舞踏会の準備・2

 クリストハルト様からいただいた薬のせいで、本当だったら二日間は安静にしなければいけなかった私の足も、たったひと晩で元に戻ってしまった。魔法薬、本当にすごいなあ。多分メイベル先生も、こういう薬をつくれてしまうんだろうなあ。魔法薬調剤も、一部はつくりかたがあまりにも難し過ぎて大量生産できずに流通できないものもあるから、多分これは宮廷魔術師のつくったものだったんだろうなと想像する。

 だから私が下剤つくって逃げようと思っていた舞踏会も、参加しないといけない訳で。

 今日の授業は昼までに終わり、残りは夜までに支度をしなければならない。私はそんなに衣装持ちではないため、この間の練習に着ていたドレスをそのまんま着て、靴もダンス用のものを履くことにしたけれど、高位貴族の子たちはそうも言ってられないんだろう。おかげで来賓室はずっとどこかの家の使用人が出入りし、その仲介をしている寮母さんが大変そうな印象だ。

 皆は皆、ご飯も全部今日の舞踏会の立食会場で食べるつもりらしいけれど、私はお腹が空いている。でも食堂は空いてないし、仕方がないからアウレリア様からのもらいもののクッキーを食べて空腹を誤魔化すしかなかった。

 はあ……早くはじまらないかなあ。一曲踊ったら、あとは逃げればいいのだから。

 私は思わずプニプニと自身の唇を突いた。

 ……昨晩のあれ、本当に私の夢じゃなかったんだよなあ。そりゃ靴下脱がされて薬を塗られてなかったら、私の足も完治しなかった訳だけれど、キスされたところはさすがにリアリティーがなさ過ぎて、自分に都合のいい夢過ぎないかと困ってしまう。

 今朝は私が完治したのを、クリストハルト様はやけに喜んでいたけれど。


『……私の心は、君のものだから。おやすみ。いい夢を』


 昼間に聞く甘い囁きではなく、切実な色を含んだ声だった。そんな切羽詰まったことを言われると、私だってそろそろクリストハルト様が言っていることは嘘じゃないんじゃと信じたくもなるけれど。


「だって、惚れ薬つくったの私だし。かけたのも目の前で見たし」


 私のつくったものと明らかに症状が違うんだけれど、だからと言ってクリストハルト様の言葉を鵜呑みにしていいのかというと、それは違うんじゃないかなあと思ってしまうんだ。

 そもそも私はクリストハルト様のことを知っていても、クリストハルト様は義姉のサロンに通っている下級貴族Bくらいにしか思っていないはずだろうに、なんで私のことを普通に知っているんだという話になるんだけれど。

 そこまで考えて、ようやく気が付いた。


「……そういえば、クリストハルト様。そもそも私のこと、いつから知ってるんだっけ」


 さんざん告白まがいなことをされ続け、なんだかロマンス小説よろしくなことにもなっている割に、肝心なこと、私全然知らなくないかと、今更ながら気付いた。

 校内でほぼ接点ゼロだったし、アウレリア様が仲介に入らなかったら知るよしもない私のこと、いつから知ってたんだろう。

 これって聞いても答えてもらえるものなのかな。それとも。

 私がひとり悶々と考え込んでいる中、急に扉がノックされた。


「はい」

「すみません、イルザさん。来賓室にお客様が来てますよ」

「えっ……私にですか?」


 慌てて扉を開けると、寮母さんは「私は言いましたからねえ」と言って、そそくさと走り去ってしまった。来賓客の扱いでてんてこ舞いになってしまっているらしい。お疲れ様です。

