第1話・神様が言っている⑥

   五


 間もなく、小春は西村警部に連絡した。

 彼女によると、電話口で話を聞いた西村は戸惑っていたという。その理由は程なく判明することになるのだが、とにかく僕らは日時を決めて辻家で会うことになった。半ば成り行きで、その場には僕も同席することになった。

 当日、小春の家に向かうと、彼女は気をきかせて門扉の前で待っていてくれた。

「あ、曽我さん」

 僕の姿が見えると、彼女は手を振ってみせる。挨拶をすると敷地の中に招じ入れられた。改まって訪問するのは初めてなので緊張する。

 門扉をくぐると、まず飛び石が奥の玄関まで続いていた。だが僕は玄関には通されず、その手前で曲がって建物の横に案内された。

「おばあちゃん。曽我さんが来たよ」

 そこは縁側だった。色眼鏡をかけた年配の女性が、座布団で正座をしてお茶をすすっている。八十代くらいだろうか。髪は白く体は細い。背中はやや曲がり気味だが、それでも、芯が一本通っているような強さを感じさせる人だった。

「おやどうも。いつも孫が世話になってます。小春の祖母の竹子です」

 挨拶の声音は実に通りがよく、年齢を全く感じさせない。

 また、彼女は全盲のはずだが、なぜか僕は色眼鏡のレンズ越しに全てを見透かされているような気分になった。思わず眼鏡の位置を直しながら気付く。彼女には隙がない。茶をすすりながら挨拶をするという小さな動きの中にも、隙というものが全く感じられない。

「さて小春。それじゃあ西村さんという人が、これから堀江さんと一緒に来るんだね」

 竹子は孫娘に尋ね、さっそく本題に入った。

「そうだよ」

 それで僕も質問する。

「堀江さんって?」

「知り合いの神主さんです」

「神主?」

「堀江さんから昨日、連絡があったんです。西村さんと一緒に行くということでした」

「そうなのか。でもなんで神主さんが一緒に?」

「だって警察の方がうちに来るときはいつもそうして……」

 そこまで口にして、小春は「あ」と間抜けな声をあげた。

「すいません。曽我さんにはそのへんの話をしてませんね」

「うん」

 なんだかよく分からないが、そういうやり方なのだろう。

 それからしばらく、茶飲み話に興じた。後から思えば、これから警官が来るというのにずいぶん緊張感に欠けていたものだ。つまり小春も竹子もこのような形での当局の訪問には慣れていたのである。

 やがて玄関のチャイムが鳴り、小春が出迎えた。

 僕と竹子も客間へと移動する。すぐに小春も戻ってきて、彼女の案内で二人の男が部屋へと通された。

「お邪魔しますよ。やあ曽我さんもご苦労様です」

 西村は挨拶をしてきたが、今日は愛想笑いのかけらもない。機嫌が良くないようだ。

「いやいやどうも、ご無沙汰しとります」

 西村の後ろからは、日に焼けた精悍な顔つきの老人が入ってきた。作業着姿で首元にタオルを巻いており、そのへんの農家のような出で立ちである。大きな鼈甲縁の眼鏡が印象的だ。

「堀江さんも久しぶりだねえ」

 竹子が声をかけた。ではこの老人が神主なのか。彼は慣れた様子で僕ら全員に簡単な挨拶をしてから、西村を紹介してきた。

「どうも。秋田市警の西村です」

 彼がお辞儀をすると、竹子ははいよ、と応じて即座に本題に入った。

「毎日お疲れ様だね。それで? 話は少し聞いているけど、例の友坂さんのことを聞きたいんだっけか」

 驚くべきことに、彼女は見えないはずの目で器用に茶を入れている。西村はそうです、と答えてから、

「あなたと友坂とのご関係をお聞きしたいと思いましてね」

「関係も何もないさ。あの人は噂を聞きつけて口寄せを依頼してきた。ちょっとしつこかったけどあたしは断った、それだけだよ」

 てきぱきと竹子は答えたが、西村はさらに聞く。

「それだけですか? 友坂は一度こちらを訪問していますね。その時に、口寄せ以外の話題は出ませんでしたか」

 それを聞いて、僕はあれっと思った。彼は友坂がここに来たことも把握していたのか。

「口寄せ以外の話かい? さて、どんな話だったら警部さんはお気に召すのかねえ」

 竹子は即答を避けた。

「口寄せというのは、死人を呼び出して喋らせる儀式ですな。私が聞きたいのは、それで友坂が誰を呼びたがっていたかということです」

「ああなるほどね。そういや、おかしなことを言ってたよ」

「おかしなこと、とは?」

「この間殺された占い師を呼んでほしいってさ。もう一度会いたいんだと」

「それだ。それです」

 西村は睨むようにびしっと言い放つ。

「その占い師の名前は木地谷(きじや)といいませんでしたか」

「さてどうだったかね」

 竹子が首をかしげると、堀江が唐突に口を挟んできた。

「そうか思い出したよ刑事さん! 木地谷ってのはあれだろ。よく当たるってんで、ここいらでもちょっと話題になった占い師だ」

「ええ、そうです」

 西村は答えたが、話に割り込まれたのが迷惑そうだ。堀江の口調には厚かましいが拒みにくい能天気さがあるが、わざとやっているのかも知れない。彼は場の空気など気にしないふうで、腕を組んでひとりで納得していた。

