光と華
予感
何かに呼び起こされたかのように、ルディは目を覚ました。
窓の外で軽快な声をあげる
アクシャと話した後も夢中で作業をするうちに、いつの問にか眠ってしまったようだ。あちこち痛む体を伸ばしながら、資料の一つに視線を落とした。
資料のいたる所に殴り書きされた文字が走っている。
その中でも、ひときわ大きく書かれた言葉に、ルディは顔を歪めた。
”
それは、彼が直面している大きな、そして最も目をむけたくない問題だった。
ロベリアと白蛇卿のつながりは分かった。しかし、国の片翼を担う貴族に対し、小さな探偵は何ができるのだろうか。
もう、彼一人の力では、限界が来ていた。
悔しげに唇を噛み、立ちあがる。 乱れた心を落ちつけるように、彼は慣れた手つきでコーヒーを淹れた。
部屋に広がる香ばしい匂いが、ゆっくりと、思考を落ち着けていく。
もう一度、小さく息を吐くと、ルディはつぶやいた。
「もう、私1人でどうにかなる事件ではないな……」
彼は、自分の請け負った依頼に、他の人を巻き込むことを嫌っていた。そのせいで、危険な目に星の数ほどあっているのだが─── 。
そんな彼を見かねて、唯一の頼り先となった人こそ、アイザックだった。
有益な情報を与え、しかし危険にならぬよう。協力関係でありながら、ルディの手綱を操る。
夜を飼うルディという獣を、アイザックは飼い慣らしているのだ。
そんな切り札とも思える協力者に、調査の全てを明かさないのには、ある理由があった。
それは、この事件の唯一の目現者であり、事件の大きな鍵を握る、アクシャの身の安全だった。
アイザックに全てを明かしたとき、それが保証できないと、彼は感じていた。
事件の真相を語る上で、彼女の目現情報は切っても切れないものだ。
この情報1つで、彼女は普通の女性から、全ての盤面をひっくり返す存在へと変わってしまう。
身分を偽り逃げることができても、彼女の、アレータという偽名は調査員の手に残り続ける。
そして万が一、白蛇の娘と知られてしまえば、彼女は文字通り、全てを失うこととなるだろう。
しかし、今は────。
(もう、人の身を案じている余裕はない……)
黒狼卿の殺害から、早2ヶ月。薄氷の上を渡るように、ここまで調査を続けてきた。いつ足元に
(次の犠牲者が、出る前に)
彼は、勝負をつけたかった。いや、ロベリアにこれ以上、罪を重ねさせたくなかった。
ルディは小さく息を吐くと、受話器を耳に当てた。カラカラとダイアルを回し、ノイズのベルの音に耳を傾ける。心臓が、嫌に早く打つ。
今になって、国を左右する情報を得ていることが、恐ろしかった。
そんな中、ザッというノイズの後に、爽やかな声が耳をくすぐった。
『はい、こちらヴィエトル調査員、アイザック・ルードハイトです』
「ザック、私だ」
いつもの通り、答えたつもりだった。しかし、ルディの声は小さく震えていた。
『……ルディ?』
違和感を感じたアイザックは、どうした、と問うた。
感情をあまり出さず冷静な彼が、なぜこんなにも動揺しているのか、アイザックにはわからなかった。
電話の向こうで浅く繰り返される呼吸を聞きながら、次の言葉を待つ。
「君に、話したいことがある。この後、どこかで会えないか?」
その言葉を聞き、アイザックは端が悪そうに、小さく声を漏らした。
『すまない、ルディ。俺も依頼を受けてね。しばらく手が離せない』
その言葉を聞いて、ルディはくす、と笑いを漏らした。
「へぇ、調査員に依頼が。珍しいこともあるものだね」
先程までの動揺が嘘のように、ルディはいつも通りの口調で揶揄う。
事実、調査員への評判は地の底だし、依頼自体、めっきり減っていた。
その中でもアイザックは、誠実な調査と人柄で、少しずつ評判を上げているのだが───。
『口が達者だな、相変わらず』
それにつられて笑い、アイザックは呆れたように言った。本当に、さっきの彼の動揺は気のせいかと思うほど、自然ないつもの会話だった。
(……本当に、俺の気にしすぎだったのかもな)
そんなことを考えながら、アイザックは呟く。
『本当に、久しぶりの依頼さ。しかも、今回はただの依頼じゃないぞ』
「へぇ、どんな依頼を?」
面白そうに言うルディに、アイザックは得意そうに言った。
『国のお偉い様からの依頼さ』
その言葉に、なんとも言えぬ嫌な予感が、ルディの背中を駆け抜けた。
