第2話 人は出会うべき人に出会うージャストタイムで。
結衣にとって、キリストといえばクリスマスしか思い浮かばなかった。
しかし、世間では認められている信用ある宗教ともいえる。
私からお茶に誘った。場所はまだ存在する小学校時代、翔太と一緒に勉強したカフェである。
現在は、新装開店してセルフサービスになっているが、その分値段はリーズナブルになっており、小学校時代、世話になったマスター夫婦の息子が二代目を継いでいる。野菜たっぷりの和風シチューライスが名物となっていて、グルメ雑誌にも紹介されたほどである。
「翔太君、久しぶりというよりも、何十年ぶりだろうね。
私はあれから、高校を卒業してOLをしながら、今は飲食店でバイトしているよ」
翔太はため息をつきながら、淡々と言った。
「いいなあ。まっとうな人生を送れて。
俺のドラマティックな過去、聞きたい? 勇気だして話すよ」
私は興味津々だった。だってあの乱暴者で、中三からほとんど学校に来なくなってしまった翔太が、今、十字架をかついで一人行進をしている。
「じゃじゃじゃーん、今から翔太劇場開幕、さあ拍手でお迎えを」
私は拍手をしたが、あくまでも一人だけのマイナーな拍手でしかないということは、翔太劇場もきわめてマイナーなものに違いない。
「結衣も知ってる通り、俺、小学校のときからケンカっ早くて、俺がサッカーの対戦試合をしたとき、対戦チームと喧嘩をしたおかげで、試合に出られなくなり、それ以来、人生が変わってしまったんだ」
ああ、そういえばそういうこともあったな。
「この喫茶店で結衣が、俺に分数を教えてくれたこと、今でも覚えてるよ」
そういえば、算数は小学校四年の分数でつまずくというが、翔太はそれを免れたわけだ。
「遠足のとき、結衣にもらったミニホットドックの味、今でも忘れられないよ」
そういえば、私はいつもミニロールパンに魚肉ソーセージと刻んだパプリカをケチャップで煮て、はさんだ小さなパンをサランラップに包み、翔太にプレゼントしてたっけ。
翔太は、むさぼるように食べていたが、しかしこれには裏があった。
実は翔太は、人の弁当をこっそり盗んでいるのではないかという噂が出ているのだった。
あくまでも噂の範囲でありなんの証拠もないが、一度翔太に貼られた「手癖の悪い奴」のレッテルはそう容易にはがせやしない。
私はこれ以上、翔太を悪い道に走らせたくなかった。できたら私がくい止めることができたらという一心で翔太を手助けしているつもりだった。
寂しさが翔太を悪い道に走らせるとしたら、私は翔太の寂しさを埋める役割を果たすことができたら。
それが、少なくとも翔太より恵まれた家庭環境である私にできることだった。
ふと現実に戻った。翔太が漫才調の笑顔で翔太劇場を開幕した。
「僕、相田翔太 少年院二回です。今から刺激的な話をします。
びっくりして尻もちついても、湿布薬は出さないよ。
僕の家はね、僕が産まれた時点で両親が離婚しました。
まあ、もっとも父親は先日亡くなったばかりですがね。
僕の母親は当時、高級ラウンジの雇われママをしていました。
僕はそのときアニメを見ていたが、五時二十五分になるとエンディングテーマが流れ、それと同時に母親がドアを閉めて出て行くんです。
すると寂しさからいつも、背中にじんましんが発症していた記憶があります。
それを詩にしてみました
連載アニメのエンディングテーマが流れる頃
今日もあなたは化粧をし ブランドのスーツの
ゴージャスな女になって 僕の知らない別世界へと
旅立っていく
いい子にしてるのよ。早く宿題済ませなさい。
母に買ってもらった参考書を 読みながら
手を振る母の背中が そのまま僕の背中のじんましんとなる
参考書の代わりに僕が学んだことは
バイク窃盗だった
いつしか僕は暴走族のリーダーとなっていた
なーんちゃって、僕って文才があるでしょう」
私は思わず パチパチパチと拍手をした。
「これは序章でしかない これから僕のワル人生の本題に入りまーす。
でもひとつだけ約束 眉をしかめたりしないで、あくまでも刺激的な話として聞いてほしいなーんてのは、あくまで僕個人のエゴイズムに満ちた勝手なお願いですがね」
私はハンカチを握りしめながら、翔太の話を聞いていた。
隣を見ると、私と同じハンカチをネッカチーフとして首に巻いた女性が私の方を見ている。
「もしかしてあなたは半年前、私が電車の中でカバンを落としたとき、届けて頂いた方ですか? 私、お礼にこれと同じハンカチを送ったんですよ」
ああ、そういえば私は半年、電車の座席に無造作にカバンが置いてあったので、中身を見ることもなく、そのまま駅長室に届けたことがあったな。
そのとき個人情報を聞かれ、お礼の一割を贈与する権利を有した。
そのお礼がこのハンカチだったわけである。
「なーんて偶然なんでしょうね。このハンカチ、ネッカチーフ代わりに使わせて頂いています。あっ、あなた報道番組に出演したたんじゃないですか」
その女性は、翔太の方を見て言った。
「ええ、そうですよ。元暴走族上がりの高校中退の神学生ということでね。
もしよかったら、結衣と一緒に僕の話、聞いていただけません?
