調査

 小さなベルの音が、アレータを見送る。

 夏の終わりを告げる冷たい風が、彼女の髪をふわりと舞い上げた。


 賑やかさの残る昼下がりの街並みを、彼女はその瞳に映していく。あの日───あの満月の日と同じ景色に、身体が強張る。それ程までに、あの夜の記憶が、彼女の脳裏に焼きついてしまっていた。


眩しいほどの満月と、むせ返るような血の匂いと。咲き誇る赤と、影を纏う長髪と。


そして、不気味なほどに赤い少女の瞳が、鮮明に蘇る。


しかし、それと同じくらい、彼女の目にはあの探偵の狂気が焼き付いていた。あの探偵は、どんな手段を使ってでもロベリアの真実を突き止めるだろう。あの瞳の奥では、飢えた獣の光が渦巻いていた。


あの探偵は、内に秘めた牙で、真実につながる全てのものを喰らうだろう。


それはいずれ、依頼人であるアレータ自身にも。


ロベリアか、はたまたあの探偵か。どちらとも言えぬ視線を感じた気がして、アレータは自分の首に手をやった。


冷えた指先に、脈動が伝わってくる。アレータは指先をぎゅっと握りしめ、ゆっくりと、息を吐いた。


まるで、彼女の内側から、何かを吐き出すように。


固く閉じられた紅茶色は、次第に、あの夜へと落ちていく。血の華と、転がる屍と。


彼女の目をしっかりと捉える、紅電気石ルベライトの瞳と。


そう、ロベリアは確かに、目撃者であるアレータに気づいていた。あの時、ロベリアの瞳は、はっきりと彼女の紅茶色を写していた。


髪が、ふわり舞う。返り血を浴びた白い頬が、ゆっくりと動いて。


殺人鬼は、ぞくりとするほど冷たい顔で、笑った。


そして、静かに。歌を口遊むくちずさむような調子で、少女は言った。


「ねえ。貴方は───」


鈴を転がすような、小鳥の囀りのような、軽やかな声。その声が脳裏に蘇り、アレータは小さな悲鳴を飲み込んだ。


(私は、あの声を……)


目を、静かに開ける。眩しい陽の光が、彼女の瞳を覗き込むように照りつけた。


(あの声を、知っている)


嗚呼、夜の闇に溶ける少女の声はあまりにも、あまりにも懐かしい。



 *+†+*──*+†+*──*+†+*──*+†+*──*+†+*


 


 

 陽が傾き始め、夕陽が店を薄赤く染める。

 ルディの手元を照らすランタンが影を落とし、炎に合わせて静かに揺らいだ。


 彼は顔をあげ、窓の外に視線を向けた。夕陽を照らし、真っ赤に染まった宝石の海ユウェールが、夜の瞳を赤く染める。


その美しい景色に、ルディは気圧されていた。もう何度も、この街の夕暮れを見て来たのに、その都度人を圧倒する何かが、そこにあった。


黄昏時、ここヴィエトルは赤に染まる。空と海の境がなくなるほど、赤く染まった街に、建物の影だけが黒く浮かび上がっていて。


空にも海にも見える赤の中を、鴉の群れが黒光する翼をはためかせていた。長く尾を引く鳴き声と共に、徐々に帷が下りていく。


彼は再び視線を落とすと、手元の手帳の文字を見つめた。淡く青みがかったインクで紡がれた文字が、ページを埋め尽くしている。その様は、まるで彼の足跡のようだ。それを辿るように、視線が文字を追っていく。


彼の知りうる情報全てが記されたその手帳は、真実にたどり着くための地図なのだ。暗い暗い闇の中、彼は情報という灯りをともしながら、真実へと辿り着くための。


しかし、この事件の道のりは、霧の中を進むような厳しいものになるだろう。


ルディは目を細めると、小さく息を吐いた。


今回の依頼は、犯人の確保ではなく動機の調査だ。犯人を特定するだけではなく、その内に隠された感情までも、明らかにしなければならない。


しかし、今ある情報は全て、ロベリアの正体を暴く為のものばかり。彼にとって、ロベリアの正体を暴くことは、道標のひとつに過ぎない。


(正体を知って初めて────)


彼は、スタートラインに立つのだ。身体を駆け抜ける、僅かな不安と、高揚感。それに身を任せながら、ルディは小さく、息を吐いた。


真実に飢えた夜の瞳が、きらり瞬く。ルディは手帳のページを捲ると、真っ白なそこに文字を書き殴った。


彼の求める真実にたどり着くための道筋が、そこに浮かび上がっていく。


『・彼女の正体は?

 ・標的ターゲットの選び方は?

 ・何故───』


書かれた最後の問いは、ペン先からこぼれ落ちたインクで隠されてしまった。インクは文字だけではなく空までも飲み込んでしまったようで、あたりはすっかり暗くなっていた。


ここに書かれた問いを全て明らかにしたとき、彼の前に現れる真実は、一体どんなものなのだろうか。ルディは静かな笑みを湛えると、広がる夜へ目をやった。


空には、欠け始めた月が輝いている。夜の訪れを待ち望んでいたのか、狼の遠吠えが、街に響いた。


捕食者は、本能で狩りをする。生きるため、自らを守るため、他の命を奪うのだ。しかし、彼女ロベリアは。


生きるためではなく、自らののため、人を殺めるのではないか。何人もの人を手にかけ、その血で華を描くなど、正気の沙汰では無い。


(ロベリア……。君は……)


この月光の下で、犯人は獣の如く、虎視眈々と爪を研いでいるのだろうか。次の獲物で、新たな華を咲かせるために。


「君は何故、人を殺す?」


彼の最後の問いは、闇に溶けていくようで。その呟きが、完全に空に溶けた頃、夜空でひとつ、星が瞬く。

 

淡い赤を纏った瞳は、彼を手招きするように光った。それはまるで、自分を追う者を挑発するような、そんな。


ルディは空から視線を外し、手帳のページへと落とした。


嗚呼、夜明けは─────この事件という夜が明けるのは、まだ遠い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る