【21】徹底的にやらかします
ミュラン=アスノークが自室から出てくるのを、フィアは廊下の曲がり角で、息を殺して待ちかまえていた。
(……あ! ミュランが出てきた!)
一晩中待ち伏せするつもりでいたが、どうやらフィアは、運が良いらしい。真夜中だというのに、ミュランがひっそりと部屋から出てきた。
間違いなくミュランだ。
廊下の壁に等間隔で付けられている燭台の火が、ミュランの整った顔立ちを妖しく照らし出していた。
彼を見て、フィアは唇をほころばせた。
(こんな真夜中に、どこに行くの? ミュラン。あの恰好は、部屋着じゃないよね……もしかして外出するつもりなの? まさか、リコリスを助け出しにいくつもりとか。……あり得ないよね。だって、愛情の通ってない仮面夫婦って設定だし)
リコリスみたいな雑魚キャラの存在なんて、フィアにとっては些末な問題だ。
だが、ミュランは手堅く落としたい。
ミュランに「奴隷化」の呪いをかけるため、フィアはこうしてミュランを待ちかまえているのだ。
(それにしてもゲームの設定とは、ミュランの性格が全然違ってるよね。これもバグなのかなぁ。ミュランの愛人が一人もいないのは、ラクでありがたいけど。……でも、ミュランがやたらとリコリスを守ろうとしてたのがムカつく。ラブラブっぽい雰囲気に見えたけど?)
……本当にムカツク。と、フィアは心の中で何度も毒づいていた。
(この世界の愛され女子は、あたしだけで十分なんだから! リコリスなんて要らないじゃん)
気に入ったキャラは全部手元に集めたいし、今世はラクに暮らしたい。様々な呪いを自在に扱うというチートを持って生まれた自分は、この世界の
(主人公の都合いいように進むのが、物語ってもんでしょ? なのにバグだらけって、あり得ないんだけど……)
今をさかのぼること1年半ほど前。平民として村で暮らしていたフィアは、ある日突然に前世の記憶に目覚めた。
――ここは、乙女ゲーの世界だ。
自分の名前も容姿も、まさに物語のヒロインそのもの。
これから自分は聖女になって、いくつものご都合主義な苦難を乗り越えて、そのプロセスで5人の男性キャラと恋愛を……。と、思っていたのに、何かがおかしい。
まず、時代がおかしかった。
原作よりも、17年ほど前の時代だった。原作のメインヒーローに当たるジョシュア王太子が、そもそもまだ生まれていない。
(メインヒーローがまだ生まれてないって、どういうことよ!)
とイライラしたが、誰にも文句を言えないので、さらにイライラした。
今の時代は、ジョシュア王太子の祖母であるマチルダ女王の治世。この時代の王太子はエドワード……つまり、ジョシュアの父親だ。
(ジョシュアが生まれてないなら、エドワードで良いか。どうせ似たような顔してるし。性格も、似たり寄ったりでしょ)
と、フィアは前向きにとらえることにした。
他の攻略キャラも、代わりに父親を落としておけば良いやと思った。イケメンキャラの父親は、たいていイケメンだ。
さて、それではさっそく聖女の力を解き放って注目を集めますか……と思ったところで、フィアは再びあわてた。
聖女の
(……原作ではフィアは、病気を治したり魔物を遠ざけたりする聖なる「聖女の力」に目覚めるはずだったけど。どういうわけだか、あたしに備わってるのは「呪い」ばかりみたい。この世界って、本当バグだらけ。ムカつくなぁ……)
癒しや浄化は全然できない。そのかわり、いろんな呪いを発動することができた。特に役に立ったのは「奴隷化」と「発熱」と「昏睡」の、3種の呪いだ。
一つ目は、奴隷化の呪い。
(相手の頬にキスするだけで奴隷にできちゃうんだから、すごく便利だよね。……キスできる距離まで迫らなきゃいけないのが難点だけどさ)
でも、コツさえ掴めば何とでもなる。逆ハーレムづくりに必須の呪いといえた。
二つ目は発熱の呪いだった。
(発熱の呪いは都合良く熱を出せるから、自分が仮病使うときにも便利だけどさ。……なにより、王都で聖女のフリするときにすご~く役に立ったよね)
フィアは数ヶ月前、王都の半数近くの民を呪って発熱させた。タイミングを見計らって「聖女」を名乗り、祈るフリをしてこっそり呪いを解除したのだ。女王も熱病で倒れたのだが、フィアの演技でだまされた――以来、女王はフィアを聖女だと信じたがっている。
