Task.9「告白」

熱田にえた

 どこに行くの?」



 翌朝。

 こうとカラオケで待ち合わせ中のあつしが玄関を出ようとしたタイミングで、懐月なつきが声をかける。

 あつしは、靴を整えつつ返す。



「カラオケだよ。

 カミュと約束してるんでな。

 昼飯と晩飯は、冷蔵庫に入れてあっから、あとで食べてくれや」

「……」



 あつしの言葉を受け、懐月なつきは何かを考える素振りを見せる。

 別に今のは、特に挑発的ではなかったと思うのだが、なにか変だったのだろうか、とあつしがバックログする。

 が、答えは出なかった。

 となれば。



「……一緒に行きたいのか?」



 クールな印象に似合わず、可愛い願望を抱く懐月なつき

 思い返してみれば、本人も凛久りくも言っていた。『ヒトカラが趣味』だと。



「……そうしたいのは山々だけれど。

 生憎あいにくなんの準備もしてないもの」



 口では断りつつも明らかに、その気が懐月なつき

 そんな彼女をおもんぱかり、あつしめずらしく素直に、穏やかに告げる。



「別に待つって。

 それが悪いってんなら、俺だけ先に行って、あとからとかでもいし」

「そうじゃなくって……持ち歌がいって話」

「そんなん気にしねぇって。

 今更だろ」

「そうでもなくって……」

「……?」



 なにやらはっきりしない懐月なつき

 降参したのか、埒が明かないと判断し開き直ったのか。

 やがて彼女は、素直に自白した。



あたし……最近のアイドルとか、ダンスとか、知らないし……。

 ほら……誰かとカラオケ行くのなら、そういうのマスターした上で臨まなきゃ、盛り上げなきゃ、じゃない……?」

「……」



 予想外の一言を受け、フリーズするあつし

 そんな、合コンで恋人ゲットしたい高校生か、よいしょ精神旺盛の社畜みたいな……。

 どうやら、思わぬ場面で、またしても彼女のスイッチを起動してしまったらしい。



「……そういうの、大丈夫だから。

 歌いたい曲を、好きなだけ、自由に、一思ひとおもいに歌えばいんだよ」

「……そうなの?」

「そーなのっ。 

 で? どうすんだよ」

 


 あつしの言葉で認識、常識を改めたらしい。

 懐月なつきは、やや気恥ずかしそうな顔色を見せたあとうれしそうな表情で返す。



「……あたしも行くわ。

 ちょっと待ってて頂戴ちょうだいぐに支度して来る」

「おう。

 別に、ゆっくりでも構わんぞ?」

「そうは行くものですか。

 折角せっかくの機会なのに、勿体無いわ」

「存外ノリノリだな!?

 あんた!」





「ずっと、興味がったのよ。

 神青しんじょう。あんたに」



 カラオケで合流し、何曲か歌ったあと、やにわにこうに告白する懐月なつき

 今日はつくづく、彼女に驚かされるばかりである。

 と、それは置いておいて。



「す、守真伊すまいさんっ!?

 いきなり、にゃにをっ!?」



 動揺し、またしても噛むこう

 そんなリアクションを受け、懐月なつきは、何故なぜかジトになった。



なに慌ててるのよ。

 あんたの声に惹かれてるってだけよ」

「あ……声、ね……」

「はぁ……」



 安堵とガッカリが入り混じった溜息ためいきこぼこう

 一方のあつしも、体に力が入らず、ソファに体を沈める。



「まぁ、確かにカミュの声は一級品だわな。

 これで、噛み癖と、変なくせさえ無けりゃあ、文句無しなんだがなぁ」

「あ、アッちゃん!

 めてよ、そういうのぉ!」

「別に、歯並びには問題はい。

 つまり、噛み癖は心因的な物ね」

守真伊すまいさんも!

