こんな時代だからこそ恋しよう
すどう零
第1話 偶然の積み重ねはまぎれもなく必然
私、仁志野 結衣、OLあがりのアラサー女子。
実は今さっき婚約破棄してきたばかり。相手は専門学校のコンピューター講師。
後悔なんてあるわけないじゃない。
だって、学歴に魅かれて付き合ったものの、二か月たつとあいつは、とんでもない想定外の本性をあらわしてきた。
働くのが苦手というよりは、人と交じって働けないという一種の病的人間。
理数系大学を卒業し、コンピューターの専門学校を卒業した時点ではもう二十八歳。それまで塾講師以外のアルバイトをしたことがなかったという。
もちろん(?!)女の子と手をつないで歩いたこともないという奥手というよりは単にモテないだけの、人間嫌い。
なぜかアイツの方からプロポーズしてきた。まあ、今から思えばそれはアイツの母親を喜ばせ、金をせしめるための一種の作戦だったに違いない。
そりゃまあ二十八歳まで親のすねをかじって生きてたんだから、これからもそれを継続し続けようとするパラサイトシングル真っ只中。
自分を棚にあげ(!?)私と私の母親をけなしたんだ。
ピンクのツーピースを着ていったら
「このスーツおばさんっぽいな。君の服装にはいつもガックリさせられる。
まあ、君のお母さんのセンスじゃあねえ」
あいつは人に平気で失礼なことを口走る、非社交的人間。
当然、専門学校の方も生徒から苦情のでている不人気講師。
しかし、酒もたばこもギャンブルも関心なし。まあそこは潔癖なんだけどね。
おまけに、あいつと結婚したら先祖代々の宗教に入信しなければならない。
まっぴらゴメンこうむります。考えただけで気が狂いそうになる。
あいつとは、縁を切ってせいせいした。
私もいっときの気の迷いで、人生を狂わせずにすんだ。
神様、感謝します。
いつものように午前中、商店街で買い物をしていると、ふとスマホの看板が目に止まった。
二週間ほど前に新装開店した携帯ショップ。
今なら割引セールだという。以前のスマホは二年半たって古びてきたので、私はさっそく飛び込んだ。
会社のロゴマークの入った制服をきた男性は、そつなく手続きを済ませてくれた。
私が「この大したことない顔を撮影して下さい」と笑いをとろうとすると
真摯な顔で「いいえ」と答えてくれた。
なんだか、しっかりした感じのする男性だな、三十五、六歳くらいかな。
まあ、新店の店長になるくらいだから、よほど過去に実績を上げないと店長にはなれない。
最後にパンフレットと名刺を渡された。
名刺には「原口 祐貴」と記されていた。
営業時間は、朝十時から夜八時までだという。
最後に「旦那さんは、お子さんはいますか」と尋ねられたとき、当然いいえと答えたが、私も逆に「奥様は?」と聞き返すと「奥さんはいません」と答えた。
理想が高いに違いない。
以前のアイツとは比較の対象にすらならない。
私はなぜか、原口に魅かれていく自分を快く感じていた。
そして、原口の姿を見るために毎日携帯ショップの前を通ることにした。
まるで、磁石で吸い寄せられるように、原口の姿をチラ見している。
原口が気づいていようともそうでなくても、原口の姿を見るだけで心が落ち着いた。でもそれだけでは、アイドルを応援するような自分のエゴイズムでしかなく、原口のプラスにはならない。
そこで思い切って、私はスマホのフィルムを買うことにした。
いつものように携帯ショップの前に行くと原口の姿はなく、代わりにユニフォームを着た女性が座っていた。
「あの、店長は」と聞くと今日はお休み、明日来るという。
「私、フィルム買いにきたんだけど、私、店長のファンだから、明日来ますね。
あっ、変な関係じゃあないですよ」
女性スタッフは笑顔を浮かべ「あの人はすごいですよ。まだ三十歳なのに、新店の店長に抜擢されるんだから。もちろん今まで、実績はナンバー1でしたけれどね」
私は思わず「へえ、しっかりしてるんですね。明日来ますね」
翌日の朝、店にいくと店長が緊張した面持ちで私を応対した。
スマホにフィルムを貼るとき、私はすかさず
「これでお兄さんの売上に貢献したよね」
店長はうつむきながら「有難うございます」
「お兄さんってすごくしっかりした人みたい」
また緊張した面持ちで、うつむきながら
「有難うございます」
私は、心地よい緊張感を感じて店を後にした。
これで一歩というところまでいかなくても半歩前進したのかな?
私は今、中年と言われる年齢にさしかかっている。
すると大きな十字架をもった男性が目についた。
キリスト教の団体か? それともキリスト教を装った新興宗教の類か?
「偽預言者に気をつけなさい。この世の終わりには、偽預言者があらわれます。
彼らは従順な羊の仮面を被っていますが、その実は貪欲な狼です」(聖書)
の御言葉通り、金目当てのインチキ宗教だろうか?