国教会の聖職者も、呪術院の専門家たちも、フィアの悪事をいまだに見抜けずにいる――フィアの呪いが特別優れているからか、それとも単に主人公補正のご都合展開なのか、フィア自身には知る由もない。
そして、三つ目は「昏睡」の呪いだ。
昏睡の呪いは、1年前にミュランに使った。
(ミュランを呪って寝込ませたのは、実はリコリスじゃなくて、あたしなんだけどね! どうせ誰も気づかないだろうけど)
昏睡の呪いは魔力消費が激しいが、数キロメートル離れた相手に対してもかけることが可能だった。
(四聖爵のミュランを死にかけ状態にしてから、あたしがミュランの目の前で、颯爽と救ってあげる予定だったんだけど。なぜか勝手に目覚めちゃったんだよねぇ……)
女王の重鎮である四聖爵を救えば、フィアの聖女としての地位は確実になるはずだった。だからフィアは、四聖爵を呪おうと決めたのだ。
四聖爵は4人いるけれど、どうせなら美男子を狙おうと思った。だから、ババァなナドゥーサ女公爵や、ジジィなレカ公爵、ひげエロ親父なアルバティア公爵を避け、ミュラン=アスノークを狙った。
4人の中では、唯一・最高にミュランがイケてる。
アルバティア公爵は落としておくと便利そうだから奴隷化の呪いをかけておいたのだけど。……ぶっちゃけ、キモいから逆ハーに加えたいとは思っていない。
(ミュランに掛けた昏睡の呪いが勝手に解けちゃったのは想定外だったけど。まぁ、いっか! リコリスに容疑をかけて、追っ払うことができたわけだし。結果オーライ)
そして今、フィアは再びミュランを狙っている。
廊下を静かに歩いてこちらに近づいてくるミュラン。フィアは、狩りをするかのような高揚感に満たされていた。
(ふふふ、ミュラン。奴隷化の呪いをかけて、あたしの奴隷にしてあげる!)
ーー今だ。と、フィアはタイミング見計らい、ミュランの前にしずしずと歩み寄っていった。
「…………」
ミュランは唇を引き結び、無言でフィアを睨んだ。
儚げな微笑を浮かべて、フィアは彼に礼をする。
「ミュラン様。……どちらへ行かれるんですか?」
ミュランは眉を微かにひそめ、フィアの前を通り過ぎようとした。
「待って。……怒ってらっしゃるの?」
「………………怒るとは?」
言葉少なに、ミュランが問い返す。
美男子は、冷たい声もやっぱりステキね、とフィアは聞きほれていた。実は王太子みたいな10代男子よりも、ミュランくらいの大人の男のほうが、フィアの好みのど真ん中だ。
「リコリス奥様がいなくなって、寂しいですか? もしかして、助けたいの?」
「……」
射抜くような鋭い視線。その目もステキ。
フィアは、ミュランとの距離を詰めた。
「それじゃあミュラン様に、いい情報を教えてあげます。耳を貸して……?」
誘惑するように、フィアはそっとささやいた。ミュランは顔をしかめて、しばらく無言でフィアを睨んでいた。警戒しているのか、軽蔑しているのか。
――どっちでもいいわ、今すぐ奴隷にしてあげる。
小さく溜息を吐いてから、ミュランはわずかに身を屈めた。耳を貸す気になったらしい。フィアはにこりとほほえむと、ミュランの耳元に唇を寄せ――
そして、彼の頬にキスをした。
「何のつもりだ。………………っ!?」
小さくうめいて膝を突いたミュランを、フィアは満足げに見下ろしている。
「貴様、何を」
「ねぇ、ミュラン。あたしのこと、好きになってきたんじゃない? あたしに従う気になったら、あたしの名前、呼んでみて?」
「…………フィア、様」
ひざまずいて頭を垂れるミュランを見て、フィアは機嫌よく笑った。
「なぁんだ、思ったよりチョロいね。最難関のキャラかと思ったけど。案外ラクに落とせちゃった!」
ミュランにぎゅっと抱きついてみたけれど、ミュランはまったく抵抗しない。
術のかかり具合は良好なようだ。
「ねぇ、ミュラン? 実はね、あんたを呪殺しようとしたのって、あたしなんだよ? すごいでしょ!」
ミュランに怒る様子がないので、フィアはますます上機嫌になった。
「縄をかけられたときのリコリスの顔……超ウケたよね! あんな地味嫁、いらないでしょ? あたしの取り巻きにしてあげるからさ」
ミュランの頬にキスをして、フィアは立ち上がった。
「よーし。おいで、ミュラン。メンバーに加えてあげる」
るんるんと足取り軽く廊下を歩いていくフィアの後ろを、彼は静かに進んでいったーー
* * *
「…コ…様、リ……リス奥、様」
……空耳、かな?
