小型のクレーン車が水面をついばむ鳥のくちばしのようにせわしなく動き回り、巨大な耳を包んだネットを先端に引っかけて摘まみ上げる。クレーンの真下で待ち受けていたトラックが後退し荷台を差し出すと、敷き詰められた緩衝材の上にがぽとりと落下した。

「手慣れたもんだな」

 ほこりまみれの俺と宮木が苦笑していると、初老の男が黄色と黒の立ち入り禁止テープの仕切りを越え、こちらに駆け寄ってくるのが見えた。

「驚かれたでしょう……こういうことはたまにあるというか。いや、あっちゃいけないんですが、何しろ余所よそのひとに説明してもわかってもらえないものですから……」

 汗をぬぐう仕草と、スーツの上に羽織ったビニールの上着は工事現場の作業員じみていたが、恐らく地元の有力者なのだろう。こちらをうかがうような笑みの奥には焦りの他、俺たちの口を封じるための条件を探ろうと考えを巡らせている冷たい威圧感があった。

「ああ、ご心配なく。自分たちもこういうのは初めてじゃないですから」

 俺の言葉に、男は意表を突かれたのか取り繕った微笑が頰からがれ落ちた。

「耳や目が降ってくるのが、ですか?」

「いや。ただこういう何というか、余所の人間に説明できないような事態には慣れてます。そのための調査できてますから」

 明らかにあんした様子の男と俺の間に、共犯者じみた視線が交わされた。宮木が俺の耳元でささやく。

「片岸さん、言い方」

「送り盆の頃になると井戸水が何かの生き物の羊水に変わる村にも行きましたよって言う方がよかったか?」

 小声で尋ねると、鋭角のひじが軽く俺の脇腹を小突いた。


 俺は男が運転する軽自動車の助手席に、宮木は後部座席に乗せられた。あの異様な落下物を納めに行くらしい。車窓を流れる銀のススキの穂の波を眺めていると、後ろを走るトラックの運転手の顔がサイドミラーに映り込んだ。その荷台には巨大な耳が載っている。俺は目をらし、何か話題を探す。

「村の方から聞いた話では落ちてきた物は神社に奉納していたそうですが、今でも?」

「それが入りきらなくなりまして、今は廃校になった小学校を倉庫代わりにして納めています。ひとつひとつが結構な大きさですからね。それぞれを教室に入れておけばかぎもかかりますし、カーテンで外からは見えませんし、まあ、何とかやっております」

 男はハンドルから片手を離して脂ぎった頰をさすった。

 ルームミラーに後部座席で熱心にメモを取る宮木の姿が映っている。暖房の乾いた空気で身体中の水分が蒸発するようで、俺は許可を取る前に窓ガラスを少し下げた。涼しい風が吹き込むと、稲わら焼きの焦げくさい匂いも入り込んでくる。

 道の凹凸にタイヤが乗り上げて車体が跳ねたとき、路肩にガソリンスタンドの前で見たのと同じ石の欠片かけらが集めてあるのが見えた。泥をかぶって文字は見えないが、先ほどのものよりふた回りは大きい。その上、手足だけでなく丸い頭部のようなものに目鼻立ちを彫ったような線まで見えた。

「あの石像の破片のようなものは何です? 先ほども見かけましたが」

「あれですか」

 男がエンジンを強くふかすと、深く穿うがたれたわだちに入り込んだタイヤが泥をね上げて再び速度を上げた。

「うちの村の守り神といいますか、道祖神のようなものですかね。昔はああやって村の道端のいろんなところにあれを建てて、いいことも悪いことも神様がちゃんと見てるぞって示すものだったんですよ」

「でも、壊れていますよね?」

 シート越しに宮木が口を挟んだ。

「ええ……昔、村の開発がありまして、山からトンネルを抜けてくるトラックや何かを通すためにたくさん道路を作ったものですから。嫌らしい話ですが、作れば作るほど助成金も出ましたし。ですから、ちょっといつたん退かさせてもらって。もちろん邪険になんかしてませんよ。ちゃんと神主さんにおはらいなんかをしてもらって移してね」


「着きました」

 男がウィンカーを明滅させ、校門の脇に車を停める。廃校舎が青空にそびえていた。

 男に続いて俺たちも車を降りた。肌寒い空気に身を震わせて俺は空を見上げる。びついた緑のフェンスの網目からのぞく校舎は、止まった時計やバスケットゴールが在りし日の姿のまま残っていた。

 男がさくに二重に巻かれた鎖と南京錠を外して門を開く。後ろを走っていたトラックが土煙を上げながら校庭に縦長の胴を滑り込ませた。

 昼下がりの廃校舎は雨垂れの汚れとつたに覆われ、備え付けの室外機とその上の鉢植えは指でつつけば崩れてしまいそうなほど朽ちていた。

「なあ、どう思う」

 先行して歩く男に聞こえないよう、俺は声を抑えて宮木に聞く。

「どうって、やっぱり村中の石像が壊れてるのがまずいんじゃないでしょうか」

「だよな」

 埃をかぶったセピア色のガラス戸の前で男が足を止め、校舎へと続く扉を開く。内側から生温かい空気がどっと吹きつけた。

「後はこっちでやりますから、東京の方には中の様子を見てお待ちいただければ……」

 男は俺たちを校舎の中に通してから、何度も腰を折り曲げて去っていった。男が電気のスイッチを押す音がして、暗く沈む校舎の入り口だけ明かりがともった。

「入るか」

 俺は胸元からペンライトを取り出して廊下を進み出した。


 埃とかびの匂いでむせ返りそうな空気が充満する廊下は長くほのぐらい。突き当たりの階段を上ると靴底がぎゅっと鳴る音だけがこだました。

 二階に到着するとすぐ左手の銀の非常扉がペンライトの光を反射し、壁に映る俺と宮木の顔をゆがめて映した。光を右側にやると暗がりの中で舞う埃の粒と「二年一組」の教室札が目に入る。ペンライトを下げてみたが、閉ざされた教室のドアのガラス窓には黒く奥行きのない闇しか映っていなかった。

