二
小型のクレーン車が水面を
「手慣れたもんだな」
「驚かれたでしょう……こういうことはたまにあるというか。いや、あっちゃいけないんですが、何しろ
汗を
「ああ、ご心配なく。自分たちもこういうのは初めてじゃないですから」
俺の言葉に、男は意表を突かれたのか取り繕った微笑が頰から
「耳や目が降ってくるのが、ですか?」
「いや。ただこういう何というか、余所の人間に説明できないような事態には慣れてます。そのための調査できてますから」
明らかに
「片岸さん、言い方」
「送り盆の頃になると井戸水が何かの生き物の羊水に変わる村にも行きましたよって言う方がよかったか?」
小声で尋ねると、鋭角の
俺は男が運転する軽自動車の助手席に、宮木は後部座席に乗せられた。あの異様な落下物を納めに行くらしい。車窓を流れる銀のススキの穂の波を眺めていると、後ろを走るトラックの運転手の顔がサイドミラーに映り込んだ。その荷台には巨大な耳が載っている。俺は目を
「村の方から聞いた話では落ちてきた物は神社に奉納していたそうですが、今でも?」
「それが入りきらなくなりまして、今は廃校になった小学校を倉庫代わりにして納めています。ひとつひとつが結構な大きさですからね。それぞれを教室に入れておけば
男はハンドルから片手を離して脂ぎった頰をさすった。
ルームミラーに後部座席で熱心にメモを取る宮木の姿が映っている。暖房の乾いた空気で身体中の水分が蒸発するようで、俺は許可を取る前に窓ガラスを少し下げた。涼しい風が吹き込むと、稲わら焼きの焦げくさい匂いも入り込んでくる。
道の凹凸にタイヤが乗り上げて車体が跳ねたとき、路肩にガソリンスタンドの前で見たのと同じ石の
「あの石像の破片のようなものは何です? 先ほども見かけましたが」
「あれですか」
男がエンジンを強くふかすと、深く
「うちの村の守り神といいますか、道祖神のようなものですかね。昔はああやって村の道端のいろんなところにあれを建てて、いいことも悪いことも神様がちゃんと見てるぞって示すものだったんですよ」
「でも、壊れていますよね?」
シート越しに宮木が口を挟んだ。
「ええ……昔、村の開発がありまして、山からトンネルを抜けてくるトラックや何かを通すためにたくさん道路を作ったものですから。嫌らしい話ですが、作れば作るほど助成金も出ましたし。ですから、ちょっと
「着きました」
男がウィンカーを明滅させ、校門の脇に車を停める。廃校舎が青空にそびえていた。
男に続いて俺たちも車を降りた。肌寒い空気に身を震わせて俺は空を見上げる。
男が
昼下がりの廃校舎は雨垂れの汚れと
「なあ、どう思う」
先行して歩く男に聞こえないよう、俺は声を抑えて宮木に聞く。
「どうって、やっぱり村中の石像が壊れてるのがまずいんじゃないでしょうか」
「だよな」
埃を
「後はこっちでやりますから、東京の方には中の様子を見てお待ちいただければ……」
男は俺たちを校舎の中に通してから、何度も腰を折り曲げて去っていった。男が電気のスイッチを押す音がして、暗く沈む校舎の入り口だけ明かりが
「入るか」
俺は胸元からペンライトを取り出して廊下を進み出した。
埃と
二階に到着するとすぐ左手の銀の非常扉がペンライトの光を反射し、壁に映る俺と宮木の顔を
「宮木、電気のスイッチあるか」
「ちょっと待ってくださいね。ここかな」
背後で宮木が壁を探る気配があり、カチッという音と同時に周囲が明るくなった。ペンライトを下ろしかけて、俺は声を漏らしそうになる。
ドアの小窓から見えたのは暗闇ではない。教室いっぱいに張り巡らされた膨大な量の毛髪だった。長くとぐろを巻いた髪の繊維がガラスに張りついて、髪の皮脂がすりつけられた白い跡がある。宮木の小さく息を
「仕事だからしょうがねえ。先進むぞ」
俺は手汗で滑るライトを握り直して奥へと足を進めた。
隣の二年二組の教室の廊下側の壁は水を吸って膨れたように湾曲し、錆びた
「気がおかしくなりそうだな」
「片岸さんは全然平気そうに見えますけど」
「ここまで異様なことが続くと反応できねえだけだよ」
「普通に驚いてくださいよ。これ全部見ていくんですか」
いつの間にか隣を歩いていた宮木が
「見てもどうしようもないが、とりあえず調査だからな」
二年三組の前に差し掛かる。ライトの先を動かして小窓を照らすと、机や椅子をバリケードのように並べた教室の中央にてらてらと光を浴びる球体があった。目だ。校舎の
「きっと、この事態の発端は、ここの守り神が土地開発で石像を壊されてバラバラになったからってことですよね」
「石像を壊したせいか、道路を開通させて土地が分断されたせいかはわからないけどな」
互いの歩幅が次第に大きくなっていた。
「でも、不思議なんですけど、ここの神様は山に住んでるわけでしょう? 何で山から出てくるんじゃなく空から降ってくるんでしょうか」
「それは……お前、あれだろ……」
俺が言葉の続きを見つける前に、突然視界が大きく縦に揺れた。校舎全体が悲鳴を上げるように軋み出し、天井から
「地震ですか!?」
「とにかく一旦出るぞ!」
俺たちは元来た方へ走り出した。床が上下し、足を取られそうになる。
二年三組の前を駆け抜けようとしたとき、壁を
背後でさらに衝撃が破裂した。廊下の奥の教室の扉がガタガタと揺れ、隣の教室のものより更に巨大な目玉が今にも窓を突き破ろうとしている。ふたつの教室に収められた
「片岸さん、これ……」
「いいから走れ!」
俺は宮木の腕を
一階に
「どうかされましたか? 焦らなくても結構ですよ。そろそろお呼びしようと思ってましたが……随分長く見ていらっしゃいましたね」
男の愛想笑いと冷たい空気が、背筋を伝う汗から熱を奪っていく。錆びたフェンスの隙間を埋め尽くす空は夕暮れの赤に変わっていた。
「私たち、そんなに長くいましたっけ」
宮木が
「あそこにいると感覚が馬鹿になるんだろうな……」
俺はやっとの思いで返し、校舎を
「何が何とかやっておりますだ……あの身体のパーツ全部動いてるぞ……」
毒づいたつもりが
「どうなってるんですか、あれ。自分の身体をひとつの場所にまとめようと動いてたんでしょうか」
宮木の声に俺は資料で見た記録の挿絵を思い出す。
「それもあるかもしれないが主目的は違うはずだ。言っただろ。あれは御神体だ」
俺は白線が残る校庭の地面を靴の先で踏み
「資料に山と土地が守り神の御神体そのものだって書いてあっただろ。あの神の本体はこの土地そのものなんだよ。石像がバラバラになったのが発端で起きたんなら、せめて石像を戻してこれ以上降ってこねえようにしねえと……身体が全部集まったらたぶんエラいことになる」
「エラいことってどんな?」
「
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