 冷静な分析、しないでぇ……。

 あう〜…」



 すっかり落ち込みモードのこう

 駄目ダメだこりゃ……と言わんばかりに二人が苦笑いしていると、ドアをノックする音が室内に聴こえる。

 どうやら、注文が届いたらしく、スタッフが入室して来る。



「失礼致します。

 オーダーをお持ち致しました」



 ドアを締め、手際良くテーブルに乗せる女性店員。

 この時点で、あつし懐月なつきは、嫌な予感がしてならなかった。

 


「『待て』」

 意味もくフォークを回しつつ、退席しようとした女性店員を呼び止めるこう

 口調からも分かる通り、今の彼には、それまでの気弱さなど、垣間見ることさえかなわない。



「『オーダーは、まだ残ってんだろ』」

 わけの分からない発言をしつつフォークを戻し立ち上がり、女性店員に近付くこう

 かと思えば、いきなり彼女の頬に手を添え。



「『ほら、ここに。

  最高級の、苺が』なぁっ!?」



 女性店員の唇ではなく、床にキスをするこう

 あつしが、彼の脳天に踵落としをお見舞いした結果である。

 煙が出ていることからも、中々の高威力だったらしい。



「あ……あのぉ……」

なんでもないわ。

 仕事の邪魔して、いきなり変なちょっかい出して、ごめんなさいね。

 もう戻って頂いて、結構よ。

 それと、申し訳ないけれど、この部屋に送るのは男性が望ましいわ。

 じゃないと、そこの変質者に、あなた達のタイプ、理想のシチュが、包み隠さず解体バラされてしまうから」

「し、失礼しまーす……」



 全くドン引きした顔色を見せず、むしろうっとりした様子で、泣く泣く部屋を去る女性従業員。

 どうにか彼女が無事に済んだことに、あつし懐月なつきは心底、安堵した。



まったく……こいつの人のさも、考え物だぜ。

 誰かを喜ばせよう、好かれようとした結果、こんな奇天烈な力を身に着けようなんざ……」

本当ほんとうだわ。

 視界に入れた刹那せつな、異性のストライクゾーンを瞬時に見抜き、意中の相手にスイッチ、スナッチしようとするだなんて。

 とんでもない才能ね」

「その割には、あんたはまだ見抜かれてねぇのな」

「当然よ。

 あたしは、至高の芸術品、完璧だもの」

あるいは、単に異性として見られてないだけなのかもな?」

「それはそれで大歓迎よ。

 仕事に私情を挟まなくて済むもの」

「私情の前に、俺の脚を挟むなぁ!!

 気にしてはいるんじゃねぇかよっ!?」

「にしても」



 あつしの脚を解放したあと、スマホを取り出し操作し始める懐月なつき

 あつしの予想通り、そこに映っていたのは、彼女のみならず、【libve-rallyライヴラリー】のスタッフ全員が絶賛ヘビロテ中の動画。

 こうが七色の声、様々なキャラで、ひたすら異性に告白し続けるという、【libve-rallyライヴラリー】のCMである。



「まーた再生数が、エッグい伸び方してんなぁ……。

 ミリオン達成してんじゃねぇか……」

「当然よ。

 人気絵描きの凛久りくの絵を元に、過去にあたしが仕事した美麗作画アニメ会社に作ってもらったんだもの」

「これが、無償たぁなぁ……今でも信じられねぇぜ」

「そうでもないわ。

 宣伝効果はバッチリだもの。

 そこまで狙ったデザインでもないから、アニメに馴染みの薄い女性層にもウケたおかげで、向こうも沢山たくさんのグッズが売り切れ続けてウハウハらしいわ。

 うち以外を取り扱った新しいCMも絶賛計画中、他社からもオファー、反響が鳴り止まないと、専らの噂よ」

「こっちもこっちで、カミュの声を目当てに、他県からも女性客が殺到中だわ。

 あいつが非番の日に訪れた人も満足させられるよう、店内放送でもあいつの声を流してるわ」

「かと思えば、それが無許可で動画サイトに挙げられ収益化されてたので、公式で出して根絶やしにしたわ」

本当ホント……とんでもねぇことんなったもんだなぁ、こいつ」

「そうね。

 凛久りくが自作の漫画に声当てさせるのもうなずけるわね。

 おかげで、あの子の人気もブーストされたわ。

 ……あら?」

「どした?」



 コメント欄をチェックしていた懐月なつきが、妙な声を出し、指を止めた。

 あつしも、釣られて画面を見る。



 そこに書かれていたのは、思いもよらぬ人物の名前。

 『クマ娘』が大人気を博している、ソーシャルゲーム会社のボス、歳夏さいか社長の物だったのだ。

 早い話、水面下で進んでいたこうへのオファー……これは紛れもく、大抜擢である。



「あー……」



 にもかかわらず、懐月なつきは顰めっ面になった。



「……どした?