 私は覚えのない来賓客に首を捻りながらも、夜まで暇なため、とりあえずは降りていってみる。

 来賓室は、いつもは一対一で話をしているというのに、どうにか女子寮に余所者を入れないためだろう。今日だけは人が大量にごった返していて、いつもよりだいぶ狭く感じる。

 舞踏会に出るためのドレスを持ってきた業者に、実家から装飾品を持ってきた使用人、中には婚約者にプレゼントを贈っているのろけたところまである。

 この間王太子殿下が一時帰国なさったと言っていたから、アウレリア様も王太子殿下からなにかもらっているんだろうなあ。

 そう思いながら、私は首を捻りながら声を上げた。


「すみません、イルザ・フェルステルです! どなたですかー、お呼びしたのは!」

「ああ、イルザ嬢ですね。ごきげんよう」


 そう言って出てきたのは、まだ王立学園に通うにしては幼い男の子だった。綺麗な小麦色の髪をひとつに束ねた子は、帯剣していた。騎士見習いなんだろうか。


「ごきげんよう……あのう、どちら様ですか?」

「殿下より贈り物をお預かりしております」

「で……殿下って……クリス……」


 そういえば。思わず剣の柄を見た。そこにはバラの花が二輪刻まれていた。それはうちの国の紋章であり、この子はうちの国の近衛騎士見習いという、騎士の中でもかなりのエリートだということがわかった。

 そんな子を私なんかのために、わざわざ使いっ走りにするなよ、もう……!?

 私は咄嗟に周りを見回した。高位貴族の令嬢たちは、着替えに時間がかかるせいで来賓室にまで降りてきていない。ここにいるのは、うちと似たり寄ったりのレベルの子たちか、婚約者とイチャイチャしている人たちかのどちらかだ。

 なら大丈夫だろうと、お使いの子に視線を合わせた。


「……クリストハルト様からの?」

「はい、贈り物です」

「……クリストハルト様に伝えて。あなたみたいな子を、わざわざ私のお使いなんかに使わないでって」

「こちらは殿下の伝言です。『あなたをお守りしますから、必ず身につけてください』とのことです」

「……呪いの品とかじゃないですよね、本当に」

「大丈夫ですよ、自分が持っていても、なんともありませんでしたから」


 王家の魔法の品なんて、受け取るのものすっごく怖いんだけどなあ。受け取るのを拒否しようかとも思ったものの、この子をすげなく追い返すのも可哀想だ。なによりも近衛騎士見習いなんだから、この子の立場を考えたら、王家のお使い……それも下級貴族への使いっ走り……を失敗したなんて言ったら、なにかと波風が立つだろう。

 私も王都のことマジ面倒臭いとは思っているものの、政治を全部足蹴にしたらまずいってことくらいは弁えている。

 私は本当に渋々受け取って「ありがとう」と彼にアウレリア様からいただいたお菓子を持たせて帰ってもらった。

 いったいなにを贈ってきたんだろう。私はそう思いながら、部屋で包みを開けた。


「……わあ」


 それは真珠のネックレスだった。これだけ大粒の真珠だったら、私たち下級貴族ではまず買えそうもない。それを付けるっていうのは、嫉妬ややっかみを受けそうで怖い。でも。

 私は真珠のネックレスをどうするべきかと考えあぐねたとき、嗅ぎ慣れた匂いがすることにあれっと思う。

 森に近い匂い……ローズマリーの匂いだ。基本的に真珠はデリケートだから、付けるときも保存するときも、きちんと乾燥させるよう、油は絶対に使わないっていうお約束があるんだから、ここでローズマリーの匂いがするのは変だ。


「さっき言ってた、お守りってこういうこと?」


 なんで私ごときに、宮廷魔術師が関与してくるんだよ。そもそもわざわざクリストハルト様が近衛騎士見習いの子を使いっ走りにしているのが意味わからんし。

 訝しがりながらも、私は「まあ、いっか」と思いながら、制服に手をかけた。

 アクセサリーひとつくらいだったら、まだ誤魔化しが利くかもしれないし、言い訳が立つかもしれない。アクセサリーだったら返却しやすいから。

 これでもし、ドレスなんて贈られてこようものなら、返却しにくい上に、周りにどう言い訳すればいいのかわからないもの。

 ああ、もう。ドミニクさんに何度も言われた「せせこましい」っていうのが頭を回る。

 いいもんいいもんいいもんねー。せせこましくってもいいもんねー。私はそう自分を鼓舞しながらドレスに着替え、真珠のネックレスを付けた。私には不釣り合いなほどに、ズシリと重く、肌にのしかかった。


