第3話 堕天使

 聖者様はため息をつきながら腕を組んで続けた。


「6年も天界で修業させられてると、いい加減嫌気がさしてくるんだよ。ホント頭固くてな、あのクソジジイ


「ジ…ジジィって…」


 今度はサリアの顔が一気に青ざめた。


「また! サザン様ってばまた! そんなお言葉遣いはいけません!!」


 突然、甲高い女性の声が洞窟の奥から響き渡った。

 しかし姿は見えない。


「そうですよ、それに私たちを置いて行かないで下さい」


 今度は落ち着いた男性らしい声が聞こえる。

 それでもやはり姿は見えない。


「婚約者様に早くお会いしたかったのは分かりますけどぉ!」


 再び甲高い声が聞こえ、聖者様の周囲を薄紅色の発光体が羽虫のように飛び回るのが見えた。


「騒がしいぞ。別にこんなところではぐれるわけじゃないからいいだろう」


 その発光体を追い払うように聖者様が手を振るのを見て、ようやく声の主がその発光体らしいことに気がついた。


 そしてもう一つ、若草色の発光体が追い付いて来るのが見える。


「私どもも使徒に加わるのですから、紹介していただかないと」


 こちらが男性らしい声の主だ。


「使徒? 監視だろう」


 と呟きながら、しょうがないといった感じで聖者様は僕たちに向き直った。


「まあ、俺がこんな感じだから、お目付け役かな。堕天使のリリスとマリスだ」


 聖者様が指差す先で、薄紅色の発光体がリリス、若草色の発光体がマリスと分かった。


 いや、それより堕天使って。


 教会で語られる説話でも、堕天して魔王となった第1位天使ルシウスの話は聞かされている。

 神に逆らって地獄に落とされたという内容だったけど、なぜそんな存在がここにいて、使徒に加わるという話になっているんだろう。


「『仮』堕天ですわよ! 今は幻妖精げんようせいという姿になっておりますの。サザン様ったら、ゆっくり進まないと肉体の再構築に無理がかかると申し上げましたのに、婚約者様に早く会いたくて駆け足でわたくしたちを置いて行ったんですのよ!」


 ルルビィさんの近くに寄って浮かぶ薄紅色の発光体、リリスが早口で話すのを聞いて、ようやくルルビィさんの表情が緩んだ。


「幻妖精さん…初めて聞きます。妖精とは違うんですか」


 リリスに触れるようにそっと伸ばした手が、その光をすり抜ける。


「触ることも出来ないし、姿もこんな形でしか認識できない。こいつらは結婚したとたんにイチャついてばっかりで、仕事をしなくなった罰でこうなったわけだ」

「まぁ、ご夫婦なんですか」

「天使は性別ないのに、無理言って神に認めさせた挙句にこれだからな。自業自得だ」


 聖者様とルルビィさんのやり取りに、ムッとしたような口調でリリスが反論する。


「それは反省しておりますけど! 好きになったらずっと一緒にいたいのは当たり前じゃありせんの! サザン様はこーんな可愛らしい婚約者様がいらっしゃるのにお分かりになりませんの?! それにさっき聞こえておりましたよ! 『大きくなった』ってなんですの? こういうときは『綺麗になった』とおっしゃるべきですわ!!」


「リリス、少し落ち着いて」


 若草色の発光体、マリスがリリスの周囲を回るように飛んでなだめる。

 そしてルルビィさんの目線の位置に合わせて浮かび、頭でも下げるように小さく上下に揺れた。


「初めまして。第59位天使でしたマリスと申します。サザン様のおっしゃるとおり、私どもの怠惰で罰を受けて幻妖精の身になっております。サザン様にお仕えして少しでも罪を償いたいと思いますので、よろしくお願いいたします」


 少し驚いた。

 一万体いると伝えられている天使の中で第59位というと、かなり上位の天使になるはずだ。

 言われてみれば、この落ち着いた物腰は上位天使ゆえのものかもしれない。


「そうですわ、ご挨拶が遅れましたわね! わたくしは第51位天使でしたリリスと申します! それにしても本当にお可愛らしい婚約者様ですわ!!」


 この騒がしいリリスも上位天使だと知って力が抜ける。しかもマリスより位が高い。

 天界というのはどうなっているのだろう。


「ありがとうございます。こちらこそご挨拶が遅れました。ルルビィ・ナミクと申します」


 ルルビィさんは幻妖精たちにぺこりと頭を下げ、顔を上げるとにっこりと微笑んだ。


「でも、聖者様のおっしゃったことは本当のことですから。最期にお会いしたときは私、このくらいだったんです」


 そう言ってルルビィさんは、手の平を水平にして自分の胸の辺りを示した。


 一瞬、洞窟内が静まり返る。


「いやぁ、ビックリですよねぇ。俺もまさか聖者様の婚約者が当時9歳なんて思いませんでしたよ」


 ダンののんきな声に、サリアが喰ってかかった。


「ちょっとダン! あなた女性に年齢を聞いたの?!」


 そうだった。

 僕もルルビィさんは思ったより若いなと思いつつ、聖者様の婚約者だからそれなりの年齢だろうと考えて、あえて聞かなかった。

 童顔なんだろうと思い込んでいたのだ。


「いや、女性っていうか、子どもに聞く感じで…」


 ダンは最初に見つけられた使徒だった。

 とはいえ、それもまだ1年前のことだ。

 サリアは多分、僕と同じ思い込みをしていたんだろう。ダンは弟妹が多いそうだから、そういう意味では見る目はあるのかもしれない。


「サザン様…。サザン様はお亡くなりになったときと同じ姿で復活されたんですよね。今、おいくつでしたか?」


 マリスの冷静な声が怖いくらいに響く。


「肉体年齢は25歳だ。何か問題でも?」


 大いにあると思う。

 ルルビィさんが6年前に9歳だったなら今は10歳差でも、婚約時が問題だ。

 9歳の弟子と婚約した25歳の聖者。

 周囲は何も言わなかったのだろうか。


 それに僕も6年前のことは覚えている。僕がいた孤児院は首都にあったから、教皇庁での話も辺境よりよく流れてきた。

 聖者の婚約が公表されたのは、聖者様が亡くなる少し前だった。婚約者がまだ若いとは聞いていたけど、ただ未成年ということだろうと思っていた。

 この国は18歳で成人になるが、同じ未成年でも16歳前後や9歳とでは大きく違う。


 つまりルルビィさんは、わずか9歳で婚約者に先立たれ、たった一人で聖教会の大幹部たちが居並ぶ葬儀に参列したということだ。


 僕はリュラが9歳だった頃の姿を重ね合わせてしまい、少し胸が痛んだ。

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