 なんか、んのか?」

「以前、彼の主催する親睦会、要はパーティに招待されて、人となりを知った。

 悪い人ではないのだけれど、恐ろしく気紛れで、ぎょづらいのよ……。

 だからこそ、次から次へとヒット作を生み出せ続けているのも事実だけれど……。

 確かに、お抱えの声優事務所を立ち上げるってのは聞いていたけれど、まさか神青しんじょうとは……」

「なーる……」



 扱いづらいこの人が言うんなら、余程よほどだろうな……。

 そう思いはしたものの、胸に秘めるあつし

 どうにも今回に限っては本来の、悪い意味でも、白羽の矢が立ったらしい。



 などと話していると、タイムリーに懐月なつきのスマホが着信を知らせる。

 そこに記されていたのは勿論もちろん歳夏さいか社長の名前だった。




 

 一ヶ月後。

 非番のあつしは、懐月なつきの休憩時間に合わせて、弁当とお菓子の入った袋を持って、職場の裏に来ていた。

 (懐月なつきが店長の許可を得て用意した)木製の長椅子の上で、彼女は体育座りをしてうつむいていた。

 こんな事は初めてだったので少し驚いたが、予想の範囲内ではあった。



「……どした?」

 フル、フルと懐月なつきは首を横に振った。

 なんでもない、という返事として取ったあつしは、「そうか……」と答え、弁当を右側に置き、同じく座った。



「……折角だけど、一人にしてくれない?

 休憩きゅうけいが終わるまでには、元通りに戻すから。

 お弁当も、仕事が片付いたら、必ず頂くから。

 来てもらっといて、作ってもらっといて、何だけど……。

 今は、そっとしといて頂戴ちょうだい

「なぁ。俺、ずっと考えてたんだけど。

 あんたが、少し前まで、ずっと一人で行動してた理由」

 晴れた青空を見上げながら、懐月なつきの頼みを無視し、あつしは続ける。



「……熱田にえた。お願い。

 今、最高に気分が悪いの。

 だから、ごめん。

 後生だから、放っといて頂戴ちょうだい

「カラオケはともかく、飲み会にも参加しないし。休憩室にも入り浸らない、そもそも入りたがらない。

 プライベートで誰かと遊びになんて、行こうともしない。

 他人の情報なんて、聞こうともしない。

 仕事仲間ってだけの関係を貫き、それ以上には進めようとしない。

 辞める人間を送り出す時だって、最低限の、当たりさわりない、常套句じょうとうく染みた寄せ書き、コメントしか残さない。

 それでいて、相手の名前や得意分野は正確に把握して、仕事上のコミュニケーションだけはとどこおりなくはかれる」

「一人にして、って……!!」



 ついに顔、そして手を上げた懐月なつき

 あつしは、ようや懐月なつきの方を見て、握り拳を左のてのにらで受け止めた。



「やぁっと拝めたなぁ。

 泣きっ面」



「~っ!!」

 あつしを遠ざけようとした腕を戻し、両目からあふれ出した涙を指でぬぐい、再び顔をらそうとする。

 が、それより先にあつしの両手が懐月なつきの顔を押さえ、自分から、現実から、逃がさないようにした。



「あんた……実は、寂しがり屋だろ?

 おまけに、大人振っちゃあいるが、その実、子供っぽい。

 そして、涙脆もろい。

 だから、スタッフが辞める時に少しでも悲しくならないように、気不味きまずい空気を作ってしまわないように、親密になろうとはしなかった。

 意地でも、ビジネスライクのドライなスタンスを通そうとした」



 懐月なつきの顔から両手を離し、彼女を自由にしたあつしは、真剣な瞳で見詰める。



「……違うか?」

 押し黙った懐月なつきは、やはりあつしではなく地面へと視線を向け、言葉を紡ぐ。

「……なんで、分かったのよ」



「こう見えて、観察眼ぁ鋭くてね。

 何分なにぶん、共働きの両親に代わって、弟や妹の面倒を見て来たんでな。コンディションなんて、手に取るように分かんだよ。

 なんなら、SNSを通してでさえ見抜けるぞ。

 他のスタッフならお得意の鉄仮面で誤魔化ごまかせるだろうが、俺ぁそうぁいかねぇぞ」

「だからこうして、オフに態々わざわざたずねて来たっての?

