第13話 元№1風俗嬢 石曾根ゆり
アドラム教会には、元風俗出身の女性も存在する。
普段は内緒にしているが、アドラム教会ではカミングアウトしている。
礼拝後、教会の教壇で大衆の面前で
「私は元ナンバー1風俗嬢だったが、現在は男性を愛することができません。
このままではレズビアンになっちゃいそうです」とはっきり名乗った女性がいた。
石曾根ゆりという。昔ながらの地味な名前である。
一見地味な少しやつれた女性であるが、心身は健やかなのだろう。
元風俗嬢特有の初対面の人にケンカを売ったり、暴力的になったりということは一切なく、私に対してもお茶を入れてくれたりするサービス精神さえ持ち合わせている。
こういった人の良さが、ナンバー1風俗嬢でいられた所以なのだろう。
「この頃の私の顔、表情もきつかったし、ひきつってたでしょう」
ゆりは一枚のスナップ写真を私に見せてくれた。
きんきらきんの装飾を施した豪華なベッドの上で、派手な原色のキャミソールを着たゆりが横たわっていた。
しかし、こういった過去は暴かれたくないものとして、隠し通す筈である。
ゆりは軽い微笑みを浮かべながら言った。
「私は以前は、自分の過去を隠し通してたんです。外へ出るときはサングラスをかけ、帽子にマスク姿でした。昔の源氏名で呼ばれたらどうしようと、内心ビクビクしていました。でももう今は、その隠し通すということが苦しく、みじめになってきたんです。これも私の人生の一部。
それに私の顔は、風俗雑誌に載ってるんですよ」
私は信じられない思いだった。
目の前にいる女性は、スーパーマーケットで見かけるごく平凡な主婦のような女性でしかない。
私は思わず「大丈夫ですか」と声をかけた。
その裏には、もしかして麻薬中毒や精神疾患などではないかという疑いもあった。
ゆりはそんな私の思惑を、敏感に察したのだろうか?
「まあ、私たちのような職業は世間から、いろんな偏見の目でみられますよね。
ヒモがついていて、金をたかられるとか、接していると自分まで同じ風俗の世界に引きずり込まれるのではないかなどとね。
でも大丈夫ですよ。当時付き合っていた元反社は二年前に亡くなったし、私は風俗の世界ではもう使い物にならなくなったんですよ」
それを聞いて私はほっとしたような、安堵感を感じた。
「まあ、世の中には女性を金にしようなんていう悪党は存在していますからね。
スカウトマンというのは、スカウトした女性の給料の一割が入る。だから、一度スカウトされると辞められないといいますね」
ゆりは、少し驚いたような表情をした。
「よくご存じですね。実際現在でも、それが原因で辞められないという後輩はいます。あれは苦しい仕事、だからつい薬に溺れたり、最初だけ優しくしてくれる男性に身を任せたりするのです。
でも私は大丈夫。だって今はイエス様がついているから。
今こうやって新聞配達のアルバイトをしているのも、神の奇跡ですよ」
私も現在、夕刊配達をしている真っ最中であるが、結構体力を使う仕事であり、雨が降ろうと雪が降ろうと、台風でも休むわけにはいかない。
しかし、夏の炎天下、新聞配達を体験すると、冬は風邪をひかなくなるという大きなメリットがある。
残念ながら、風俗出身の女性は内臓が弱くなり、2キロくらいの荷物も持てなくなってしまったり、風邪をひきやすくなるという。
だから、肉体労働などは到底無理な筈なのに、新聞配達を毎日続けているとはきわめて奇跡的なことである。
まさに、神の恵みだとしか言いようがない。
そういえば、私は十年ほど前、飲食店のバイト先で困った女性と組まされることになった。
その女性ー島本信子ーは、私が「今日から入りました仁志野です。よろしくお願いします。はい」と定例パターンの挨拶をすると、急にそばにあったプラスチック製の箱を振り上げ「あんた、今はいと言ったな。あんたのはいは人の心を傷つけるのよ。
あんた、今度私の前ではいと行ってみ。
私があんたに手をかけないと思ってるのか」などとワケのわからないことを言うのだった。
ひょっとして麻薬中毒の後遺症?
私は一瞬、ビビッて後ずさりした。
島本の仕事は、地下一階の調理場で食品の仕込みをすることと、その仕込みをした食品をリフトで一階に上げることだった。
しかし、島本は食品の仕込みはするが、一階に上げようとはしない。
店長の命令で、私が島本の尻拭いをすることになった。
本来、こういったことは全員で協力しなければならないのであるが、なぜ私が選ばれたのか? 原因は一つ、みな島本を避けていたからである。
島本には腫物を触るように、当らず触らずの態度をとっていた。
島本は2キロくらいのものも、持ち上げられないのだろうか?
私が尻拭いをすると、執拗に嫌がらせを言ってくる。
「あんた、そんなこともわからないの。まあ、あんたはタダのバカではなく、度を越えたバカなんだから」などとワケのわからないたわごとを言ってくる。
もしかして、私にケンカを売り、喧嘩両成敗になり私を退店に追い込もうとしているのかもしれない。
私は最初は皿洗いだったが、ホール廻りに昇格することになった。
すると島本は、しつこくカウンターから野次を飛ばしてくるのだった。
「もっと早くやれ、チャッチャッとやれ」
「あっ、間違えた。あほ」
ついにホールの客から苦情がでるようになった。
「あのおばさん、何とかして。うるさくて食欲がうせるわ」
それでも島原はおかまいなしに、カウンターから野次を飛ばすことをやめようとはしない。
島原は私を手招きして言った。
「あんた、その「はい」というの、やめてくれないか。あんたの「はい」は人の心を傷つけるのよ。今度私の目の前で「はい」と言うてみ。
うちがあんたに手をかけないと思っているのか」
私は、島原の意味不明なバカげた言葉に、思わず吹き出した。
すると、島原はカウンターからホールへ飛び出し、私の腕をつかんでドアに放り出そうとした。
「おばはん、やめとけえ」カウンターから止める声が聞こえてくる。
私は思わず「警察を呼びますよ」と言うと、島原は腕を放し笑い出した。
やっぱり、島本は狂人に近いのだろうか?
