンの勘に頼らないと迷うんじゃない? 頼りないけど」


 頼りないって、二度言った。


「道のことじゃなくて。知ってる場所なら魔法で移動できるんだよ」

「は?!」


 サリアに説明したつもりだったのに、合唱のように声が上がった。

 魔法を隠していた使徒だけではない。聖者様も幻妖精たちもだ。


「えっ…聖者様は転移魔法使わないんですか」

「聖者が使えるのは、治癒とか浄化の神聖魔法だけだよ…」


 聞き間違えたのかとでもいうように、聖者様が耳元の髪をかき上げて僕を見る。


「転移魔法を使えるのは天使クラスの魂のはずですが…」


 マリスの呟きに、母さんが魔法を隠したほうがいいと言っていた理由を身に染みて感じた。

 でも、今さら誤魔化しても仕方がない。

 そしてばれた以上、使えるものは使ったほうが楽だ。


「とにかく早く帰りましょう。はい、みんな僕に寄ってくださーい」


 半信半疑といった様子でみんなが僕に近づいてくるのを確認すると、僕はすぐに転移魔法を発動させた。



 ***



「ちょっ…心の準備くらいさせてくれよぉ!」


 洞窟の固い岩の上から、草の生えた柔らかい地面の上へ。

 山の中腹の薄い空気から、農村独特の匂いが漂う村の空気へ。


 突然変わった環境に、ダンがへたり込んでしまった。

 他のみんなもちょっと酔ったような、微妙な顔をしている。

 そうか、大人になってから初めて転移を経験するとこんな感じになるのか。


 子どもの頃から自然に使っていた僕にとっては、転移は歩くことと同然の感覚だった。

 昔、こっそりリュラをこの村に連れて来たときも、小さいリュラは田舎の景色に驚くばかりで、転移の感覚自体に驚いたようには感じなかった。

 そんなことに今さらだが、自分が普通じゃないんだなと改めて思う。


「本当に転移したな…」


 聖者様が周囲を見回しながら、呆れたようにつぶやいた。

 マリスも確認するように、大きく僕たちの周りを飛ぶ。


「確かに、空間魔法の転移ですね」

「…『愚者』って、世間知らずとか常識知らずとかいう意味じゃないのか」


 なんだか酷いことを言われている。

 改めて自覚したところではあったけれど。


「祖父母も魔法のことは知りませんから、教会からはちょっと離れた場所ですけど」

「言っておくが、俺が使えない魔法を教えたことになんてできないからな」

「やっぱり、そうなりますよね…」


 だけどそれなら、聖者様は「導いてくれる人」ではなかったんだろうか。

 でも、神から僕を導くようにと言われているのだ。僕が魔法を使えるということを聖者様に教えていなくても、神がそれを知らなかったとは思えない。


 そう考えたまさにそのとき、聖者様が苦々しい表情で呟いた。


「導けってこういうことかよ、クソジジイ…」


 それはどういう意味かと聞こうとしたけど、聖者様が先に口を開いた。


「君はこれが、地上の人間が使えるような魔法じゃないとは知らなかったんだな?」

「え? あ、はい…誰も使えないんですか?」


 天使クラスだと言われても僕はまだ、数は少なくても誰かは使えるだろうと思っていた。


「こんなのが知られたら、商業国も軍事国も大混乱よ…」


 サリアの呟きに、事の重大さが伝わってくる。

 聖者様は腕を組んで、少し考え込んだ。


「他にはどんな魔法が使えるんだ?」

「いろいろ…とりあえずさっき聖者様が言ってた治癒と浄化は使えます」


 僕にとって日常動作と変わらない魔法を、何が使えるかと聞かれても、すぐにすべては挙げられない。


「それなら、それは俺が教えたってことにしてもいいな。…他の魔法も『使徒になって目覚めた』ってことにすれば不自然ではないか」

「サザン様! 嘘は魂の穢れに繋がりますわよ!」


 リリスが慌てて、僕たちの周囲を飛び回る。


「ライルの魔法が人の助けになるなら、帳尻は合うだろう」

「帳尻合わせなんてお考えではいけませんの! 人は常に善く生きるよう心掛けるべきですわ!」


 聖者様は煩わし気に、リリスのいる方向から体ごと向きを変えた。


「綺麗ごとだな。クソジジイだって清濁併せ吞んでるだろう。そんな細かい戒め、気にしてられるか」

「神はっ――!」


 リリスはまだ何か言いたそうだったが、マリスが宥めるようにその周囲を飛んだ。

 

「まぁ、転移みたいな人外規格の魔法はとりあえず控えてもらって、様子を見ながら使っていこう。隠したままじゃ君もいろいろ不便だろう」


 人外とかいう言われようはどうかと思うけど、ダンの言っていた「親近感があっていい」というのは分かってきた。

 本当は、魔法を隠すことはそれほど不便に思っていない。

 特別視されるのが嫌なだけで、使いたいと思えば使ってきた。リュラのケガを治したときだってそうだ。


 だけどそんな僕を、聖者様は気遣ってくれている。

 聖者様が言うように、使徒だから魔法を使えるようになったということにするのなら、僕個人が特別視されるのとは違うだろう。


 確かに僕は世間知らずだ。

 どんな魔法が常識の範囲なのか知らない。

 世の中を知るためにも、聖者様についていくことは僕自身のためにもなると思う。


 神が決めたからではなく、母さんに言われたからでもなく。

 僕は今ようやく自分の意思で、使徒になろうと思った。

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