第8話:兵士


「お前に戦場を教えてやる」


 そう言って連れてこられたのは、明かりが点った一室。

 扉を開けた瞬間、何かが腐ったような臭いが漏れ出した。


「誰……?」

「マリー。まだ寝てなかったのか?」

「おとーさん!」


 部屋の中央に居たのはランタンを持った少女。

 こちらを見ると、マゼンダの瞳を輝かせ、短く揃えられた白髪を振りながら駆け寄ってくる。


「あの人がご飯食べないから、食べさせてたの」


 少女が明かりを向けた先には、包帯を巻かれた兵士が横たえられていた。1人じゃない。部屋中にびっしりと。


「……その人も怪我?」

「いや、違うよ。後はお父さんたちががやっとくから、もう寝なさい」

「でも……」


 不服そうな表情をするマリーと呼ばれた少女。


「手伝ってくれてありがとう。でも、マリーが体調を崩したら悲しいな」


「わかった……。おやすみなさい」


「おやすみ。愛してるよ」


 ちらりと俺の方を見てお辞儀をすると、少女は部屋の外に出た。

 扉が閉まって、小さな足音が遠ざかっていく。


「かわいいだろう?」

「え……?」

「かわいいよな?」

「……うん」


 肯定するとボリスは満足げな顔をしたが、1つ咳をすると笑顔が消える。そのまま部屋の中程まで行き、持っていたランタンを床に置いた。

 その隣にはトレイがおいてあって、1皿の粥が盛られている。


「よう、元気か?」


 ボリスは横たえられている内の1人に向かって話しかけ始める。全身に巻かれた包帯からは血がにじみ出ていて、当分取り替えられていないだろうそれは黄ばみ、血で赤黒く汚れていた。


「皮肉……か?」


 唇が動いて、掠れた声が出る。


「ハハハ、すまんすまん」


 ボリスが笑うと、包帯の隙間から覗く目が少し細まる。


「分かって……る。俺の番……なんだろ」

「そうだ。飲むか?」


「あ……、あ」


 ボリスが懐から取り出したのは、何かが入った瓶。黄ばんだラベルから酒だと分かった。


 それを少しスプーンに注ぐと、男の口に含ませる。


「どうだ?」

「は……は……。何も……、わか……、らん」


 そこまで言って、喉に詰まったのかゴホゴホと咳き込んだ。

 けれど必死に何かを伝えようとしている。唇が同じ動きを何回も何回も繰り返す。


 ――すまない。と。


「もう言うな。楽にしてやる」

 

 ボリスは男の額に手を乗せると、なにかの呪文を唱えた。

 その腕が淡く光り、パチパチと放電を始める。


 ――。


 音はしなかった。ただ男の手足がバタバタと痙攣し、それが終わると焦げ臭い匂いが漂った。



「分かったか? これが戦場だ」


 ボリスは男を毛布で包みながら、無感情に言う。


 味方を……殺した?


「これが兵士だ。国のためなら、戦わずして死ぬことを強いられる。この覚悟があるか?」


 なんと言えばいいかわからない。何を言っても軽口になってしまう。


「けど……、覚悟はとっくに決めたんだよ。何があってもフィアを守るって」


「……そうか、残念だ」


 ボリスは淡々と言い放って、「持て」と、人の輪郭が浮かぶ毛布の端を指差す。


 すでに血が滲み出ていた。そして、とても冷たかった。


 ☆★☆★☆★


 翌朝

 部屋の扉がノックされる音で目覚める。


 目を開けると違和感がある。いつもの部屋じゃない。壁も床も石で、窓はとても小さい……?


「起きたか」


 軋みながら開いた扉から現れたのは、眼帯をつけた女。


 今まで出会ったことのない虚空の目に現実を見る。昨日の出来事が夢ではなかったと。


 砦には空き部屋が多々あり、その一室で眠っていたのだ。


「覚悟は決まったか」

「とっくに」

「いいだろう。……私はアリン・フォール、好きに呼べ。貴様はボリス班の一員として作戦に参加することになる。開始日まで班長の下で訓練を行え」


「……分かった」


「以上だ。ボリスは食堂にいる。指示を仰いでこい」


 扉が閉まり、靴音がカツカツと遠のいていく。


 階段を降りて食堂に向かう。

 机が並ぶ食堂は閑散としていて、何個かのグループが黙々と食事をしているだけだった。

 そのうちの1つにボリスの姿を見つけた。

「で、進捗はどうだ?」

「順調だぜ、5日もあれば使えるだろうな……ん? 誰だ?」

「お前っ!?」


 向かいの席に座っていた少女がこちらに気がつく。昨日の少女ではない。短い茶髪、金色の目。

 振り返ったボリスはギョッとした様子で、スプーンを落としかけた。


「バカ、なんちゅう格好だ!」

「え……?」


 指摘されて自分の服装を見る。

 黄ばんだ半袖に、傷だらけのズボン。シャツの下半分は血液が乾いて赤茶色になっている。


「おいおい、大丈夫かー?」


 食事の手を止めて、少女は呑気そうに言った。


「クソ、最後まで面倒をがれってんだ。……来いっ」


 ボリスはスプーンを乱暴に置くと立ち上がり、俺の襟を掴む。


「じゃあなー」


 少女に手を振られながら俺がズルズルと引きずられていった先は、数ある部屋の1つ。


「子供の服なんでないぞ……」


 どうやらボリスの部屋らしい。クローゼットの中を探っている。


「ああ、仕方ねぇ。俺のだが大は小を兼ねるだ」


「……これを?」


 渡されたのは俺がすっぽり中に入れるほどの黒い上着と、セットのズボン。


「とっとと着ろ、命令だ。そんな格好で居られたら士気に関わる」


 命令か。

 服を脱いで、黒い上着を着てみると、予想通り肩までずり落ちた。

 ズボンの方はベルトがあるのでまだなんとかなっているが、それでも裾はラッパのように開いている。


「うーむ……」


 ボリスは唸りながらクローゼットを漁り、ベルトをもう1本取り出した。


「お、良いじゃないか!」


 上着を巻き込みながら、ベルトを俺の首に巻き付ける。


「なに……、これ?」


 鏡を見る。

 上も下も、もう1人着れそうなくらいブカブカの黒服。首には太いベルトが巻かれていて、なんというか……。


「……ダサい」

「贅沢言うな。俺の私服だから汚すなよ――」


 その時、グッと腹が鳴った。一瞬だったがそれなりに大きい音で、気づかれるには十分。


「……仕方ねぇ。飯にするぞ」

「分かった」

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