誰かに名前を呼ばれた気がして、わたしはふと、目を覚ました。
部屋は真っ暗。
時間は分からないけれど、寝付いてからまだほとんど時間は経っていないように感じる。
さら、さらり……と、微かな物音が部屋の外から聞こえる気がした。砂の流れる音みたいなのが。……なんだろう?
「助けにまいりましたぞ、リコリス奥様」
押し殺したような老人のしわがれ声が、確かにドアの外から聞こえた。聞き覚えのない声だ。
「……誰?」
「眠りの妖精・ザンドマンでございます。アスノーク公爵家に仕える妖精のひとりでございますぞ」
「…………ザンドマン?」
初めて聞く名前だった。
「こうして直接お話しするのは、初めてでございますな! 奥様、ただいまお助けいたしますので、少々お待ちを」
「待って、……ザンドマン。カギがかかっているから無理よ」
それに、逃げ出すなんてダメだわ……ますます罪が重くなっちゃう。ザンドマンという妖精が、自分の意志で助けに来たのか、誰かに命じられてきたのか分からないけれど。アスノーク公爵家の不利益になるような行動は、避けなければいけない。
「問題ございません、奥様。鍵開けの技に優れた妖精を連れてきておりますので」
「ダメよ、ザンドマン。お願いだから、このまま帰って。わたしは、尋問所から逃げたりしないから――」
わたしの声を遮って、小さな子どもみたいな声が扉の外から響いた。
「そりゃ無理なご命令ですよ、奥様! 手ぶらで帰ったりしたら、おれたちが旦那様にものすごくお叱りを受けちまいますんで!」
がちゃり。部屋のカギが、いきなり開いた。扉の向こうには、2人の小人が立っていた。ひとりは大きな砂袋を担いだ老人の小人、もうひとりは虹色に光る鍵束を持った5歳くらいの幼児の姿だ。
「……あなたたちは?」
「眠りの妖精ザンドマンと、鍵開け妖精シュリュッセルでございます。ふだんは屋敷の厩舎番をしております」
「リコリス奥様をお助けする役目をいただきました! すっごく光栄です!」
と、2人の小人がひざまずいた。
小人たちはすばやく部屋に飛び込むと、ぐいぐいと私の背を押し、部屋から連れ出そうとした。
「待って……ダメだってば。わたしが逃げたとバレたら、大変なことになるでしょう?」
アスノーク公爵家の……ミュラン様の不利益になるようなことだけは、絶対に……
「だったら、バレなきゃいいんですよ。奥様!!」
聞き覚えのある中年女性の声がして、わたしは思わずぴくりと止まった。
「こんばんは、奥様! こんなショボったいお部屋に閉じこめられちゃって、かわいそうに」
やたらと陽気で、豪快なおばちゃんっぽい声。聞くと安心してしまう、大好きな侍女の声。
「……アビー!」
「はい、はい、屋敷妖精アビーでございますよ、奥様! 旦那様のご命令により、リコリス奥様をお助けにまいりました」
部屋の外からひょっこり現れ、中年侍女の姿をしたアビーは、小太りな体を揺らして笑っていた。
「あたしらアスノーク家の妖精たちは、半端なことなんか、やりませんよ! やると決めたら徹底的に、絶対バレずにやらかします。だから奥様、どうかご安心して脱走しちゃって下さいな!」
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