第六章

 この日を待ち侘びていた。壁の向こうで光と音が弾ける。ただでさえ人通りの少ないこの道はさらにいつもより人気がなかった。

 おまけに空から降る爆音が多少の声や物音をかき消してくれる。ここで必ず決めてやる。

 一本入った路地を買い物袋を持って歩いてくるのが見えた。

 そろりと物陰から忍び出す。

 できるだけ足音を殺し、後ろから近づいてく。

 徐々に距離を詰めるに従って気分が急く。気がつけば僕は走り出していた。

 手袋の向こう側のナイフの柄をきつく握りしめて掲げる。

 あと十メートル。五メートル。三メートル。

 いよいよ男の背中にナイフを突き立てるその瞬間、右腕はがくんと下に落ちた。

 ほんの少し背中に届かず、ナイフは空を切る。

 勢いのまま腕を振られ、前転をするように投げとばされる。

 腰を地面に打ちつけ、痛みを感じた途端に腕を左へ引かれる。うつ伏せのまま肩を地面にを押し付けられてナイフを取り上げられる感覚があった。何が起こったのかさっぱりわからないまま、離れた位置に金属が落ちる音がする。

 頭上では何者かが「逃げろ!」と叫んでいるのが聞こえた。

 一体誰だ?もがいてももがいても地面に押し付けられて顔を動かすこともできない。見えるのは河岸の壁ばかりだ。

 ああ、まただ……また逃げられてしまった……



 栗谷に追いついた僕はその光景にあっけに取られた。栗谷が何者かを地面に組み伏せているのだ。

 僕に気づいた栗谷が大声で呼ぶ。

「山岡くーん!早く!ベルトでも何でもいいからこいつの足を縛ってくれー!」

 状況を掴めないままだったが、二人のそばに投げられたナイフがただ事ではないと物語っていた。

 とにかく足を縛る。男はすでに暴れたりすることはなかった。

 それを見て栗谷が腕を解放する。組み伏せられていた男はゴロンと仰向けになった。

 ぜいぜいと息をしながら、絶え絶えの声で質問をぶつける。

「急に走り出したのはこれが理由かい……?一体彼は誰なんだい……?」

 さほど息を切らせることもなく栗谷は腰元に手を当て、

「何というべきかな、この人が僕らの依頼人と言うべきなのか……僕らは依頼をすでに達成していたというべきなのか……」

 訳のわからない事をぶつぶつと呟いている。

 そしてピンときた様子で、

「そう、つまりね山岡くん。今ここに居る彼こそがあの手記の筆者である、僕らが本来雪村さんと呼ぶべき相手なのさ」

 と断言した。

 理解が追いつかず、数秒ぼんやりとした後僕は驚きの声を上げる。

 僕の声も、足元の彼の嗚咽も花火の音が覆い隠していた。

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