夜の唄

「ロベリアは、何かを伝えるために人を────」


 アイザックの呟きに、ルディは小さく頷いた。彼の思案していた仮説が、全て明確なな、形を持った確証に変わっていく。


 ロベリアと白蛇が繋がっているということ。ロベリアは、自分の意思で人を殺していないと言うこと。


 多くのことが、パズルのピースがはまるように形になっていく。ルディは、激しい高揚感が身体を駆け巡るのを感じていた。


「ザック、君も気がついたのではないかい?この事件、


 アイザックは、ハッとしたようにこちらを見つめた。彼は、白蛇から依頼を受けたとき、わざわざルディに鳩を飛ばしたのだ。


 少なくとも、彼は白蛇の何かに気がつき、不信感を持った。

 アイザックが、白蛇卿に違和感を持つ。ルディにとっては、それで十分だった。


「今までの事件全て、恐らくロベリアは、白蛇の命令で人を殺している。事件の裏で糸を引いているのは、白蛇卿、ブランシュ・ヴァーボラだ」


 その言葉を聞いたアイザックは、ふっと視線を逸らし、つぶやくように言った。


「お前の言う通り。白蛇からの依頼は、確かに異常だった。だが、白蛇がそこまで深く関わっているとはな……。迂闊だった」


 軽く目を伏せるアイザックを見つめながら、彼は続けた。


「……この言葉は、ロベリアの────。白蛇から命令される望まぬ殺人から解放されるため。事件を追う私達に、この言葉を残したのではないか?」


 しばらくの間、アイザックは何も言わなかった。ただじっと、翡翠の奥で何かを考えているようで。

 彼はふっと顔を上げると、息を吸い、言葉を紡いだ。


「……何故そう思うんだ?俺は正直、あの少女を人間だとは思えなかった」


 首の傷を、指先でなぞる。痛々しい傷跡は、二人にあの夜を思い起こさせる。


「飢えた獣が血を求めるように、あの少女は、殺しに執着しているように見えた」


 アイザックの指が、するりと首から離れる。夜の瞳をじっと見据えた翡翠は、ぞくりとするほど、冷たい色で。


「ロベリアが白蛇の指示で人を殺しているとする。でも、それは簡単にできることではない。誰かに頼まれても─────それがどんなに大事な人でも。命を奪うなんて、酷いものだよ」


 何かを思い出すような、声。彼の頭をよぎるのは、深淵で役目を果たした憧れだろうか。


「きっと、ロベリアは殺人という行為に。あの子にとって、人を殺すのは息をするのとなんら変わらないことだ。そんな人間が、助けを求めるとは思えない」


 ふと、胸にひんやりと冷たいものが走った気がして、ルディは小さく息を呑んだ。


「ザック。ここからは、1人で調査を進めるよ」


 ルディの言葉に、アイザックは目を見張った。


「ルディ……、襲われた事を忘れたのか?ロベリアは必ず、俺たちを殺しにくる。いつ殺されてもおかしくないんだ。お前を1人にする訳には行かない」


 彼の言うことは、正しかった。それに、調査員の力があれば、事件は自然に、解決へと進んでいくだろう。


 しかし。ルディは頑なに、首を縦には振らなかった。そんな彼の様子に、アイザックも負けじと食い下がる。


「ルディ。お前の情報には感謝している。調査に力を尽くしてくれていることもな。だが、これは元々、調査員の仕事だ」


 アイザックの言葉に、怒気が混ざる。威圧的な彼の瞳を、じっと見つめ返す。彼とこんな言い合いをしたのはいつぶりだったか。火花が散るような緊張感の中、ルディはふと、そんなことを思った。

 お互いが、出会ったばかりの青年に戻ったかのような錯覚を覚える。それほど、二人の目に宿る光は眩く、鋭いものだった。


 ひとつ、呼吸をする。重苦しい、しかしどこか心地よいような沈黙の中、ルディは小さく呟いた。


「……すまない、


 それだけ言って、彼はさっと踵を返し、ドアに手をかけた。ドアの軋む音と共に、涼しげな風が彼の頬を撫でる。


「待て、ルディ……!!」


 アイザックの声を背に受けながら、ルディはその場を立ち去った。彼を───長年の友の気持ちを無下にするような自分の行動に、嫌気がさす。


 それでも、、ルディはこんな真似をしたのだ。


 真っ黒に見えるその瞳は、映す景色のひとつ先。未来を見ているかのようで。


 そんな彼の後を追うように、赤い閃光が一筋、瞬いた気がした。



 *+†+*──*+†+*──*+†+*──*+†+



 明るくなり始めた東の空を見て、少女はふっと目を逸らした。主の屋敷から飛び出してから、何回かの夜明けを迎えた。主の言った通り、“ロベリア”は南の地にとどまらず、四方全てで指名手配となった。そんな“ロベリア”が自分であると言う、ひどい違和感を感じながら、少女はひたすらに、路地に身を隠していた。