「宮木、電気のスイッチあるか」

「ちょっと待ってくださいね。ここかな」

 背後で宮木が壁を探る気配があり、カチッという音と同時に周囲が明るくなった。ペンライトを下ろしかけて、俺は声を漏らしそうになる。

 ドアの小窓から見えたのは暗闇ではない。教室いっぱいに張り巡らされた膨大な量の毛髪だった。長くとぐろを巻いた髪の繊維がガラスに張りついて、髪の皮脂がすりつけられた白い跡がある。宮木の小さく息をむ音が聞こえた。

「仕事だからしょうがねえ。先進むぞ」

 俺は手汗で滑るライトを握り直して奥へと足を進めた。

 隣の二年二組の教室の廊下側の壁は水を吸って膨れたように湾曲し、錆びたびようやプリントされた掲示物が手前にせり出していた。小窓を覗くとなだらかな白い山のりようせんに似た隆起が広がっている。表面に麻の葉模様に見える細かなキメが見えて、それが引き伸ばされた皮膚だとわかった。

「気がおかしくなりそうだな」

「片岸さんは全然平気そうに見えますけど」

「ここまで異様なことが続くと反応できねえだけだよ」

「普通に驚いてくださいよ。これ全部見ていくんですか」

 いつの間にか隣を歩いていた宮木があんたんたる声を出す。

「見てもどうしようもないが、とりあえず調査だからな」

 二年三組の前に差し掛かる。ライトの先を動かして小窓を照らすと、机や椅子をバリケードのように並べた教室の中央にてらてらと光を浴びる球体があった。目だ。校舎のきしむ音が何かが忍び寄る音に聞こえ、視線を感じる錯覚すら覚える。長居する場所じゃない。

「きっと、この事態の発端は、ここの守り神が土地開発で石像を壊されてバラバラになったからってことですよね」

「石像を壊したせいか、道路を開通させて土地が分断されたせいかはわからないけどな」

 互いの歩幅が次第に大きくなっていた。

「でも、不思議なんですけど、ここの神様は山に住んでるわけでしょう? 何で山から出てくるんじゃなく空から降ってくるんでしょうか」

「それは……お前、あれだろ……」

 俺が言葉の続きを見つける前に、突然視界が大きく縦に揺れた。校舎全体が悲鳴を上げるように軋み出し、天井からほこりと塗装の欠片が降る。

「地震ですか!?」

「とにかく一旦出るぞ!」

 俺たちは元来た方へ走り出した。床が上下し、足を取られそうになる。

 二年三組の前を駆け抜けようとしたとき、壁をたたきつける鈍い音が響いた。ガラスが砕け散り、柔らかな生き物か何かが無理矢理狭い空間を通ろうとするようなみちみちという音が聞こえた。俺は一瞬視線をやったことを後悔する。今さっき通りかかったときには教室の中央にあったはずの球体が小窓に貼りついていた。ガラスに押し付けられて充血した眼球がぐるりと反転し、よどんだ薄鼠色と黒のどうこうが俺をとらえる。

 背後でさらに衝撃が破裂した。廊下の奥の教室の扉がガタガタと揺れ、隣の教室のものより更に巨大な目玉が今にも窓を突き破ろうとしている。ふたつの教室に収められたそうぼうが回転し、互いに視線を結ぶ。

「片岸さん、これ……」

「いいから走れ!」

 俺は宮木の腕をつかんで脇目も振らずに廊下を抜け、階段を駆け下りた。


 一階に辿たどり着いた瞬間、あれほど激しかった揺れがぴたりと止んだ。震動になれた脚がひざを折りそうになるのをごまかして、俺たちは校舎から飛び出す。汗だくで息を切らす俺たちを、例の初老の男が奇妙なものを見る目で見下ろしていた。

「どうかされましたか? 焦らなくても結構ですよ。そろそろお呼びしようと思ってましたが……随分長く見ていらっしゃいましたね」

 男の愛想笑いと冷たい空気が、背筋を伝う汗から熱を奪っていく。錆びたフェンスの隙間を埋め尽くす空は夕暮れの赤に変わっていた。

「私たち、そんなに長くいましたっけ」

 宮木があごの汗をぬぐいながら言う。

「あそこにいると感覚が馬鹿になるんだろうな……」

 俺はやっとの思いで返し、校舎をにらんだ。

「何が何とかやっておりますだ……あの身体のパーツ全部動いてるぞ……」

 毒づいたつもりがかすれた声しか出なかった。


「どうなってるんですか、あれ。自分の身体をひとつの場所にまとめようと動いてたんでしょうか」

 宮木の声に俺は資料で見た記録の挿絵を思い出す。

「それもあるかもしれないが主目的は違うはずだ。言っただろ。あれは御神体だ」

 俺は白線が残る校庭の地面を靴の先で踏みならす。

「資料に山と土地が守り神の御神体そのものだって書いてあっただろ。あの神の本体はこの土地そのものなんだよ。石像がバラバラになったのが発端で起きたんなら、せめて石像を戻してこれ以上降ってこねえようにしねえと……身体が全部集まったらたぶんエラいことになる」

「エラいことってどんな?」

おくそくだけど、あのデカいパーツが地中にかえろうとして一斉に動き出すんだ。村がズタボロになる」

 あかねいろの空のすそに触れるように、山は影法師となってそびえていた。

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