 本当ホント……つくづくお節介ね、あんた。

 カラオケに行った時だって、誰かが歌ってる時は自分だけスマホやデンモクいじらないし、それどころか一人だけポツンと残したりしないし……」

「悲しいだろ? 折角せっかく、皆で来てるのに、そんなの。

 まぁ、俺個人の意見だから、別に咎めたりぁしねぇけど。

 あと、話を逸らすな」

 しまいにはあつしの目線と同じ方向、つまり彼の顔とは真逆の方へ体ごと背け、あつしに背中を向けたまましゃべり出す。



生憎あいにく、長ったらしいのは嫌いなの。

 用件を言ってくれる?」

「あいつに、きちんとメッセージを送って欲しい」

「それなら一昨日おととい、伝えたわ」

「ああ。

 業務連絡みたいに、お決まりなのをな」

「残念ながら、ボキャひんな上にウィットも皆無かいむなのよ。

 それとも昨日、きちんと別れを告げなかった事を言ってるの?

 シフトが合わなかったんだから、仕方無いじゃない」

「そうだな。

 あいつが辞める日を知ってから、わざと、俺とシフトを代わってもらう、力業ちからわざでな」

「ええ。

 あんた、彼と凄く仲が良かったものね。

 だから、彼が本命一本にしぼために辞めるって聞いて、おまけに最後のシフトが自分の休みの日だって知って大層、落ち込んでたんだもの。

 だから、私が代わりにって」

「その通り。俺も、ラッキーと思ったよ。

 同時に、信じてもいたんだ。何だかんだで、仕事上は関係をきずいてたあんたなら、手向たむけの言葉位くらい、きちんと届けてくれるだろうと。

 まぁ、物の見事に期待を、最悪の形で裏切られたんだが」

「失礼。

 まさか、そんな風に思われていただなんて、知らなかったわ」

「あっそ。それはともかく、言わせてくれや」

 椅子いすから立ち、懐月なつきの顔の前に移動し、屈んで正面からあつしは教える。



「あんた……さっきから、鼻声だぜ?

 ずぅっと、な」

「……っ!!

 最っ低……!!」

 またしてもあつしから顔を隠し、ちゃっかり距離も取る懐月なつき

 あつしは起き上がり、腰に手を当て、口を開く。



「そうかい。

 最低序ついでに、受け取ってくれや。

 いつまでも素直じゃないじゃじゃ馬姫へ、俺から、心ばかりのプレゼントだ」

「は?

 何を……」



「ーーあ……あのぉ……」



「っ!?」

 懐月なつきあつししか居ない空間に、現在進行形で懐月なつきの頭と心をくしていた人物。

 声優業に集中すべく昨日、この店を退社したはず神青しんじょう こうが、姿を現した。



「あんた……!!

 何で……!?」

「ご、ごめん、守真伊すまいさん。

 引っ越しの準備アッちゃんに手伝ってもらってたんだけど、少し前に急に、有無を言わさずに連れて来られて……」

「……熱田にえた……!

 あんた、まさか……!?」

はかったとも。

 それが何か?」

「~っ!!」

 彼のてのひらの上で転がされていたのを察した懐月なつきは、あつしの胸倉をつかみ、責め立てる。



「『なにか?』、じゃないわよ!

 じゃあ、何!? あんたとの茶番を、神青しんじょうに向けて生中継してたって事!?」

「そういうこった。

 これでもう、逃げ場は無くなったなぁ」

「このぉっ!!」

「わぁぁぁ! 待って、待って!