 獣のように身を潜め、夜がくれば身を溶かす。


 主も、身を置ける場所も、何もかもを失った少女の手に残ったものは、皮肉なことに、人を殺める術だけで。


 少女は路地の奥。深い闇で息を潜めながら、ナイフをしっかりと握った。ナイフから伝わるひんやりとした感覚や、刀身に映る自身の赤が、今は何故か、ひどく心地よい。


 次に目をあけた時、全て終わっていればいい。そんなことを考えながら、少女は体を縮こませ、瞳を閉じた。


 と、暁の空に、高く尾を引く唄声が響いた。小さな小さな、しかし、透き通る様な囀りに、少女ははっと顔を上げる。少女の頭上。細い路地と空の隙間を縫う様に、小さな影が羽を広げた。

 灰茶グレージュの体と、深海の様な深い瑠璃色の飾り羽根。両方の手のひらで包めそうなほどの小さな鳥は、夜明けを凝縮した様な美しい声で鳴き、少女の近くへと降り立った。


 小夜啼鳥さよなきどり。夜明けを告げるとされるその鳥は、小さな体を忙しなく動かしながら、美しい唄声で鳴いた。


「……夜の……歌姫……」


 ほとんど無意識で、少女はそう呟く。目の前の鳥が動く度、深くしまい込んでいた記憶が、音を立てて爆ぜた。


 星の煌めく夜の空と、の優しげな笑い声と。細い指と、その手のあたたかさと。


 の手が、歌姫へと伸びる。その手に飛び乗った歌姫は、小さく囀りながらの指と戯れる。柔らかな羽を広げ、手の上から飛び去っていく歌姫が、星々の間を縫う様に舞い、唄うのだ。


『夜の唄ね……。素敵だわ』


 しばらくその唄に耳を傾けて、それからは、少女の頭を撫でる。愛情を澄んだ瞳いっぱいに浮かべて、少女を抱きしめる。


『夜は、本当に素敵ね。この時間が、大好きなの。

 だからね、─────。貴方の全てを、私は愛しているわ』


 そんな、かけがえのないあたたかな記憶。その次はいつも、残忍な赤。あらぬ方向に曲がった白い腕。そこを伝う、赤。赤。赤────。


 蘇った記憶と、込み上げる吐き気に、少女は激しく、嗚咽を漏らした。それに驚いたのか、小夜啼鳥は勢いよく空へ舞い上がった。 空に溶けていく瑠璃色を見ながら、少女は苦しげに目を瞑った。 


 あの時、歌姫と少女を見つめるの目は、とても優しいものだった。繊細な硝子細工を、そっと包み込むような。愛情を織り込んだ瞳で、は夜を見ていた。


 夜明けを告げる歌姫と、少女を重ねて見ていたのだろうか。にとって、少女は、歌姫のようにささやかな幸せを運ぶ存在だったのだろうか。


(……でも、今は)


 数多の命を喰らった自分は、夜の歌姫などではなかった。


“墓場鳥”。それが、歌姫と呼ばれる小夜啼鳥の、もう一つの名だった。その昔、小夜啼鳥ナイチンゲールは美しい唄で、人々を穏やかな眠りにいざなったと言う。


 その名の通り、少女は夜の唄を引き連れて、人々に死をもたらすのだ。穏やかな眠りとは対極な、血で染まる、悪夢のような眠りを。


 空を見る。薄紫に染まった空の中で、大きな月が輝いていた。もうすぐ、満月なのだろう。わずかに欠けた、美しい月。


 その色は、少女の目に焼きついた、忌々しい月白で。

 その色を見て、少女は何かがすとんと、腑に落ちるのを感じた。記憶の海を漂っていた紅電気石ルベライトに、静かな火が灯る。


 ひどく脆い宝石は、瞬きのうちに、殺人鬼のそれへと姿を変えていた。


「白い光────。あなたさえ」


 ゆっくりと、立ち上がる。手にした刀身が朝日を映し、煌めいた。


「あなたさえ、いなければ」


 歌うように呟いて、少女は路地の壁を蹴り、ふわりと舞い上がった。

 朝焼けで赤く染まった空の中、黒い羽が広がる。屋根の上から宝石の海ユウェールを見下ろす姿は、正しく鳥のようで。


 頬を撫でる潮風に、小さく目を細めながら、少女は小さく、唄を口ずさんだ。


 記憶に眠る、の唄。墓場鳥は夜明けの空で、悠々と羽をはためかせていた。


(ああ、どうして気がつかなかったんだろう……)


 思わず、小さな笑いが漏れた。この数日で、少女は全てを失った。同時に、全てから解放されたのだ。隠れる必要など、無かった。


 全て、終わらせてしまおう。自分を不幸にする人は、自分から奪う人は、全部、殺してしまおう。


 何かが、音を立てて壊れていくのを感じた。それが何なのか、今の少女には関係のない事で。


 あの、底の見えない夜の瞳は、死を迎えるとき、どんなふうになるのだろう。彼は、どんな華を咲かせるのだろう。


 自分が“ロベリア”に塗り替えられるような恐怖の中、少女の意識は、赤い殺意の海へ沈んだ。血が踊るような感覚に、身を任せる。


“ロベリア”はもう、追われる側では無い。


Are you readyもういいかい?


 何故なら、“ロベリア”は今、鬼なのだから。






 

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