Task.10「恋してないVS恋しない」

 紆余曲折を経て、晴れて付き合うことになった、あつし懐月なつき

 が、カップルになったらなったで、また新たな困難が生じるのが現状だったりする。



懐月なつきさん?

 どうかしました?」

「……?

 なにが?」

「いえ……入れ間違えてますけど?」

「あ」



 一希いつきの指摘通り、懐月なつきは、商品の中身を保管するための袋を、間違えていた。

 ゲーム用の袋に、DVDを入れようとしていたのだ。

 なんたる凡ミス……と、懐月なつきはいたたまれなくなる。

 一方で、一希いつきや井戸端トリオは、彼女の可愛かわいらしい失敗に、堪らず吹き出してしまった。



「……懐月なつきさんでも、そういうの、るんですね」

「さては……彼氏絡みかしらぁ?」

「若いっていわね〜」

「ち、違っ……」

「あらだ、慌てふためいちゃって〜」



 否定しようとするも、自分が招いた状況であるためなにも返せず、赤くなる始末。

 そんな中、噂の彼氏、あつしが自然に助けに入る。



「悪ぃ、みんな

 守真伊すまいさん、ちょっと用がるんだ」

だ、あつしちゃんったら」

「別に、奪い取ったりなんざしやしないわよ」

「そうじゃくって。

 本当ほんとうに、が、るんだって。

 な? 守真伊すまいさん」

「……あ」



 そこに来てようやく、あつしの意図を汲み取った懐月なつき

 彼女は、会釈だけ済ませると、そそくさと退散した。



「用……って、なんだったんでしょう?」

「ははーん……」

「そういうこと……」

上手うまことやったわねぇ、あつしちゃん」

「そうねぇ。

 今時の子には、ちょっと難しいかもしれないわねー」

「??

 さっきから、なんの話ですか?」

「気にすんな。

 それより。各自、仕事。

 はい、解散」



 パン、パンと手を叩き、持ち場に戻るよう、指示するあつし

 懐月なつきの走って行った方向を眺めつつ、あつしは頭を掻き、ボソッとつぶやく。



「……いんだよな?

 これで」





「最近、てんで見なくなったわねぇ。

 当店名物、ムツキ夫婦の痴話喧嘩」



 翌日。井戸端トリオ、一希いつきとの休憩中。

 やにわのことに、懐月なつきは危うく、呑んでいた緑茶を吹き出しかけた。

 というか。



「……なんですか?

 その名前」

いでしょー。

 二人の名前から取ったのよ」

いたく安直ですね、ってのが第一印象として。

 そもそも、あたし熱田にえたは恋人同士であって、夫婦ではありません。

 異議、訂正を申し立てます」

「……こういう場合は、『まだ』の一言を付けるのが習わし、ってのは置いといて。

 本題はそこじゃないわよ、懐月なつきちゃん」

「あなたたち、結ばれてから、ほとん喧嘩けんかしなくなったじゃない」

「すみません。もう一つ忘れていました。

 喧嘩けんかうちの名物というのも、どうかと思います。

 それと『結ばれた』という発言は、あらぬフィジカルな誤解を生むので、ご遠慮願います」

「一つじゃないわ。

 そして、そこじゃないわ」

「てか、さっきから思ってたけど、懐月なつきちゃん。

 あなた、意図的に話題を逸らそうとしてるわよね?

