地獄行き

はたらま

第1話

 深夜。溜め息が白く染まる十二月。俺の可愛い恋人が人を殺した。事情について深くは追求していないが、相手はバイト先の人間らしい。

 俺達は死体を埋める為に山に来たが、当然ながら初めての経験ゆえに、どこに、どうやって埋めれば良いか分からない。ここならバレないかもしれないと直感で場所を決め、死体と共に大木の根元に腰を掛けたところだ。

 風によって擦れ合う草木の音に耳を傾ける。まるで怪獣が吠えているみたいだ。そんな呑気なことを思い浮かべつつ、右隣にいる可愛い恋人に視線を向ける。恋人は俺に体を預け、泣き腫らして真っ赤になった目を耽美に伏せた。こんな時ですら彼は美しく色気が溢れ出ている。風でユラユラと揺れる長いまつ毛に目を奪われた。左隣には少し前まで息をしていたはずの人間。肌や唇は青白く変化している。死後硬直の影響からか、人間らしい柔らかさは見るからに失われていた。


「本当にごめん」


 ずっとこの様子だ。ここへ来てからまだ謝罪の言葉しか聞いていない。俺は血と土で赤黒く染まった手で彼の肩を強く抱いた。彼の肩が汚れる。隣から鼻をすする音が聞こえたかと思えば、ぴゅうと風が微かに吹く。それだけでも血生臭さが一気に辺りに広まり、思わず軽い吐き気を催した。


「いいよもう。謝らないで」


 そう発した途端、彼の瞳からぼろぼろと大粒の涙が零れ落ちる。励ましの言葉のつもりだった。決して泣かせたかったわけではないが、今の精神状態ではどんな言葉をかけても不安を煽ってしまうだろう。「ごめん」と小さく囁き、彼の頭を抱き寄せ涙を拭った。

 彼の手を握る。非常に冷えている。お互いの手元を見ると付着した血が時間経過により乾き、細かくひび割れ始めていた。そんなにも時間が経ったのか。数時間前までは生温かい血でどろどろに濡れていた手が、今ではすっかり温もりを失っていた。彼の視線が俺に向けられる。


「見捨ててよ、俺のこと。今からでもまだ間に合う、全部忘れて」


 彼は鼻をずるずるとすすりながら口を震わせた。居心地が悪いのか、視線が忙しなく泳ぐ。彼の様子からは、本気さが伝わってこなかった。

 自分から情けなく縋り付いて助けを求めてきたくせに。涙と鼻水と涎でぐちゃぐちゃの汚い顔で泣きついてきたくせに。ゲイだというだけで周りに距離を置かれ、挙句には勘当されて頼れる人間は俺だけのくせに。一人では震えを止めることすら出来なかったくせに。俺がお前から離れられないことを知っているくせに。

 一気に頭に血が上った。


「それ、本気で言ってんの?」


 俺は怒りのあまり力強く彼の口を手で塞いだ。湿った唇のせいで手の平が濡れ、微かに歯が触れる。喋るな。そう怒鳴り散らしてやりたかったが、そんな体力は担いできた死体に吸い取られていた。もう死んで固まってしまっているくせに、体力を奪い取るなんて生意気だ。そんなことを考えれば考えるほど、彼の口元を押さえ付ける力は強くなる。彼は驚いた様子で肩を上下させ、塞がれた口からくぐもった泣き声を漏らした。ここまで手を貸してやった俺を簡単に切り捨てるのか?そんなに俺は信用されていないのか?怒りで頭が沸騰したが、頭の熱を逃すように力強く息を吐いた。白い息で視界が染まった。


「違う、ごめん。泣かないで。いや、泣かせたのは俺だ。ごめん、ちょっとむかついた。お前のことそんな簡単に見捨てられない。信用して欲しい。頼む……」


 焦りのせいか早口で許しを請う。彼の口から手を離すと涎で糸を引いた。彼の涎に月の光が反射して、口と掌の間がキラキラと光る。熱い頭のまま掌の輝きを見つめていると、徐々に落ち着きを取り戻してきた。隣では可愛い恋人が顔を濡らし、しゃくり上げて泣いていた。息苦しかったのだろう。彼の激しく息を吸い上げる音を聞くと、じわりと冷や汗が滲む。彼に俺と離れることを望まれここまで取り乱すとは自分でも思わなかった。途端に心拍数が上がり、俺まで息苦しさを感じた。こんな状況で自らの狂気に触れ、勝手に調子を狂わせている。まるで間抜け。情けなく縋り付いているのは俺のほうじゃないか。

