狩り
纏わりつくような重い空気の中を、ルディは進んでいた。
この街の深淵と呼ぶにふさわしい、禍々しい空気が渦巻いている。それ以上に、刺すような山闇市の住人たちの視線が、彼の精神を少しずつ蝕んでいった。
ルディの姿は、この場には明らかに不釣り合いな装いだ。警戒を強められても仕方がない。そんな視線に気づかないふりをしながら、彼はひたすらに、目当ての店を探していた。
義足の店主が営む、子供の店。依頼人の家に、はっきりと義足の跡が残っていたことから、店主は大柄な男だろうという予想もできていた。
心臓が、早鐘のように打っている。闇市の、禍々しい空気はもちろんのこと、何よりも彼の不安を煽るのは、カルミアの安否だった。
彼が、誰にも買われていないことを願って、ルディは慌ただしく瞳を動かした。
しばらく闇市の奥へと進み続けた頃。隅に隠れるような店の前で、ルディは足を止めた。取引をするであろう長机の上には、子供用だと思われる、小さな枷が散らばっていて。
その店の放つ異様な雰囲気に、思わず戸惑いの色を見せる。その気配に気がついたのか、店の奥から巨大な影が現れた。
見上げるほどの体格の男が、ぎろりとルディを睨みつけた。彼の左足では、鉄製の義足が黒い光を放っている。
この男だ。ルディの体に、一気に緊張が走った。店主は、疑念の視線をルディに向けている。そんな店主の警戒を解くため、ルディは無抵抗であることを示すよう、両の手をひらひらと振った。
その動作に、店主は彼が客であることを悟ったのか、僅かながらに警戒を解いた。
ここから始まるのは、国の目を逃れた者たちの無法の取引だ。ルディは緊張を隠すように笑みを浮かべると、店主に言った。
「子供を買いたい。最近、新しい男児を仕入れたと聞いたけど、本当かな?」
ルディの言葉に、店主は眉を顰めた。
「……お前、新顔だろ?どこでその情報を知った?俺は得意先にしか、仕入れのことは流して無い」
汗ばむ掌を、ぎゅっと握りしめる。こちちの正体は悟らせずに、どうにか商品を手に入れなければ。
思わず、小さなため息が一つ漏れる。焦りや不安、恐怖を全て飲み込んで、ルディはしっかりと、店主の瞳を目つめた。
「おや、
店主は大きく舌打ちをすると、再び彼に疑いの目を向ける。その様子を見、ルディはポケットから袋を取り出すと、その中からいくつかの金貨を手に取り、店主の前へと置いた。
「金なら出す。これ以上、こちらを詮索せずに商品を見せてくれるなら、それは貴方の物だ」
長机に置かれた金貨を、そっと指し示す。金貨五枚。子供を1人買っても、余りあるほどの大金だった。
店主は下衆な笑いを浮かべ、その金を懐へとしまった。そして、「取引成立だ」と告げ、店の奥へと戻っていった。
しばらくして、ルディの耳に入ったのは、鎖を引き摺るような音と、泣きじゃくる子供の悲鳴だった。
「嫌だ……!!誰か!助けて────」
「餓鬼が!大人しくしやがれ!」
悲痛な叫びを遮るように、店主の怒声が響く。再びルディの前に現れた店主の右手には、頑丈そえな鎖がしっかりと握られていた。
「ほら。お目当ての餓鬼だ」
店主は手にした鎖を金具にしっかりと固定すると、子供を乱暴に放った。小さな呻き声をあげ、鎖に繋がれた少年は長机の上を転がった。
その少年の姿に、思わず息を飲む。
布切れのような服を着せられた少年の身体には、無数の傷が散っていた。腕や足、そして首にまで残る、赤黒い枷の跡があまりにも痛々しく、ルディはそっと、少年の方へと歩み寄った。
少年はがたがたと震え、怯えた視線を彼に向けている。よほどたくさん泣いたのか、少年の目は真っ赤に腫れていた。
硝子玉のようなその目は、依頼人のそれと良く似ていて。この少年の容姿は、彼の探していた“カルミア”と完全に一致していた。
そっと、少年の頭を撫でる。そして、こちらの動向を探るように見つめる店主に、ルディは静かに告げた。
「少し、この子と二人にしてくれないか?」
店主は少し不審そうな目でこちらを見たが、金を渡したことで上機嫌になったのか、素直に頷いた。ルディの方を見て、「そいつを買うかどうか決めたら、声をかけてくれ」とだけ言い、また奥へと消えていった。
店主が完然にいなくなったのを確かめてから、ルディは少年と目線をあわせるようにしゃがみ込んだ。小さな悲鳴を漏らし、少年は後退る。その、あまりに痛々しい少年の表情に顔を歪めながら、ルディは何度も彼の頭を撫でてやった。