でもそうだったら、十字架を強調しない筈である。
ふと見ると、なんと中学生の同級生だった男子が十字架をかついで歩いていたのだった。
彼とは、小学生のときから四年間同級生だった。
彼、相田翔太はマンションの私の隣の部屋に住んでいた。
母親は、当時繁華街でラウンジの雇われママをしていた。
夕方五時から出かけていって、帰宅するのは夜中の二時頃。
翔太は、四時半から三十分アニメを見ていたが、番組が終わる頃のエンディングテーマが流れて来ると同時に、母親は濃い化粧に派手なスーツを着て、出かけていく。
いつも一人で留守番である。母親が男性客とデュエットする「銀座の恋の物語」がなんともせつなく聞こえてくるのだった。
私の母親は、マンションの一階にある喫茶店に勤めていた。
カウンターと二ボックスあるだけの小さな店であったが、一日中トーストと卵と魚肉ソーセージのモーニングサービスがあり、香り高いサイフォン珈琲でそこそこ賑わいを見せていた。
私は小学校のとき、店の片隅で教科書を広げていると、親切な大学生のお姉さんが算数を教えてくれたりもした。まるでにわか塾である。
母親は、大学生のお姉さんにゆで卵を一個土産に持たせていた。
ときには、翔太も参加して実のある勉強会になっていた。
私は、教科書を二度読み、わからないところは大学生に聞くとすぐ理解できたが、残念ながら翔太はそういうわけにはいかず、いつも頭をひねっていた。
「読書百回言いおのずから生ずと言うでしょう。家に帰って丸暗記するくらい勉強しなさい」の言葉通り、私は教科書を丸暗記するくらいに、勉強した。
そのときの翔太は無邪気で、サッカー部に属していた。
翔太はどちらかというと、勉強よりもサッカーに夢中だった。
しかし、あまり裕福とはいえなかった翔太は、ときおり後輩のパンを盗んだりしているようだったが、その噂はすぐに広まり、手癖の悪い翔太といったネーミングがつけられた。
そんなある日、サッカー部の先輩が「パンを買って来て」と千円札を渡した。
翔太はラッキー、千円札頂きと思い、ポケットにしまい込んだ。
すると、すかさず別の先輩が「こいつに金渡したら、パクられるのがオチだぜ。やめとけ」
しかしなぜかその先輩は「いや、こいつはパクったりしないだろう」
翔太は、自分を信じてくれている数少ない先輩を裏切るのは、とても心が痛い。
翔太の手は千円札をパクろうと動いていたが、やはり心にはその言葉がひっかかってとうとうパクることができなかったのであった。
翔太には、ワルに走る大きなきっかけがあった。
小学校六年のとき、サッカー部との他校との対外試合で殴り合いの喧嘩をし、おかげで試合に出場できなくなってしまったのである。
それ以来、翔太はクラスメートとの間に距離を置かれ、一種特別な視線で見られるようになってしまった。
小学校卒業時の担任の言葉「相田君、君は人の大勢いる都会の生活には向いていない。人の少ない田舎で力仕事をした方が、お互いのためにいいんじゃないか」
ウーン、一理あるかな。だって、都会では良くない噂はすぐ伝わり、レッテルを貼られるが、一度貼られたレッテルはスティグマになり、そう簡単に消えやしないのは周知の事実である。
しかしそういったことがあろうとなかろうと、やはり勉学は大切である。
勉学ができなければ、バイトさえもまっとうに勤まらない。
翔太には、勉学を頑張ってほしいという私の願いとは裏腹に、翔太は盗んだバイクを乗り回すようになった。
中学二年というと、大切な時期であるが、翔太はやはり勉学が苦手だったのか、いつしか学校にもあまり来なくなってしまった。
風の噂では、暴走族のリーダーになったが、反社の組長の長男に大けがをさせてしまい、反社組長から命を狙われ、少年院に送られたという。
それ以来、翔太の噂は途絶えた。
私とは別世界の人間、もう何の接点もない、いや1ミリの接点など持たない方が無難な関係に成り下がってしまったのだった。
犯罪者に幸せな家庭の人間は一人もいないというが、翔太とて例外ではない。
翔太は夕方五時から見ていたアニメ番組のエンディングテーマが怖いといった。
なぜなら、エンディングテーマがかかる頃、翔太の母親は隣接されたスナックにスナックママとして、働きにでるからである。
翔太の母親は、翔太を出産すると同時に離婚したという。
母親が客と嬌声をあげている姿を、翔太は男として母親をとられるような寂しさと不浄なものを感じたという。
もう母親は、あの男と駆け落ちし、明日は帰って来ないのではないかという不安にかられることもあったという。
そんな翔太の寂しさを考えながらも、翔太は今どうしているのだろうかと思っていた矢先の再会である。
「あっ、仁志野の結衣ちゃんじゃないか。俺、ほら幼馴染の相田翔太」
えっ、信じられない。暴走族時代の翔太の写真を見たことがあったけど、ガリガリにやせ細った人相の悪いいっぱしの反社まがいだった。
「えっ、やっぱり翔太君だったの。どうしたの、その十字架。もしかしてクリスチャンにでもなったつもり」
そういう私も、十字架のネックレスをいつも身につけていたが。
「うん、実は俺、今キリスト教の神学校に通ってるんだ。今日は伝道の練習だよ」
えっ、翔太がクリスチャン?
クリスチャンというと、お堅いおとなしいイメージがあるが、まさか翔太が。
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