第3話 原口に近づく元アイドル玲奈

 翔太は将来は牧師になって、自分のような淋しい環境の子供を救いたいというのが、目標であると言った。

 翔太は、過去を生かして新しい人生を踏み出そうとしている。

 過去を消すことはできないが、それでも修正液のように過去の上に未来を形作ることはいくらでも可能である。

 しかし、私はふと思う。

 もし、私が翔太のように、夜は誰もいないという家庭環境だったら、私も翔太のようになってたかもしれない。

 犯罪者に幸せな家庭の人はいない、誰一人としていないという。

 外でケガをした子供を庇い、解決してくれるのが家庭である。

 

 そういえば私も小学校四年のとき、カバンを隠されたことがあった。

 犯人はすぐわかった。隣のクラスの女子で、交通事故の後遺症から孤独であり、私が一緒に帰ろうとしたのを断ったことが原因である。

 可哀そうといえば可哀そうだが、母親と二人でその子の家に行った。


 恵まれない孤独な子は、可哀そうな子供であるが、そういった子供が万引きなどいったん悪いことをしでかすと「鬼の子」ということになりかねない。

 鬼の子にはやはり、大人の鬼が近づく危険性が多い。

 

 私は、いつもの日課として、携帯ショップの原口を見学に行っている。

 幸い、携帯ショップの向かいにファーストフードがあり、ブラック珈琲を飲みながら、原口を見学するのである。

 まるで中学生の片思いであるが、なぜか私は幸せである。

 一度、原口に「あなたのことをもっと知りたい。珈琲でも飲みながらお話したい」とのメモをつけたが、原口曰く

「この仕事は、人の情報を守る仕事なので、絶対客と会ってはならない。

 近所の人とも挨拶程度。誘われても食事などに行ってはならない。

 このことは、入社当時バシッと言われているんですよ」

 私は「お兄さんってなんだかとってもしっかりした人みたい」と言うと、原口は嬉しそうに笑っていた。


 それから三日後、アイドルもどきの二十歳を少し超えたくらいの女性が入社してきた。

 確かに美形で華やかな感じはする。

 店の前のポスターには「元ユニットアイドル玲奈が あなたの携帯の悩みに答えます」と玲奈のミニスカート姿の写真が飾られている。

 やはり、ミニスカートから見える足は、細長くあか抜けている。

 それと対抗するように、地元の商店街には別の携帯会社で

「月額1,700円、今なら一万円キャッシュバック」とリーズナブル価格で、なんとか客を獲得しようとする魂胆丸見えである。

 商店街を歩く人に「今、どこの携帯お使いですか? もしかして三千円を超えるんじゃないですか? うちの方が断然お得ですよ」と声掛けをしている。

 まったく客の取り合い、水商売もどきである。


 原口は玲奈に関心がないように、淡々と接していた。

 やはり原口は、店長だけあって貫禄があり、しっかりした雰囲気をもっている。

 三十一歳というのが、信じられないほどである。


 そんな原口を玲奈が慕っているのが、はたから見てもひしひしと伝わってくる。

 バストラインがはっきりとわかるテニスウェアのようなユニフォームを着て

「原口さん。助けて下さい」としきりに原口に言い寄っている。

 しかし、原口はうつむいて玲奈の誘惑には答えないようにしている。

 まあ、玲奈のような輩は、男性が一度笑顔を見せると、自分に気があると勘違いし、どこまでも食い下がってくるのが定番である。


 やはりさすがに元アイドルだけのことはあり、ショップには一目玲奈を見ようとする客もいる。玲奈はそれに答えるように、いつも笑顔を振りまいている。

 玲奈特有ともいえる目は笑っていない、判で押したような笑顔は、アイドル時代にプロダクションの社長から叩きこまれた営業用スマイルに違いない。

 それに反してライバル会社の方は、月額1,700円という安さが、かえって性能の劣悪さだと疑われ、一万円キャッシュバックというのも裏があるに違いないとみなされ、かえって客は寄り付かずガラガラの閑古鳥状態である。


 携帯を契約するとき、個人情報が丸わかりなので、それを悪用する輩がいても不思議ではない。

 NTTの関連会社を名乗る会社から、ネットを大幅割引という広告に釣られ、契約すると解約時には違約金として五万円必要であるとか、損害賠償とかといった名目で金銭を要求されることもある。

 この頃はそういった詐欺まがいの商売が多いので、皆警戒しているのだろう。

 まあ、商店街の客は五十歳以上の女性が多いので、甘い言葉には飛びつくということはそうない。


 どうやら玲奈は店長という立場の原口に取り入ろうとしているようである。

 玲奈は原口が独身だということがわかると、とたんに色目を使い始めた。

「ねえ、店長、この書類、これでよろしかったでしょうか。あっ、それと私がつくった手作りお握り、食べて下さい」と手のひらサイズの小さなお握りを持たせようとする。

 すかさずバイトの男性が「わあ、美味しそう。僕でよかったら」と横やりをいれると、玲奈はしぶしぶ差し出した。


 しかし玲奈はやはり、客受けがいい。

 きちんとした敬語を使い、客にさりげなくお愛想を振りまく。

 ある実年層の女性客が

「玲奈ちゃんってユニットアイドルだったんだって。私、心配してたのよ。

 だって、ああいう人って解散後、悪い大人に騙されてAVとかに売られるなんてことも有りだというからね」

「ご心配頂いて有難うございます。確かに私の身近でもそうなってしまった人はいます。写真集を出すとかといって、現場に行ったらAVの撮影現場だったということはあります」 

「ああいうのってプロダクションに入って、一度でも契約してしまうと、違約金など損害賠償などという名目で三千万円弁償しろ、さもないと親に取りにいくぞなんて脅されることもあるっていうじゃない。NHKのクローズアップ現代でも話題になってたわよ」

