第8話 一寸先は闇か光か 神によって光となる

「十戒というのは、十の戒めと書くわね。戒めなければ、罰が当るという意味なのかな。でも依存症のように、頭では戒めなければと思っても、制御が聞かなくなりついついやってしまう。これが人間だよね」

 結衣は納得したように言った。

「失礼を承知の上で言うけれど、翔太みたいな立場は悪いことがあったとき、疑われやすいんないかな。まあ少年院というのは、前科ではなく前歴でしかないけどね。

 その偏見の目に負けて、また再犯を犯す危険性がないとも言えないわね」

 翔太はうなづいた。

「全く結衣の言う通り。まあ少年院にいくと、離婚するケースが多いな。

 ちなみに、女囚は全員が男絡み、半数は既婚者の通り、少年院に入る未成年者は、十二歳までに性体験のある子が九割を占めるよ」

 カンボジアでは、少女が一万円で売られる国だという。

 結衣はそれを防ぐ支援団体に寄付したこともあるが、カンボジアに限らず日本でもそれはありうる。エンコーやパパ活などといっても、所詮は反社がバックについているケースが多い。

 需要のあるところに供給が生まれるというが、買春する男性がいる限り、売春もなくならないだろう。


 翔太は、壁時計を見て言った。

「あっ、こんな時間、今から神学校の宿題があるんだ。俺は、人の三倍は勉強しなきゃついていけない」

 私は伝票をつかみ「今日だけ私が払うわ。でもこの次、翔太が牧師になったら、出世払いとして返してもらうわよ」

「じゃあ、今日だけおごってもらうよ。なんだか小学校五年のときに戻ったみたいだ。牧師になってかつての俺のような子を救うことが、目下の目標でなんだ」

 翔太とは笑顔で別れたが、そんな翔太が二年後、牧師としてマスメディアに出ることになろうとはこのときは、夢にも想像できないことだった。


 結衣は、ふと回想にふけっていた。

 人間一寸先は闇というが、結衣自身も盗みの冤罪まがいをかけられたこともあったし、高校時代はスカートを貸してやるというクラスメートの申し出を断ったばかりに、疎外されたこともある。

 

 地元のスーパーマーケットで、レジを通した後、買い物を続けようと売り場に戻ってマイバックに商品を入れると、店員らしき女性がつかつかと歩み寄り

「レジ、通してからにして下さいね」

 私は思わずポケットからレシートを取り出し「レシート見せるよ」と言うと、何も言わずに引き下がった。

 私はこの万引きの冤罪まがいを黙ってやり過ごしたが、神経質な人ならスーパーの事務所に抗議してたかもしれない。

 まあ、私はことを荒立てたくなかったから黙っていたが、レシートという動かぬ証拠物がなかったら、万引きの冤罪をかけられ、スーパーの事務所に連れていかれる一歩手前だったかもしれない。


 そういえばこんなこともあったな。

 あれは忘れもしない高校三年の二学期だった。

 スカートを貸してやると申し出てくれたクラスメートがいたが、結局私は一秒手を触れただけで、お断りするという方法をとった。

 しかしもしその現場を、スマホカメラで撮影されていたら、その場面だけを見た人は、さも私が盗んだかのように思うかもしれない。

 ときおり冠婚葬祭の衣装やドレスなどの貸し借りは、用心した方がいいという。

 匂いやシミがつくからである。

 私はお断りしたばかりに総スカンを食ったが、やはり断ったことは正解だったと痛感している。

 だいたい貸し借りというのは、貸しができたというように、貸した方はいつまでも覚えているものである。貸した方は、権利を有した債権者、しかしその正反対に借りた方は負債者になり下がり、まさに債権者、負債者の立場にすり替わってしまう。


 世の中いい人が好かれ、悪党が嫌われていくなんて保証はどこにもない。

「本当のことなどどうでもよい。私は耳障りのいい話を聞きたいのである」(聖書)

