第14話 元風俗嬢島本の最後のあがき

 島本は風邪をこじらせ、咳ばかりしている。

 しゃがみこみ、いかにも苦しそうである。

「もう治らないのよ」

 私はその言葉に同情し、喉薬を差し出した。

 

 翌日、島本は風邪が回復したのか、またわけのわからない自己中満載の文句を私に投げかけた。

「あんたはいつも私の言ったとおりに、荷物を置いたことがないじゃないの」

 私は真実を暴露するときが訪れたと思った。

「なにか勘違いなさってるようですね。荷物運びはみな、島本さんの仕事なんですよ。野菜も卵も唐揚げも、氷もですよ。

 私は島本さんの代わりをしてあげてたんですよ。しかも毎日。

 お気づきになられませんでしたか?」

 島本はキョトンとしたような顔で

「私が、今まで一分でも手を休めたことがあったか?」

「そんなこと、私に言われても知りませんよ。それこそ店長が決めたことなんですよ。私にはやるべき仕事があったんですよ。でも島本さんがいつまでたっても、荷物を上げてこないから、私が手助けをしてあげてたんですよ」

 島本は思わず吹き出した。

 やはり、自分はこの仕事に向いていないと観念したのだろう。

 翌日、荷物運びを拒否したことで、店長から呼び出され、退店といった形になり、島本は荷物をまとめて去って行った。


 それから一週間後だった。

 私が職場の近くのカフェで、休憩をとっていた。

 私はいつも店の隅に座るのを常としているが、すると私の斜め前のボックスに白塗りのファウンデーションに、真っ赤な口紅、大きなイヤリングの黒のワンピースを着た女性が現れた。

 この店には似つかわしくない、派手な目立ついでたちの女性。

 よく見るとまぎれもなく、島本だった。


 島本の向かいに男性が座った。

 なにやら小声で話し込んだあと、二人で席をたっていった。

 もしかして島本はデリヘルまがいの仕事をしているのだろうか。

 まあ、どちらにせよ私とは縁のない別世界である。

 島本はやはり元の世界へと戻っていったに違いない。


 堕ちるつもりか 同じ世界へと

 戻るしかない 元の世界へと

 

 ふとそんなフレーズが浮かんだ。

 島本が空から転落していく真黒なカラスに見えた。

 転落の先は地獄行きなのだろうか

 それとも売春婦マグダラのマリヤのように、ここでもイエスキリストの救いがあるのだろうか。

 そういえば、最初にイエスキリストを伝道したのはマグダラのマリアだったという。

 世間からはなんの権力も名誉のない売春婦が、イエスキリストが十字架にかけられ三日目に蘇ったという荒唐無稽の話を広め、それが世界中に広まっていったというのは、まさに神の奇跡としか言いようがない。

 

 ちなみに私が体験した神の奇跡は、酒が辞められたことである。

 私は二十歳くらいからビールを飲み始めた。

 苦みも感じることはなく、爽快感さえ感じ、飲んだ後は少しアドレナリンを感じた。最初は小びん一本だったが、小びんが中びんへと増量していった。

 酒を飲むことが私の日常となっていた。

 いつしかビールから日本酒、ワインへと発展(?)していった。

 酒は私にとっては楽しみであり、酒を飲めない人は人間ではないと思っていた。

 三十歳の頃、酒が辞められない自分に対して、危機感を抱くようになっていた。

 そんなとき、テレビで見た大阪のドヤ街にある教会に行ってみた。

 その教会の牧師は、九州の種子島出身であり、腕のいい大工であったが、仕事が終わると焼酎に溺れ、給料どころか有り金をみな、酒に使ってしまった挙句の果て、喧嘩をするという日常を送っていた。

