俺と宮木は村の山道の小高い場所にある公民館に招かれた。綿が薄く畳の感触が直に伝わる座布団に座り、向かいにはここの村長という老人とその秘書の中年の女がいる。

「端的に言いますと」

 そう切り出した俺を、宮木が不安そうに見上げる。こういう話し合いの場において適切な物言いというのが不得手なのはわかっているが、気にしていられない。

「あの目玉や耳は降ってきて終わりじゃありません。あれはこの土地の山か地中に還ろうとして動き回っているんだと思います」

「その場合はどうなるんでしょうか……」

 秘書の方が先に口を開いた。

「臆測ですが、あの大きさで一斉に動かれた場合、納屋やガソリンスタンド程度の被害では済まないかと」

「今すぐという訳ではありませんよ。ただこれ以上御神体の部位が増えて、合体して動き出せるくらいになったときにはということで……」

 宮木が取りなすように両手を振る。公民館は子どもの学習塾代わりに開放されているのか、壁一面に「私たちのための納税」や「明るい未来」など白々しい言葉をつたない筆遣いで記した半紙が貼られていた。

「我々はどう対処するべきとお考えですか」

「納税」の字を両肩に背負う形になった村長が難しい表情で顎をさする。

「まず、今ある御神体を全部土に還した方がいい。それから道端で壊れている石像、あれを全部ちゃんと作り直して元あったところに置き直してください。たぶん、あれがバラバラになったせいで守り神の身体もバラバラになったんだ。今ある道をつぶしてならすことはできなくても、その場しのぎくらいにはなるはずです。人間にできることは誠意を示すことくらいですから」

 沈黙の後、気遣うような笑みで秘書がおずおずと答えた。

「石像に関してはもう大丈夫かと……」

「何?」

 思わず声が低くなった俺を宮木が小突く。

「我々もまずいと思ったんですよ。腕が降ってきた次の年に目玉が降ってきて、これはやっぱり神様を怒らせてしまったんではないかななんて言ってね」

 村長が言葉を受け継いだ。

「ですから、壊れた石像は神社で供養して、元あったところには新しいものを作り直して、この山を越えたもうちょっとにぎやかな方に全部置いてあるんですよ。古いもので土に埋まっててどうしても抜けなかったものなんかはそのままですけどね」

 俺と宮木は言葉を失った。


 公民館のみ出すような明かりを背に俺たちは外に出る。枯葉と山道の下の村から漂う生活の匂いを絡ませた風はひどく冷たい。

「ほら、あそこにもあるんですよ」

 秘書は薄いスーツの両腕を寒そうにこすりながら隅の一角を指差した。公民館裏の駐車場の奥、椿の木に埋もれるように石像が立っていた。ぼやけた輪郭は古いものと大差ないが、手足や顔のパーツはまだくっきりとしていた。俺はかがんで表面を指でなぞった。凹凸の感触があった部分を注視すると、「九九年十一月三日」の文字がある。

「これだと駄目なんでしょうかねえ」

 これからそう説得する気だと訴えるような宮木の視線を背中に感じる。俺は立ち上がって膝の埃を払った。

いつたん、この件は持ち帰らせていただきます」

 俺は苦し紛れにそう答える。役人らしい答えができたと思った。


「どうするんですか、片岸さん」

 村長の見送りを断り、村の宿泊施設へと続く街灯ひとつない坂道を下る俺の背中に、宮木がつぶやく。

「どうするったって、じゃあもうひとつずつパーツを埋めるしかねえんじゃねえのか。元々、村を出た若い奴がちょっと妙なことがあるって言ったのを聞いて俺たちが派遣された。その程度の案件だ。緊急性はそこまで高くはない」

