【22】星空の逃避行
尋問所の一室で。わたしは状況が飲み込めずにオロオロしていた。
目の前にいるのは3人の妖精。
背の低い老人の姿をした眠りの妖精ザンドマンと、幼児みたいな鍵開け妖精シュリュッセル。そして中年侍女姿の、屋敷妖精アビーだ。
「さぁ、さぁ、行っちゃって下さい奥様」
「尋問所の外に、馬を用意してございます!」
「え!? だ、ダメだってば……いくら夜中でも、尋問所の人たちが気づいて大騒ぎに……」
なりませんよ、奥様。と、アビーが得意げに笑った。
「だって、ザンドマンの眠りの砂で、人間どもを徹底的に寝かせてますから」
「なにそれ!?」
「ザンドマンが担いでる砂袋にはね、眠りの魔法を込めた砂が詰まってるんですよ。砂を撒き続ける限り、人間たちは目覚めません」
「そ、そうなの!? ……でも、やっぱりダメだよ。夜が明けたらどうするの。尋問所の人だけ寝たままだったら、おかしいでしょ? そのうち外部の人が来て、すぐにバレて……」
「朝にはザンドマンも引き上げます。代わりに、あたしの出番ってことですよ」
「アビーの出番?」
アビーは「どやぁ」っとした笑顔を浮かべて、指を打ち鳴らした。彼女の体からぼふん、と煙が吹き出して、体が見る見るうちに細くなっていく。アビーはわたしと瓜二つの、小柄な少女に戻っていた。
「ほら。あたしの顔って、リコリス奥様と同じでしょ? だから、身代わりになってあげますって!」
「そんな……本気なの!? アビー」
「そりゃ勿論。任して下さいよ奥様。あたしら、
そ。……そうかなぁ。
「じゃ、あとはあたしに任せて下さい!」
「なんか不安だよ、アビー。
「いやですねぇ奥様。あたしだって演技くらい出来ますよ。しゃべりすぎるとボロが出るから。具合悪そうに黙ってりゃいいんです。よく言うでしょ? アホを隠すには口を閉じるのが一番って」
そんなの、聞いたことないよ……
わたしがとまどっていると、アビーは思いのほか真剣な顔になって、言った。
「奥様。結論はもうでているんです。あなたの取り得る選択肢は、逃げる一択ですよ。旦那様がそう望んでいます」
「ミュラン様が……?」
「奥様がモタモタして時間を浪費するほど、みんなの
「フィアを……?」
「ほら奥様! さっさと行きなさいってば!! 馬の準備も出来てるんだから、早く!!」
業を煮やして、アビーが吠える。
相変わらず不敬だよ、アビー……。でも、日常に戻ったみたいで嬉しかった。
「アビーありがとう。本当に気をつけてね……」
「はいはい。じゃあまた、屋敷で会いましょ、奥様」
鍵開け妖精に誘導されて、わたしは静まりかえった尋問所を走った。見張りの兵は、一人残らず熟睡している。
「おれの案内はここまでです、奥様。ここからは、馬に乗ってお出で下さい」
尋問所の正面扉を開け放ち、シュリュッセルはわたしにそう言った。
「馬って……あれのこと?」
私は目を疑っていた。外で待っていた馬は、ただの馬ではない。白鳥のような純白の翼を生やしたペガサスだった。
「ペガサスって、実在したの?」
「もちろんですよ! 厩舎にいる馬の三分の一は、正体はペガサスですから」
そ、そうだったんだ。
ペガサスには、すらりとした男性が跨がっていた。栗色の髪の青年は、二十代の前半くらい。厩舎番の簡素な作業服を着ている。この人と一緒に、ペガサスに乗って逃げるってこと?