 暴力反対っ!!」



 まだ状況を完全には飲み込めてないにせよ、こうが急いで止めに入る。

 強制的に、それでいてあまり力を込めずにあつしの体から懐月なつきの手を離し、それにより二人の間に生じた隙間すきまに、あつしを守る形で、こうが真顔で割って入る。



「……はぁ」

 観念したのか、懐月なつきは一旦、頭を冷やし、痛くもないはずなのに左手の間接を右手で握った。

 左右の手を伸ばしあつしを庇っていたこうも、同じく両手を垂直にする。



「……昔から、苦手なのよ。

 こう……別れの時に一人ずつ求められる一言とか、そういうの。

 聴いているだけでも限り限りギリギリなのに、自分の番になるとたちまち涙があふれて来る。

 理性や感情では、制御出来ない位に。

 そうじゃなくても、自分ですら予期せずに、泣き出してしまう事が有る。

 それが、そんな自分が、大嫌いだった。

 だから極力、深い仲にはなりたくなかった。

 そうじゃなくても、神青しんじょう。あたしは、あんたに負い目を感じてた」

「え? な、なんで?」

「……あたしだもの。

 『CMに出てみれば?』って、あんたに最初に声をかけたの」

「「あ……」」



 そう。そう言えば、その通りだった。

 懐月なつきの一言から、こうを応援する声が、流れが生まれ始めたのだ。



「『あんたの声に惹かれる』って言ったのは、嘘じゃない。

 現に、あんたの声で宣伝した【libve-rallyライヴラリー】のローカルCMが上がった事で、あんたは瞬く間に人気者になった。

 でも、あんたには、それがプレッシャーだった。

 加えて、声でかぜげるのが小遣こづかいじゃなくなりつつあるレベルまで上がって来るに連れて、比例して日に日にやつれて行った。

 ……あたし所為せいよ」

「そ……そんな事、無いっ!!」

 懐月なつきに近付き彼女の両肩を掴み、かすかに揺らしながら、こうは必死に訴える。



「確かに、怖いし、大変だし!

 ここ辞めるのだって苦渋くじゅうだったし、悲しかったし、寂しかったし、何より申し訳無かった!!

 それでも、チャレンジしてみたいと思った!!

 楽しいって、面白いって!!

 スカウトされた時、迷わず俺を後押ししてくれたスタッフさん達の思いに、応えたいって!!

 皆には、感謝しかしてないよ!!

 間違っても、恨んでなんていない!!」



「し……神青しんじょう……ごめん……。

 ちょっと、近い……」

「えっ?

 ……うわぁぁぁっ!!

 ご、ごめんなさぁいっ!!」

 パーソナル・スペースに入られ、羞恥を覚えた懐月なつきに対し、急いで肩を離し距離を取ったこうは、即座そくざに非礼をびた。

 懐月なつきは、クールを装って(心の)眼鏡を直し、彼と向き直った。



「……いわよ。

 あたしこそ……ごめんなさい」

「な、なんで、守真伊すまいさんがっ!?」

「カミュ。そんぐらいにしとけ。

 少しは、向こうの意見に耳を貸そうぜ? な?」

「え!? あ、はい!?

 守真伊すまいさん、張り切って、どうぞ!!」

「歌番組の司会者か。

 こちとら、そんな柄じゃないわよ」

 パニクったこうから出たボケに少し笑った懐月なつきは、先程までとは打って変わった晴れやかな表情で、語り出す。



「あそこまで正体、さらしたんだもの。この際、もう開き直って暴露しちゃうわ。

 あたしね? ドSなの」

「「……は?」」

 何やら流れどころか世界観さえ変わったかの様な爆弾発言に、男性陣がそろって、目や耳や頭、記憶をうたがった。



神青しんじょう

 あんたの声、すごく魅了的よ。

 あたし、思わず録音して、編集して、ドS台詞セリフのみで構成されたドラマCDを作ろうとさえ思ったわ」

「瞳の中の暗殺○!?」

「つか、そっちかよ!? Mじゃないのかよ!?」

 ようやく現実だと認め始めた二人がツッコむと、やれやれ……と懐月なつきは、肩をすくめた。



「分かってないわねぇ。

 ドSを理論でフルボッコにして弱らせる事に、醍醐味だいごみが有るんじゃない」

「「知らねぇ(ない)よっ!!」」

 胸を押さえ、頭を揺らし、鼻息を荒くさせ、おの性癖せいへきを堂々と明かす懐月なつき

 エスカレーションならぬ、ドSカレーションである。



「まぁでも、実際にそんな事をしたら、ともすれば捕まる。

 でもね、神青しんじょう

 あんたが声優として大成して、ドラマCDの仕事が入れば、あたしの今の最大の夢が実現するの!

 合・法・的に! ドS声のあんたを堪能たんのう出来できるの!!

 服破って目隠しして猿轡さるぐつわめさせて亀甲かっこうしばりで吊るして首輪付けて手錠させてリボンでラッピングしてほほしゅを注いでくっ殺してるあんたを、心行くまで脳内で汚せるのぉっ!!」

「最低だぁぁぁぁぁっ!!」

「多過ぎるぅぅぅぅぅっ!!」

 都会にて数々の企業で入社と同時に優秀な業績を残し続けていた、元バリキャリ。

 そして田舎いなかに戻り、フリーターとなった今も、速攻で幹部級となった、超エリート。

 その実態は、想像を遥かに越えて残念な物だった。



「というのは九分九厘くぶくりん、本音だとして」

 ほぼほぼガチじゃねぇか!! と心でだけ叫び、どうにか懐月なつきに話させる二人。

 そんな心境は、興奮していた懐月なつきが冷静さを取り戻した事で、自然と凪いだ。



神青しんじょう

 極めて心外だけど、熱田にえたの言う通り。

 あたしの態度は、社会人としても、スタッフ仲間としても、人間としても、最悪だった。

 ごめんなさい」

「え……?

