【20】必ず助ける……!
わたしは、魔法や呪いを勉強したことなんて、まったくない。
実家が貧乏伯爵家だったから魔法を習うための高い学費なんて払えなかったし、そもそも14歳でミュラン様のところに嫁いだので、学校に通った経験もない。
でも、呪術の専門家とかいう人が検査したところ、わたしの体には『呪いに関わった痕跡が残っている』ということだった。
1年くらい前にミュラン様に呪いを掛けた犯人は、わたしなのではないか……と、疑われている。
「リコリス夫人。貴女は、ご主人ミュラン=アスノーク公爵に呪いを掛けたことはありますか?」
「そんなの、ありません!」
呪術院の尋問所という施設で、私は尋問を受けている。『尋問』といっても、叩かれたり脅されたりすることはなく、牢屋に閉じ込められたりもしていない。
わたしが通されたのは、安価な宿屋の一室みたいな小さな部屋だ。この部屋のなかで、お役人さんみたいな取調官が丁寧な態度で質問をしてくる。
容疑者が貴族女性である場合には、こういう扱いをしてくれるらしい……有罪が確定するまでの間は。
「左様ですか。……それでは、ご主人を『殺したいほど憎い』『死ねばいい』などと思ったことはありませんか?」
「…………!」
思わず、返事に詰まってしまった。
今は大好きなミュラン様だけど。出会った当初は、大嫌いだった。
ヒドイことばかり言って、愛人ばかりかまっているミュラン様を見て、「死んじゃえ」って思ってたことは、たしかに……何度もある。
わたしがうつむいていると、取調官は抑揚を欠いた低い声で言った。
「魔力が高く、未成熟な術師が強力な殺意を持った場合、ごくまれに無自覚に呪いを暴発してしまうケースも見られます。呪いなどを扱った経験がなくても、知らず知らずのうちに相手を呪ってしまうことも……」
「わ、わたしが……ミュラン様を呪っていたというんですか!?」
「現段階では、なんとも申し上げられません。それでは、本日の取り調べはこれで終了しますので。ひとまずこの部屋で、ごゆっくりとお休みください」
それだけ言い残すと、取調官は去っていった。
扉の外カギを、ガチャリと掛ける音が聞こえた。わたしは一人で、部屋に残される。
「……ミュラン様」
うそだ。全部うそに決まってる。
フィアがわたしを嵌めようとして、無茶苦茶なうそをついているんだ。
そう思いたいけれど……
(1年前に、ミュラン様が倒れた原因は……本当にわたしだったの?)
そういえば、お祭りの日にわたしが「呪い」と口走ったとき、ミュラン様は慌てた様子でわたしを黙らせようとしていた。いま思い返すと……あの頃にはすでに、ミュラン様はわたしが犯人だと思っていたのかもしれない。
……もしかして、本当にわたしが、ミュラン様を呪っていたの?
「どうしよう。……まさか、わたしが」
体の震えが止まらない。
大好きなミュラン様を、わたしが殺そうと……?
涙が、あふれてくる。
ミュラン様はいま、どうしているんだろう?
フィアはミュラン様を狙っていると言っていた。わたしと彼を離婚させて、奪い取ろうとしているはずだ。離婚どころか……このままじゃわたしは、ミュラン様を殺そうとした罪で、裁かれてしまうかもしれない。
「ごめんなさい――ミュラン様」
もう、ミュラン様には会えないの?
ミュラン様は、フィアの物になってしまうの?
涙が、止まらなかった。
* * *
深夜。
ミュランは自室に、騎士デュオラを呼び寄せていた。
「閣下。お気を確かに」
「……僕は冷静だ。あの女、あろうことかリコリスに呪殺未遂の容疑をかけて、呪術院に送ってしまった」
ミュラン自身も実際には、「1年前に自分を昏睡に陥れたのは、リコリスだったのではないか……」と思ってはいた。だが確証はないし、仮に犯人がリコリスであったとしても、どうでも良かった。
リコリスは善良な娘だ。彼女は絶対に、害意で他者を呪ったりしない。きっと、暴発的なものだったのだろう――と、ミュランは考えていた。
「犯人がリコリスであったとしても、そうでなかったとしても。僕には、どうでも良かったんだ。それを今さら、
リコリスとの幸せな毎日は、フィアごときに壊されて良いものではなかった。ミュランにとっては、今世で初めて手に入れた、幸福な日々だったのに。
「今頃リコリスは、一人ぼっちで絶望してるに違いない……!」
くそ、と拳を壁に打ち付けて、ミュランは浅い呼吸を続けた。
デュオラも悔しそうに歯を食いしばり、鋭い目でミュランを見つめていた。
「閣下、ご指示を。我ら妖精は盟約により、人間の土地での独断行動を禁じられております。閣下のご命令がなければ、力を行使できません」
「分かっている」
本当ならば、主人公であるフィアに今すぐ制裁を加えたい。リコリスを踏みにじったことを、心の底から後悔させてやりたい……!
