第15話 私の私小説ーより奈のストーリー

 より奈は、今まで信じていたものが根底から崩れ去っていくような不信感を感じた。しかし同時に、血のつながった母親でもないのに、私を育ててくれた実の父親である上司の姉に感謝した。


 じゃあ、私の産みの母親は誰なんだろう。

 実の父親である上司に尋ねてみたいが、孤独な答えがでてくるのが怖くて思わず躊躇した。

 今はそれを聞く必要もない。聞いて何になるというのだ。

 人は誰でも昔より今、今私はこうやって生きている、いや生かされている。

 過去がどうであれ、これがすべての結果である。


 確かに今の私は恵まれている。だからこそ、私のルーツ、産みの母親を知りたいという思いは、私の心を支配するようになった。

 しかし、こんなことは私の胸に秘めておくしかない。


 上司は車の中で話を続けた。

「実は、君は私のコネで入社したんだ。今まで君に何もしてやれなかった罪滅ぼしのつもりだ。本来ならば、君が二十歳になったとき、僕が君の産みの父親であるということをカミングアウトするべきだったのであるが、僕は君の育ての母親である姉の手前、それはできなかった」

 どおりで私が初めて上司と会ったとき、どこか懐かしいものを感じる理由が今、わかったような気がする。

 私はときおり口ずさんでいた、昔の歌謡曲を思い出した。

   「愛情物語」

 はじめて会うのに 思い出のような人

 夕暮れの街ですれちがう 物語

 あなたですか 出会う前から

 ずっと胸の中で あなたを呼んでた

 愛に帰りたいあなた 涙をあずけて

 愛に帰りたいあなた そっと陽だまりの胸に


 お守りのように 大切にしていたの

 必ず迎えに来てくれる 信じてた

 涙とまれ とまれあなたの

 夏のシャツで頬を ぬぐっていいのね

 愛に帰りたいとても 心細かった

 姿見えないやさしさ 信じているのよ

 

 まさに私の心境にピッタリの歌詞である。

 私は話題を変えるように、実の父親である上司に話しかけた。

「不倫って、当事者だけでなく、まわりの家族も不幸をもたらすし、会社にまで迷惑が及びますね。しかし、なぜかいちばん悪者扱いされるのは、不倫真っ最中の当事者女性ですよね」

 上司はうなづいた。

「不倫というのは強制でもレイプでもない。

 女性さえ断ってしまえば、不倫は成立しないんだ。なのに女性は、愛想の良さを愛情だと勘違いし、男性に溺れてしまう。でも一度不倫を体験した女性は、不倫体質になり、不倫専用女になってしまう」

 私はキョトンとして質問した。

「なあに、その不倫専用女というのは? 初めて聞く言葉だわ」

「要するに不倫しかできない女性だよ。だから、ちょっとイケメンで愛想のいい男性にしたら、利用しやすいんだよね。だいたい日本というのは、島国根性で無愛想な民族だからね。たとえば韓国ではハグの習慣があるし、アメリカではキスの習慣があるが、日本はそんな習慣など一切ないからね」

 そういえば、私もハグについてこんな話を聞いたことがある。

「企業社長である僕は、あなたから愛しているよと言われ、ハグをされ抱きしめられて喜んでいたが、あなたはホームレスに対してもハグをしていたんだね」

 まあいわば握手と同じ意味をもつのだろう。


 私の実の父親である上司は話を続けた。

「今は暴対法が施行され、反社という言葉通り、暴力団はもう世間では生きていけない時代になってしまったけどね。

 昔、伝説の大親分田岡一雄というのがいたんだ。実は田岡組長は、不倫の子供なんだ。元々は高知県出身で不倫女性は田岡氏を出産後、五歳で亡くなり、その後神戸の親戚に預けられたんだけど、そこでひどい虐待を受けたという。