「あの……もしかして、アスノーク家の厩舎番の方ですか? ペガサスなんかに乗って、わたしたち、一体どこに逃げるつもりなんです?」
不安になって、思わず馬上の男性に問いかけてみた。
わざわざ羽の生えた動物に乗るってことは、空を飛ぶのよね? 空なんて飛んだことないから不安だし、どこに連れて行かれるか分からないのはもっと怖い……。
それにいくら使用人と言っても、知らない男の人にしがみつくのも、ちょっと嫌かも……
すると、
「……なんだ、君は。髪の色を変えたくらいで、夫がわからなくなってしまったのか?」
がっかりしたような声が馬上から降ってきて。
わたしは大きく目を見開いた。
「この程度の変装に、騙されないでくれ、リコリス」
「ミュラン様!?」
いたずらっぽく笑っているのは、髪色を変えたミュラン様だった。
「迎えにきたよリコリス。さぁ、行こう」
ペガサスから軽やかに降りると、ミュラン様はわたしを抱き上げ、鞍に乗せた。
「こんなふざけた場所からは、早々に立ち去るとしよう」
ミュラン様はペガサスに飛び乗り、その腹を蹴って合図した。ペガサスはいななくと、数歩駆けたのち飛翔する。
「きゃあ!」
「怖いなら、しっかり捕まるといい。もっとも、絶対に僕は君を手放したりしないが」
ペガサスの手綱を引きながら、ミュラン様は後ろからわたしを抱いていた。
みるみるうちに、眼下の町並みが遠くなってく。
「ここまでは首尾よく進んでおりますね、旦那様」
ふと、横合いから涼やかな女性の声が聞こえた。
「……ロドラ!」
水妖精の姿に戻っていたロドラが、ペガサスの隣で空を飛んでいる。
「あぁ。上々だ!」
「ミ……ミュラン様、ロドラ。わたしたち、これからどうするの……?」
「あのふざけた
「え!? フィアのことですか?」
「ああ。そのためには協力者が必要だ。まずはいったん、この国を出る。北の大森林に行こう。妖精の住まう森だ」
「妖精の森!? なんでそんな場所に……」
疑問だらけで、混乱してきた。
「それに、なんでわたしなんかを助けに来ちゃったんですか! ……呪術院の人から聞きました。わたしが、ミュラン様を呪っていたかもしれないんでしょ? ごめんなさい……」
ミュラン様が、私を見つめた……私を哀れむような目で。
「やっぱりわたし、ミュラン様にふさわしくない妻なのかもしれません。あなたに呪いをかけて、自分で呪いを解いて、恩を売ってたってことでしょ? ……そんなの、最低の妻です」
離婚されても文句を言えないような、最低最悪の妻に違いない――そう思ったら、体がふるえた。
「いや、違う。僕を呪ったのは君ではなかった。僕もずっと勘違いをしていたんだ……すまない」
「え!?」
「犯人はフィアだ。彼女自身が得意げに告白していたから、間違いない」
「そんな……!」
フィアの企みだったの?
とてもビックリしたけれど……でも、やっぱり気持ちは晴れない。
「……でも。わたし、昔はミュラン様のこと「死んじゃえ」って何度も思ってました。そういう気持ちが呪いを生む場合も、あるんでしょ? だったら、わたしも同罪みたいなものです……だから、やっぱりわたしは、あなたには……」
言い掛けた私の唇を、ミュラン様がそっと
「君が僕を憎んだのは、当然だ。かつての僕は、君に酷い仕打ちをいくつもしてきた。……こんな僕を赦して愛してくれた君には、感謝しかない」
月明かりに照らされたミュラン様の笑顔が、とても優しくて。
涙が、じわっと溢れてきた。
「仮に君が僕を呪っていたとしても、本当にどうでもいいと思っていたんだ。あのとき死にかけたおかげで、僕は君を愛するようになったんだから。……呪いの犯人なんて、どうだって良かった。君が今ここにいるのなら、それだけでいいんだ」
涙がどんどん溢れてしまい、わたしは、子供みたいに泣きじゃくっていた。ミュラン様の温もりに甘えながら、わたしはいつまでも泣いていた。
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