火中へと

「お屋敷の近く───路地の見回りよ」


 その言葉に、アイザックは思わず驚きの声を漏らした。

 ここまで内密に進めてきたのだ。何か、国を動かしてしまうような依頼かと構えていたのに、蓋を開ければ見回りとは。

 ひどく肩透かしを食らったような気になり、アイザックは問うた。


「見回り……ですか?」


 見回りといえば、調査員の新人でも行える仕事だ。わざわざ自分を呼び出し、ここまで念入りに情報を隠してまで依頼する仕事とは、到底思えなかった。


 そんなアイザックの抱える疑念に気がついたのか、ブランシュはくすくすと笑いをこぼした。


「その様子だと、貴方は随分、大変なことを頼まれると思っていたのね?

 期待を裏切るような形になってしまって、ごめんなさい」


 冗談めかすブランシュに、アイザックは無理やり笑みを浮かべて「滅相もございません」と呟いた。


「実はね、使用人の1人が誰かに襲われたの。夜中にお屋敷の近くの路地を通った時、突然。その使用人は顔と腕を切り付けられて、今は療養しているわ」


 相槌を打ちながら、彼は小さな手帳を取り出した。

 少し古びた、皮の手帳。それは、彼が総隊長になった時、ルディから贈られたものだった。


『君もこれから多くの事件に触れるだろう?そう言う時に、聞き込みは必須だ』と笑い、手帳を差し出してきたルディの顔が浮かぶ。


 まだあまり書き込まれていない手帳のページを開く。あまり情報を記録したりしない彼も、今回は特別だ。


(後に、この依頼のことを伝えるためにも────)


  ペンを取り出したアイザックに、ブランシュは不思議そうに目を細めた。


「あら、珍しいわね。あまりそういうことをする方では、なかったと思うのだけれど」


 その言葉に、ペンを持つ手が震えた。 今回の依頼だけではなく、彼の過去の調査まで、調べあげているのか。動揺を隠しながら、アイザックは微笑んだ。


「いつもはしないのですが……今回は私にとっても、大切な依頼なので。情報の齟齬がないようにしたいのです。情報を書き起こすことも、避けた方がよろしいでしょうか?」


「いいえ。貴方がこの依頼に、そんな思いを持ってくれていて嬉しいわ」


 そう言って笑うブランシュを見て、アイザックはほっと息をついた。

 ペンを走らせながら、彼はブランシュの話に耳を傾けた。


 それは、近くの路地に危険な組織が潜んでいること。一向に、組織の手がかりをつかめないこと。調査していた召使たちが、何人か襲われていること。


 そこまで聞いて、アイザックはブランシュに問うた。


「失礼ですが、なぜこのタイミングで私に依頼を?解決には、早めの相談などが欠かせません。他の機関などに、ご相談などされていましたか?」


 その問いに、ブランシュは首を横に振る。


「どこにも、依頼や相談はしていないわ。対応が遅れてしまったのは、ごめんなさい。あまり、大きな問題を起こしたくなかったのよ」


 ブランシュは瞳を細めて言った。


「今、この国の裏は激しく揺れているの。件の殺人鬼のことでね」


 急に引き締まった空気に、アイザックはペンを握る手に力を込めた。


「特に、黒狼の殺人で、私たち四大貴族は大きく揺れたの。そんな中で、殺人鬼と、危険な組織。二つも南が抱えているとなれば……。賢い貴方なら、わかってくれるかしら?」


「なるほど。それなら、私たちも調査の方法を考えなければいけませんね。少人数で調査をするように調整します」


 そう言ったアイザックに対し、ブランシュは申し訳なさそうに眉を顰める。 


「アイザック。できれば、今回の依頼は貴方1人で進めて欲しいの」


「1人で……ですか……?」


 彼女の言葉に、今回ばかりは疑念を隠せなかった。

 基本的に、危険を伴う調査は複数人で行う。どちらかに大事があった場合に対応するためだ。

 

