狂い
丁寧な文字で書かれた書類を、ルディは凝視していた。
依頼を受けるための必要書類であるそれには、依頼主の情報が多く書かれている。
事件の鍵を握るであろう彼女の書類は、一見しっかりと埋められた完璧なものに見える。
しかし、ルディにはそれが作り上げられた完璧に見え、胸に詰まるような違和感が消えなかった。
(……ここで考えているだけでは埒があかないか)
ルディは壁にかけられたコートを羽織ると、事務所の扉を潜った。
建物の隙間から漏れる陽の光が降り注ぎ、ルディは眩しさに思わず目を細めた。
何度か目を瞬かせると、ルディは依頼人の情報を探るべく歩き始める。
資料に書かれていた住所。それは大通りの少し先、
平等を掲げるヴィエトルでは、住人たちの間にある貧富の差の意識は低い。
そのため、身分を隠した貴族や、受け入れを拒まれた貧困層の人々など、多くの者が集まる。
事務所を訪れたアレータの佇まいは、一般階層の物とは思えない───最早貴族のような上品さを纏っていた。
しかし、彼女の住んでいるとされる住宅街は、海風を受けてしまったり、水害に巻き込めれる危険性が高いことから貧困層向けの場所となっている。
(……何かを握る貴族の隠れ家か、はたまた全て偽りか……)
ルディは不安げに目を細めると、目的の場所へと歩を進めた。
大通りでは華やかな服に身を包んだ人々が、思い思いの時間を過ごしている。
多くの人種を受け入れるヴィエトルならではの、色とりどりの髪が陽を受けて宝石のように光っている。
それは街を包む海のようで、ここで凄惨な殺人が起きているとは考えもつかなかった。
通りを進んでいくと、少しづつ目を奪われる華やかさは無くなっていく。 色に溢れた世界が
美しい街並みは瓦礫を積上げたかのようなそれに変わり、細かい塵を巻き上げた風が顔に吹き付ける。
七色に輝く海とは対照的な瓦礫の街へ、彼は足を踏み入れた。
往所の書かれた紙と建物を交互に見つめながら、ルディは目あての場所を探していく。
街並みの端から端まで見て回った周りで、ルディは大きくため息をついた。
(まずいな……)
「
明確な往所が定められていないここで、たった1人の人を探しあてるのは至難の業だ。
困り果てた彼の目に、あるものが写った。
紙袋を脇に抱え、小さな男の子の手を引く女性の姿。
そう、ここに住む住人だった。
ルディは女性に歩み寄ると、そっと肩を叩いた。
「突然の無礼をお許しください。少しお尋ねしたいことがあるのですが……」
女性は不審そうな目でルディを見た。 それもそのはず。彼の佇まいは正装そのもので、傍から見れば貴族のそれだ。 警戒されるのも仕方ないだろうと、ルディは苦笑した。
「ご心配なく。街の探偵です。調べている事件について、少しお話を伺いたく思いましてね」
穏やかな声でそう語るルディを見、女性の強ばりが少しほぐれた。
「……あの、失礼ですが私は貴方が期待するような情報は持っていないと思いますよ……?」
女性は心配そうに呟いた。
ルディはにこりと微笑むと、ポケットから1枚の写真を取り出した。
プラチナブロンドの髪の毛に、白い肌。そこにはめ込まれた大きな紅茶色の瞳。
依頼人、アレータの写真を手に、彼はこう問うた。
「ここでこの女性を見かけましたか?」
女性は写真をじっと見つめると、困ったように眉をひそめ首を横に振った。
ルディは彼女に礼を言うと、その手に1枚の金貨を握らせた。
「ご協力感謝します。それは心ばかりの謝礼です。どうか受け取ってください」
戸惑う女性を窘め、ルディはその場を後にした。
(……こうして情報と信頼を得るしかない、か)
正直なところ、このやり方で有力な情報が得られるとは思えない。しかし、何か一欠片でも。
ルディはコートのポケットに手を入れると、新たな情報を求め歩き出す。
そこから何人もの人に声をかけ続けたルディだったが、求めているような情報を得ることは出来なかった。
赤みを帯び始めた空に、ため息を1つこぼす。やはり、と言っては何だが、住人の仲に彼女を知る人はいなかった。
(……やはり、彼を頼るしかないか)
苦虫を噛み潰したような顔で、ルディはもう一度、息を吐く。
強大な権力で隠された人物を探し当てる。そういうことに秀ている人物を、彼は知っていた。
明るい大通りの影に隠れる、深淵への入口。そこを守る主人は、ルディとは対極の、灰の瞳を持つ男だ。この街に来て間もない頃、深淵に迷い込んだ若い探偵に、男は多くの情報を売った。
この街で探偵をするために必要なこと、新月の習慣や言い伝え。そして、国家組織も知らないようなことを一握り。
右も左もわからぬ探偵に、そんな情報を与えたのは、男の気まぐれというやつだろう。 表情の読めない灰の瞳で、男は確かに、人の内を見透かすのだ。
背中が粟立つような、そんな視線がどうも落ち着かなくて。
(出来るものなら、もう会いたくはないが……。彼の力無しでは、この事件は終わらない)