****


 舞踏会になると、馬車で目的のダンスホールへと向かう。

 靴を履き替えているとはいえど、今日は昼間っから大騒ぎだったから、ダンスの披露も考慮されて、ほとんどは馬車での移動となる。

 ちなみに高位貴族から順番にだから、私たちみたいな下級貴族はもっと後に行くことになり、皆それぞれの部屋のバルコニーから下の様子を見て判断して降りなければいけなかった。人が混雑していたら、ドレスによっては裾を踏んづけたり転んだりしてしまうから、下で待っていればいいってもんでもない。

 私はお腹が空き過ぎて、やっと手の空いた寮母さんに「ご飯はたくさん食べれませんが、なにかありませんか……?」と声をかけた。


「あらあら。あまり溢れやすいものは駄目だし、お腹いっぱいになったらドレスに悪いでしょ。丸パンくらいなら用意できますが」

「お願いします……」


 寮母さんが用意してくれた丸パンを頬張っていたら、同じく「すみません、なにかいただけませんか?」と羞恥心一杯の声を上げてきたのはシャルロッテさんだった。ドレスはこの間の練習のときとは打って変わり、スミレ色の淡いドレスで、彼女の真っ白な髪、赤い瞳ともよく似合っていた。


「あら、シャルロッテさん。素敵ね」

「ありがとうございます、イルザさん。あら……?」


 シャルロッテさんは驚いたように私の胸元を見た。真珠のネックレスだ。


「……贈り物。いったいなにを考えているのかさっぱりわからないの。断ろうかとも思ったけど、持ってきてくれた子が小さい子だったから、本当に断りづらくって」

「まあ……クリストハルト様、本気でイルザさんのことを……」

「わ、わかんないわよ!? だってあの人、今普通じゃないから……なんでこんなことするのかよくわからないし……」

「ですけど、首飾りが贈り物っていうのは、相当気を遣ってらっしゃると思いますよ」

「そうかしら? 私も返却しやすいとは思ったけれど」

「返却……」

「だってこんなすごい真珠のネックレス、私が持っていてもタンスの肥やしになっちゃうし、王族の人たちのほうがよっぽど大事にしてくれると思うから」

「そ、そうじゃなくってですね……ドレスとかでしたら、贈った相手は完全に婚約者認定されてしまいますから、外堀を埋めるような真似はしてらっしゃらないということですよ!」


 それに私は思わず目を剥いてしまった。


「……大粒真珠でも、婚約者認定されないのに、ドレス贈られたら婚約者って、あまりにも王都の婚約者判定ガバガバじゃありませんか?」

「そ、その……あくまで噂で、わたしも王都での実際のところは知りませんけど……ドレスなどの着る物を贈るのは……その……」

「はい」

「……脱がしてもいい相手にしか、贈らないそうです」


 なるほど、だから婚約者認定されてしまうんか。

 って、シャルロッテさんにそんなん仕込んだのどこの誰だよ!? 私が目を剥いている中、シャルロッテさんは顔を火照らせつつ、慌てて手を振った。


「本当に、ただの噂ですから! わたしも修道院にいた際に、わたしと似たり寄ったりな立場の方から伺っただけですので、ただからかわれただけかもしれませんし!」

「で、ですよねー、そうですよねー! 焦った、本当に焦った……!」


 私たちがギャーギャーしゃべっている間に、寮母さんが丸パンをふたつ持ってきてくれた。


「舞踏会ではなかなか食事も好きにできないでしょうし、出されるものも本当に小さなものになってしまいますからね。あんまり食べて膨らんだお腹では踊れないでしょうし、ほどほどになさってくださいね」


 そう注意を受けつつ、ようやくありつけた丸パンは、本当に香ばしくておいしかった。

 そろそろ私たちも馬車で迎えが来る。

 ……クリストハルト様に、真珠のことをどうやって問い詰めようか、私は少しばかり頭を悩ませる羽目になった。

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