 もし、1人で調査をすれば。ルディの恐れていた通り、誰にも知られず、命を落とすかもしれない。

 アイザックは気丈に振る舞いながら、ブランシュの瞳をじっと見つめた。威厳を放つ金色の裏に、彼女は何を隠しているのだろうか。


 アイザックは気圧されそうになりながらも、彼女に言った。


「申し訳ないのですが、今回のような依頼の場合は、複数人で調査を行いたいのです。お互いの安全を保障するためにも」


 ブランシュは、怪訝そうな目で彼を見つめる。場の空気が、凍りついていくのを肌で感じる。その中で、ブランシュはゆっくりと口を開いた。


「……貴方がそう言うのも、無理ないわね。けれど───」


 彼女の息使いに合わせ、庭園も呼吸をするようで。静かな、しかし草木の息吹が響く中で紡がれた声は、ひどく淡々としたものだった。


「私は調査員を信用していないわ。少なくとも、貴方以外は」


 その言葉に、アイザックは声に鳴らない悲鳴を漏らした。

 初めから、この箱庭に入った時点で、逃げ道などなかったのだ。


「アイザック。私は、貴方に信頼も、期待しているの。貴方の安全は、ヴァーボラの名にかけて守ります」


 そう言って、ブランシュは額に指をあて、深く頭を下げた。

 貴族が最敬礼をしたことに、アイザックはひどく狼狽えた。


「……貴方様の守護を与えてくださるなんて、見に余る光栄です。この依頼、私の全てを賭けて、遂行させていただきます」


 自分を見つめる蛇の目が、捕食者の光を称えたような気がして、アイザックは視線を逸らした。

 嗚呼、自分は今、火中へと飛び込んだのだと言うことを、肌で感じる。


 美しく、そして恐しい笑みを、ブランシュは浮かべた。


「貴方なら、そう言ってくれると信じていたわ。それなら……早速今夜から、お願いしても大丈夫かしら?」


「はい。もちろんです────」


 暖かな陽気のはずが、アイザックの指先は氷のように冷え切っている。

 小さな心の隙を隠すよう、彼は笑顔を貼り付けた。


 お互いの裏の顔を隠すように、厚い雲が太陽を覆っていく。

 少し陰った庭園で、彼女の黄金はより一層、妖しく光った。



 *+†+*──*+†+*──*+†+*──*+†+*──*+†+*



 夜の瞳を落ち着きなさげに揺らし、ルディはペンを机に置いた。

 胸の奥で燻る不安が、いつまでたっても消えない。


 手につかない調査を前に、ルディは窓の外を見つめた。

 夏の終わりの日差しも、今は陰り、街は灰色がかった影に包まれている。


 その中に響く人々の楽しげな声と、鳥の囀りと、漣と。

 どこまでも平和な音たちに、ルディは小さく息を漏らした。

 

 本当に、のどかな街だ。

 その暖かな光の影で、黒い陰謀が蠢いているなど、誰が思うだろうか。


 賑やかな声の中に、悲鳴が混じっているような気がして、ルディはふっと視線を逸らした。


(ザック……君は本当に、誰からの依頼を受けた?)


 ルディは睨みつけるように、手帳を見つめた。視線の先には、権力の有無関係なく、この街の貴族の名が書き連ねられている。それは、アイザックの依頼主かも知れぬ者たちだった。


 もちろん、彼に依頼をしたのが、この街の者とは限らない。

 しかし、彼には依頼主がこの街の貴族だという、があった。


 アイザックとの電話の中で、彼の言った言葉が蘇る。


『この街の情報を誰よりも握っている探偵は、間違いなくお前だからな』


 もしこの街の外────それだけでなく、南の領地からも外れた依頼なら。

 情報提供を申し出た彼のことを、わざわざ「この街の情報を誰よりも握っている探偵」などと呼ぶだろうか。


(彼は、この街の貴族から依頼を受けた可能性が高い)


 目的の依頼主が手の届く範囲にいる安堵と、同時に白蛇の支配の中で、この依頼が行われている恐怖がルディを襲う。


 ここで、アイザックを失えば。白蛇の手中に収められてしまえば。

 

 この事件は、迷宮入りだろう。真実を誰も知れぬまま。白蛇がその手を止めるまで、証拠も残らぬ殺人が、延々と続くのだ。

 

 それに────。


 ルディは、アイザックという友人を一人なくすことになる。

 彼に、真の探偵となるための道を示してくれた、何にも変えられぬ友人を。


(それだけは)


 強く、空を睨む。抜けるような蒼空を、夜の瞳が映した。かつてアイザックがそう称した様に、瞳が映した群青は、正しく夜明け。


 ルディはその瞳を揺らし、視先を再び手元へ落とした。


 アイザックを禍巻く数多の可能性の中で、ルディが最も恐れている事。

 それは、ロベリアの標的ターゲットになっている可能性だった。


 ここヴィエトルに収まらず、この国で地位は最強の武器だ。

 地位がなければ、武器を持つことも、争うことも、兵を従わせることもできない。 地位の差。それはそのまま、互いの力の差として、弱者にふりかかるのだ。


 そんな中、アイザックは調査員総隊長という、並の貴族よりも高い地位を得ている。 彼に依頼をし、固い箝口令を敷いた。


 彼の依頼主である貴族は、相当の力を持った者という事になるだろう。

 力を持つ貴族。つまり。


(白蛇が絡んでいる可能性は、大いにありある……)


 広がる悪寒をふりはらうように、ルディは何度か首を左右に振った。


 彼は、自分の身が危険になった時、ルディに依頼をすると告げてくれた。

 アイザックも、この依頼に何か金臭いものがあることに気が付かないほど、鈍くはない。

 あの朗らかな性格からは想像できないほど、事件や依頼に挑む時、アイザックは化けるのだ。


(ザックは賢い。本当に危ないと感じれば、彼は必ず、何かを残す。

 それなら私は────)


 彼の残した何かを辿る。それがルディの、彼にできる最善だった。


 再び顔を上げた彼の瞳には、決意の炎が宿っている。

 その片隅で、翡翠の光一筋、が瞬いたように見えた。

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