 喧嘩云々について、触れられまいと」

「……」


 

 この人達は、どうして妙な所で鋭いのだろうか。

 普段は、ここぞとばかりに脱線してるのに。



「でも、確かにそうですよね。

 最近、あつしさん……じゃなくて、えと……熱田にえた、さん?」

「……いわよ、いつも通りで。

 別に、他の異性から、明らかに優先順位が上の状態で名前呼び聴かされる程度で、妬いたりしないわ。

 むしろ、そうやって気遣われ、堅苦しくなられる方が、逆撫でされそうよ」

「あ、あはは……」



 その割には、中々に攻撃的なんですが……。

 優先順位についても、きちんと取り上げてるし……。

 と思ったが全員、伏せておいた。



「……じゃあ、あつしさんで。

 最近、あつしさんと懐月なつきさん、妙に静かになりましたよね?」



 えて、挑発に乗る一希いつき



 大人、それも正真正銘の恋人相手といえど、一歩も引かない現役女子大生。

 その強かな姿に、「こっわ……」と内心、竦み上がる井戸端トリオ。

 この状況に男性が不運にも居合わせよう物なら、あつし以外でも逃げ出さんほどに、室内は禍々まがまがしいオーラに満ちていた。

 イヤミス好きの戸松、トレンディドラマが主食の井出すらも、ドン引きするほどに。

 いや……そもそも、ああいう類はフィクションだから受け入れられるのであって、現実に見せ付けられても、大半の人は困り果てるだけなのかもしれない。



 懐月なつき懐月なつきで、一希いつきの挑戦的な物言いを、正面から受けて立つ。



「……そこからして、疑問なのよ。

 静かなのの、どこが悪いってのよ」

「別に、悪いとは言ってません。

 二人には合ってないとか、部外者の身で偉そうなことを言うもりもりません。

 てか、あれはあれで、エモいと思います」

「感想なんか要らないわ。

 ひとえ。あなたは一体、あたしに、なにを物申したいっての?」

「だからっ……!

 もっと、ちゃんと! しっかり、あつしさんと向き合ってくださいって!

 そう言ってるんですっ!!」

「まぁまぁまぁ……」

「それくらいにしましょうよ、二人共」

「そうよ。

 折角せっかくのお休憩なんだし、ね」



 流石さすが不味まずいと踏んだのか、冷や汗を掻きながら止めに入る井戸端トリオ。

 いつの間にか席を立ち前のめりになっていた二人は、冷静さを取り戻し、大人しく座る。

 その姿を見て、井戸端トリオが心から安堵した。

 のも、束の間。



「……ひとえ

「今夜、私の部屋でいですよね?」

「ええ。

 一人暮らし中のあなたの実家なら、いくら騒いでも問題無さそうだもの」

「……くれぐれも、逃げないでくださいね。

 まぁ、見す見すのがもりなんて毛頭、りませんけど」

「誰が。

 こちとらい加減、そろそろ擦り合わせなきゃと思ってたのよ。

 熱田にえたとあなたの、これからの関係について」

「まだ、名字呼びなんですね。

 ここまで、あからさまに吹っ掛けられて。

 それとも、なんですか? 大人、勝者の余裕とでも言いたいんですか?

 別に、そこまで離れてませんよね?

 私だって、その気になれば、いつだって、あつしさんとワンチャンりましたけど?

 今から逆転サヨナラも、行けますよね?」

「そう言って、言い聞かせて、その気にならず、出会って二ヶ月足らずのぽっと出他所よそ者に油揚げ攫われたのは、どこのとびだったかしら?」

「私がとんび、平凡だって言いたいんですかっ!?」

「誰も言ってないわよ、そんなこと

 被害妄想は、ただただ痛いわよ?」

「誰がさせてるんですかっ!

 そもそも年下に、こんなみっともない真似マネして、恥ずかしくないんですか!?」

えずあなたは、自分のスタンスを見つめ直し、固めなさい。

 年下に見られたいのか、大人っぽく見られたいのか、どっちつかずよ」

「両方を求めて、なにが悪いってんですか!?」

「わー。そろそろ、時間だわー」

大変たいへーん、そろそろ戻らなきゃー」

「失礼しまーす」



 まだ十分前だというのに、休憩室を去る井戸端トリオ。

 残された二人も、きちんと休憩時間は遵守し、仕事はきちんと終わらせるのだった。

 もっとも、それはそれで、かえって怖さマシマシなのだが。




 女性同士の熾烈な戦いが繰り広げられていた頃。

 あつし蛍都けいとに招かれ、絶賛貸し切り中のカフェ・里楽りらくのカウンター席に座っていた。

 



