月下のダンス
馬車に揺られてしばし。
私とシャルロッテさんが到着したダンスホールは、既に荘厳なオーケストラに包まれ、きらめくシャンデリアの下で踊り明かしている人たちが大勢いた。
ここで談笑しているのは、なにも王立学園の生徒たちだけではない。招待状を送られてきた各地の貴族が、子息子女の売り込み……仕事斡旋やら婚約やら、新しいコネクションづくり……に勤しんでいるようだった。
まあ、下級貴族には関わりのない話が過ぎるんだけれど、王都在住の貴族たちからしてみれば、椅子取りゲームでそういうコネクションづくりは相当重要らしい。大変だなあ。
警備の騎士団に挨拶を済ませると、花を渡される。丁寧につくられた造花は胸に飾るためのものだ。私たちは花を胸に飾るとダンスホールに入る。
「うわあ……」
私はどうしても立食コーナーのほうに目が行ってしまう。
学生でも飲めるノンアルコールのサングリアに、ちまっとしたオードブル。彩り豊かだけれど、クラッカーにたくさん乗せられた生ハムやらブルーチーズやらドライフルーツやらは、絶対においしいと思うけどお腹に溜まらない。でもちょっと食べたい。
私たちはウェルカムドリンクとしてサングリアをいただくと、オードブルを取りに出かけた。そこに乗せられているカヌレを見て、シャルロッテさんは「まあ……」と声を上げていた。
「シャルロッテさん?」
「このカヌレ、わたしが前に暮らしていた修道院でつくられたものなんです……皆、元気だといいんですけど」
「まあ……じゃあそれもいただきますね」
カヌレの下のほうを覗き込んだら、型に刻まれていたんだろう。たしかに修道院の名前が刻まれてあった。さしずめ、夜会用のお菓子を大量に買い取ることで、修道院運営の助けをしているんだろう。
だとしたら、ちゃんと残さず食べないともったいないなと、私はできる限りシャルロッテさんのお世話になっていた修道院のお菓子を中心に食べはじめた。
出された固めのクッキーもマドレーヌもおいしい。そうまぐまぐと食べていたところで。
「クリストハルト様よ……」
「やっぱり練習のときとは衣装が違うのね。お似合いだわ……!」
途端にどっと声が沸いて、一瞬だけオーケストラの音が小さくなった。
そこにいたのは、銀の髪をシャンデリアで煌めかせ、白い布地に金の刺繍の入ったジャケットを羽織り、白いパンツを穿いている。どこからどう見ても立派な王子様だった。
ファンクラブは歓声を上げ、婚活希望者は熱視線を送る。私はシャルロッテさんの後ろに隠れてプルプルと震えていた。
「イルザさんイルザさん。これだけ人がいたら、さすがにクリストハルト様も気付かないと思いますわ、落ち着いて」
「そ、そうなんだけど……さすがにこれだけ注目されている中で、声をかけられるのは困る……しかも今晩はあちこちから貴族の人たちがいらっしゃってるのに、これ以上恥の上塗りはしたくないし、クリストハルト様に黒歴史を重ねて欲しくない……」
「……それはイルザさんの保身なのか、クリストハルト様のためなのかわかりませんね? ……ドミニクさん素敵」
そう言ってシャルロッテさんが見つめる先には、クリストハルト様の斜め後ろに王立騎士団の正装でマントを揺らめかせ、肩を切って歩いているドミニクさんの姿だ。制服姿でも威圧感のある人だけれど、正装になったらますますその圧が高まり、この人に常日頃から怒られてるんだよなあ、この人本職はものすっごく真面目な人なのに、私みたいなアホに付き合わせて申し訳ないなあという気持ちが込み上げてくる。
このふたりだけで歩いていても華やいでいるのに、近くにいるのは公爵家嫡男……つまりはアウレリア様の弟……がいたり、宮廷魔術師に既に内定が決まっている方がいたりと、この場の華々しさは絶大だ。
……なあんで、こんな花形の人たちを、私のつくった惚れ薬のせいで大騒ぎさせてしまっているんだ? 惚れ薬からはじまって接点ができたとはいえど、こうも遠巻きに見たら、私とクリストハルト様、ほぼ見込みゼロじゃない。
それはそうと、一曲踊ってからじゃないと帰ることもできないしなあと思う。
胸に飾っている花を、ダンスを誘った相手に渡して、それぞれダンスフロアに入る際にフロアの支配人に渡す。これで一曲踊ったと見なされるため、これを外さないことにはダンスホールから出られないのだ。
ちなみに今晩は宮廷魔術師の人たちが何人か派遣されているから、支配人に渡す以外で花を捨てた場合、捨てた花から持ち主を特定される。これが原因で留年食らった人はそこそこいるんだなあ、これが。それが原因で婚約が破談になったとか、就職や跡継ぎ問題に難ができたとかいう悲劇も付きまとっているから、ルールは守らないといけない。
この手の問題をクリアするためにも、婚約決まってない組の肉食っぷりが激しかったんだけれど、私たちも性格こんなんだからな。
それに。
「王太子殿下だわ……!」
「ご帰国なさっていたから……」
「アウレリア様、本当に今晩もお美しいわ……!」
アウレリア様みたいに、他国に渡っていた婚約者が一時帰国して舞踏会に参加する例もある。久々に見た王太子殿下は、クリストハルト様とは違って母方譲りの金髪だ。それはまるでライオンのたてがみを思わせた。隣にいるアルレリア様の金髪碧眼とも相まって、ここだけ気温が少し上昇している錯覚を覚える。
アウレリア様は少し胸元が空いているものの、絶妙にいやらしく見えない真っ赤なドレスを着て、鎖骨には彼女の瞳の色に合わせてか、エメラルドをふんだんに散りばめたネックレスを付けている。
王太子殿下の真っ白なローブに赤いマントをなびかせている様とセットで、あまりにも絵になる光景だった。
そこで私は「はっ……」と自分の付けている真珠のネックレスを思い出した。
「……どうしようシャルロッテさん。私、クリストハルト様にネックレスのことお礼言わないといけないのに、こんなところで突撃したくない」
「皆、わたしたちのことなんか見てないと思うし、ここでアウレリア様と王太子殿下がいらっしゃったら、そちらに視線を集中させるから、問題ないんじゃないかしら?」
「そんなことない、クリストハルト様むっちゃファンが多い。ファンは崇拝対象見落とさない。鉄則」
「そ、そうなんですね……でも困りましたね」
クリストハルト様、途中でドミニクさんに割って入って引き戻されているとはいえど、貴族の皆々様に話しかけられまくっている。この状態で「ネックレスありがとうございます! お返しします!」なんて言おうものなら、壁に耳あり障子にメアリー、どんな噂を立てられるかたまったもんじゃない。なによりもクリストハルト様的に問題にしかならんだろう。
となったら、彼がひとりのところを狙うしか……いやいやいや、こんな外部から人が来ている中で、さすがのクリストハルト様もドミニクさんを撒くような真似はしないだろう。
「あら、ごきげんよう。イルザさん。シャルロッテさん」
そう声をかけられ、私たちはびっくりして振り返った。
そこに立っていたのは先程まであちこちで挨拶していたアウレリア様に、なんと王太子殿下も一緒だった。私たちは慌てて挨拶をする。
「ご、ごきげんよう、アウレリア様! あ、あのう……初めまして、アウレリア様にお世話にしかなっていないフェルネステル子爵領のイルザと申します」
「ごきげんよう、アウレリア様! は、初めまして……修道院に多大な寄付、ありがとうございます……バルバナス子爵領のシャルロッテです」
王太子殿下の近くに立つと、あまりにもの神々しさに、「うわ、まぶしっ」と目を細めたくもなる。クリストハルト様の近くに立っているときも私たちとは比べるまでもないオーラが出ているけれど、この方のオーラは規格外だ。しかも普段からお優しいアウレリア様は平然と寄り添っているのだから、このふたりは相当お似合いなのだろう。
「ははは、そうか。君がフェルネステル子爵領の……話はよく我が最愛から聞かせてもらっているよ」
クリストハルト様が急に言い出した甘い台詞由来、もしかして王太子殿下からかしらん。王太子殿下はシャルロッテさんにも「君もご家族のことで苦労なさっているようだね。いざとなったら我が最愛に頼りなさい」と言っている。彼女の家が流行病でほぼ全滅状態なことも、既に把握済みのようだった。
そして王太子殿下はちらりと私の胸元……というか、私がクリストハルト様から贈られた真珠のネックレスに目を留めた。
も、申し訳ございません、こんな高価なもの付けましてぇ。アカンとおっしゃるのならいつでも外しますし、それでも駄目っておっしゃるのなら不貞にならない程度のことはしますぅー。
