箱庭
質の良い芦毛の馬が、事務所の前で立ち止まった。
その姿は、貴族が好む艶やかな毛並みの馬では無く、どこか地味な印象を受ける。 しかし、それを繰る男性の美しい所作が、纏う雰囲気を上品なものにしていた。
貴族であることは、一目見ればわかる。しかし、白蛇卿の使いだとは夢にも思わないであろう姿に、どれだけこの依頼を秘密裏に進めたいのかが見てとれた。
彼らの纏う異質な雰囲気に気がついたのか、ノエルは珍しそうに外を見つめた。
「馬……?珍しいですね。貴族の方でしょうか?」
「依頼人だ」
光を受け、きらりと瞬く白銀を羽織りながら、アイザックは言う。
ひどく驚いたような表情をしたノエルを見、彼は苦笑した。
「ノエル、俺がいない間、
そう言葉をかけられたノエルは、さっと姿勢を整えると、アイザックに敬礼をした。
「了解しました、総隊長」
頼もしい後輩だな、なんてことを考えながら、アイザックは事務所の扉を潜る。
照りつける日差しに目を細めながら、彼は馬上の男性に礼をした。
黒を基調にしたスーツを身に纏った男性は、アイザックを見とめると、馬から降り、さっと手綱を手繰り寄せた。
「アイザック・ルードハイト様。主様からのご用命で、お迎えにあがりました」
気品溢れるバリトンと、洗練された動きに、アイザックは目を奪われた。
しかし、主人の地位や品位を最も大切にする召使たちが、彼にその名を告げないのは、ひどく違和感があった。
普通、召使たちは自分の名前や立場より、主人の象徴であり、冠である名を名乗る。 この召使のように、その大切な名を“主様”などという言葉で表すことは、恐ろしく異常なことだった。
それはまるで、この依頼の隠す何かを浮き彫りにするように。
アイザックは拳を握りしめ、胸に手を当てると、
「ご依頼を承りましたこと、感謝します」
と、不安や疑念を覆い隠すように言った。召使の目線が、アイザックの翡翠を捉える。彼の瞳は、少年のような純粋な輝きか、はたまた野心を隠す混沌か。
どちらに見えたかはわからない。が、召使は人の良さそうな笑みを浮かべ、もう一つの手綱を引き寄せた。
芦毛の馬ともう一頭、栗毛の馬が、彼の前に現れた。
こちらも一見、農用馬のようだが、艶やかな毛並みと落ち着いた顔つきが、しっかりと躾された馬だということを物語っていた。
「馬にのられたことは?」
こちらを伺うように見つめる召使に、アイザックは頷いた。
「はい。仕事柄、何度か」
そう答えたアイザックに、召使は静かに目を細めた。そして、栗毛の馬の手綱をそっと手渡すと、
「お屋敷までは距離がございます。ご安心ください。この馬はとても温厚なので、よほどのことがなければ、暴れたりはしませんよ」
栗毛の馬は、彼の言葉に応えるように小さく嘶いた。
アイザックは手綱を受け取ると、馬の首にそっと手を置いた。馬の警戒心が解けていくのを確かめ、アイザックはその背に跨った。
馬は少し驚いたように鳴いたが、低い声で宥めてやると、すぐに落ち着きを取り戻した。
アイザックが主導権を握ったのを確かめ、召使は芦毛の馬に跨った。
慣れた手つきで馬を繰ると、召使はそっと目配せをした。
「何かあれば、すぐに申しつけください。お屋敷まではわかりやすい道です。それと……どうか緊張なさらずに」
そう言うと、召使は馬の腹をそっと蹴る。
応えるように、馬は動き出す。 アイザックも慌てて手綱を引くと、軽快な音を立てて走り始めた。
腹に響く蹄の音と、柔らかな風が頬を撫でる感覚は、とても久しいもので。
アイザックは胸に燻っていた不安が、ゆっくりと消えていくのを感じていた。
彼を彩る白銀が、馬の歩に合わせて靡く。光を受けて瞬く様は、まるで白い光のようで。
しばらく馬を駆けていると、突然視界が開け、真っ白な屋敷が現れた。
散りばめられた
(いつ見ても、本当に美しいな……)
純白の屋敷は、他の領地でも類を見ない美しさだ。この街の象徴とされるそれに、アイザックは目を奪われた。
そのまま馬を繰りながら、少しずつ屋敷へ近づいていく。
屋敷から少し離れたところで、召使が馬を止める。アイザックも、それにならって手綱を引いた。
「ルードハイト様。もうご存知かと思いますか、今回の依頼は内密に進めております」
召使の声に、アイザックはハッと顔を上げた。
「はい、存じ上げています」
「お屋敷の裏口へご案内します」
そう言って、召使は馬から降りると、アイザックの乗る馬の手綱を引いた。
2頭の手綱を起用に操りながら、召使は静かに語った。
「ルードハイト様。この裏口の場所は、ごく一部の者しか知りません。どうか、外部には漏らさぬよう」