 このままではいけないという危惧感に襲われ、人生を変える目的で大阪へ行ったが、大阪では酒と水商売に溺れるようになっていった。

 当時、タトゥとは違った意味での刺青を背負った反社まがいが見張りをする飯場(土方が仕事をする場所)に住み込み、その飯場も転々とする毎日を過ごしていた。

 ある日、酔っ払ってドヤ街の教会に行き、アメリカ人の牧師に祈ってもらうと、なんと一日で酒から解放されたという。

 もう酔っ払って喧嘩をすることもなくなり、教会に通うようになった。


 牧師になりたいという夢を抱き、神学校を卒業し、初めて行ったドヤ街の教会の牧師になった。

 現在は行政の力で大分改善されているが、三十年昔は牧師曰く

「ここは人間の住むところではないですよ。酔っ払い、ギャンブル狂、パチンコ屋が乱立し、暴力団事務所が多く存在している。近隣の人も近づこうとはしない。

 しかし私はこの地区で伝道する使命が神から与えられているのです。

 さもなければ、誰が人の嫌がるこのドヤ街で住み込んで伝道するものですか。

 だから、人からあなたは、この地区で伝道しても救われるのは万人に一人ですよ。郊外に行って伝道した方が、身の為ですよ」

 そういえば、テレビ番組でもある信者が言ってたなあ。

「私たちはただ信者として、別の地区からこの教会に毎週通っていますが、住み込むとなると、心臓がでんぐり返るほど恐ろしいことがあるんだなと痛感しました」


 しかしあれから三十年、時代はすっかり変わり、来年には高級ホテルが建設される予定である。

 現在は、外国人が多く住み、飲食店でも英語でメニューがかかれ、ウエイトレスは簡単な英語が話せないと客の応対はできない。

 アジア系、フィリピン、ベトナム、刺青だらけの白人、黒人が安いホテルに泊まっている。

 こんな時代が訪れるとは、三十年前までは誰も予想いや想像すらできなかったであろう。しかしこのことは、やはり教会の存在のおかげであろう。

 キリスト教会はたとえ信者数が少なくとも、地域の守り神である。


 私は不倫をテーマにふと思いついたアイディアがあった。

 不倫体質の二十五歳の女性ーより奈ーがいた。

 なぜか、十歳以上も年上の男性しか愛することができず、また反対に年上の男性にしか愛されない彼女。

 より奈はカフェでアルバイトしていた。

 そんなとき、より奈にちょっかいをかけてくる客がいた。

 年齢は四十歳半ばだろうか。

 注文されたトーストを出すと、小声で「あんた、いい身体してるね」と独り言を装い、より奈の反応を試そうとする。

 こういう輩は、無視するに限る。少しでもびっくりしたような反応を見せると、思うつぼとばかり、付け上がってくる。

 もしかして、アダルト系のスカウトマンなのかもしれない。

 でもそれにしてはスーツの似合う、端正な顔立ちである。


 より奈は進学校出身で、クレジット会社に就職したが、そこでセクハラの被害を受けた。といっても、その当時はパワハラはもちろんセクハラという言葉すらもなかった時代である。

 当時四十歳くらいの上司と二人で、車で営業に出ていたが、ある日なんと車の中で頬ずりしてきたのだった。

 もちろん、より奈はその上司に恋愛感情など抱いてはいなかったので、迷惑でしかない行為だったが、一度だけは目をつむろうとした。

 すると何を勘違いしたのか、その上司は営業時間中、モーテルに連れ込もうとしたのだった。

「えっ、嘘、冗談でしょう」とより奈が抵抗すると、上司がいきなり信じられないことを言いだした。

「実は俺は、あんたの実の父親なんだ。そしてあんたの母親は産みの母ではなく、俺の姉なんだよ」

 えっ、何のことだかわからない。

 

 昔、直木賞作家の山口洋子氏は、京都で私生児として産まれた。

 父親は、山口氏を父親として認知することはなかったので、山口氏は父親の顔を知らずに育った。

 ただし産みの母親は、山口氏を育てることはできなかったので、産みの母親は友人に山口氏を養女にだした。

 山口氏は小学校のときから優等生で学級委員長であったが、高校一年のとき、経済が立ち行かなくなり、高校も中退し水商売の世界へと入ることになった。

 最初は場末の小さなスナックを経営していたが、それから一年もたたないうちに銀座に店を出店するようになり、客の紹介で歌謡曲を書くようになり、作詞家として有名になり、それから小説の勉強をし、直木賞作家となった。

「世の中にはすごい人がいる。水商売をさせればあっという間に一流の店に仕立て上げ、作詞をさせればレコード大賞、小説を書かせれば直木賞受賞。

 彼女は才女というよりは女傑である」

 山口氏は小学校のときから読書が好きで、将来の夢は物書きになることだったという。

 しかし山口氏が平凡な人生ー大学を卒業し、主婦になるーを送っていたら、物書きとしては成功しなかっただろう。

 高校を一年で中退し、水商売で成功したのがスタート地点となって、物書きとして成功したのである。

 夢のまわり道こそ、実は王道だったのである。


 話を元にもどそう。

 より奈の混乱した頭に、上司は言った。

「誤解してもらっちゃ困るよ。僕はモーテルの料金表を見たかっただけだよ」

 しかし、この上司が私の実の父親であり、今まで母親だと信じてた人がこの上司の姉だとは。

 より奈は混乱した頭のままに、聞いてみた。

「非常に失礼なことをお聞きしますが、じゃあ、私の産みの母親は誰なんですか?」

 上司はため息をつきながら答えた。

「君を産んですぐ亡くなってしまった。本来は僕が育てるべきだったが、僕にはそんな能力はなかった。

 そこで、子供のいない僕の姉に君を養女として、育ててもらうことにしたんだ」

 より奈は、今まで信じていたことがすべて崩れていくのを感じていた。


 そういえば、私の母ーいや正確には養母であるが、穏やかなやさしい人であったが、私を叱ってくれたことはなかった。

 小学校のときに一度だけ、母の気をひくために、神に茶色のメッシュを入れたことがある。担任には注意されたが、母は叱ってはくれなかった。

 本当に愛情があるなら、相手の将来を考えて心配のあまり叱るというが、母はそうではなかった。

 中学一年のときから、高校は公立高校へ進学するようにと言われていた。

 だから、勉強は塾にもいかず、頑張ったつもりである。

 より香の勉強法は、教科書丸暗記であり、数学さえも丸暗記だった。

 問題を読んだとたん、どんな方程式がでてくるかを丸暗記して、答えを解いていく。

 より香は普通科の高校を卒業して、現在のクレジット会社に就職した。



 

 


 

 

 



 

 

 


 




 

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