 ウソというのは、相手にとって耳障りのいいことほど通用する。

 モテナイ男性が女性をいいなりにさせる方法として

「どうしても好きになりました。付き合って下さい。

 あなたって、しっかりしているようで少しはかないところもあるとお見受けしました。僕はあなたを守ってやりたくなったのです。

 もちろん友達なんかじゃなくて、彼女として。もうあなたは、僕の彼女です」

 そう言われたら八割方の女性は喜ぶだろう。


 そして女性の心を八割方つかんだあとで、共通の女友達の中傷を言う。

「僕は今、あの子からストーカーの如くつきまとわれて困っている。

 僕は以前、あの子から付き合ってと言われたが、丁寧にお断りした。

 それを逆恨みして、しゃべりのあの子は僕の悪口を言いふらしては笑っている。

 あの子が小学校のときの軽いいじめが原因で、私立の中学校に進学したのもそれが原因である」などとどこまでが本当かウソかわからないことを平気で発言する。

 実際はその正反対であり、男から相手の女性に付き合ってと言い、断られた腹いせに相手の悪口を言っているのである。

 その後で好きになったと告白まがいの相手の女性について「俺、そんなこと言った覚えないよ。あの子のこと好きじゃないんだ」と平気で人を騙すことを言う。


 しかしやはり嘘つき男というのは、外見にボロがでるものである。

 いつも黒いサングラスをかけ、目を隠している。

 嘘つき男曰く「サングラスというのは、こちらから相手が見えるけど、相手からはこちらが見えないだろう」

 そうやって相手を観察し、相手を自分の意のままにあやつろうとするが、嘘というのはどこからかボロがでるものである。

 周りから相手にされなくなったあとで、告白まがいの女性に夜十時過ぎに電話をかけ「今、君の家の近くに来てるんだ。今から出て来られない」などと、恋人まがいの馴れ馴れしさで図々しいことを言ったりする。

 しかし、嘘がバレたあとはもう手遅れ、もちろん女性からは切られるのは周知の事実である。

 結衣もタイミングが少しずれれば、インチキ男の誘惑に引っかかるところだった。

 

 結衣は昔、駅前のマンションに家族で住んでいるが、昨日の夜七時、チャイムが鳴った。

 ドアののぞき窓から見ると、九歳と五歳の姉妹が並んで立っていた。

「電話貸して」たどたどしい声で九歳の女の子が言ったので、家の電話を貸した。

 それをきっかけに私は、姉妹を一度部屋へ入れてパソコンで名前を入力した。 

 五歳の妹は幼稚園に通っていないらしい。

 お姉さんは言った。

「あのな、麗香が四年になったら真由、一年なの」

 私の机の引き出しを開けて、いろんなものをさわった挙句、妹の真由ちゃんはエチケットブラシで私の左胸を撫でた。

 妹の真由ちゃんは、私になついたのだろうか。

 私が席を外している間「おねえちゃん、来てえ」と私の下に駆け寄ってくるのだった。私を母親代わりに思っているのだろうか。

 

 姉妹の母親は、繁華街の高級ラウンジの雇われママをしているようである。

 私も隣だから数回会ったことはあるが、さすがに魅力的な女性である。

 昼間はTシャツに綿パンという軽装であるが、夕方五時になると、派手なスーツに身を包み化粧をして出て行く。

 その後は、姉妹二人でお留守番である。

 おとなしく部屋にいればいいものの、姉妹は母親が仕事に行く夕方五時から、母親が帰宅する夜中二時までの間、マンションのガレージをうろうろし、しょっちゅう管理人さんに叱られているのだった。

 夜中の二時頃、母親が帰宅するやいなや「管理人さんに文句言われないようにして」と怒鳴りつける声、そして泣き出す姉妹たち。

 それが日曜日を除いて連日、続くようになった。

 私の母親曰く「よく子供をネグレストにしないね。感心な人、表彰ものよ」

 

 もしかして、母親が魅力的なムードを漂わせ、ラウンジの雇われママを務めていられるのは、姉妹への愛情があったからではないか。

 一度、妹から姉の方がいなくなったと、母親宛てに電話があり

「麗香、麗香」と叫びながら、息せき切って帰宅してきた。

 どうやら姉の方は部屋にいたらしく、母親は安堵したような口調で

「心配するじゃないの。こんなのだったら、もう店にも来なくていいと言われるわ」と言った後、店へと戻っていった。


 しかし、私と私の母親の麗香と真由姉妹への思いとは裏腹に、麗香姉妹の母親の方は私たち家族を避けていたようである。

 麗香が私たち家族はいいなあというと、即座に「あのお姉ちゃんとは話してはいけない」と言ったそうである。

 母子家庭の突っ張りともとれる。

 しかし、私はなにがあろうと、真由を愛していた。


 それから十年後のことだった。

 なんと真由の母親と再会したのである。

 向うから声をかけてきたときはびっくりした。

「久しぶりね。ほら、あのときいろんなものをくれて可愛がってくれて」

 私は思わず「そういえばあのとき、グリーンのスーツを着てらっしゃいましたね」

 母親は驚いたように「よく覚えてるね。やっぱり頭いいね」などと世辞を言った。

「麗香は今、結婚して地方にいるが、お盆には帰ってくる。

 真由には子供がいるわ。結婚はしていないけれどね」

 そういえば、ときおり地元で会う真由にそっくりの十歳くらいの男の子はもしかして真由の息子なのだろうか。

「それではお元気で」と軽く会釈して別れたが、嫌いだと言いながらも、やはり真由に対する私への愛を認めてくれていたのだろう。

 真由に対する愛は、二十年以上たった今でも変わらない。

 毎日、一日一度は真由の写真を眺めなければ気がすまない。

 私だけの天使である。

 しかし、元暴走族の翔太と真由の息子との間に、まるで神様の采配のような繋がりがあろうとは、このときは想像もしないできごとだった。


 五年後、翔太は紆余曲折はあったものの、無事神学校を卒業して、教会をもつようになった。


 

 

 

 


 


 


 


 


 

 


 

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