「おめでとう。

 あつしなら、遅かれ早かれ、やり遂げてくれると信じていましたよ」

「……聞いたのか?」

「分かりますよ。

 その顔を見れば、ね。

 それより、もっと飲んでください。今日は、ぼくの奢りです」

「んじゃ、遠慮無く」



 グラスを当て乾杯し、優雅な一時に身を置く二人。

 しかし、このまま流されてはなるまいと、あつしは腹を括る。



「要件を言えよ。

 なんで、俺を呼んだ?

 それも、いつもより早く店を閉め、普段なら提供しないアルコールを用意してまで」

「まさか。

 ぼくからあなたに言えることなんて、もうなに一つりません。

 今夜は、あなたを祝いたかった。あくまでも、ただそれだけですよ」

「……嘘吐け。

 お前だって、好きだったんだろ」

「『だった』じゃありませんよ。

 今でも、変わらず好きです」

「ほれ、見ろ。

 だったら……」



 言いかけて、あつしめた。

 彼の複雑そう、微妙な顔色を、拝まされて。



「……いじゃないですか。

 ぼくは今、あなたの健闘を称えたいんですから」

「……悪ぃ。

 無粋な真似マネしちまった。

 分ぁったよ。今日は、しんみりした話はしだ。

 男同士、サシ飲みと洒落こもうぜ」

「ええ。

 悔しいですが、今の僕は、それで本望です」



 拍子抜けする程に短く、あっさりした会話。

 


 あつしは、なんく思った。

 男のライバル同士の和解てのは、案外こんなもんなのかもしれねぇなぁ……と。



「……やっと見付けた」



 そこで、新たなる来客。

 閉店の立て札がったのに、無視して来たらしい。


 

 それが凛久りくであると気付くまで少々、時間がかかった。

 別に、酩酊していたからではない。

 スーツが普段着だった彼女が始めて、スカート姿で、自分達の前に現れたからである。

 


