祝福の言葉

「全てがひっくり返ってしまったな」


 ルディは、情報屋の資料を見ながら呟いた。アレータの情報を買って、一夜が過ぎた。あの男からの情報を知る前、依頼人が全てを偽りで覆い隠した人物だとは夢にも思わなかった。


 白蛇卿に娘がいると言う強大な事実を、彼は手にした。しかし、四大貴族の一人が、何年も隠しつづけている人物の手がかりを得るのは、容易いことでは無かった。


(今回ばかりは、ザックも頼れない。この情報はまだ、公にはできない……)


 ルディは小さくため息を漏らしながら、資料を睨むように見つめた。『娘を必死で隠している』という、情報屋の言葉が蘇る。白蛇卿が何故娘を隠しているのか。そして、何故偽名を使わせているのか。それが、全くと言って良いほどわからなかった。


(貴族─── それも南を統べる白蛇の子供だ。跡継ぎの存在はそのまま、権力の象徴にもなる。なのに何故……?)


 はじめ、白蛇卿が娘を隠していると聞いて、屋敷に幽閉しているのではないか思った。しかし、彼女の状況は幽閉とは真逆。娘を隠すどころか、自由にさせている。


 秘匿と、自由。その二つを身に纏う彼女の姿に、ひどく違和感を覚えて、ルディは眉を顰めた。と、ここを訪ねてきた時の彼女の姿が、脳裏に浮かぶ。


 柔らかな、薄紫色ラベンダーのスカートと、プラチナブロンドが、ふわりと揺れる。その装いは気品を感じさせるが、


 ぱち、と、頭に電流のような何かが走った。彼女は、誰もが羨むような地位を持ちながら、一般人の装いでここまで来たのだ。


(彼女を一般人として生かすことが目的ならば───)


 全てが、繋がるのではないか。


 アレータという偽の名前を与え、一般人に紛れ込ませる。ヴァーボラ家の冠を捨て、普通の生活を送る彼女を、誰が白蛇の娘だと勘付くだろうか。


(白蛇卿は、何らかの理由で、彼女を一般人として生かしている……)


 一体、何故なのか。それを知るためには、一般人としてのを知らなければならない。


 彼女を────アレータを知らなければ、祝福アクシャに辿り着くことはできないだろう。

 ルディは手帳とペンをジャケットの裏に仕舞うと、大通りへと向かった。


 昼前の暖かな日差しが降り注ぐそこは、多くの人で賑わっていた。目を右に、左に向ければ、人々の服がふわりと舞い、陽の光を受けて煌めく。小気味良い人々の雑踏の中、ルディは口元に笑みを溢した。


 広い大通りをぐるり見渡し、ルディは近くの出店へと近づく。彼に気がついたのか、出店の店主である女性は、「いらっしゃい!」と、人の良さそうな笑みを浮かべた。

 店には、艶々とした色とりどりの果物が、所狭しと並んでいる。中には、海沿いの南ではなかなか見られない、東や西の果物も売られている。 そのうちの一つ───茶褐色の丸い果物を手に取った。まるで岩石のようにも見えるその風貌に,ルディはふっと目を細めた。


「珍しい。柘榴ざくろを置いているんですね。南に来てから、初めて見ましたよ」


 ルディがそう笑いかけると、店主は、


「そうでしょ?この通りどころか、ここ全部で見ても、柘榴を売っているのはウチだけだよ!」


 と、得意げに言って見せた。 

 強い潮風が吹く南では、樹木になる果物はなかなか出回らない。特に柘榴は栽培が難しく、山に恵まれた東か西でしか、普通ならお目にかかれない果物なのだ。


「私は東出身だからね。月に一回か二回、ここじゃあ珍しい、東のものを採ってくるんだよ」


 朗らかに笑う店主に、相槌を打つ。しばらくそんな話をした後、ルディは手にしていた柘榴を店主の方へと手渡した。


「せっかくの機会ですから、一つもらっていきます」


「はいよ。毎度あり!」


 店主は袋に柘榴と────買った記憶のない果物をいくつか詰めて、ルディに手渡した。少し慌てた様子で、他の分の金を払おうとするルディに、店主は「おまけだよ。お金は取らない」と笑った。


 何度か礼を言った後、ルディは店主を見据えて、静かに告げる。


「最後に一つだけ。私は探偵をしておりまして。少しだけ、お話を伺うことはできますか?」


 店主は一瞬、驚いたように目を見開いたが、すぐにこくりと頷いた。また一つ、彼女に礼を言い、ジャケットから一枚の写真を取り出す。写真の中のプラチナブランドが、ふわりと揺れたように見えて。


「この女性をご存知でしょうか?」


 写真をしばらく見つめていた女性は、突然はっとして、「……ああ!」と顔を上げた。 


「アレータちゃんじゃあないか!よくウチで果物を買ってくれる子だよ!」


 その言葉に、ルディは心臓が跳ねるのを感じた。


(やはり、彼女はここで生きている……!白蛇卿から完全に独立しているのか……?)