「そうかそいつのことかぁ。殺されたって聞いてたけどなぁ」

 すると竹子も頷いた。

「なるほどね、なんとなく分かったよ。友坂さんにゃ、その木地谷さんとやらを殺した疑いがかかってるわけだ。――だが残念だね、友坂さんは自分が殺したなんてことは一言も言ってなかったよ」

「そうですか」

 西村は面白くもなさそうに、ふんと鼻息を吐く。

「口寄せなんてものを頼むからには、全部ぶちまけているんじゃないかと思ったんですがね」

「あたしが引き受けてりゃ、それもあったかもね。だけどそもそもの話、こっちは断っちまってるわけだから。まあ茶でもどうぞ」

 出された湯飲みを受け取って口をつけてから、西村は言う。

「それなら、引き受けても良かったんですよ」

「うん? どういう意味だい」

「そうすれば友坂はぜんぶ打ち明けるかも知れない。そうでなくとも、口寄せの最中の奴の反応をみることもできる」

 口寄せを利用するということか。なんだかそれも竹子に失礼な話で、見れば小春も眉をひそめている。

「かっかっか」

 そこで笑い声をあげたのは堀江老である。

「竹子さん、こりゃ考えもしませんでしたな」

 すると竹子も、うひゃひゃひゃと口を押さえながら笑った。見た目は凛としたおばあちゃんなのだが、笑い声は意外に下品だ。

「全くだね。あたしゃイタコ諜報員ってわけだ。引退してなおここまで期待されるとはねえ」

 老人ふたりの笑い声が癪に障ったか、西村の口調に棘が交じる。

「それでも今までと変わらんでしょう、どうせ」

「おや、今度はどういう意味だい」

「私も最初は驚きましたよ。辻さんが、うちの署でも有名なあの伝説のイタコだったとはね」

 伝説のイタコ――。漫画みたいなフレーズが出てきたので僕はびっくりした。そんなのは呼び名は竹子自身も初めて聞いたのか、妙な顔をする。

「伝説とは、こりゃ恐れ入るね」

 すると西村はさらに吐き捨てるように、

「まあ、私ははなからそんなもの信じちゃいません。もちろん話は聞いたことがありますよ。かつて我が署では、捜査のために霊媒師の助けを借りたことがあるらしい――と。それで犯人逮捕にこぎつけたり失踪者を発見したりしたこともあったそうですね。だが私は信じられなかった。そんなことあるわけがないと思っていた」

「へええ。口寄せがペテンだとお思いかね」

 竹子は不敵な笑みを浮かべる。

「そういう意味ではありませんよ。公僕である我々の先輩が、まともな捜査もせずに霊媒師の助力を得ていたというやり方そのものが信じられなかったのです。だからただの噂だろう、と思っていた」

 有力な情報が得られなかったためか、西村は目に見えて苛立っていた。

「しかし、今回の事件で辻さんの名前が出てきた。それで聞き込みに行こうとしたら、上の連中に止められたんです。貴女の所に行くのなら、まずこちらの堀江さんに話を通さないと駄目だということで」

 彼は隣に座っている神主を見た。堀江老は頭をかく。

「ま、俺は段取りなんざどうでもいいんだけど、昔からそういう習慣だったからな」

 西村は改めて竹子を見た。

「あの友坂が出入りしているということで、私としては、これは新たな霊媒師と接触を図っているのではないかと思ったんですよ。最初はね」

「ははあ、詐欺の新しい相方ってことかい」

 竹子は呑み込みが早い。そこで驚いていたのは堀江だった。

「なんだ西村さん、あんたそんなこと考えてたのか! 今までと同じってのはそういう意味だったんだな、失礼な。あんた、この人の口寄せは本物だぜ」

 いきり立つ堀江に、西村は辛辣に応じる。

「だが、どのみち引退しているんでしょう。私としては、情報さえ得られれば本物でもなんでも構わないんです。でなければ、あからさまなペテンでないらしいと分かっていてもここに来たりはしませんよ」

 居たたまれない空気だったが、とにかく話の大筋は見えた。友坂は木地谷という占い師と組み、詐欺か、もしくはそれに近いことをやっていたのだろう。だが木地谷が殺されたため警察が捜査に乗り出し、西村は友坂が新しい「相棒」を探してこの家を訪れたと考えたのだ。

 だから、友坂がここを訪問したことを把握していたにも関わらず、西村はそれを僕に言わなかったのだろう。彼にしてみればそれは極秘の情報だったのだ。

 それにしても、不可解なのは友坂である。普通、自分が手にかけた人物の霊など会いたくもないはずだ。彼が下手人だとすれば、なぜ口寄せで呼びたがるのだろう?

「さて」

 西村は湯飲みを置いた。もう帰るかと思ったが、しかしそうではなかった。

「それで結局、口寄せはして頂けないんですか?」

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