島本は地下一階のホールに回された。
チーフを通じ、島本は私に詫びを入れた。
島本の同僚曰く、島本は山陰地方出身で、離婚して子供とも引き離されたという。
失意のうちに、大阪にきて最初はスナックに勤めていたという。
島本にスナック勤めができる筈がない。
話術にたけているわけでもなし、客を楽しませる術など知らない。
スナックというのはウソであり、風俗に違いない。
「その女は瞬間精神分裂症ではないか? 性病の毒が頭に回ってるんだ」
ある男性にそのことを話すと、即座にそう答えた。
そうかあ、風俗勤めか。性病になっても不思議はない。
「その女は人間以下の気ちがいである。もしその女が刃物を振り回したとしても、傷害罪にはなりにくい。十人十色という言葉があるが、そいつは人間以下である」
まさにその通りかもしれない。
とすると、島本は世間の闇に埋もれた被害者なのかもしれない。
島本の私に対する仕打ちは、日を追うごとにきつくなっていった。
もしかして島本は、身体に不調を感じ始めたかもしれない。
それを私という一般人を攻撃することで、自分が勝ちと思い込んでいるのかもしれない。
正義が勝つのではなく、勝った方が正義の世界である。
しかしもちろん、私は島本のケンカ売りには馬耳東風。
この頃は、店長やチーフまでが島本を避けているようである。
チーフ曰く「君は上の人間、上の人間が島本のような下の人間を相手にしてはならない」
風俗に堕ちた島本は心身とも下の人間に成り下がったということなのか?
しかし一瞬先は闇。人間いつ下の人間になるかわからない。
このことは女性だけではなく、男性も含めてであるが。
マルチ商法で大学生がだまされ、借金のかたのため、売春買春に走るといったケースもある。
この世の人間関係は、愛想と都合で成り立っている。
愛想で人を寄せ付け、お互いにメリットのある人間関係を築いていく。
人間同士のトラブルは、お互いの利害関係が不一致になったときに生じるというが、その最たる例は戦争であろう。
戦争の悲惨さは、勝った方も負けた方も同じである。
戦争を起こすのは男性であるが、いつも被害を被るのは女子供である。
こんなことは、もう何百年も昔から、古今東西わかりきっている筈なのに、わかっちゃいるけどやめられないというのが、エゴイズムをもった人間の性であろうか。
そういえば、私が小学校二年のとき、担任の女教師が休みのとき、補習にきて下さる男性教師がいた。
なんの授業もせず、終始戦争の話ばかりだったことを明確に覚えている。
シベリヤへ抑留されたとき、牢屋に入れられ両手の爪をみな抜かれてしまったー
そんな悲惨な事実を淡々とするめがねをかけた今城先生の顔を、今でも思い出すことができる。
漢字オリンピックを開催したり、今城という苗字は、今、城という頂点があるからこれ以上は伸びないという意味であるという。
そういえば、母親からイエスキリストの本を買ってもらったのは、小学校二年のときだった。
我が家は日本に最も多い浄土真宗派だったのにも関わらず、母親が買ってくれた本はエジソンやキュリー夫人でもなく、イエスキリストであったというのは、母親も私も、この頃から神に捕らえられていたということなのだろうか。
そういえば、母親は私がクリスチャンになった当初は、上品な趣味としか受け取っていなかったが、酒を辞めたというのを聞いて、イエスキリストを信じるようになったという。
人には信心欲があるというが、なにを信心していいのかわからない人が多い。
そういった意味では、私も母もキリストを信じて幸せ者だっただろう。
私は地元の教会に通っているが、少子高齢化のために礼拝者数は極めて少なくなっている。
築百三十年になる白い十字架が屋根にかかっている教会は、地元の人は皆知っている。しかし、通う気はしない。
私も最初はそうだった。礼拝に通う途中でおっくうになり、近くのカフェに立ち寄ったこともあった。
近づくことは億劫であっても、教会は地域の守り神として存在しているようである。
屋根の上の白い十字架は、朝日に輝くとピンク色に染まり、昼間は太陽に照らされてさんぜんと輝き、夜になると夕闇のなかになぜか守り神の星のように輝いている。
この教会が存在する限り、平和が守られそうである。
神は試練を与えるというが、もしかして島本の存在は、神が与えた試練に違いない。世間の闇の犠牲者となった島本に救いを与えるために、神は島本の元に私を送ったに違いない。
イエスキリストは神の一人息子であったが、神は人類を愛する余りに罪のあがないとしてイエスキリストを十字架にかけられた。
この場合の罪というのは、犯罪も含めて人間のエゴイズムを指すのである。
神から離れた人間は、常になにかの奴隷になっているというが、その通りであろう。ちょうど親から離れた子供が、心の傷を埋めるために刺激に走るのと同じである。神に戻ることにより、依存症から解放される。
ある日、島本は夜十時まで残業させられる羽目になった。
何を勘違いしたのか「こんなこと(労働時間)は店長やチーフが決めることだ。
お前が言うのは十年早いわ」
はあ? 何を言ってるんだ。やはり島本は、瞬間精神分裂症なのだろうか?
狂人の最後のあがきなのだろうか?
ある日、島本は風邪をこじらせた。
風俗嬢は風邪をひきやすく、免疫がないのでこじらせるというが、まさにその通りである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます