ダンスと陰謀
オーケストラの音楽は遠い。月が綺麗なせいか、星の瞬きは微塵にも見えない。
その静けさの中、私はクリストハルト様と踊っていた。クリストハルト様のエスコートは完璧だった。私の手を取り、腰に手を当てて、囁くように教えてくれる。
「一歩分だけ足を出して、それで体勢が安定するから」
「は、はい……」
「あんまりちょこちょこ歩かないで。それが足を踏む元だから。ゆっくりと、足でリズムを取って」
「は、はい……」
言われるがままにリズムを取り、クリストハルト様に身を任せていたら、あれだけ物覚えが悪く、まともに一回転分踊ることもできなかったというのに、まるでダンスが上手くなったかのような錯覚に陥る。
私はそれに少なからず胸が弾んだ。
「あ、ありがとうございます! 私、初めてダンスを楽しいと思えました!」
「ダンスを上手く踊ることはできても、教えるのはなかなか難しいからね。それこそ、踊りながら教えないと、言葉だけじゃなかなか伝わらないから」
「すごいですね。クリストハルト様は、人に教えたりしてらっしゃるんですか?」
「私ではなかなか教えることはできないかな。私が教えるとなったら、授業で教えるしかないから」
「あ……そりゃそうですよね。ごめんなさい。失礼しました」
当たり前だった。
クリストハルト様のクラスは、基本的に王都在住の高位貴族しかいないし、どの家にも家庭教師がついてダンスを教え込んでいるようなところばかりだ。うちみたいにダンスの家庭教師ってなにそれおいしいのというところばかりじゃないんだ。
クリストハルト様がダンスで教える側に回るなんてこと、まずまずあり得ないことなんだもんなあ……。
ふたりで踊っていて、やがてどちらかから足を止めた。
「……今晩は、ありがとうございました。本当に楽しかったです。そろそろ、シャルロッテさんのところに戻りたいんですが」
私はそう言ってクリストハルト様の手を離そうとしたものの、なぜかクリストハルト様は、私の指に自身の指を絡めて、きゅっと繋いでくる……って、なに?
「あのう……外れないですけど」
「……今晩は帰したくないと言ったら、どうする?」
「ドーミーニークーさーん、たーすーけーてー!」
「私よりもドミニクのほうが信頼できるのかな?」
「こういうときはそうですかね!」
もうこのところさんざんやっている会話を繰り広げたところで、私は手を繋いだままこっそりと尋ねた。
「あのう……私が帰っちゃ駄目な理由って、なんかありますか?」
「今晩は王城からも大量に近衛騎士が派遣されているからね。私も君のところに送っただろう?」
「あ……あんな小さな子を私なんぞのために使いっ走りにしちゃ駄目ですよぉ。そりゃ真珠のネックレスをいただきましたけど。こんな高価なものはさすがにちょっと……」
「これはお守りだからね。君を守るための」
「その……わざわざこれを贈られる意味も、まだわからないんですけど……」
「本当は、私は君を巻き込みたくはなかったのだけれど、巻き込まれてしまった以上は、君を離したくはないんだよ」
その声色に、私はヒュン、と喉を鳴らした。
……惚れ薬で浮ついている声色じゃない。私の好きな、怜悧で冷淡とも取れる、低い温度の声だった。
「……あの、なにに対してですか?」
「私のことを嫌っている人たちっていうのは、結構いるからねえ」
そうクリストハルト様が答えたときだった。
バラの匂いの中に、土の匂いが混ざりはじめた。それに私はビクンと肩を跳ねさせる。
「……ここは神聖なる学び舎だ。踊る訳でもない人間には立ち去ってもらおうか」
「……殿下、お覚悟を」
バラ園から出てきたのは、あからさまに軽装で、中庭の影に紛れてしまえばもう見失ってしまう黒装束の人たちだった。そこに、ひとつだけ黒くないものが光る……どう見てもそれは剣だった。
近衛騎士は今、会場だ。そこには王太子殿下たちがいる以上、こちらまで来ることはない。
私は「ひいっ……!」と声を出す中、クリストハルト様が小さく私に囁いた。
「私の白鳥……踊って」
「は、はひぃぃぃぃ……!?」
急に持ち上げられたかと思ったら、私がピンと伸ばした足は、黒装束の顔面に思いっきりクリーンヒットした。靴、汚れてないかな。
「なにを考え……!」
「この場を切り抜ける方法を。時期に、私の騎士も他の騎士たちも気付く。騒ぎを大きくさせてもらおうか」
「おう……」
あからさまに荒事に手慣れているクリストハルト様に、私は内心胸が高鳴っていた。
