第二章

 コーヒーを飲みながら僕は手帳のコピーを読んだ。まだ顔も知らない男への怒りがふつふつと沸いてくるのを感じた。それから僕らは改めて依頼について話した。

「さて、山岡くん。どう思う?何か名案でも思いつくかい?」

 僕はソファにゆったりと腰掛けコーヒーを一口啜った。

「うーん、正直言ってまだ何も。とにかく病院に行ってみて状況を聞いてみるとかかな……」

 ううん、と唸って栗谷は俯く。

「僕もそう考えたんだけどあまり期待はできないだろう。かなり無茶な方法で隠蔽しようとしてるみたいだから、僕らみたいな不審な男たちに口を割るとは思えないね」

 それには僕も同意だった。警察が証拠を揃えて押しかけでもしない限りシラを切られるばかりだろう。

 しかし今回の依頼はどうにか達成してあげたいという思いが僕には強くあった。あの青年の愛する人を奪った男に天誅を下してやりたいという正義感が胸の中に燃え上がっていた。

 それに気付いた栗谷が僕を茶化す。

「ん?山岡くん?まさか君、正義のヒーローになるつもりでいるのかい?」

 僕は少しムッとして

「そんな言い方しなくていいだろ。あれを君は読んだんじゃないのか?」

 と言い返す。熱がこもってしまって少し恥ずかしかった。

「読んだよ。僕だってあれは非人道的なことだと思うが君は特に入れ込みすぎるところがあるからねえ」

 ニヤニヤとして栗谷が返す。頭の後ろで手を組み、ソファの背もたれに深くもたれて僕を見つめている。

 大学の頃からの友人である彼は頭の切れる男ではあるものの、どこか掴みどころがないというか変わっている男でもある。

 今も何を考えているのかよくわからないが、助手としては彼と行動を共にする他ないのであった。

「とにかく、今回の依頼はしっかりこなそう。僕たちのところに舞い込んできたのも何かの縁だ」

 僕の弁が熱を帯びるほど、栗谷は退屈そうになっていった。欠伸をひとつすると、甘ったるくなったコーヒーの残りを飲み干した。

「とりあえず一度昼寝でもしよう。それから今日の夜にでも依頼人のアパート周辺から調べてみよう。頭を使う前にまずは足だ」


 夕方というよりもう日が沈み宵の口の時間帯で空は紫色に染まっていた。事務所のあるビルを出ると建物の窓から電気の光がいくつも溢れていた。

「ここからそう離れていないようだよ。歩いて十五分ってところかなあ」

 栗谷が地図も見ずに歩き始めるのを僕は少々頼りなく思いつつ、彼が出かける時はいつもこうなので諦めてもいた。それに大抵の場合問題なく目的地に辿り着くのだから良いだろう。

 夏が過ぎてこの時間の街はもう涼しかった。道中、秋祭りの板看板が電柱に括り付けられているのをいくつか見かけた。

「秋祭りかあ、もう来週だってさ。あの川の向こうの花火は毎年すごい混雑になるよな」

 この街は近くを流れる大きな川で二つに分かれている。川の左岸が僕らの事務所のあるエリアで、右岸が祭のメイン会場が設営される側だ。

 壁のようになった左岸と違い、右岸の土手は歩道として整備されているため、花火の閲覧席なども設置されるのだ。

「僕としては川のこちら側からすっかり人がいなくなってありがたいね。閲覧席が向こうの土手にずらっと並んで大変そうだなあと思うよ」

 冷めた男である。そんな話をしながら歩いているとまさにその川に架けられた橋に辿り着く。土手の壁を右手に見て坂を降ると、道路の左手にあるウィークリーマンションの前にたどり着いた。

「ここだね、マンション名も合ってるようだ」

 栗谷がきょろきょろと辺りを見回す。そしてこちらを向いて呆れたような笑い浮かべた。

「ここはいいね。入り口は見えにくくなってるから人を隠すにゃもってこいだ。ついでに部屋から花火も見られりゃ口封じに文句もないだろってとこかな。こりゃあ院長先生は初犯じゃないかもしれないぜ」

 見上げたベランダの青年がいるはずの部屋はカーテンからわずかに光が漏れている。

 いつのまにか辺りは夜になっていた。

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