 彼の薄っぺらい体を強く抱き締める。人を殺した犯罪者だと分かっていながらも、たった今、彼への愛情が何倍にも膨れ上がり、居ても立っても居られなくなったのだ。一緒にいてはいけないと思えば思うほど、俺には彼しかいないと痛感させられる。腕の中で震える彼が俺の背中へ控えめに手を回した。それだけで心が満たされ、息苦しさから解放された気がした。


「ご、ごめ、ごめん。お、俺が、悪かったから。本当は、あんなこと思ってない。ひと、ひとりにしないで」


 彼は俺の肩に顔を埋め、吃りながらもなんとか言葉を紡ぐ。背中を優しく摩った。なかなか落ち着かないようだ。未だしゃくり上げて泣いており、肩を大きく上下に動かしている。

 きっとまだ言葉が足りていない。一人にするなと願われなくたって、その辺の人間にお前を手渡す気も、一人にする気もないことを分からせてやらなくてはならない。泣きつく彼を引き剥がし掌で両頬を包んだ。容姿端麗を絵に描いたような造形の彼の顔は、歪み、体液で汚れている。涙を溜めた丸い瞳を間近で見つめると、吸い込まれるような感覚がした。


「人を殺していようが、俺はどうしようもなくお前のことが好きだ。悔しいけど愛してる。一緒じゃないと生きていけない」


 一度話し出すと言葉が止まらない。


「絶対に誰にも渡さないからな。警察だろうがなんだろうが、俺とお前を引き離そうとする奴らは俺が一人残らず消す。お前の為だけに生きるよ。お前がムショ行きだなんて許さない。お前が行くなら俺も行くから。一緒じゃないと駄目なんだ。お前がいないと息苦しい。俺ら、一心同体だろ。お前となら、俺は地獄に落ちたっていい。これから先地獄みたいな日々が続くかもしれないけど、お前と一緒なら大歓迎だ。なんだって楽しめる。二人で困難を乗り越えよう。困難があればあるほど燃え上がるとか、愛が深まるなんて言うよな。俺らの為にあるような言葉じゃん。もっと愛し合おうな。もうお前のことしか見えないよ。ちゃんと聞いてる? あ、これから楽しみだな、逃避行。バイトとか勉強に邪魔されずにお前と四六時中一緒にいられるなんて、夢のようだ。俺もついでにバ先の店長刺してこようかな。あいつむかつくし、お前とお揃いが良いし。殺した人数も全部同じが良い。よくわからないけど、罪名は同じになるのかな? 逃げ回りながら法律について勉強してみようかな。ねえ、愛してるよ。俺にしか頼れないところとか、泣き虫なところとか、可愛くて仕方がない。こんなにぐちゃぐちゃに汚れた顔なのにとびきり可愛い。泣きすぎて目腫れてるし鼻水垂れちゃってるね。子供みたいで可愛い。なあ、伝わってる? まだ足りない? 嫌って言われても離さないからな。もうお前の気持ちは関係ない。嫌われたって構わない。逃がさない。死ぬまで一緒だから。いや、死んでも一緒だ。ずっとずっと一緒」


 うん、うん、うん。小さく聞こえる。彼は涙も相槌も止まらない様子だ。鼻水を袖で拭ってやると、彼は僅かに安心したように表情を綻ばせ、俺の首に腕を回した。


「うん、ずっと一緒だ」


 彼が耳元で呟く。それだけで冷えた体が温まったような気がした。

 さて、これからどこへ行こうか。キラキラと星が瞬く空を見上げ、彼を抱きしめる力を一層強めた。強風に揺れる草木の騒がしい音に耳を傾けると、遠くでガタンゴトンと微かに列車の走行音が聞こえる。列車がレールのつなぎ目を越える音をジョイント音というんだっけ。鉄道が好きな彼が嬉々として教えてくれたことをよく覚えている。こんな状況とは裏腹に、心地良いジョイント音のせいか、心が穏やかだ。すっかり車内にいる気分になった。

 きっとこれは地獄行き列車だ。終着なんてないだろう。どこまでだって逃げてやる。

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