 い、いえ! 俺の方こそ突然、こんな形で辞める事になって、ごめんなさい!」

「あんたは悪くない。

 きたるべきチャンスが、やっとめぐって来たのだもの。

 きちんと掴んで、活かして頂戴ちょうだい

 懐月なつきは、右手を差し出す。そして、綺麗な涙を流しながら、うれしさと切なさの混ざった笑顔を見せる。



「今まで、ありがとう。

 あんたに初めて発破をかけたらしいファンとして、これからも陰ながら、応援してるわ」

「は、はいっ!!

 こちらこそ、ありがとうございましたぁっ!!」

 もらい泣きしつつ、こうも右手を伸ばし、固く握手を交わす。

 釣られそうになりながら、鼻をこすって、あつしが見守る。



「楽しみに待ってるわ。

 あんたの声にいろどられた、神アニメも、映画も、歌も。

 そして、何より……PCゲーム【サ丼です】を」

「どんっだけ、心待ちにしてんだよぉっ!!

 すでに、名前まで決めてよぉっ!!

 てか、サラっと18禁化あっかさせてやがるっ!!」

「『ふっ。この俺様を屈服させるだと?

 随分ずいぶん、躾のなってないメス猫だなぁ。

 いだろう。俺様が直々じきじきに、たっぷりと調教してやる』」

「お前も、その気になってんじゃねぇ!

 こんな場面で、才能の片鱗、無駄遣いしてんじゃねぇよっ!!」

 こうひざにキックを入れ、カオスな状況を打破するあつし。そして誰となく一同、大声で笑った。



 こうして、これまでの人生の中で群を抜いて、良くも悪くも印象的なエールを受け、こうは新たなステージへと旅立った。

 



 

「……よぉ」

 懐月なつきの仕事終わり。

 何故なぜかスーツ姿で【libve-rallyライヴラリー】に迎えに来たあつしを華麗にスルーし、横切ろうとする懐月なつき

 しかし、彼に腕を捕まれ、歩を止められた。



さっきは、強引な上に唐突で、悪かった!

 でも、俺……どうしてもあんたに、カミュを送り出して欲しかったんだ!」

「はいはい。

 世話を焼かせて、どうも悪かったわー」

 ……うるさい。



「お詫びと言っちゃなんだけどよ!

 今日は、あんたの大好物、沢山、作ったからよ!

 なっ!? それで、勘弁してくれ! 頼む!」

「へーそー。

 それは、楽しみねー」

 うるさい。



本当ホントか!?

 実は、アイスも買って来てたんだ!

 あんたの好きな、雪見だいふく「うるさいってんのよ、このでしゃばりがぁっ!!」



 ついに心の声がれた懐月なつきは、振り向きざまに彼のネクタイを強引につかみ黙らせ、背伸びで身長差をカバーし。

 自身の唇で口封じに出た。



「むぅっ……!?」

 しばらく、静止する二人。

 次に懐月なつきは、ネクタイを離し、彼の後頭部に両手を回し、さらに深く口付けを交わす。

 しかし、あつしも嫌な気はしないらしく、束の間、その感触に浸った。



「ぷはぁっ……!!

 いきなり、何すんだ!?

 そもそも、あんたと俺は、そんな特別な間柄じゃあ」

 自由の身となったあつしが、決して唇を拭こうとせず、怒りではなく疑念により、懐月なつきに文句を言い放つ。

 懐月なつきは、何事も無かったかのように涼やかに、再び彼に背を向けた。



あたしが悪ぅござんした。

 いから、とっとと帰るわよ。その……。

 ……【あつし】」

「あぁ!?

 聞こえねぇよ!!」

あつしってったのよ、馬鹿ぁっ!!」

「はぁっ!?

 誰が馬鹿だぁ!?