 玲奈はすかさず言った。

「でも二年前から国会で、前日までにキャンセルするとその必要はなくなるということが議決で決まったんですよ。まあ、私はもうアイドルは卒業しましたがね」

とは言うものの、やはり玲奈にはまるで背中から後光がさすように、華やかなムードが漂っている。


 玲奈はアイドル時代は「月から降臨してきた玲奈姫」というキャッチフレーズだった。

 舌っ足らずな甘えた声で、幼児のように話す玲奈は、いつも耳の半分の位置でカットするというショートのヘアスタイルだったが、玲奈カットといってそれを真似る若い女性もいたくらいのカリスマ的存在でもあった。

 学歴や家族関係は公表されていなかったが、多分大学卒業に違いない。

 しかし、水商売をしていたという噂もある。

 

 玲奈は携帯ショップで、接客を任されるようになっていた。

 それをいいことに玲奈は店長の原口に取り入っている。

 しかし、原口は冷淡な態度であり、玲奈の誘惑になどのりはしない。

 一度、開店前のシャッターから、玲奈の甘えたような声が響いてきた。

「着替えるから、外へ出ていてなんて冷たいわね。

 いいじゃん、原口さんのパンツ姿なんてもうバッチリ見慣れてるわ」

 なんと羞恥心のない馴れ馴れしい態度だろうか。

 まあ、芸能界では着替えは男女共用。素っ裸になるわけではないが、ブラジャーとパンティー姿のままでスタッフと着替えをするくらいは、当たり前である。

 芸能人は人間というよりは、ひとつの商品、本番前にもたもとしてたら間に合わない。その癖が、抜けきっていないのであろうか。


 私はなぜか原口から離れられない自分を感じていた。

 もう好きとか嫌いとかといった次元ではない。

 私には、太陽のように原口を照らし、見守る義務がある。

 一日一度は、原口を見なければ気がすまない。

 といっても、仕事に関する以外会話をするわけではない。

 やはり原口も私を意識しているのだろうか。

 目をパチパチさせたりするし、あるアプリをしようとすると

「あれは詐欺が多いんですよ。だから僕たちもあまりしないことにしてるんですよ」と言いながらも、アプリのやり方を教えてくれたあとで、背中越しに

「やめた方がいいですよ」と止めてくれた。

 やはり私の身の安全を考えていてくれているのだろうか。


 原口はいわゆる顔立ちの整ったイケメンといった風ではない。

 目は細く、草彅剛に似た顔立ちである。

 現在はセクハラが厳しく言われている時代なので、原口は玲奈に対しては、男性と同じような淡々とした態度でしかない。

 やはり店長という立場上、自分を制しているのだろうか。

 原口と知り合ってから二年余りになる。カフェに入る自由も許されない立場であるが、私はなぜか原口とは離れられない。

 これは神の啓示なのだろうか。


 ある日、店の前にマットが敷いてあった。

 何を思ったのか、玲奈は腰をかがめてマットの位置をずらしはじめたのだった。

 それから五分後、高齢者の夫婦がやってきて、マットを敷いてあったはずの店の前で足をすべらせ、転んだのだった。

 ちょうどそのとき、トレイに乗せた珈琲を運んできた出前のカフェの女店員にぶつかり、その途端に珈琲をこぼしてしまい、女店員は高齢者夫婦に平謝りに頭を下げていた。

 そのあと、雑巾で床掃除までしていた。

 このことは、玲奈がマットをずらしたことが原因で起こった惨劇である。

 しかし玲奈はそのことに気付かず、平然とした顔でパソコンを打っている。


 しかし、なんのために? なにか目的でもあるのだろうか?

 翌日、玲奈は所定の位置に敷かれていたマットを、昨日と同じようにずらし始めたのであった。

 私は思わず玲奈に駆け寄り「それ、何か意味があるんですか?」と尋ねると、玲奈はキョトンとしたような顔で「あのう、滑る?」

 滑ることがわかっているのなら、なぜそんことをするのだ!? 

 それとも昔の居場所であった、芸能界のしきたりなのだろうか?

 私には玲奈という人物が徐々に謎に思えてきた。

 

 まあ、玲奈は芸能界ではスターといった存在ではない。

 スターだったら、松田聖子のようにマネージャーが二人、付き人が一人ついていて、身の回りのことはすべて周りの大人がしてくれる。

 自分では楽屋でのあいさつ回りもしない。

 しかし、玲奈程度だとスターでもないから、自分の身の回りはすべて自分がしなければならず、ユニットだと先輩から理不尽な要求を押し付けられることもある。

 その仕返しのために、床を滑らせるような細工をするという嫌がらせもあるというが、そのときのトラウマが残っているのだろうか?


 玲奈は、確かに垢ぬけていて、スタイルもよく足も長い。

 美人薄命というが、それを目的に玲奈に詰め寄る男性客もいるようである。

「この前、契約の件であんたの会社から電話がかかってきたよ。

 名前、住所、生年月日、携帯用電話番号を聞かれ、それに答えたら、それから十秒後に電話がかかってきて「この電話番号は知りません」と言われてビビったよ。

 知りませんとはどういう意味? それとも僕が間違った電話番号を教えたとでもいうのでしょうか!?」

 玲奈はすかさず「でも、それでも電話番号を教えたのなら、相手には通じると思いますよ」と返答したが、客は不審さを隠せないようである。

「ひょっとして、お宅に教えた個人情報、どこからか漏れてるんじゃない?

 それとも、ライバル会社に金で買収されたなんてことも有りうるな」

 すると、パソコンを打っていた原口が背を向けた。


 

 


 

 

 


 

 



 


 

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