飼い慣らす者

 耳に反芻する銃声と共に、人影が揺らいだ。 どさりと重い音を立てて、は地面に倒れ込む。地面に広がる赤い血が、目の奥に焼き付いていく。


 ルディはカルミアの目をふさいでやると、銃を持ち震える人物と向きあった。


「… 君が…やったのか…」


 アイザックは顔をくしゃりとゆがめ、その瞳を揺らす。

 威厳に溢れていた瞳が、今では酷く頼りない幼子のそれに見えた。


 撃ったのだ。彼は探偵を救うため、人に銃口をむけた。それは、生半可な覚悟でできる事ではない。

 反動が残る掌を静かに見つめ、アイザックは強く目を瞑った。


 小さく震えるアイザックの肩に、ルディはそっと手をおく。そして、今まさに飛びかかろうとしている往人たちと向きあった。


「ここに入った事は謝る。それに……彼のことも。だが……彼は調査員だ。君たちが行っている取引の数々。それが明るみになったら…。言いたい事はわかるね…?」


 淡々と、しかし威圧感のある声に、アイザックは並々ならぬ恐怖を感じた。

 この探偵は、自分の命を賭け金に真実を求めているのだ。


 1歩間違えれば命を落とす。そんな今の状況でも、彼は余裕そうに笑う。


「私たちを見逃してくれたら、ここの事も黙っておこう。もし私たちが情報を漏らしたら、殺しにきてくれて構わない。君たちにはそのくらい容易いだろう?」


 ルディがそう言うと、往人たちは大きく舌打ちをし、深淵の奥へと消えていく。 静けさに飲まれたそこで、2人は互いを見つめ微笑んだ。


「さぁ、帰ろう。依頼は完了だ」


 ルディはカルミアを抱きなおすと、光の方へと歩いていく。

 その影を追うように、アイザックは歩き出す。


 深淵の向こう。目の前に広がった蒼空は、恐ろしいほどに美しい────。



 *+†+*──*+†+*──*+†+*──*+†+*──*+†+*



「今日はすまなかったね。君には…嫌な役をやらせた」


 カルミアを依頼人に引き渡した後、ルディは隣を歩くアイザックに言った。

 あの後、彼は不意に目をふせる瞬間がある。

 人を撃つ。それは普通に生きていれば、絶対に味わうことのない感覚だ。調査員とは言え、その実態は何も知らぬ一般人と同じなのだ。


 アイザックは強く拳を握り締め、叫ぶように言った。


「お前は何故ッ!そんなにも命をなげうつ!一歩間違えれば、お前は死んでいた…!」


 こちらを強く睨みつけるその瞳を、ルディは静かに見つめた。


「私は…真実を追い求めて散れるのなら本望さ」


 そうつぶやいたルディの頰に、焼けるような痛みが走った。痺れる頬に触れて、ルディは彼に打たれたことを悟った。


「ふざけるな!お前が死ねば、依頼人はどうなる?依頼人たちはお前がいなければ、一生真実を知ることができないのだぞ!」


 その言葉に、ルディははっと息を飲んだ。アイザックに言われるまで、彼はを忘れていた。


「ルディ・エルドラド。お前はだ」


 ルディの瞳が、揺れた。探偵───それは信実を追い求める者。

 そして同時に、真実を告げる者。


 まぶしすぎるものを求める者には、それ以外のものは見えない。

 自分以外にも、そのまぶしさを求めている者がいることに、気がつかないのだ。


 盲目な探偵は、今初めてを見た。

 飲み込まれそうな蒼が、視界を埋め尽くしていく。


(嗚呼、世界はこんなにも美しいのか…)


 求めていた光が霞むほど、彼の見た世界は鮮やかで、美しかった。

 そして、翡翠の瞳を見つめながら彼は言った。


「……君はこんなにも美しいものを見ていたんだね」


 彼の瞳から溢れた雫が頬をつたい、地面に落ちた。

 跳ねたそれは青空を反射し、青玉サファイアのように煌めく。


 アイザックは呆れたように笑うと、彼の肩に手を置いた。


「今の今までそれに気が付かなかったのか?…本当に馬鹿だな」


 蒼空を映す夜の瞳は、まるで夜明けのようで───。


「夜明けの探偵……」


 そのつぶやきは、誰の耳にも届くことなく溶けていった。

 孤独な探偵と、翡翠の光を湛える青年は空を見上げた。


 2人の間を抜ける風が、アイザックの外套を舞い上げた。

 光を受け、銀にも見えるそれを纏った彼は、空に言葉を放った。


「ルディ。この街で探偵をしないか」


 ルディは一瞬驚いたような顔をし、すぐに笑った。


「君も大概馬鹿だね。私はもともと探偵さ」


「いや。お前は今世界を知った。今、お前は真に探偵になったんだ。

 それに……また道を外したら俺が正してやる。だから───」


 彼の言葉を、一際強い風が攫っていった。

 風に巻き上げられた黄色の花弁が、蒼空で舞う。


 それは陽の光をあびて、黄金のように輝いていた。



 *+†+*──*+†+*──*+†+*──*+†+*──*+†+*



 ルディの指先に、1枚の花弁が触れた。

 柔らかい黄色のそれは、するりと指の隙間を抜けていく。


「探偵になれ……か」


 彼は小さく徴笑むと、大通りからはずれた路地へと入っていく。

 よく見慣れたそこに、1人の男が立っていた。 外套を纏う男はルディをその目に捉えると、軽く手招きをした。


 褐色の肌と、そこに良く映える翡翠の瞳。


 そして、調査員総隊長。その地位を示す白い外套に金のバッチを光らせる男は、ルディの肩に手を回すと彼の頭をくしゃくしゃと撫でた。


「久しぶりだなルディ!元気にしてたか?」


 ルディは彼を軽く嗜めながら言った。


「変わらずやってるよ。ザック、君も元気そうで何よりだ」


 かつて蒼室を見た路地で、2人は集まった。

 真実を求め、狂気を宿す探偵と、その狂気を飼い慣らす調査員。


 2人はまた、新しい空を瞳に映す。

 その先で待つ殺人鬼ロベリアの真実を求め、新たな一歩を踏み出した。






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