第9話 世界を繋げる力
俺が、あっちの世界の夢を見ることはあまりない。
20年近く前のことになるから、もう細部はだいぶ忘れてきている。
でも、前回の俺が場末の宿屋で、ことあるごとに体操着を忘れて焦る夢を見たように、今回の俺も森エルフの村で禁忌の境界線を踏んでカブトムシに変えられてしまった夢を見て、何度もうなされるわけだ。
緑豊かで、煩雑で、美しくも逞しく、血塗られた彼の地は、いまどうなっているのだろうか。
ありきたりとは思うが、グロズグルでの日々は今でも俺の中で息づいている。
* * *
クロズグル大陸は原初の女神クロースが初めて創造したあらゆる生物が住む大地だ。
クロースは奇跡を司る神であり、魔法はクロースの奇跡に内包されている。
クロズグル大陸は、世界に5つある大陸のどこよりも魔力にあふれた土地であり、それゆえに人智の及ばぬ領域とも言えた。
クロズグルの長い歴史の中で、人類は魔力をある程度制御できるようになり、それによって魔法を体系立てることに成功した。
それが魔術だ。
マドゥス大陸に生まれ出た闇の勢力が、その豊かな魔力を求めてクロズグルに南下してきた際、クロズグルの主要国家は同盟を結んで対抗したが、“忌まわしき黒”の領主ベスツールの裏切りにより、大陸の北方は闇の勢力の治める地となってしまった。
悠利はクロズグル大陸中央部セトナ王国の辺境に転生した。
この転生は赤ん坊からではなく、事故で死んだ18歳の悠利の意識が異世界へ移動した形だ。もっともその時は「悠利」という名ではなかったが。
悠利は、日本の常識を持ってクロズグルに転生してしまったわけだが、類稀なる魔力を制御できる力により、瞬く間に闇の勢力と戦う同盟において、なくてはならない存在となっていった。
しかし闇の勢力とて手をこまねいて待っていたわけではない。
悠利の魔術に対抗すべく様々な魔物を光の同盟へと送り込んだ。
魔術への抜本的な見直しに迫られた悠利は、古からこの地を守る老魔術師ケンファーの教えを乞う。
ケンファーの指導により、高度な魔術をも扱えるようになった悠利。
ある時、ケンファーにより「お主にならば扱えるやもしれぬ」と託された指輪が、すなわち《不現の鎖(アンリアルチェイン)》だった。
指輪の力を引き出せるようになるまで百数日。
苦難の末、悠利は《不現の鎖》を完全に従えることに成功する。
ケンファーは言った。
《不現の鎖》はあらゆる魔法をその身に伝えることができ、増幅することすら可能。
またそれだけではなく、不現の鎖の力は「数多の世界を繋ぐ」ものであり、「数多の世界の力を伝える」ものなのだと。
それがどういう意味なのか。
ケンファー自身もわからないと言っていたが、悠利ならばあるいは……、とも。
* * *
「夢か……」
ずいぶんと楽しいところだけのダイジェストみたいな夢のようだったが、起きたらすぐに内容を忘れてしまっていた。
朝。
俺はケンファーのあの時の言葉を思い出していた。
「数多の世界を繋ぐ」。
もしかしたら、その力によって向こうの世界で封印したはずの指輪が、こちらの世界に現れたのかもしれない。
いや、あの世界に転生したのも、そもそも《不現の鎖》の力によるものかもしれない。
いずれにしろ、指輪のおかげで助かったのは事実。
ただ、だからといってまたあの世界にいた時のように争いの場に身を置くつもりはない。
本当に今回が最初で最後の復帰戦だ。
今日からは、またそこそこ平穏な日常が戻ってくるはず。
戻ってこないと困る。
――なんて思っていた俺が甘かった。
「おはようございます」
高校の正門をくぐったところ。
今、俺に挨拶された?
気のせいか?
顔に覚えのない男子生徒だ。
制服の崩しかたから考えると、杉山たちの類だが……。
だったらなおさら、俺に挨拶なんてするはずがない。
いきなり蹴りつけてくるとかいう挨拶なら、考えられないでもないが……。
俺は「ガンくれてんじゃねぇぞ」とか言われないように、チラッと顔を確認すると、そいつは恐縮したように会釈して、そそくさとその場から去っていった。
まあ、気のせいなんだろうと思っていたら、別のヤンキーどもが頭を下げつつ、道を譲ってくる。
「おはようございます、不破くん」
「おはようございます」
「おはようございます!」
「おはようざっす」
「おはようございますっ」
ここでいう「~くん」というのは、ヤンキーたちがたまに使う、微妙な距離感の敬意からくる「~くん」だ。
「さん」だと上に置き過ぎてるけど、呼び捨てとかあだ名を使うほどの仲ではない。
間違っても舞奈の使う「ゆーくん」の「くん」ではない。
新手の嫌がらせかとも思ったが、杉山たちも俺を避けるようにしつつ、頭を下げてくる。
いったいなんなんだよ……。
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