つむらさん。

 申し訳ありませんが、今は……」

生憎あいにく、こっちも時間がいの。

 あつし。ちょっと、面貸して。

 あんたに、話がるの」



 普段よりいくらか女性寄りの口調で、付き合えと訴える凛久りく

 あつしは、グラスの中身を飲み干すと、席を立つ。



「悪ぃな、蛍都けいと

 また来るわ」





 海を一望できる、公園。

 あつしは、そこに導かれた。

 凛久りくは、海風に髪を揺らしながら、無心で海を眺めていた。



「……起きてたのよ、私。

 あの時」



 あの時。

 自分と蛍都けいとが初めて会話し、ライバル視し始めた時のことだと、あつしは悟った。



 振り向き、手摺に捕まりつつ、凛久りくは続ける。



可笑おかしくって仕方無かった。

 あんたも蛍都けいとも、『男同士の決闘』みたいな顔してさ。

 懐月なつきが絡んでる時点で、そうじゃなくなってるってのにさ」



 あつしは、何も言わない。

 なんく、察しているのだ。

 自分は今、介入すべきではないと。



「私さ。

 懐月なつきこと、好きだった。

 ノーマルだから、そういう意味ではないけどさ。

 でも……最高の親友だって、なんでも話せる仲だって。

 いつもそばる、られる間柄がらだって。

 そう、自負してた。誇りに思ってた。

 でもさ……」



 壊さんばかりに手摺を強く掴み、うつむきながら、凛久りくは心情を吐露する。



「……友達なんてさ。結局、そこ止まりなんだよ。

 デートは行くけど、キスはしない。

 子供と一緒に、暮らしたりは出来できない。

 家族には……恋人以上には、なれないんだよ」



 あつしは、肯定も否定もしない。

 ただ、聞き手に専念する。



「別に私だって、懐月なつきとそういう関係になりたくはない。

 けど、だからといって、それだけで満足、納得、妥協出来できほど、この気持ちは、小さくも安くも弱くも、素直でも綺麗でもない。

 だから私は、夢に逃げた。

 向こうの世界だったら、私は自由に、懐月なつきの恋人になれたから」



 侮っていた。

 見誤っていた。

 凛久りくが、ここまで懐月なつきに執着していたのは、はっきり言って予想外だった。



 考えてみれば、なんら不思議ではない。

 彼女は、ほんわずかな情報と荷物、可能性だけで態々わざわざ懐月なつきを追って遥々、都会から田舎まで足を運び、そのまま居着くような人種なのだから。



なにが言いたいかってーと。

 今のあんたは、最高にダサくて、最悪に間違ってるってこと



 聞きに徹するのも無理そうな売り言葉。

 それでも、あつしは無言を貫いた。

 その方が、最速で正解に辿り着けるからだ。



「あんたさぁ。まだ思ってるんでしょ?

 彼女は、自分とは違う。

 彼女は、自分とは別世界、別次元の人間だった。

 ……ううん、違う。

 同僚、タメに続いて、恋人同士という、新たな対等を手に入れた所為せいで、今まで以上に、強く意識してる」



 あつしに詰め寄りつつ、凛久りくは続ける。 

 


「『静』と『動』、だっけ?

 確かに、懐月なつきと付き合うには、その両方が必須。

 けどね……今のあんたは、そのどちらでもないよ。

 宙ぶらりんですらない」



 泣きそうな目であつしを睨み、訴える。

 その姿が、酷く辛そうに映った。



「創作者として、アドバイスするよ。

『受動的』と『受け』ってのは、似て非なるんだよ。

 今のあんたは、受け入れてるんでも、受け止めてるんでもない。

 ただ、流されているだけ。

 懐月なつきとの関係に、甘んじて甘えてるだけ。

 懐月なつきに、ように利用されてるだけだよ。

 その所為せい懐月なつき自身、心を痛めてる現状を、見て見ぬりしてね。

 対等な関係? そりゃそうでしょ。

 互いに荒立てず、波風立てずに、フラット維持に努めてるんだから。

 丁度、今、私にしているみたいにね。

 本当ホント……馬鹿馬鹿しいったら、ありゃしない。

 だから……私が、目を覚まさせてやる」



 言葉を結ぶと、凛久りくは右腕を引き、そのままあつしの顎に、掌底をお見舞いする。

 


 いきなり精神攻撃を受け、今度は物理までもらい、打ちのめされ。

 それでもなおあつしなにも返さない。

 如何にみじめなのか、理解しているのに。



「ほらね。

 世界なんて、これくらい、いとも容易たやすく、っ壊せるのよ。

 だってのに、今のあんたは何?