……久々にクールな声を聞いたせいで、動悸がひどく、クリストハルト様に持ち上げられたからと言っても、思いっきり黒装束蹴り飛ばしてしまったにもかかわらず、推しが格好いいというのしか頭に入ってこない。
ここは恐怖を感じるところとか、なにかに巻き込まれてないとか、いくらでも考えないといけないんだけれど。推し尊い、無理、久々の供給ありがたいというのばかりで頭が占められてしまったら、もう他になにも考えられなくなってしまう。
「くっそ……!」
「……君が語彙を持っていなくって、本当によかった、よっ!」
またも黒装束が剣を煌めかせようとすると、今度は私を抱えたかと思いきや、私を抱えたまま大きく蹴り上げた。剣の柄を思いっきり蹴りつけたことで、黒装束も剣を落としてしまい、その刃をクリストハルト様は思いっきり踏みつけた。
「……私の花を穢すことは、何人たりとも許さない」
「お、おお……」
これだけ緊迫している空気だというのに、私はもうなにも考えられずに、ただ真っ白の頭でどうにかクリストハルト様の雄姿を目にしっかり焼き付けようと、目をギンギンに見開いていた。
黒装束は、なおも諦めずに、懐からなにかを取り出そうとする……いや、本当に諦めようよ。危ないよ。クリストハルト様が。
でも、これだけ金属音を響かせていたら、いい加減にこちらに人も気付くもの。
「貴様、殿下になにを…………!?」
こちらにまで走ってきたのは、ドミニクさんだった。さすがに現状が現状だからか、シャルロッテさんは置いてきている。
黒装束は、帯剣を引き抜いたドミニクさんを見たあと、こちらにしか聞こえないほど小さく舌打ちをしてから、そのまま立ち去ってしまった。
それらをしばらく見つめていたら、私は一気に腰から力が抜けてしまった。
「あっ、あれ…………?」
「よっと」
クリストハルト様が私の腰を支えてくれて、どうにかそのまま中庭に座り込む自体は免れた。
「……怖い想いをさせてしまったね。すまない」
「い、いえ……あ、あのう、今のは……?」
「殿下。お戯れはその辺で」
クリストハルト様が答える前に、ドミニクさんが剣を腰に納めてから、ぐいっと私の腕を掴んできた。そして、鋭くひと言告げる。
「このことは、あとで近衛騎士団の元で事情聴取を行う。事情聴取内容は、くれぐれも外に話すな。シャルロッテ嬢にもだ」
「え……そりゃ話しますし、黙れと言われたことは黙りますけど……でも、本当になにがなんだかわかりませんよ」
「わからなくていい。殿下に感謝するといい」
「はあ……」
腰が抜けて本当に動けなくなっているため、ドミニクさんに引き摺られても上手く歩くことができないでいたら、クリストハルト様がひょいと抱きかかえてくれた。
「わあああああ……すみませんすみませんごめんなさいごめんなさい。なんか前々にもありましたよね、これ」
「かまわないよ。前のときとは違い、今回は私のせいで怖い想いをさせてしまったようなものだからね」
「殿下、このアホ娘……」
「ドミニク、あまり彼女をいじめてくれるなよ。彼女もまた、被害者だ」
私は意味がわからないまま、王族が来ているためいつもよりも物々しいことになっていた警備詰所に連行された。そこは近衛騎士だらけで、私のことを第二王子が抱えているため、若干ざわついていたものの、クリストハルト様が「目撃者だ」と短く言ったら、納得してくれたのか、ざわつきは治まっていった。
聞かれた内容に答えつつも、私はなにを聞かれているのかがわからない。
最後に「ありがとう」とここの詰所の責任者らしき人に言われて、ようやく解放されたものの、やっぱり私は膝が泣いてしまっていて上手く歩くこともままならなくなっていた。あのときは私は萌えることで精神安定をはかっていて、相当テンパっていたんだろうなあということがよくわかった。
なんの陰謀に巻き込まれかけたのかはよくわからないものの、日頃からドミニクさんがクリストハルト様から離れない理由と、私にキレまくっている理由はなんとなくわかった。この人、口が悪い割にはいい人っぽいから、本気で私が巻き込まれるのが嫌だったんだろう……私がなんかの陰謀に巻き込まれたらクリストハルト様が泣くからなのかは、さすがに希望的観測が過ぎるのか。
私がよれよれになって戻ってきたとき、放置されていたシャルロッテさんが慌てて走り寄ってきた。
「イルザさん大丈夫ですか!? いきなり騎士団のほうに連行されたから、なにがあったのかと……」