これもキリスト伝道の一環ですからね」
「うわっラッキー。私は今、小説を書いてるんです。まあ今のところは、ネット小説家ですがね。あっ申し遅れました。私、橘 優菜といいます。
もしかして、小説のネタにさせていただくかもしれませんが、よろしいですか?」
翔太は快く承諾した。
「今からの話はお涙頂戴悲劇話。そう、僕は恵まれない子だったんですよね。
僕の母親は僕が出産と同時に離婚して以来、水商売を始め僕を一人で育ててくれました。僕は勉強には興味がなかったが、この通り身体も大きかったので、腕っぷしには自信があり、ちょっぴり手癖も悪かったです。
僕の人生が変わったのは、ミニサッカー部があって対戦をするとき、対戦チームの一員とケンカになって、試合に出られなくなってしまったんです。
それ以来、乱暴者のレッテルを貼られ、人生が一変してしまいました」
優菜は、まるで別世界の出来事を聞くように、目をまん丸くして戸惑い気味に耳を傾けていた。
「それ以来、僕は盗みも含め、見つからなかったら何をしてもいいんだという考えにとりつかれたんですよ。でもそれは僕の勘違いでしかなく、神様はやはり見てらっしゃるんですね。また誰も見ていなくても、自分の脳と心がいちばんそれを見ていて、いつまでも記憶として残っているんですよ」
私は納得して聞いていた。化粧で外見はごまかせても、自分の心に化粧をすることはできない。
翔太は話を続けた。
「小学校卒業ときに、担任から「君は都会の生活には向いていない。牧場で肉体労働をするのが向いてるよ」
中学に入学してからも、相変わらず勉強嫌いでいつしかヤンキーと呼ばれるようになっていました。中三になってからは、ほとんど学校に行かず、バイク窃盗をして捕まったこともあり、それがきっかけで暴走族の仲間になりました。
一応、定時制高校に進学しましたがすぐ中退し、その代わり暴走族の世界で活躍するようになりました。素手のケンカでは収まらず、ナイフを持ち出すようになりました。しかしその後は、どうしようもない後悔と復讐されるのではないかという不安感から、シンナーを吸うようになりました」
ここまでは、よくあるパターンである。
「いつしか僕は、一刺し男、ナイフ使いの名人と呼ばれるようになりました。
もう怖いものなしと思っていると、刺した相手がなんと反社組長の息子であり、僕は反社組全員から命を狙われるようになりました。
しかしラッキーなことに、そんなときに少年院に入院させられたんですよ。
これで命を狙われる恐怖からは解放されました」
やはり蛇の道は蛇である。
「ところが、劇的なことが起りました。
少年院のなかで太宰治などの本を読んでいると、キリスト教の教誨師がやってきました。僕はそれまで宗教なんて興味なかったんです。
世の中はどうしてこんなに不公平なんだ。僕の家庭はどうしてこんなのなんだ。
しかし、教誨師が「人間はみな、エゴイストという罪を背負って生きている。
しかし、キリストを信じるだけで救われるんですよ」という話のあと、聖書を読んでいると、自分もやり直せるような気がしたんです。
それからは、むさぼるように聖書を読み始めました。
「あなたは、私の目には高価で尊い」(聖書)という御言葉が心に離れず、僕はイエスキリストやらに従っていこうと決心しました。
それからの僕は、少年院のなかでケンカを売られても、決して手出しをせず、自分を殴ってガマンしました」
ふーん。劇的変化が訪れたんだな。
「それからの僕は、地元から離れた教会に行って洗礼を受け、現在は神学生。
出来たら、自分の教会を牧会するのが夢です」
私につられて橘 優菜が拍手のあと
「でも、今でも反社組長からは命を狙われてるんでしょう。こんな話して大丈夫? まあ、私は口外しないけどね。明日港湾に投げ込まれてたなんてことがあったりしてね」
翔太はすかさず答えた。
「もしそうなったとしても、僕は後悔しないというより、それを前提でこの話をしているんです。聖書の御言葉に「私たちは生きるのも益なら、死ぬのもまたキリストのために益です」」
優菜は「キリストに命を賭けてるのね。まあ、麻薬や酒やギャンブルに命を賭ける人もいるので、不思議ではないけどね」
翔太曰く「『あなたが私を選んだのではなく、私があなたを選んだのだ』私とは神のことであり、あなたとは人間のことですがね(聖書)」
じゃあ、翔太は神から選ばれた人間なんだな。
「お二人ともご清聴ありがとうございました。これ、僕からのお礼のしるし」と言って、小さなロールパンを差し出した。
中身の具は、なんと私が小学校時代、翔太にあげた魚肉ソーセージとパプリカの玉ねぎドレッシング煮であり、赤、黄色、ピンクと配色よくまとまっている。
「小学校五年の遠足のとき、結衣にもらったロールパンの味が忘れられずに、自分で作ってみたんだ。まあ、欲をいえばソーセージは魚肉ではなくて、ウインナーの方がよかったけどね」
私は思わず吹き出した。そうかあ、そういうこともあったっけ。
ふと童心にかえった気がした。
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