 勝手に偶像作って枠に嵌めて飾って、崇拝して賛美して美化して、遠ざけて離れて、物理的には近くにるのに見ようともせず。

 懐月なつきがピンチだったり、向こうから甘えて来た時だけ、都合良く、ここぞとばかりに彼氏面振り翳して。

 今のあんたさ……駄作だよ。

 創作意欲さえ刺激されない。

 心の振り子が微塵も反応しない」



 パッ、パッと手を払い、凛久りくあつしに背を向ける。



「もう一つ、こと、思い出させてあげる。

 懐月なつきは、本気になった時だけ、眼鏡を外すの。

 ついでに言うと、本気になった懐月なつきは、静かになる。

 あんたに告白した時。

 あんたに甘えてる時。

 あんたに助けられてる時。

 一度でも、懐月なつきは眼鏡、外してた?」



 あつしを一瞥し、凛久りくは彼を置き去りにする。



「ここまで言われて、虚仮こけにされて、ヒント出されて。

 それでもフラットげんじょう維持が恋しいってんなら、あんたの関係なんて、その程度の偽物。二番煎じ以下の粗悪品だよ。

 間違っても、私が心から欲した、憧れたたぐいじゃない。

 まっ……あんたたちが、それで充分ってんなら、もう何も言わない。

 とやかく意見する筋合いも気力もくした私が、あんた達の前からなくなれば、それで万事解決だもの。

 あんたたち精々せいぜい、そのままぬるま湯みたいな、お飯事ままごとみたいな恋人ごっこに勤しんでなよ」



 その言葉を最後に、立ち去る凛久りく

 一人残されたあつしは一人、アスファルトの上に大の字になり、目を瞑り。

 やっと言葉を、飾らない本音を綴る。



「……分かってんだよ。

 全部、全部……分かってんだよ」





「好きなんです。

 あつしさんのことが。

 失敗しても、いつだって優しく注意してくれる、あの人が」



 ピンクを貴重としたガーリーな部屋。

 そこで、縫い包みを抱きながら、一希いつきは単刀直入、開口一番に告げた。



「まぁ……でしょうね」

「知ってたんですか?」

「じゃなきゃ、あんな大見得切って喧嘩売られないし、ここに招かれだってしないわよ」

「ですよね……」



 苦笑し、やや縮こまる一希いつき

 なにを今更……と言わんばかりに、懐月なつき溜息ためいきいた。



「……さっきは、すみませんでした。

 生意気な、無遠慮な発言をして」

「……あたしの方こそ。

 あなたの言う通り、大人気無かったわね。

 本当ホント……悪いくせね」

「じゃあ、お互いさまということで。

 それで、次なんですけど」



 縫い包みを戻し、顔を引き締め正座して、一希いつきげる。



「私、内定が決まったんです。

 来年からは、違う職場に行きます。

 私には……もう、時間がいんです。

 だから、その間に、あつしさんに幸せになってしかった。

 あなたに、安心させてしかった。潔く、引き下がらせてしかった。

 ただ……それだけなんです」



 包み隠さず、本音を暴露する一希いつき

 懐月なつきも、それを真っ向から受けめる。



「……いの? このままで。

 あなたの想いを、伝えなくて」

「これでも私、結構アピってたんですよ?

 あつしさんには従順だったり、あつしさんを必要以上にアゲたり、過度なまでに頼ったり。

 そもそも、名字被りしてるんでもないのに名前で呼んでる辺り、あざといってか、脈有りだと思いません?」

「……全面的にその通りだけど、自分で言うかしら?」

「とまぁ、そんなこんなアプローチしてても、何も変わらなかったんです。

 てことは……もう、そういうことじゃ、ないですか……」



 懐月なつきは、言い淀んだ。

 それを自分が肯定するのは愚行だし、かといって否定するりして誤魔化ごまかすのも違う。



 そんな懐月なつきの心境を取ったのだろう。

 一希いつきは目元を拭い、笑顔を作った。



いんです。

 懐月なつきさんの言う通りでした。

 年齢差なんて体裁の悪さを越えさせられなかった、私の落ち度です。

 後悔だらけだったけど……彼を好きになったことだけは、後悔してません。

 これからも、ずっと」

「……強いのね。

 あなたは」

「当たり前です。

 そうじゃなきゃ、生きて行けませんから。

 ただ……差し手がましい、未練がましいのは承知で。

 最後に、いくつかお願いがあります」

「『お願い』?」



 懐月なつきの横に移動し、彼女の手を握り、一希いつきは切望、懇願する。



「一つ。

 これから私のこと、名前で呼んでくれませんか?」

「……『一希いつき』」

 コクッと頷き、従う。



「二つ。

 あつしさんのこと、ちゃんと幸せにしてくれますか?」

「……確約は出来できないけれど、善処するわ」

 少し迷ったあと、力強く頷く。



「そして、三つ目。

 これが一番いちばん、大事なことってか、本題なんですが。

 ……これからも、彼を想い続けて、いですか?」

一希いつき……」



 我慢して、我慢して、我慢して。

 それでも塞ぎ切れず、防ぎ切れず。

 せきった涙が、一希いつきの瞳から溢れ出した。

 堪え切れずに、懐月なつきもらい泣きしてしまう。

 