 学校にも通わせてもらえず、神戸港の港湾の力仕事ばかりやらされ、満足に食事も与えてもらえなかったという。

 山口組というのは最初は十数人いかいなかったが、田岡氏が全国規模で一万人以上に拡大したというんだ」

 まあ田岡一雄氏という名前だけなら、聞いたことがある。実話系雑誌のタイトルにも掲載していたな。より奈は思わずうなづいた。

「だから、田岡組長にしてみれば、親がいて、帰る家があり、学校に通わせてもらっていて、それでまだ非行に走るなんて考えられないことだったという。

 まさに暴走族など、全くの理解不能。派手な皮ジャンと改造バイクで、迷惑を顧みず町中を走っている、不思議でたまらないという」

 世の中上見りゃキリない、下見りゃキリないというが、まさにその通りだな。

 もっともより香自身は、世の中の上も下も体験していない、平凡な環境で平凡な人生しか送ってこなかったが、これが最高の幸せなのかもしれない。


 より奈は、目が覚めた思いだった。

 やはり不倫を愛だと思っていたのは自分だけだったんだ。

 女性は表面的な愛想を愛と勘違いし、それを求める。

 そんなことを考えながら、より奈は行きつけのカフェで古本屋で買った「不倫の恋も来いだよね」を読んでいた。

 く、く、暗い。地獄行きのような暗いオーラが漂っている。

 いちばん苦手な時期は、家族で過ごすクリスマスとお正月。

 ときおり奥さんに対する嫉妬と妬み。

 ああ、地獄一直線だと思っている矢先、マスターに声をかけられた。

「不倫なんて遊び。そんな本、読まない方がいいよ」

 より香は、思わず「本として読んでいるだけじゃない」

「でも、僕がもしエッチな本を読んでいたら、この人、エッチなおじさんだなんて思われても仕方ないだろう。こんなの、読んでたら売春でもしているのかと誤解されちゃうよ。もう読むのやめた方がいいよ。もっと健全な恋をしてほしいな」

 うん、まさにマスターの発言は正論真っ只中。

 しかし、昔から不倫は無くならないのが常であり、不況になればなるほど、男性は身近なところで恋もどきをしようとする。

 今は強引に誘えばパワハラとなり、セクハラの材料にもなりかねない。


 以上が私の私小説である。もしちょっぴり毒を感じ、生きていくための薬になって頂ければ幸いである。


 マスター自慢のサイフォン珈琲の香ばしい香りが漂ってきた。

 そう思っている矢先、なんと私だけのアイドルー原口裕貴ーが入ってきたのである。

「あっ、田中先生じゃないですか。こんなところでお会いするとは。

 中学卒業以来、二十年ぶりですね。

 先生、やっぱり噂通りカフェを経営してるんですね」

 そのとき、原口はカウンター席に紺色のハンカチを置いた。

 あっ、このハンカチは、半年前に私が電車の中でバッグを落としたとき、拾い主にお礼の意味で渡したハンカチである。

 私は思わず聞いてみた。

「もしかして半年前、私のバッグを拾って下さったのはあなたでしたか?」

 原口は、黙ってうなづいた。

 やっぱり原口は私にとっては恩人なのだ。

 ただ見ているだけで楽しいアイドルだけではなく、私を救ってくれた恩人だったのである。

 

 マスターは言った。

「原口とこんな形で再会するとは思わなかった。原口は私の顧問であったソフトボール部に入っていたんだ。最初はどうなるかと思ったが、肩ができてきたときは、やはり指導の甲斐があったというものだ」

