第12話 不倫が彼女を犯罪者へと陥れた
彼女はもう不倫体質から逃れることはできなかった。
まさに彼女の心身に、不倫を受け入れる容器ができていたのだった。
酒やタバコのように、不倫は麻薬だという。
南野は言った。
「俺には妻子がいるよ。しかし経営者というのは気苦労ばかり多くて。
たまには君のような美しい女性と別の世界に浸りたいんだ」
そう言うや否や、南野はファッションホテルの入口へと車を乗り入れた。
彼女に逆らう術はなかった。
ここで逆らうと、彼女は新しい恋を失ってしまう結果となる
彼女はファッションホテルの一室で、南野に心身を任せていた。
これで彼女は南野と一体になったと思っていた。
彼女は南野に貢ぐため、銀行から着服することを思い付いた。
同期女性のなかで一番、ベテランの彼女は仕事面ではすっかり信用を得ていた。
当時はまだパソコンも普及されておらず、着服しても暴露することはなかった。
着服するたびに身体は重くなり、じっとりと脇汗がにじみ出るようだった。
その緊張感をまぎらわすように、彼女は濃い紅茶を飲み始めた。
私は地獄の一丁目に足を踏み入れたのだ。もう引き返すことはできない。
いや、ここで引き返した方がいいに決まっている。
銀行に正直に自首することが、唯一の救いの道だ。
しかし南野のためにもそれはできない。
彼女は南野を求めるようになった。南野はいつもそれに答えてくれた。
まるでホストに貢ぐ二十歳の女性のようである。
初めて好きになった人がホストだった。
しかしその担当ホストは、店に借金を抱えていた。
年かさの女性客にだまされたのが、原因だった。
「好きなのは君だけだ。頼るのは君しかいない」
その言葉を信じ、貢いでいるうちに金がなくなると、なんと路地に連れ込まれ、ブランド服を脱がされて質屋に連れていかれて、金にしようとしたーなんて話が、新宿歌舞伎町にはびこっている。
歌舞伎町ではなぜか質屋が多い。
しかし、そのホストも女性客に騙されて店に借金を追うことになり、その借金返済のために別の女性客を犠牲にするーまるでハイエナのような世界である。
騙し騙され、しかし風俗へと堕ちていくのはいつも女性の方である。
風俗といっても、日本のように本番禁止ではなく、この頃は外国に売り飛ばすというが。
実際、カンボジアでは未成年者が人身売買の犠牲になっている。
嗚呼、男女の間に金が絡むといつも敗者は、女性の方である。
いや、男性が女性に金を貸してくれといった時点から、二人の関係は終わっている。
アダムとイブの時代から金を稼ぐのは、男性の役目。
男性が女性に金をねだるというのは、その女性をなめ切っている証拠である。
しかし、ウクライナ戦争の如く、このことは人間の性だろうか。
いくら痛い目に遭わされても、古今東西絶えることはない。
話を元に戻そう。
銀行の横領女は、技術革新、文明の利器であるパソコンが出現してから、横領が発覚することを予感していた。
もうすぐ人事異動があり、もう今までの横領方法は通用しない。
まるで後ろから追いかけられるような焦燥感と恐怖感。
彼女はそのことを、南野とのセックスでごまかそうとしていた。
まるで麻薬を吸って興奮を得る決めセクのようである。
横領という麻薬にはまると、いずれは暴露する時が訪れ、社会的地位が奪われることを知っていても、やめられない。
南野は以前、仕事先でお世話になったフィリピンに逃げようと提案した。
彼女はそれについていくしかなかった。
もちろんそれが発覚し、マスコミの絶好の餌食になったのであるが。
それで彼女の横領のすべてが暴露してしまった。
彼女を知る人は誰もが口を揃えて言う。
「あの真面目で礼儀正しいしっかり者の彼女が あんな男とつきあい、
億単位の金を横領するなんて」
まさに銀行側を震撼させる事件であった。
もっとも彼女は服役後、結婚したようであるが。
そういえば、昔私の身近にも横領女性がいたことをふと思い出した。
野元という四十五歳くらいの猫背気味の陰気な女性
挨拶しても知らんぷり ときどき紺色の制服の肩には埃がついている。
社長曰く、野元は二重帳簿を作成し、巧妙に目くらましをしていたのだった。
社員の給料が十万円だったとしたら、社員には十万円を渡し、帳簿には十五万円と記入し、残りの五万円を着服していたのだった。
裏を返せば、社長はよほど野元を信用して給料計算まで任せ、帳簿を確認していなかったのだろう。
アムウェイー有名なマルチ商品ーの洗剤をつかい、モップを使うでもなく、腰をかがめて雑巾で床掃除をしている。プロの掃除婦でもないのに、なぜここまでして掃除にこだわるのか? いつも疑問に思っていたが、社長の一言で謎がとけた。
彼女は、横領の事実を隠しとおすために、会社の立場を考え、会社に協力するフリをしながら、社長を油断させ、会社の内情を探っていたのである。
ここまで述べるといかにも彼女が、金にがめつい悪党のように思えるが、彼女の給料は五年間正社員として勤めて、手取りで十万円ちょっととは、余りにも酷な話である。社長のケチぶりが彼女をこういった方向に走らせたのだろうか。
社長曰く「野元のいいところは、会社の立場に立って行動してくれるところだった。例えば、休日出勤までして廊下を掃除してくれたり」
それ自体が怪しいじゃないか。
会社の立場をいくら考えたところで、一円の退職金がでるわけでもなし。
休日出勤するということは、いかにも会社の味方をするふりをして、会社の経済状態を探っていたに違いない。
野元は私が挨拶しても知らんぷり。
社長からお茶くみの手伝いにいくと「もういいわ。向うへ行って」と私を追い出そうとする。
いつも暗い顔をして、猫背気味で、人を寄せ付けない。
普通、こういった事務員は解雇の危険性があるはずなのに、野元は休日出勤までして会社に貢献しているという切り札があるのだろうか。
それを変えようとはしない。
「野元!!」
ある日を境に、社長の野元への凄まじいまでの怒鳴り声が廊下越しに聞こえるようになってきた。
野元は無言でうつむいたままである。
何事が起ったのだろうか?