私がダラダラと冷や汗を流していたら、やがて王太子殿下は快活に笑った。
「あの子も本当に口下手だからね。気長に待ってやって欲しい」
「え……あの」
「それでは、我々はそろそろダンスフロアで沸かせないといけないからね。ゆっくりと楽しんでいきたまえ」
「我が殿下、いらっしゃったのは殿下のほうでしょう?」
「ははははは、それもそうだったね」
こうして、アウレリア様と王太子殿下はゆったりとダンスフロアに出かけていった。
未来の国王夫妻が踊るとなったら、そりゃあもう沸くしかない感じで、実際にどっと歓声が上がっていた。
私は呆然とふたりを見送っている中、シャルロッテさんは心配そうに声をかけてきた。
「あの……イルザさん。王太子殿下に……認められてませんか……?」
「……うち、本当に王族とそんなに接点ないような田舎の領地よ? なんでそんなんが弟の嫁に来てもいいよって言えるのかしら? アウレリア様、なんか王太子殿下に吹き込んだ?」
そもそも王族の人だったら、こんな大粒真珠、クリストハルト様くらいじゃないと入手できないってわかるもんなあ。私はダラダラ冷や汗を流しながらも、とにかくお返しする方法考えないとと、人を壁にして、クリストハルト様を眺めていた。
相変わらずクリストハルト様はいろんな方から声をかけられるものの、そのたびにドミニクさんが平謝りして連れて行っている。それにしても、いつにも増して今晩のドミニクさんは過保護だなあ。
私はシャルロッテさんに言ってみた。
「もういっそのこと、シャルロッテさんはドミニクさんと一緒に踊ってらしたら? その間に、私もクリストハルト様にネックレスお返ししてくるから」
「え……」
途端にシャルロッテさんは顔をぽっと赤くする。うん、可愛い。シャルロッテさんははっとなって手を振った。
「だ、駄目ですよ……! わたしがお仕事の邪魔をしちゃ……」
「でもこのままだとシャルロッテさんもダンスホールから退席できないし、ドミニクさんも護衛任務で多少は免除されるだろうけど花を取れないでしょ。私もクリストハルト様とお話ししたいし」
「……本当によろしいんですか? お返ししてしまっても」
シャルロッテさんが気遣うように、赤い瞳でじぃーっと私のことを覗き見た。それに私は頷いた。
「うん。本当に今晩のダンスホールで、思い知ったところだから。立場が違うんだって」
あれだけバイブス沸かせている王太子カップルだけでなく、クリストハルト様は気品のある王子スマイルで、周りにオーラを漂わせている。
その人を遠巻きに見られたらそれで満足だったのに、キスひとつで調子に乗って、あの人のことを台無しにしようとしている。
惚れ薬かけてからこっち、充分夢は見させてもらった。でも、そろそろ夢から覚めないと。
シャルロッテさんは本当に心配そうにこちらを見ていたけれど、私は慌てて「気にしないで、大丈夫だから!」と言ってから、やっと人が引いてきたのを見計らって、彼女の背中を押した。
「ドミニクさん! シャルロッテさんと一緒に踊りませんか!?」
「……シャルロッテ嬢、まだダンスの相手はいなくて?」
クリストハルト様がこちらににこやかに見つめている中、私はそれをどうにか見ないことにして、親友のダンス申し込みを見守っていた。
シャルロッテさんはドミニクさんと向かい合い、それはもう顔と目の色の区別が付かない状態になっている。
「は、はい……まだ、いないんです」
「……困りましたなあ。自分は護衛中の身なため、もうしばらくは殿下から離れることができないのですが」
「行っておいで、ドミニク」
にこやかにそう告げたのは、クリストハルト様だった。それにドミニクさんははっとした顔をする。
「殿下……! しかし!」
「君だって私から一度は離れないことには、花を捨てられないだろう? シャルロッテさん、どうぞドミニクをよろしくお願いする」
「は、はい……!」
シャルロッテさんの紅潮に伝染してか、ドミニクさんもまた顔を赤くして、彼女の腕を取ってエスコートしはじめた。そして、顔を赤らめさせながらこちらに振り返った。
「おい、アホ娘」
「は、はいっ……!」
相変わらずこの人私には辛辣だなあ!? はい、自業自得!