……だが、そんなことをすれば、ただでは済まなくなる。
聖女フィアを攻撃すれば、王太子の逆鱗に触れてアスノーク公爵家は取り潰されるに違いない。そして代役の利かない四聖爵であるミュランは、今後は奴隷のように扱われ、精神の枷を掛けられながら王家の駒にされてしまうだろう。
慎重に行動しなければ、ミュランはすべてを失うことになる。リコリスの命も危険だ。
「リコリスは有罪となれば、死刑にされる可能性が高い。もしうまく冤罪にもちこめたとしても、尾ひれの付いたうわさ話が広がって、他の貴族たちは今後リコリスを魔女呼ばわりするだろう……」
リコリスが逮捕、ミュランが謹慎処分を下された現状では、妖精祭も中止せざるを得ない。国中にアスノーク公爵夫人リコリスの悪い噂が広がることは、避けられないだろう。
「くそ……! どうすれば……」
王太子とフィアの関係に亀裂を入れない限り、状況を覆すのは困難だ。
「王太子はフィアに惚れ込んで、正常な判断を下せなくなっている。……いったいどうして、フィアなんかに心を奪われた? ほんの数か月前までは、婚約者のアレクシア嬢とあんなに仲睦まじくしていたじゃないか!」
王太子のエドワード殿下は誠実な人柄で、いつも婚約者のアレクシア嬢を大切にしていた。
……なのになぜ、急にフィアのような怪しげな女へと気持ちが移ってしまったのだろう? 本当に聖女なのかと疑いたくなるような、うさん臭くてワガママな女じゃないか。
「――?」
ミュランの心に、違和感が芽生えた。
「どうしましたか、閣下」
「……そもそもあの女、本当に聖女なのか?」
原作ゲームの主人公フィアは、まぎれもなく『聖女』だった。歌って祈るだけで簡単に、怪我人を癒したり魔物を遠ざけたりできていたからだ。
聖女の力に目覚めたフィアはすぐに国教会や王家から大歓迎され、正式な聖女として活躍するストーリーだった。そのプロセスで、たくさんの男性との恋愛フラグを立てていた。
……だが、この世界でのフィアは、本当に聖女なのだろうか?
ナドゥーサ女侯爵の話によると、フィアの能力は「特定の病気しか癒せない」不完全なものらしい。だからフィアはまだ聖女として公認されていないし、活躍もできていない。
そんな状態なのになぜフィアは、王太子やその他大勢の男に愛されているんだ?
「あのフィアは聖女ではなく……ただの呪術師なんじゃないか?」
「ふむ。興味深い推論ですな!」
「才能豊かな呪術師ならば、未知の呪いを新しく作ることもできる。……王太子を
そう呟いてみたとたん、ミュランは強い不快感に襲われた。
「……まさかとは思うが。僕を呪った犯人は、リコリスではなくあの女だった……という可能性もあるな」
フィアが1年以上前の呪殺未遂事件を今さら蒸し返してきたのも、不自然といえば不自然だった。
だとしたら、ますますフィアを許すわけにはいかない。
デュオラも怒りに肩を震わせ、狼のような双眸に怒りの炎を燃やしていた。
「なんと醜悪な女でしょう! 閣下、私が今すぐあの女の首を刈り取って参ります! ご命令を!」
「ダメだ。落ち着け。証拠もない」
ミュランは、しばらく考え込んでいた。
「まずは準備が必要だな。フィアが偽聖女だと確信でき次第、女王陛下にフィアの悪事を報告したいと思う。だがその前に、リコリスの安全を確保しなければならない……フィアが口封じを企む恐れがあるからな」
リコリスを守るには、どうすべきか……誰かの力を借りるのが現実的だ。
フィアの力が絶対に及ばない、第三者の力を。
「妖精王の力を借りよう」
ミュランがそういうと、デュオラは目を輝かせた。
「アルベリヒ様のお力を!? それは心強い!!」
「僕が、交渉に行く」
「閣下が自ら、いらっしゃるのですか?」
「あぁ、ロドラと一緒に、できるだけ速やかに出発したい。そのためには……デュオラ。今から君に、重要な仕事を任せるとしよう」
「おぉ!!」
吊り上がった目を大きく見開き、デュオラは前のめりの姿勢でミュランに迫った。
「ということは、閣下!
「……本当は、あんなもの絶対に使いたくなかったが。仕方ない、頼む」
「お任せください閣下! とうとう、あれが活躍する日が来ましたか……感無量でございます!」
この非常事態に、何を喜んでいるんだ貴様は……という文句を胸の中にしまい込み、ミュランは立ち上がった。
「……必ず君を助けるから、待っていろ。リコリス!」
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