「うーんと、なんか事情聴取受けてたけど、内容は話しちゃ駄目だってさ。私もなにを聞かれたのかさっぱりだったんだけど……」
「事情聴取って……どうして?」
「わかんない……」
あの黒装束、なんだったんだろう。そしてクリストハルト様はこちらを心底申し訳なさそうに見ていたから、本気で巻き込む気はなかったみたいだった。
本来ならばもっと夜遅くまで舞踏会はある上に、未だにダンスフロアは王太子殿下とアウレリア様が沸かせていたけれど、さすがにおふたりを見ている元気もなく、私たちはまだ空いているのをいいことに馬車に乗って、そのまま帰ることにした。
シャルロッテさんは私のことを心底心配したらしく「クリストハルト様やドミニクさんになにか言われたんだったら、ちゃんと守らないと駄目ですよ?」とずっと言ってくれていた。
私はのろのろとドレスを脱ぎ、寝間着に着替える。
お守りだと言い張っていた真珠のネックレスに触れる。本当だったらすぐに外して片付けてしまいたいところだけれど、バラ園で襲われたことが生々しくて、外す気にはなれなかった。
「……どういうことだろう。クリストハルト様、誰かに狙われているの?」
あのときの黒装束のことを思うと胸が痛くなり、私はのろのろと布団に潜り込んで、そのまま寝込んでしまった。
****
楽しかったはずの舞踏会でさんざんな目に遭ったせいなのか、この間ぶりの自領の夢を見てしまった。
そこで私は偉そうに腰に手を当て、お酒にヘビイチゴを摘んで漬け込んでいた。
「これお酒に漬けちゃったら、もう食べられなくない?」
誰かにそう言われるものの、誰に言われているのかがどうにもわからない。私は偉そうに言う。
「食べてもいいけど、ぼんやりとした味よ? キイチゴほどもおいしくないわ」
そう言うと、私につっこんだひとは本当にヘビイチゴを食べたようだった。なんとも言えない声を上げる。
「……あんまり、おいしくないね?」
「そうなの。だからお酒に漬け込んで、薬にしちゃうの」
「そんな簡単に薬ができるの? すごい、宮廷魔術師なんて、いつも時間ばかり気にしているから、薬をつくるのはもっと難しいものだと思っていた」
「簡単なものは、本当に簡単につくれるのよ。マルメロはシロップ煮にして食べれば風邪薬になるし、リコリスは蜂蜜の代わりにお茶に入れれば喘息や胸の病気にも効くのよ」
「詳しいね。君だったら宮廷魔術師になれるかもしれないね」
「ねえ、その宮廷魔術師ってなあに?」
そういえば。忘れてた。
私が単位足りないなあと思って選択科目を眺めているとき、魔法薬調合を選んだ理由。
誰かにやたらと説明されたんだった。宮廷魔術師の話を。
そのひとはそりゃもう、私に熱心に説明してくれた。
「宮廷魔術師はすごいよ。いろんな魔法を使えるんだ」
「私、薬草にはちょっと詳しいとは思うけど、魔法なんて使えないわ?」
「勉強すればいいよ。君もきっと王都に呼ばれるだろう? そのときに」
「私、ここしか知らないのよ……できるのかしら」
「できるよ」
むわりとローズマリーが薫った。
その薫りの中で、このひとはたしかに言った。
「待っているから」
****
「……ん」
私が身じろぎしようとしているとき、腕が痛いことに気付いた。麻紐が手首に食い込んでいるんだ。おまけに、口には猿ぐつわが噛まされていて、唾液を含んでベタベタになってしまっている。
って、なに? 夢じゃない……!
「んんんんっ……!」
「目が覚めました!」
「かまわん。引き摺り出せ」
「はっ!」
薄い服を着た男の人たちが、私を腕に食い込んだ麻紐を引っ張って引き摺ってきた。痛い痛い。腕千切れちゃう痛い痛い。
手荒に扱う割には、その人たちの動きは妙に洗練されていた。
……あれだ、私は普段から自領で平民の人たちとしゃべったりしているから、その人たちの言動を見ている。その人たちみたいな動きじゃないから……。
そのままベシャンッと床に叩き出された。
「ふごぉー……ふごぉー…………!!」
「お嬢さん、手荒な真似をして、しかも寝込みを襲ってしまって実にすまなかったね?」
男性はにこやかに言った。
「君にはどうしてもつくってもらいたいものがあるんだよ。ここに材料はちゃーんとある」
……つくれって……。
そこで私はヒクンと鼻を動かして、気付いた。
大量に摘まれた薬草。そしてその材料はどう見ても。
「君には、第二王子に飲ませた薬を量産してほしいんだよ」
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