社長の怒鳴り声が一週間ほど続いた後、野元は姿を消した。
それから三日後、社長から朝礼で訓示があった。
「野元は今、行方不明になっている。実は野元は不正をしていたのだ。
具体的に言うと、使い込みをしていた。
そこで君らの一年間の給料明細をコピーして持って来てくれないか。
会社のコピー機を使ってもいいが、仕事中ではなく、昼休みの時間にコピーしてくれ」
あくまでも社長はせこい。
この自己保身しか考えていないせこさが、野元を横領に走らせる原因となっていたのだろう。
社長曰く「野元のいいところは、非常に機転のきく所、たとえば蛍光灯が壊れると、近くの電気屋にいって、ちゃっちゃっと修理してくれたりーえっ、ということは野元は自腹を切って会社のために、蛍光灯代を支払っていたということのだろうかー
とにかく、会社の立場を考えて行動してくれるところだったー身内でもない素人が会社の立場を考えて何のメリットがある? 辞めても退職金の一円でもでるわけでもなしー。
皆からは嫌われていたがー毎日顔を合わす職場の人から嫌われてまで、会社の立場を優先するなんて矛盾したことであるー
社長側から見ると、野元はどこまでも会社側の味方になってくれるに違いないという目くらましの演技をしていたのである。
これというのも、社長は安い給料で従業員を「もっと早く仕事を済ませてくれ」といって、急かしこき使うからこういう滑稽な惨劇が生まれるのである。
会社中、誰も野元を悪く言う人はいなかった。
野元同様、安い給料でこき使われる悲惨さを皆、身に染みてわかっているからであろう。
ところが、その当時の女性課長ーといっても社長の実妹であるがー
「この会社のワースト1は私とあなたなのよ」
私はその言葉に反発したが、黙っていた。
生活不能の安い給料で「もっと早く済ませてくれ」とか「普通の子ならこうする」などといってこき使った挙句の果て、ワーストとは何事だ。
後からわかったことであるが、女性課長は私が三十万くらいの高給取りであると大きな誤解をしていたのだった。なんともめでたい茶番劇である。
だいたいその会社は、勤続年数が一年もったらいい方だった。
私が最高の二年半であったが。
野元は今 どうしているのだろう。
後に野元の母親から社長宛てに電話がかかってきて
「娘の横領したお金は、私たちが一生かかってもお返しいたします」と言ったそうだが、社長は断ったという。
普通、横領という事実は上層部の恥になるので、隠しておくのが常であるが、それを社員に公表して給料明細のコピーをとらせるというのは、相当な大金であったからであろう。
社長は、帳簿を野元に任せっきりにし、社員の給料明細さえも把握していなかったのだろうか?!
なんともお粗末な話である。
女性課長曰く「節約、節約と言いながらも使い込まれとった」
しかし、根源は野元の給料をケチるからこういった惨劇が起こったのである。
聖書の御言葉にも「施し散らかしても、それでもなお富む人がいる」(箴言)
金銭というのは、元々は貝から造られた物々交換だという。
医者も弁護士も困っている人のために、活躍の場所が与えられているのである。
だから、本来は金銭は困っている人のためにこそ、無償で施すべきものである。
まあ、私も毎月少額の寄付をしているが、不思議と赤字になったことはない。
そして、奇跡的なことに二十年以上にわたる飲酒癖も一日で治り、現在は疲労回復のために年に一度ー夏の炎天下ーしか一合酒を飲まないことにしている。
アルコール依存という言葉があるが、私はイエスキリストに依存しているからであろう。
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