 原口は、苦笑いしながら答えた。

「実はあのとき、僕は人数集めのために入らされたようなものですよ。

 二年間入っていたけど、卒業時に先生から肩ができてきたと言われたときは、嬉しかったですよ。やはり継続は力なりなんて言葉が浮かびましたよ」

 事実は小説より奇なりというが、私にとっては意外な事実ばかりが、目の前に突き付けられた思いだった。


 原口は私に尋ねた。

「そういえば半年ほど前、電車の中で「火事だ!」と騒いだのはあなたでしたか?」

 私は咄嗟に「はい、そうです」と答えた。

「あれは、僕の部下だったんですよ。ほら、スリムでジャニーズ系の若い子でしょう」

 ああ、思い出した。

 あれは通勤ラッシュの朝八時頃、満員電車のなかでスーツを着たサラリーマン風の男性のアタッシュケースに、一見中学生風の男子がカッターナイフを突きつけていたのだった。

 私はやばいと思い「火事だ!」と叫んだ。

 こういう場合は「助けて!」というよりも「火事だ!」と叫ぶのが一番である。

 乗客が一瞬振り向いたのと同時に、中学生風はカッターを懐にしまい、その場を去り、次の駅で降車した。

 

 それから一週間後、その男子中学生風はカッターナイフでガールズバー勤務の十八歳の女性を脅した挙句、報復を恐れて警察に自首したという。

 のちにわかったことだが、その男子中学生風いや中学三年生は母親は母一人子一人の家庭であったが、母親が行方不明になり、学校にも行かず生活に困った挙句の果て、こういった犯行に及んだという。

 なんと男性中学生だと思っていたが、本当は女子中学生だったのだ。

 いわばLGBTである。

 しかし、なんといっても初犯であり、口で脅しただけで相手を傷つけたわけではなかったし、刃渡り20cm以内のカッターナイフでしかなかったので、情状酌量となり書類送検ということになった。


 なんとその中学生風いやLGBTNの女子中学三年生ーあやねーは、元風俗嬢石曾根ゆりの後輩の実子だったという。

 石曾根ゆりの後輩は、風俗嬢としてはあまり売れっ子ではなかった。

 田舎弁丸出しで、客に対するマナーも悪い。客から苦情が出る一方だったが、ゆりが言葉遣いやマナーを教えてからは、まあまあ客もつくようになったが、店も辞めてしまった。

 ゆりはそのLGBTの女子中学生-あやねーを引き取り、しばらくの間面倒を見ることにした。

 ゆりは、女子高を卒業したので学力に困ることはなかったが、勉強のできない子はやはり学校在学中も卒業してからも、辛い思いをする。

 あやねとて例外ではなかった。あやねは、小学校低学年の頃から軽い暴力を振るったり、授業中の態度もよくないので問題児扱いされてた。

 しかも母親は夜はいないので、最初は祖母が面倒をみていたが、徐々にそうではなくなっていった。

 しかし、教科書を丸暗記して学力は身につけていった。

 数学でも問題を見ただけで、この問題にはこの方程式が通用し、あとは方程式通り説いていくという方法をとっていた。

 だから、優等生として見られていたが、その反面、女性である自分が弱虫のように見られるのが嫌で、男性のようになり、男性のように扱われたいと思うようになっていった。


 女だてらにという言葉があるが、やはり女性は受け身で弱いもののように見られる。二昔程前は、ある銀行は男女差別がはっきりし、女性は二十五歳くらいまでに辞職してほしいという無言の強制があったという。

 その裏には、あやねの母親は風俗嬢だというコンプレックスもあった。


 あやねの母親は、風俗嬢だということを隠していたが、やはりいつまでも隠し通せるものではない。

 あやねは最初、ショックを受けたが、それを勉強に昇華した。

 男顔負けの点数をとり、将来は親の職業を問われない医療関係の仕事に就くのが夢だった。

 しかしその為には、やはり金が必要である。

 かといって、スマホの闇バイトになど申し込む勇気などある筈もない。

 あやねは男性の真似をして、素手ではかなうはずがないので、カッターナイフを持ち出したというわけである。

 

 石曾根ゆりは、後輩の子供であるあやねを引き取ることになったが、ゆり自身はLGBTではないので、その気持ちはわからない。

 風俗嬢のなかには、いわゆるレズの女性もいたが、それはゆりもわかる気がする。

 ゆり自身は、そう男性から傷つけられるということはなかったが、なかにはすっかり男性恐怖症になってしまう女性もいた。

 

 

 



 


 

 

 

 

 

 

 



 

 


 


 

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