 暗い道には小石が点々と落ちているだけで、月面でも見ているような気分になる。

「やっぱり道を分断したのがよくなかったんでしょうか。片岸さんの言ったように今更道路を潰してならすなんて無理ですよ」

「そうだな」

「新しい石像を建ててもらってもまだ不満なんですかね、神様は」

「どうだろうな」

「さっきから上の空じゃないですか。真面目に聞いてくださいよ」

 何かを見落としているような気がしていた。宮木がった小石が跳ねて俺を追い越し、道端の石像に当たった。

「罰当たりだな」

 宮木がくすりと笑った。

「ところで、今どのくらい御神体が集まってるんでしたっけ。目玉は両方、腕が……」

 突然、脳裏に納屋を壊された老婆の声がよみがえった。

 右目か左目かはわかりませんが。

 俺は廃校舎で教室のドアを突き破らんばかりに押し寄せてきたふたつの眼球を思い出す。片方の目玉はもう片方に比べて、どうこうがひと回りもふた回りも大きかった。ひとつの身体でそんなに大きさが違うことがあるだろうか。俺は足を止めて振り返る。

「宮木、腕は右と左、もう両方降ってきたんだよな」

「ええと、ちょっと待ってくださいね」

 宮木は暗がりの中でかばんあさり始めた。俺は近寄って鞄の中をライトで照らす。中から出てきたファイルを一ページずつめくり、宮木があっと呟く。

「そうですね」

「見せてくれ」

 俺は宮木からファイルをひったくって該当するページを探す。ひとつは学校のプールに落ちてきた腕。もうひとつは十字路を横断するように投げ出された腕だ。ライトをくわえて両手で資料を持ち上げてみたが、十字路の写真には二の腕からひじにかけての湾曲と手首までしか写っていない。指先は折れた信号機に隠されている。

「くそっ……」

 俺はライトを口から外して吐き捨てた。

「宮木、もう一度廃校舎に行くぞ」

「冗談でしょう」

 心底嫌そうな顔の宮木の肩をたたき、俺は坂道を駆け出した。


 南京錠を開けるための数字は昼間に盗み見て覚えている。悲鳴のような音を立てて鉄の扉が開き、中へ滑り込んだ俺に宮木が情けない声を出した。

「やめましょうよ、公務員が不法侵入なんてまずいですって」

「安心しろ、公務員じゃなくても不法侵入はまずい」

「余計に駄目じゃないですか」

 俺はライトを片手に白線がかすかに残る校庭を進んだ。視線を上げると明かりのない校舎が闇に溶け出すようにそびえている。バラバラになった神のかんおけか共同墓地になった廃校舎を照らしながら、俺は足を速めた。

「腕がしまってあんのはどこだ……?」

 俺の独り言に後をついてくる宮木が返す。

「知りませんよ。というか、二十五メートルあるんでしょう。壁をぶち抜かなきゃ教室に収まりきらないんじゃないですか」

 どっと夜風が吹いて、校庭の向こうのいびつなドームが揺れた。俺はライトをその方向に向ける。壁に見えた横長の覆いが風にはためいて中から押されているような凹凸を作った。ブルーシートだ。近くにはシャワーヘッドが並ぶ壁もあった。

「プールだ、行くぞ」


 空気は金属のような隙のない冷たさが増していた。傾きかけたブルーのフェンスの一部を押すと抵抗もなく消毒槽へと続く道がひらける。

「片岸さん、警備のひとに見つかっても知りませんよ」

他人ひとごとだな。お前も共犯だぞ。そこから動かなくていいから持っててくれ」

 俺は宮木にペンライトを押し付け、プールの方に向かった。


 みずあかで白くなったシャワーが月明かりにぼうようと照らされる。そこかしこに捨てられたビート板にかびが生えていた。視界の隅に生き物のように暴れるブルーシートの端が入る。俺はプールサイドまで急いだ。

 二十五メートルのプールの端から端まで覆うようにかけられたシートは中央がふたつのこぶを作って隆起している。行儀よく揃えられた肘を想像させた。

 俺は宮木に足元を照らさせ、飛び込み台へ走った。台の根元ひとつひとつに、ブルーシートをくくってある黄色と黒のひもほどく。冷気で手がかじかんでいる上に長年の雨と風で固くなった結び目は容易に解けない。無理矢理紐を引いた反動で跳ね上がった自分の手が、シートの下の固い感触にぶつかった。薄い鉄板のような感触だ。爪だと思った。