重い足取りで、瓦礫の街を後にする。彼が大通りにたどり着いた頃には、空は真紅に染まっていた。
人が少なくなりはじめた通りの路地へ、体を滑り込ませる。急激に色を失った視界の中、ルディはゆっくりと歩を進めていく。
普通に見れば、道とは思えぬような道を、ひたすらに辿る。決して、人の目に触れないように。表の人間が、深淵に入ることがないように。入り口は、巧みに隠されているのだ。
どのくらい、路地を辿っただろうか。ルディは、ある場所で足を止めた。
一見すれば、なんの変哲もない石の壁。
壁に手を置くと、ルディはゆっくりと、そこをノックした。
─────3回。しばらく間を置いて、3回。
重い反響音が闇に溶け切った頃。 沈黙を破るように、壁が小さく軋んだ。隠された扉が、開いていく。
扉の向こうに広がるのは、蝋燭の火が揺れる淡い光と、天井の近くまである、巨大な本棚。 影に生きる、情報屋の全貌が、彼の前に姿を現した。
「……おや、珍しい客が来きた。久しいな、夜の探偵」
扉を潜り、店へと足を踏み入れたルディを、灰の瞳が貫く。中性的な少し低い声と共に、全身に纏った黒いローブから、白銀の髪が覗く。一つに編まれた長い髪は、顔の右からさらりと流れている。耳元で揺れる孔雀の羽飾りが、男の笑みと共に揺れた。
「……本当に、こんな所に来るのは久しぶりだ」
皮肉ったルディの言葉に、男はくつくつと笑った。影を纏っているかのように、ローブが歩く男の後を追う。ルディの前までやってきたと思うと、男はじっと、灰の瞳でこちらを見つめた。
「わざわざこんな所に来るなんて……。御用は何かな?」
男の口の端から、鋭い八重歯が覗く。獲物を狙う獣のようなその顔に、一瞬怯む。 それを表情に出さぬよう、ルディは小さく笑って見せた。
「……依頼人の身元についての情報を買いに来た。この女性に見覚えは?」
ポケットからアレータの写真を取りだし、男に渡す。写真に写る彼女を、その目で捉えた瞬間に、男は口元を歪め、笑った。
堪えられないと言うように、声を上げて。目の縁に涙が浮かぶほどに笑って、男はルディを見た。
瞬間、背中が粟立つ。見たことの無いほど、男の目には狂気が宿っていた。
「……やはりお前は俺の期待を裏切らない!この事件に手を出すなんてな……!」
「彼女の情報を、何処まで握っている?」
食い入るように、ルディは言った。その様子を見、男はアレータの写真をひらひらと遊ばせた。生気のない、真っ白で細い手が、ルディの方へと伸びる。
そのまま、彼の目の前に手のひらを向けると、「……この情報は高いぞ」と、満足そうに言った。
ルディは、その手の上に迷うことなく拳を乗せる。商談などで、相手の条件を全て飲む、という合図。
「交渉成立だ。……まず、お前の予想を聞こう。この女の事を、どれだけ掴んだ?」
ルディは一つため息をつくと、悪戯っぽく笑う男を睨んだ。
「……彼女の住所、身分、そしておそらく……名前も。全てが偽物と言うこと。そして、彼女が
ルディの言葉を聞いて、男は満足気に笑った。
「合格だ。お前の予想通り、この女は全ての情報を偽っている。……この女の真実を、俺はお前に売ろう」
男は本棚に近寄ると、いくつかの資料を手早く取り出した。 資料にざっと目を通し、ルディの方へと差し出す。
ルディが資料を受け取ろうとした瞬間に、「ひとつ、忠告するが」と、男は呟いた。
「……この情報は、お前が思う以上のものだ。これを知れば、後には引けないぞ。それでも、彼女の情報を買うかい?ルディ・エルドラド」
灰の瞳が細められ、ルディをじっと見つめる。迷うことなく、ルディは男から資料を受け取った。
「……覚悟は、もうとっくにできているよ」
「お前ならそう言うと思った」と、男は笑い、資料を彼に手渡した。
夜の瞳が、情報の海を滑っていく。
そこに書かれた彼女の真実に、ルディは戦慄した。
「……まさか。彼女は……!」
ルディの手が、小さく震える。 妖しげな笑みを浮かべた男の口元で、ぎらりと八重歯が光った。
「そのまさかだ。お前の依頼人─── アレータ・シュベスターの正体は─── 」
孔雀の羽飾りが、真実を讃えるように揺れる。
「南を統べる四大貴族の1人。
ルディの息を飲む声が、小さく響いた。
「……白蛇卿に、娘がいるなど聞いたこともないが」
「当たり前だ。当主様は、娘の存在を必死で隠しているからな」
男はルディをしっかりと見据え、不敵な笑みを浮かべてみせた。
「さぁ、探偵。ここから先は、お前が真実を見つけるんだ。……あの時の夜の迷い子は、もう夜明けを見る力があるだろう?」
「ああ。貴方の期待に応えてみせる」
夜明けの探偵は、男の言葉にふっと笑みをこぼす。
その瞳は、隠された真実を捕らえるため、黄金の輝きを静かに宿した。
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