丁寧ながら、有無を言わせぬ威圧感に、アイザックは息を呑んだ。
白蛇は、なぜそこまでして、アイザックとのつながりを隠そうとするのだろうか。
そんなことを考えながら、アイザックは一つ、賭けに出た。
「はい。情報は決して漏らさないと誓います。ところで……今回の依頼はどのようなものなのでしょうか?ここまで内密に、と言われていると、少し身構えてしまいますね」
アイザックは誤魔化すように、笑いながら言った。
召使は、何も言わず歩いている。が、こちらをじっと見つめてきた瞳に、アイザックの背中が粟だった。
─────何も言うな。
そう告げてくるような視線に、アイザックの額に嫌な汗が伝った。
殺意とも取れるようなそれに、アイザックは心を落ち着けるように、馬の首をゆっくりと撫でた。
馬二頭がやっと通れるような狭い道を進んでいくと、植えられた木の間に隠すように、小さな門が現れた。
そこは屋敷の庭園につながっているようで、手入れされた花々が、顔を覗かせていた。
門の柱に馬をつなぐと、召使は丁寧に礼をし、アイザックに手を差し伸べた。
「お気をつけてお降りください。馬に乗った後は、足元がおぼつかなくなりますから」
一変した召使の雰囲気に、小さく息を漏らしながら、アイザックはその手を取り、ゆっくりと馬から降りた。
召使に連れられるまま、庭園の中を進んでいく。華やかな香りを放つ花々が散りばめられたそこは、まるで作り物のようで。
白蛇の作り上げた美しい箱庭に、アイザックは感嘆の声を漏らした。
と、アイザックの目に、美しい装飾が施されたサンルームが映った。
日差しをたっぷりと取り込む透明な屋根と、精巧な模様が施された硝子の壁が一面に。
その中央に置かれた白いテーブルが、その雰囲気を引き立てているようで。
しばらくそこで足を止めていると、サンルームの向こうから二つの影が。
「いらっしゃい。あら、随分立派になったのね」
鈴の音のような美しい笑い声に、アイザックはハッとして、声の主を見つめた。 白を基調とした、美しいドレスと、ゆるいウェーブを描くプラチナブロンド。 光を受けて透明に見えるそれに、赤い硝子玉の髪飾りがよく映える。
美しい刺繍が施された赤い生地が、純白の裏側で鮮やかに揺れた。
美しい装いに身を包んだブランシュは、アイザックを見つめ、静かな笑みを湛えている。
まさに白蛇を思わせる威厳と美しさに、アイザックはさっと跪く。胸に手をあて、頭を下げると、彼は一つ息を吸い、言った。
「お招きいただき、本当にありがとうございます。ヴァーボラ様」
「顔を上げて。前も言ったけれど、そんなに謙遜しないでちょうだい、アイザック。今日は来てくれてありがとう。彼を案内してあげて」
ブランシュは、小さく笑いながら、隣に立つ女性に声をかけた。彼女とは裏腹に、黒いヴェールを顔に纏う召使が、さっと前に出る。
そして、アイザックに軽く礼をすると、ゆっくりとサンルームの扉を開けた。
「さあ、入って。すぐにお茶を用意させるわ」
ブランシュに案内されるまま、アイザックは椅子に腰掛ける。中に入ると、硝子の模様は鮮明で、彼は小さくため息を漏らした。
ヴェールの召使が、2人の前に美しいティーカップと、色とりどりの菓子を並べる。貴重な砂糖や、新鮮な果物をふんだんに使ったそれは、まるで宝石箱のように見えた。
「本当に、立派になったわね。貴方が総隊長になってすぐの時は、まだまだあどけなかったのに」
楽しそうに笑うブランシュに、彼は笑いかける。
そして、胸の勲章に手をかけながら、言った。
「貴方様から頂いたこの勲章ですから。いつまでも、幼いままではいられません。私が不甲斐ないと、貴方様の顔に泥を塗ってしまう」
「心強いわね」と言いながら、ブランシュはティーカップを口に当てた。
その瞬間、彼女の
アイザックも姿勢を整え、その瞳を見つめ返す。
「さて、まだまだ話したいことはたくさんあるけれど……。依頼の話をしましょうか」
テーブルに手を置く動作の一つ一つから、美しさと威圧感を感じる。
アイザックは小さく頷くと、
「私に力になれることならば、何なりと」
と答えた。 彼女の黄金が、アイザックの翡翠を見つめて、ふっと細められた。
するどい蛇の視線に、緊張で体が硬直する。
「貴方がこの依頼を受けてくれて、とても嬉しかったのよ」
少しずつ、逃げ場を塞ぐように、ブランシュは微笑む。
「今回、貴方にお願いしたいのはね────」
耳の奥で、鈴の音が鳴ったような錯覚の中、アイザックは彼女の言葉を待った。
「お屋敷の近く────路地の見回りよ」
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