 俺は引きちぎるように紐を解き、シートの端を握る。俺が捲るより早く強風がシートを巻き上げた。薄明かりの中に干からびたプールの底が見える。反射的に中央のものから目をらそうとしたが、飛び込み台の直下に円柱のような指が十本並んでいるのが目に入ってしまった。

「宮木、そこから見えるか」

 答えはない。代わりに動揺を代弁するようにペンライトの光が不規則に揺れた。

「両方、右腕だ」

 プールに横たわる巨大な腕二本は両方とも親指を上にして同じように消毒槽の方に手のひらを向けている。重なる指の配置は全く同じだ。

「ここの守り神は三本腕でしたなんてことないですよね……」

 宮木の声が震えていた。

「俺たちが校舎の中で見た目玉、デカさが違ったんだ。それに、資料で見た守り神の絵に髪なんかなかった……」

 黄ばんだ半紙に描かれていた巨人は、頭から足まで一筆書きしたような丸坊主だった。俺は教室でとぐろを巻いていた大量の黒髪を思い出す。

「じゃあ、あそこにあった髪は誰のものなんですか。というか、毎年この村に降ってきてるのって……」

「わかんねえよ……」

 古い守り神をないがしろにして山や土地を拓き、怒りを買ったと思った村人が新しく神をまつるための石像を随所に立てた。信仰を示す石碑が別のものに置き換わったこの村を見守るのは、本当に元いた神だろうか。

「別モンになっちまった守り神か……もしくは、元の土地神のふりした、全く新しい別の何かか……」

 プールの中の腕の手前の一本がひとりでにかすかに動いた。風に揺れたのかと思った矢先、腕は青紫色の静脈が浮いた手首をゆっくりと反転させ始める。あと退ずさる宮木の靴が地面をむ音が聞こえた。ずっ、ずっ、といずる音を立て、腕は手のひらをこちらに向けた。四本の指がゆっくりと中に折り畳まれ、残った人差し指が天を指す。黙っていろ、のジェスチャーのように。


 翌朝、朝日が照らす村は水田も木立もさんぜんと輝き、不穏なものなど何ひとつないように見えた。昨夜、俺たちはあの後、プールのブルーシートを元通りにして腕を覆い隠し、逃げるように校舎を出た。何も見なかったという顔をして村が用意した宿に戻った俺たちは、今、ただ車の中に座って長閑のどかな村を眺めていた。土地を拓いて通した道路をブルドーザーやクレーンなどの重機が横切っていく。塗装に反射する陽光が一睡もできなかった目に痛い。

「結局、埋めろって話したんですか」

 助手席の宮木が目をこすって言った。ハンドルにもたれかかりながら俺は重い頭でうなずく。

「ああ、別の神だかわかんねえものがいるってことは言わなかった。山のまだ開拓されてない部分でも何でもいいから元の土にかえしてあげましょうって言っただけだ」

「実際それくらいしかできませんよね」

「俺たちの部署の仕事はこういうもんだ。珍しい案件を扱っちゃいるが、結局一介の役人風情だしな。領怪神犯に関するものは、基本的に解決なんかできないと思っとけ。最悪の事態さえ防げりゃ御の字だ」

 俺は肩を落とす宮木のひざに、自販機で買った缶コーヒーを放り投げる。宮木は少し笑顔を見せて頭を下げた。

「埋めた後、どうなるんでしょうね……」

「さあな。本当の守り神がまだ生きてて、地中に入ってきた訳のわからないろくでもないもんを村のために倒してくれる、とかだといいな」

 通りすがった昨日の老人が、トラックの運転席から俺たちに向けて手を振った。俺はクラクションで返す。排ガスがまぶしい日光を乱反射させ、道路の向こうにそびえる山のりようせんまでをもなぞった。

「そう祈るしかねえよ」

 実際、神に対して人間ができるのはそれだけだ。

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