私がピシャンッと背筋を伸ばしたのをジト目で見てから、やがてドミニクさんは溜息をついた。
「……殿下から絶対に離れるな。いいな、絶対にだ」
「え? あ、はい。ごゆっくり……?」
「ほんっとうにおかしな真似はするなよ!? あと、贈り物は絶対に外すな! 絶対にだからな!?」
そう吐き捨てると、すぐに騎士然とした態度で「それでは参りましょうか、シャルロッテ嬢」とエスコートしていった。
普段の暴言を知らなければ、騎士が真っ白な愛らしい令嬢をエスコートしている様は、まるで一枚の絵だ……シャルロッテさん専用騎士ではないか。これでは。いや、お仕事はクリストハルト様の護衛騎士なんだけれど。
私が呆気にとられて見送っている中、ずっとこちらをにこやかに見守っていたクリストハルト様が、やっと口を開いた。
「私の花、本当によく似合っている。そして贈ったものを付けてくれるというのは、こんなにこそばゆいものだとは思わなかったよ」
「は、はあ……あ、あのですね? これ、本当にどうして贈ってくださったんですかね? こんな大粒真珠、私が何年宮廷魔術師やれば買えるのか、わかったもんじゃないんですがね? そもそもこれは買えるもんなんですかね……」
そりゃ魔法薬調合の際に、真珠を使ったりもするけれど。魔法薬の材料にするには躊躇するレベルの大きさなんだもの。
私の言葉に対しても、クリストハルト様は余裕を崩すことはない。
「真珠は美を司るし、これは守りの魔法がかかっている。だから、ぜひとも外さないでくれると嬉しいな」
「……私、そこまで周りを敵に回してますかね? そりゃ、私は婚約してない人たちから敵認定されてもおかしくはないと思いますけど」
「悪い人間ってどこにでもいるものだから。兄上がわざわざ舞踏会に来たのだって、悪い人間に威嚇するためだろうし」
意味がわからない言葉に、私はしばしポカンと口を開いた。
私が本気で意味がわかってないことに気付いたのか、やがてクリストハルト様は微笑んだ。このところ、すっかりと慣れてしまった蕩けるような笑みだった。
「……ダンスフロアはちょっと手狭だね。支配人に庭に出ていいか聞いてこようか」
「え、庭ですか?」
たしかに庭も広々としているけれど、そこにまでオーケストラの音楽は届かないし、灯りだってついてない。
それにクリストハルト様は頷いた。
「夜は宮廷魔術師たちの時間だからね。遠くに離れてしまったら困るけれど、庭までは問題ないと思うよ」
「ええっと? はい」
私たちは支配人に花を渡して、庭に出ていいかを尋ねた。
殿下がいるせいか、少し支配人は慌てていた様子だけれど、現状のダンスフロアは王太子殿下のおかげで人が多過ぎて手狭だ。踊り終えた人たちは既に立食パーティーに行っているし、踊る場所がないせいで花が取れないのは問題と判断したのか、私たちは特別に庭に出ることができた。
夜の庭は、バラの匂いが強く濃くなる。
その香りを纏い、月を仰いだ。ちょうど月は満月だ。
「それじゃあ、踊ろうか」
「は、はい……」
私は怖々とクリストハルト様の手を取った。
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