第1話・神様が言っている④



   三


 それからしばらく、小春とは会わなかった。だから、あの友坂という男の口寄せの依頼がその後どう処理されたのかは不明のままだった。

 気にならなかったわけではない。だが同時に、他人の僕が心配することでもなかろう。だからそれほど深くも考えていなかった。

 ところが、事態は思いも寄らない方向へ進んだ。ある日、大学の食堂で寺村早香(てらむら・さやか)がこう声をかけてきたのである。

「曽我くん。変な人がいるわよ」

 ハヤシライスをつついていた僕がきょとんとすると、彼女はテーブルの向かいに座った。昼休みのことで、彼女が手にしたトレーにはわかめうどんの入った丼があった。

「変な人?」

「そうよ。変なヒゲの変な男」

 うどんをすすり始める彼女。不機嫌そうな顔はいつものことだ。

「変なヒゲ……」

 一瞬、友坂を思い出す。だがあれはただの無精ヒゲだった。「変な」と強調するほどでもない。

「その男が、曽我くんの帰り道に尾行してたの」

「尾行? 本当に?」

「少なくともそうとしか見えなかったけど」

 にこりともせずに答える早香。彼女は機嫌のいい悪いに関わらず、いつも言動がきつい。しかも典型的な秋田美人なので迫力もひとしおだ。それにしても尾行とは全く心当たりがなかった。

「もう三回目よ、見かけたの」

 僕が戸惑っていると、そう畳みかけてきた。

 どうやら冗談の類いではないらしい。ハヤシライスの最後のひと口は、なんだか食べた気がしなかった。

 それから数日は何事もなかった。

 だが、くだんの「変なヒゲ」は程なく僕の前に姿を見せたのだった。午前中で授業が終わり、昼頃にアパートへ帰った時のことだ。二階への外階段を上っていたら声をかけられた。

「曽我さん」

 振り向くと、帽子とコートをまとった大男が立っていた。その顔に口ひげを認め、これが例の尾行者かと僕は直感する。

「いきなり失礼。ああ、そう警戒しなくても大丈夫ですよ。私は秋田市警の西村(にしむら)といいます。西村警部」

「警察?」

 聞き返す僕に、西村警部はほんの一瞬だけ口元だけで笑って手帳を見せた。

「そうです。と言っても別に逮捕しに来たわけじゃありません」

「僕を尾行してましたか?」

 尋ねると、彼は頭を掻いた。

「お気付きでしたか」

「どんなご用でしょう」

「まあ立ち話もなんですから、どこか話しやすい場所で……」

「いえ。ここで」

「そうですか」

 こちらの返答は予想していたようだ。彼は頷くとすぐに手帳を開き、それを読みながら話を進めた。

 それにしても警察とは。予想だにしなかった。言われてみると、茶色の薄手のコートにソフト帽と、確かにその格好はハードボイルド映画の刑事そのままである。改めて考えてみると時代錯誤も甚だしいが、それでもあまり違和感を抱かせない風貌だった。

「まず、いくつか貴方のことについて確認させて下さい。曽我さん、貴方は青峰(せいほう)大学の二年生ですね。ご出身は隣の山形県、と」

 その通りだ。去年の四月から秋田市に越してきて、今はこの学生街のアパートで一人暮らしをしている。

「そして辻小春さんとはお友達ですな」

 唐突に名前が出てきたのでかるく驚いた。尾行者は友坂聡ではなかったものの、この西村という男の用件もやはり小春がらみだったか。

「彼女は十七歳で、そこの高校に通っておりますね。お二人はご近所の縁で?」

「ええ」

 そうだ。彼女とはひょんなことから知り合い、いつの間にか親しくなっていた。彼女の家や、例の墓地は僕のアパートからほど近い場所にある。

「分かりました。ありがとうございます。では曽我さん、貴方は友坂聡とはどういうご関係ですか」

 今度は友坂聡か。

「関係も何も、何日か前に墓地で出くわしただけですよ」

「本当ですね? 連絡も全く取っていない、と」

「あの人がどうかしたんですか」

 聞くと、答えが返ってくるまでに少し間があった。

「友坂聡が、そこの墓地で貴方と話をされたのは知っています。彼の行動は逐一チェックしていたもので」

 これには驚かされた。そうだったのか。

「彼はある事件の関係者なんです。またそうでなくても、我々にとって色々と油断ならない男でしてね、始終張り付いている必要があった。――それがある日、墓場で貴方と小春さんのお二人に土下座を始めたものだから、なんだあれは、ということになったわけです」

 納得した。きっと尾行していた警官も面食らったことだろう。

「だから貴方のことも少し調べさせてもらいました。まあ何もないだろうとは思っていますが、念のためですな」

 どことなく人を食ったような言い方だ。

 ひょっとすると、と思う。あの墓地で友坂と言葉を交わしたのは主として小春の方だったが、尾行していた警官からは、年長の僕の方が会話の中心のように見えたのかも知れない。

 そう、この時、僕の頭にあったのは小春のことだった。西村警部は勘違いをしているようだが、友坂と接点があるのは僕よりもむしろ小春の方である。ならば今後、警察が小春に接近する可能性がある。

「事件というのは、具体的にはどんな?」

「殺人事件ですよ」西村は答える。「まあここまでお話ししたわけですので、きちんとご説明しておきますか。――曽我さん、貴方は真面目な学生さんだと思いますので忠告させて頂きますよ。あの男はペテン師です。今後、何があっても一切関わりを持たない方が賢明です」

 ペテン師と殺人事件という二つのキーワードが結び付く。

「もしかして、あの人が容疑者なんですか」

「まあそういうことです」

 彼は即答した。僕は改めてあの友坂という男のことを思い出す。言われてみると、詐欺師というのは納得できる気がした。人に頼みごとをするときの術というか呼吸のようなものを心得ている男だった。食い下がる際の言葉の使い方や土下座のタイミングなど、どれも絶妙だった。

 殺人事件で、しかも容疑者ということで少し好奇心が湧く。だが僕はそれ以上西村には質問をしなかった。しつこく聞くのもどうかと思ったし、それに何より、自分の後を付け回していた人物とあまり長く相対していたくもなかった。

 間もなく西村が去ってから、僕は近所の生協のスーパーへ出かけた。自分自身の買い物のためだが、同時に、もし小春と出くわしたらこのことを話しておきたかったのだ。僕は彼女の電話番号を知らないので、あえて会おうとするなら、彼女の家かお互いに行きつけであるスーパーで待ち伏せるしかない。

 まあ運が良ければ会えるだろうという程度の気持ちだった。だがタイミングはばっちりで、買い物を終えた僕が店の外のベンチに腰を下ろして間もなく、彼女はやってきた。

「あれ、曽我さん」

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