 つか、何でいきなり呼び捨て」



 一秒。

 二秒。

 三秒。

 そして四秒目。

 やっとあつしは、懐月なつきの言わんとする内容を取った。 



「あんた……。

 ……マジか?」

「……返事、しなさいよ。自称、気遣い屋。

 テンパってるからって、ラグるんじゃないわよ。 流石さすがあたしでも、機械はともかく、人間はデバッグ出来ないわ」

「いや……だって別に、付き合おうとか言ってな」

「返事ぃっ!!

 しろってんでしょ、この女泣かせ!!」

「俺が行く前からボロボロだったろうが、あんたぁっ!!

 だぁ、ったく……」

 髪を少しグシャグシャにし、覚悟を決めたあつしは、懐月なつきの横に立ち。

 雑に、不器用に、けれど優しく、手をにぎった。



「とっとと、帰っぞ。

 ーー【懐月なつき】」



 イエスと受け取った懐月なつきは、背中の後ろに右手を回しひそかにガッツポーズし、あつしと一緒に歩く。



「……呼び捨てまでは、許可してない。

 罰金。慰謝料」

「誰が払うか!

 そもそも、あんたがウジウジなり暴走なりするからだろうが!」

「仮にも年上に対して随分ずいぶん、生意気ね!?

 開発されたいのかしら!?」

「言ってねぇし、思ってねぇよ!

 てか、いつ誕生日迎えた!? 教えろよ、祝わせろよ!

 そういうのは、きちんと!

 そもそも【libve-rallyライヴラリー】は、そういう、アットホームな職場だし、カップルっぽいんだから、別にいだろが!?」

「『っぽい』……?

 今、『っぽい』って言った!?

 言ったわよね!? この顔面脅迫罪!!

 徹頭てっとう徹尾てつび、三六五日、二四時間、老若ろうにゃく男女なんにょが相思相愛と判断するに決まってんでしょうが!!

 だったら、やってやろうじゃないのよ!

 360°から見ても恋人らしい事ぉっ!!」

「や、めろぉぉぉぉぉっ!!

 俺は、そういうの、慣れてねんだよぉぉぉぉぉっ!!」

 と、こんな形で、交際を始めた二人。



 いつも通り喧嘩けんかをしつつも、恋人繋ぎで結ばれた両手は、家に着くまで決して放さなかった。






『あー、もしもし、神青しんじょうくん?

 やっぱ、君をスカウトするの、無しの方向でよろー、ごめんちゃーい。

 時代はアイドルアニメよ!

 てわけで、チャオー。ご武運をー』



「「「……」」」



 翌日。三人で引っ越しの準備を進めていた所、歳夏さいげ社長から、そんな電話があった。

 こうして三人で必死に掛け合った結果、神青しんじょう こうは、住処も職場も、引き続き残留する方針となった。





「……なんだったんだ……」

本当ホントだわ……。

 気紛れだとは思っていたけど、ここまでだなんてね……」

いくなんでも、想像を絶しぎだろ……」

「大ヒット作と同じ分だけ、大爆死作を粗製、蘇生濫造してるのもうなずけるわね……」



 こうの部屋を元通りに直し終え、肉体的にも精神的にも疲労困憊の二人。

 家主は「せめてジュースくらい奢らせてぇ!?」と騒ぎながら外出したので、今は二人だけである。



「……ったく……大恥の掻き損じゃない……。

 このあたしに、こんな仕打ちを与えるなんて……」

「割とでもなんでもく、出会った頃から年中無休で、天衣無縫のオチ要因だったけどな。

 あんた」

 あつしの脛を蹴りながらも、隣に座る懐月なつき

 


「でも、まぁ……損ばかりでもないし、結果オーライかしらね」

「はぁ?」

 わずかに痛がりつつ、懐月なつきの方を振り返るあつし

 次の瞬間。



 肩には、頭。

 腕には、胸。

 二箇所に、懐月なつきの感触がった。



「な、懐月なつき、さん?」

「……今はカップル営業時間中。

 気ぃ利かせて、呼び捨てくらいしてご覧さいよ。

 バーカ、バーカ。

 あつしのドヘタレ、カバチタレ」

「い、いきなり、こういうことされて、冷静でなんか、いられっか……。

 てか、その、あれだ……得ってのは、なんだ……。

 ……そういうことで、いんだよ、な……?

 期待しても。信じても。自惚うぬぼれても……い、よな?」

「……聞くな。察しろ。

 あるいは、流せ」

「あんた……流すとか、無理過ぎんだろ、それ……」



 怪我の功名ではあったものの。

 こうして二人は、恋人同士としてようやく、けれど着実に、歩き出したのだった。

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