国のお偉い様……つまり貴族からの依頼。
唯一の国際的な組織だ。貴族が調査員を頼ることはよくある。貴族と同じ地位を持つアイザックになら尚更だ。
しかし、今は。 ロベリアと貴族の繋がりを知ってしまった今、彼の不安は高まるばかりだった。
「へえ……。貴族から」
不安を押し殺しながら、そう呟く。ゆっくりと目を細め、アイザックが過去に受けた貴族からの依頼を思い出しながら、彼は言った。
「久しぶりじゃないかい?貴族からの依頼は」
『ああ。やっと舞い込んできた大きい依頼だ。力を入れないとな』
そう言って笑うアイザックに、ルディは「その通りだね」と返し、続けた。
「ところで、誰からの依頼だ?君には世話になっている。何か情報があれば、いくらでも力になろう」
手近な資料を手に取りながら、ルディは彼からの返事を待った。
『ああ、それは心強い。この街の情報を誰よりも握っている探偵は、間違いなくお前だからな。だが……今回はすまない。お前の力は借りられない』
「おや、それは意外な答えだな」
ルディは小さく笑い、そう答えた。お互いに情報交換を続けて数年。
こうして断られたことは片手で数えるほどしかなかったため、驚いたことは本当だった。
そんな彼の思いに気がついたのか、アイザックは笑い、『そう落ち込むなよ』と揶揄った。
『今回……依頼主の情報は絶対に漏らすな、と口酸っぱく言われていてね。いくらお前でも、答えられない』
その言葉に、ルディの中の黒い予感は増長した。
もしこの依頼の中で、何かあったら。誰1人として、彼の行方も、依頼主も、わからない。
依頼主が彼の命を奪っても、事件は事故として、闇の中だ。
あまりに危険すぎる。彼はアイザックに言った。
「……ザック。この依頼を受けるのは、やめた方がいい」
電話の向こうの空気が、強張ったのを感じた。
『…何故?』
少し怒気を含んだような声に、ルディは一瞬だけ、怯んだ。
ゆっくりと息を吸い、続ける。
「もし何かあった時、君を……助けられる人がいないんだぞ!それに……」
白蛇が勘付いて、調査員を殺そうとしていたら。
そう続く言葉を飲み込んで、ルディはアイザックの動きを待った。
『ルディ、大丈夫だ。今回の依頼は、危険なものじゃない。それに、万が一の保険はちゃんとある。詳しくは離せないがな』
安心してくれ、と言うアイザックに、ルディは震える声で言った。
「旧友の、忠告と思って聞いてくれ。君は本当に、この依頼で命を落とすかもしれない」
しばらくの沈黙の後、アイザックは静かに言った。
『お前が、何故ここまでこの依頼を恐れるのか、俺にはわからない。でもお前のことだ。俺にも言えない何かを、掴んでいるんだろう?』
アイザックの言葉に、ルディは押し黙る。
『……それでも、俺はこの依頼を受けるよ。これは、俺にとって大きすぎるチャンスだ。俺は、調査員と言う仕事に誇りを持っているからな』
海面を飛んでいた鴎が身を翻し、空へと舞い上がった。艶やかな白い羽が陽の光を反射し、きらりと瞬く。その光に応えるように、ルディはつぶやいた。
「……それなら、君は何を言っても聞かないね」
ルディはよく知っていた。彼がどれだけ、調査員という仕事に真摯に向き合っているかを。
誰よりもこの仕事を愛し、そして誰よりも、落ちていく評判に心を痛めているのだ。
貴族という大きな力。その依頼で、少しでも調査員のイメージが良くなれば。
彼はずっと、そう願っている。
ルディは小さくため息をつき、言った。
「一つ、約束してくれ。無理はするな。何かあったらすぐに逃げろ」
『ああ。万が一、俺に何かあったら、その時は────』
『お前が、すべて突き止めてくれ。今のうちに依頼しておくよ』
アイザックの言葉に、ルディは笑い声を漏らした。
(嗚呼、君は本当に……)
ルディにつられて笑うアイザックの声を聞きながら、ルディは目を細めた。
「もちろん。君からの依頼なら、いくらでも」
『ありがとう。でも、お前の手は煩わせないさ』
じゃあ、と短く言葉を交わし、2人の会話は終わった。
無機質なノイズを聞きながら、ルディは窓の外に目をやった。
空は、2人の出会いを思わせる、晴天だった。
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