第367話、牛にとっての怒り

「はぁー・・・はぁー・・・」

『あはははは! 楽しかったー!』

「くっそ・・・」


 息を切らしながら歩く俺の前を、楽し気に跳ね飛ぶ精霊。

 あと少しで牛の所という距離だが、流石に疲れて歩いている。

 何せここまで雪崩を越え、壁にぶつかり、空に飛びあがり、地面に叩き落されたからな。


 それでも諦めずに繰り返した結果、何とか走る程度は出来る様になった。


「はぁ、はぁ・・・あの夜は、一歩踏み込んで殴るだけだったから、どうにかなっただけか・・・はぁ・・・はぁ・・・」

『妹大丈夫ー? 兄がおんぶしてあげようか!』

「はぁ・・・はぁ・・・出来る訳無いだろ・・・」


 体格を考えろ体格を。寄りかかった所で地面を引きずられるだけだろうが。


『ふっふっふ、兄がそんな事も考えられないとお思いかい?』

「思ってる・・・」

『そう、兄は賢いのだよ! 対策もばっちりだー!』

「話聞け・・・」

『見よ! 兄の頭脳を!』


 俺の返事をガン無視した精霊は、何時もの様に数を増やしていく。

 そして増えた精霊が何時もの様に無秩序にではなく、綺麗に整列した。


『さあ、乗るのだ妹よー!』『運ぶよ!』『兄の力を見せる時!』『いっくぞー!』

「・・・断る」

『何で!?』『乗り心地は良いよ!?』『照れなくて良いんだよ!』『兄もおんぶしたい!』


 少なくともそれはおんぶじゃない。大きな石を人海戦術で運ぶ類の行動だ。

 それに俺は自分で歩けるし、態々人の世話になる気も無い。

 だが精霊は諦めきれないのか、俺に声をかけながら整列したまま歩き出す。


 そうして暫く歩いて行くと、見覚えのある大きな山が見えた。

 いや、山のように大きな牛の姿が、依然と同じ体勢で寝ている姿が。


「・・・寝ているな」

『寝てるねー』


 起きているかと思ったが、何時も通り寝ている様だ。

 やはり消耗をしたんだろうか。アレだけの力だしな。

 となると俺の用はもう無くなってしまった。さてどうするか。


『うしうしー』『おきなーい?』『僕が来たよー』『妹も居るよー?』

「オイコラ起こすな」


 軽く魔獣の一体でも狩るかと悩んでいると、精霊が牛にまとわりつき始めた。

 後そこは耳じゃない。鼻の穴だ。そこに呼び掛けても何の意味も無いだろうが。

 するとそこまで寝息を立てていた牛の呼吸が、少し乱れた気がした。


「・・・ああ、お嬢さん。精霊さん、おはよう・・・ふああああ・・・」

『うし、おはよー!』

「悪い、起こしたか」

「いやぁ、気にしないで良いよ。僕が寝坊助なだけだしねぇ。ふふっ」


 ゆっくりと目を開いた牛は、何時も通り穏やかな様子だ。

 先日の怒りも殺意も感じない、相変らずの態度で応えて来た。


「もしかして、先日は恥ずかしい所を見られてしまったかなぁ」

「恥ずかしい?」

『何か恥ずかしかったのー?』

「うん、ちょっと怒っちゃって、我を忘れてしまったから・・・恥ずかしいんだ」

「別に怒っておかしな事じゃないだろう。アレはお前にとって大事な物なんだからな」


 砦を守る為に、友人の墓を守る為に、長い時をここで過ごして来た。

 領主たちは砦を綺麗に保つために、修繕の為に敢えて壊す事はあるだろう。

 だがあれは純粋な破壊行為だ。そしてあの一撃が放たれていれば。


 被害は俺だけではなく、あの砦の外壁にも影響があっただろう。

 そもそも街の中がどれだけ破壊される事になったか。

 俺が牛の立場だとすれば、縊り殺す事すら生温いと思う。


「あはは、そう言ってくれるとありがたいな。いやー、久しぶりにあんな感じになっちゃって、本当にちょっと、恥ずかしくて・・・えへへ・・・」

『怒って良いと思うよー?』『うしが怒るのは仕方ない』『仕方ない仕方ないー』『僕も怒っちゃったもん!』『妹が虐められたら怒るよねー?』『ねー?』

「そっかぁ。そうかもねぇ。でもやっぱり、うん、恥ずかしいんだ。怒る姿を見られるのは」


 それでも牛は、怒りで我を忘れた、という事実が恥ずかしいらしい。

 この穏やかな様子を知っていると、やはり怒った姿の想像がつかんな。

 それだけ怒り慣れていない、怒る事が好きではない、という事なんだろうが。


 俺とは大違いだな。俺はすぐ頭に血が上っている気がする。

 あと精霊と牛の会話は、噛み合ってる様で噛み合ってない。

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