 手帳とペンを取り出しながら、女性に問う。彼女はどのくらいの頻度でここに来るのか。住んでいる場所を知っているか。

 店主は少し戸惑いながらも、知っていることを話してくれた。彼女の話から得た情報を手帳に書き込んでいるルディに、女性はおずおずと問いかけた。


「探偵さん。もしかして……あの子に何かあったのかい?」


 心配そうな彼女に、そっと笑いかける。


「ご心配なく。詳しくは言えませんが、彼女の身元を調べたいんです」


 身元を調べる、と言ったルディの言葉に、女性は眉を顰める。そして、聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で、呟いた。


「もしかして、あの子また変な男に……?わ全く……も楽じゃあないね」


 お屋敷勤め。彼女のその呟きを、ルディは聞き逃さなかった。


「……お屋敷勤め?彼女は、白蛇の下にいるのですか?」


 その問いに、彼女はしまった、とでも言うように押し黙った。しかし、諦めたようなため息をひとつつくと、「私がこの話をしたことは、黙っといてくれよ」と囁いた。


「……あの子が白蛇様のお屋敷に入ってくところを、何人も見ているんだよ。ほら、あの子品があって、美しいでしょう?だからきっと、お屋敷に勤めてるんだって噂になってるんだよ」


 店主はさらに声を顰め、続ける。


「だからね、白蛇様に少しでも近づきたい貴族の端くれが、あの子に寄ってくるようになってね。あの子も困ってたんだよ」


 店主が話終わると、ルディの手帳の上を滑っていたペンもぴたりと動きを止めた。彼女の話から得た情報は、大きな大きな物だった。


(彼女と白蛇卿は、同じ屋敷にいる……!)


 ルディは店主に丁寧に礼を言うと、その店を後にした。


 そこから何人かに話を聞いたが、彼女のことを知る人は皆、『あの子は白蛇の屋敷で雇われている』と口にした。


 いくら白蛇といえど、娘を自分の目の届かない場所に置くことは不安だったのだろうか。 


 最も安全で、しかし最も危険な自分の懐に娘を留めることを選んだ白蛇の選択は、ルディという捕食者の付け入るたった一つの隙となった。


 ならば、向かうべき場所は、たったひとつだった。


 淡い水色の空の下、それを穿つような純白の屋敷へと歩を進める。真っ白な大理石で彩られた白蛇卿の屋敷は、名の通り巨大な蛇のようで。鱗のように艶やかに煌めく壁面には、蛇の目を彷彿とさせる真紅の宝玉が埋め込まれていた。

 

 赤き双眸を称える屋敷の門の前で、ルディはひたすらに、目的のを待った。


 何日かかっても良い。彼女がここに住んでいるのならば、いつかここへ帰ってくるはずだ。

『張り込み』という、あまりに初歩的な捜査に少し懐かしさを覚え、ルディは軽い高揚感に身を任せていた。


 そして、陽が落ち始めた頃だった。真っ赤に染まる街と、それにも勝る純白との中で、ルディは焦がれていた影を見た。


 緩く巻かれたプラチナブロンドが、影の歩に合わせてふわりと揺れる。屋敷の方へと向かってくる影は、探偵の気配に気がついたのか、ゆっくりとこちらに目を向ける。夕陽を吸い込み、琥珀色に見える瞳が、しっかりと。


 彼の夜を、捉えた。


 揺れる。あの時見た、柔らかな紅茶色が揺らいだかと思うと、そのままふっと、微笑んだ。


 全てを受け入れたような、諦めたかのような笑みを浮かべ、その影はルディと、対峙した。


「お久しぶりですね。アレータ・シュベスター様。いいや、アクシャ・ヴァーボラ様」


 探偵の言葉に、影────アクシャは瞳を大きく見開いた。驚きと、安堵とを宿した瞳は、硝子が砕けるかのように綻いで。


「……やはり、貴方は気がついてくれましたね」


 彼女はそう、呟いた。二人の間には、凪のような静けさと、稲妻のような激情が渦巻いている。


「もう一度、貴方の言葉を聞かせていただけますか。祝福の名を授かった、貴方の本当の言葉を」


 赤く染まる視界の中でも、夜の瞳は何故か、ひどく眩しく見えて。


「……今度こそお話ししましょう。私の知る、全ての事を」


 アクシャはもう一度、ルディの瞳をしっかりと見据えた。『白蛇の娘』と言うのに相応しい、恐ろしくも美しい威厳を纏った彼女は、ゆっくりと、言葉を紡いだ。


「ロベリアは────」


 彼女の、祝福の隠していた真実が、告げられる。



 その言葉に、ルディは言葉を失った。

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