「……私が、次に進めるまでで、構いません。

 一番いちばんに……心には、届かなくて構わない。

 それでも……声と手が届く場所には、続けて、いですか?」



 一希いつきは、『恋』という言葉を口にしない。

 戦わずして負けた自分に、そんな綺麗事は言えない。

 片想いだった自分は、恋にまでは達していない。

 言った所で失礼に値するだけだし、それを口にしたら、自分は本当ほんとうに、完膚無きまでに大敗してしまう。



 ひとえ 一希いつきは、熱田にえた あつしに恋をしない。

 あつし懐月なつきが真に結ばれ、二人が子供に恵まれ、揺るぎない絆で繋がるまでは。

 笑いぐさに、出来できくらいに成長するまでは。



 恋愛経験こそ薄い懐月なつきも、それを読んでいた。

 ゆえに、「あなたの代わりに」とか、「あなたの分も」とか、「もっとい相手が」とか、「幸せにしてみせる」とか、「邪魔してごめん」とか、口が裂けても言えない。

 今は、どんな言葉を届けても、きっと無粋でしかない。

 


 ならば、自分がすべきは、ただ一つ。

 彼女の体も、泣き顔も、心も、受け止め、抱き締め、背負うだけ。



「……すみません。

 グシャグシャになっちゃいましたよね」



 一頻り泣き叫んだあと、すっきりした面持ちで、一希いつきげる。

 どうやら、一旦は落ち着いたらしい。



「……別に。

 これくらい安過ぎる代償だわ」



 本当ほんとうなんことさそうに返す懐月なつき

 彼女は、名誉の負傷とでも言いたに、身支度を整えようともしなかった。



 その姿を見て、一希いつきは改めて思った。

 格好かっこい人だと。素適な人だと。

 


「……飲みましょうか!

 あつしさんと懐月なつきさんの、前途を祝して!」

「調子が戻って来たわね。

 あたしもあなたくらい、元気ならねぇ」

「ちょっとぉ!

 私の専売特許まで、奪わないでくださいよぉ!」



 あはは、と心から笑う一希いつき

 その姿を見て、懐月なつきは心を打たれた。

 同時に、思った。このままでは、いけないと。



えず、キスの感想、教えて下さいよ。

 ねぇ、ねぇねぇ、どうだったんですかぁ?」

「いきなり攻めるわねぇ……。

 まぁ……普通よ」

「きゃー♪

 照れちゃってー♪

 じゃあ、じゃあ! 正直、上手かったんですか?

 それとも、逆? それはそれでオツですけど♪」

「サンプルセレクションバイアスって、知ってるかしら?

 要は、聞く相手を間違えてるわ。

 あたし達、互いに未経験だったもの」

「じゃあ、次の質問!

 どこまで行ったんですか?」

「プライバシー保護精神に則り、黙秘を貫かせてもらうわ。

 それより、一希いつき。少しは、落ち着きなさい。

 夜は長いんだから」

「はーい♪

 じゃあ、このまま、寝ずに恋バナしちゃいましょー♪

 あつしさんについて 夜通し語っちゃいましょー♪」

「……あなた、仮にも恋敵を相手に、くもまぁそこまで砕けられるわね。

 あと、あたしもあなたも、明日は普通に出勤なんだけれど……」

 


 こんな調子で、本当ほんとうに朝まで話した二人。

 翌日。あまりのグロッキー加減により、二人揃ってあつしに門前払いを食らったのは、言うまでもい。





 かくして、図らずも同じタイミングで、互いに関係を見つめ直すあつし懐月なつき

 二人の思いが結実するターニングポイント……メインイベントは、迫りつつあった。

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