怯えていた少年の顔が、少しずっ和らいでいく。彼が、こちらを伺うような表情を見せた時、ルディはそっと、少年に尋ねた。
「カルミア…。君の名前で合っているかい?」
「……僕のこと、知ってるの?」
少年────カルミアは、ルディの問いに目を大きく見開いた。その瞳は、わずかな希望を見出し、美しく咲いた花のようで。
「私は、君のお母さんに頼まれて、ここまで探しに来たんだよ。一緒に帰ろう。みんな、君のことを待っている」
目に涙をいっぱいに溜めながら、カルミアは何度も頷いた。その様子に、ルディは顔を綻ばせ、もう一度カルミアの頭を撫でると、店主を呼んだ。
カルミアを買う意思を告げると、店主はニヤリと口元を歪め、長机の下からいくつかの道具を取り出した。
枷を外す器具と、新たな服と、何故か鋭い短刀と。
一体、何に使うのだろうか。そんなことを考えているうちに、店主は慣れた手つきで枷を外し、カルミアの服を着替えさせてしまった。
真っ白な麻糸で織られたその服には、すっぽりと頭を覆うフードが付けられていて。上質な、しかし一目で“奴隷”とわかるその装いに、ルディは悔しげに唇を噛んだ。
カルミアの見目を軽く整えると、店主はルディに、短刀を差し出した。まるで、使えと言っているような態度に、ルディは首を傾げると、店主の方を見て言った。
「……これは?」
その問いを聞き、店主は鼻で笑った。ルディを馬鹿にするような視線を向け、言う。
「お前、ここで子供を買うのは初めてだな?」
器用に短刀をくるくると回しながら、店主は続ける。
「決まりなんだよ。子供の用途に応じて、指を切り落とす。闇市のことを知った餓鬼が、表に戻れないようにするためのな」
その言葉に、背筋が凍った。闇市の住人は、そこまでしてこの場所を守っているのか、と。
ちらりと、カルミアを見る。彼は自分の指を握り締め、こちらを不安そうに見つめていた。
(この子に、傷をつける訳にはいかない)
ルディは店主の方へ向き直ると、困ったように言った。
「……私は、この子を傷ものにはしたくないんだ。金なら、少し多めに払う。それで勘弁してくれないかな?」
と、店主が堰を切ったように笑いはじめた。聞き心地の悪い声を上げながら、店主はドン、と机を叩く。
「冗談も大概にしろよ?お前の求めているような愛玩用の餓鬼なら、孤児でも引き取ればいくらでも手に入る。わざわざここに来たなら、ここに従いな。ほら」
店主は短刀を投げつけると、カルミアの手を長机に押さえつけた。「愛玩なら、小指だ」と笑いながら、泣き喚くカルミアを捩じ伏せている。
ルディは暴れる心臓を押さえ、短刀を握った。その瞳は、何かを決意したのか、覚悟を湛えている。
ゆっくりと、カルミアに近づくと、ルディは震える手で、しっかりと短刀を握り直した。
「やめて……!やだ……!」
ルディは硬く目を瞑ると、短刀を構えた。そして────。
短刀は勢いよく、店主の目元を裂いた。
呻き声をあげながら、店主は崩れ落ちる。ルディはカルミアを抱き上げると、出口は向かい、駆け出した。
がむしゃらに走り続けていると、後ろから微かに、金属の軋む音がした。そして、すぐに。
「鼠だ!捕まえろ!!」
あの店主の大声が、闇市を震わせた。目元から血を流したまま、店主はよろよろと、しかしはっきりとルディの方を指さしたのだ。住処を荒らす鼠の侵入を告げる、彼らの呼び声だった。
(まずい…。狩りが始まる…!)
ルディは歯をくいしばり、走る。
その声により目ざめた住人たちが、自分に殺意を向けているのがわかった。
そのうち彼らは武器を持ち、一斉にルディを殺しにかかるだろう。
残された時間は、後僅かだった。
腕の中で震えるカルミアを見て、ルディはその顔を焦りで歪める。肌を刺すような殺意が次第に増え、彼らを包囲しようとしていることを、彼は感じていた。
(せめて……彼だけでも……!)
カルミアをしっかりと抱き、ひたすらに走る。
背後には、もうたくさんの住人が迫ってきているだろう。武器を振りかぶる音を背に、ルディは走る足に力をこめた。
遂に、闇市の終わりを告げる外の光が、路地の出口から差し込んだ。力を振り絞り、出口の光へと飛び込んでいく。
(もう少しで─────)
そんな彼の眼前に現れたのは、こちらを見つめる銀色の銃口。
息を、飲む。そんな暇も無かったかもしれない。
深淵にひとつ、銃声が響いたと同時に、ルディの視界は黒く暗転した。
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