Task.8「格好良い彼女を止めるには」

「待てって!

 守真伊すまいさん!」



 店を出て数分後。

 あつしは見慣れた後ろ姿を発見し、ぐに後を追う。

 


 懐月なつきは、意表を突かれた形相をしたあとぐに取り繕う。



「……熱田にえた

 あんたまで不在になって、どうするのよ。

 どういうもりなのよ」

「もう謝罪は済ませて来た。

 それより……あんたに、聞きたいことる」



 年甲斐もく全力疾走した所為せいで、息が上がるあつし

 しかし、力尽ちからずくで落ち着かせ、真意を問う。



「あんただろ?

 一万円の不足、埋め合わせしたの。

 そっちこそ、どういうもりなんだよ」

「っ!」



 予想外の質問だったらしい。

 懐月なつきが、露骨に顔を顰める。

 が、ぐ様、平時のごとく調整する。



「……なんの話よ」

とぼけも無駄だ。

 とっくにネタは上がってんだ。

 他のスタッフにもバレてる。

 さぁ……大人しく、白状してもらうか」



 退路が断たれたのを悟り、懐月なつきは嘆息した。



「……どうもこうもいわ。

 この方が、円滑に回る。ただ、それだけよ」



 あぁ……まただ。また、この疎外感。

 目で、腕で、体全体で、主張されてる。

 お前には関係ない、引っ込んでろって。

 


「あんたの身を削ってまで、回されたくねんだよ」

「でも、現にそうなったわ。

 あたしが不足分を補ったことで、あんたは店長達たちに頭を下げなくてくなった。

 みんなのモチベ、パフォーマンス、安心、時間削減にも繋がった。

 おかげで、業務にも差し支えない。

 お客様にも迷惑がかからない。 

 こと尽くめじゃない」



 相変わらず、屁理屈を武器にする懐月なつき

 対するあつしには、太刀打ちするすべなど、無いに等しかった。



 不意に、懐月なつきが腕時計を見た。

 まるで、こんなふうにしているのさえ、時間の空費だとでも言うように。

 あつしは、それがカチンと来た。



なんで……なんで、そうなんだよ、あんたは!

 いつも……いつも、いつも! なんで、なにも教えてくれねんだっ!

 なんで、本音を明かしちゃくれねんだよぉっ!!」



「決まってるわ。

 感情なんて、仕事にはまった必要無い、むしろ阻害要因でしかないから。

 情に流されても、ろくことにしかならない」



 本心を偽る、守るように腕組みし、明後日の方を向き、懐月なつきは持論を展開する。



熱田にえた。あんたも、社会人なら、身に沁みてるはず

 あたし達は、トップじゃない。あくまでも、雇われ仕事なのよ。

 あたし達が無駄話に興じていても、手立てや原因が見付からず迷い、困窮している間も、あたし達の給料は分け隔てく、職場に滞在した分だけ発生する。

 直情的になっても、はかどらなくなり、同僚からも顧客からもマイナスイメージを持たれ、サイレントコンプレーナーを増やすだけ。

 悪いこと尽くめじゃない」

「だからって!

 なにも休憩中にまで、その姿勢を貫かなくったって!」

「そこで隙を見せた結果、遅かれ早かれ、業務中まで公私混同するのがオチよ。

 そもそもあたしには、休憩中にしゃべるという、そのこと自体が理解出来できない。

 休憩ってのは、すべからく、心と体を落ち着かせるための物。

 そんなことをしても、体はともかく、精神的には回復しないわ。

 そもそも」



 ギロッと、あつしを両目で捉え、正面から懐月なつきは告げる。



「あんただって、同じじゃない。

 あたしに、本音を隠してる。

 さっきから絶えず、自分の意見は根こそぎ伏せて、最低限の常套句しか、あたしに届けてない。

 あんた個人の意見は、どこにるというの」

「……っ!!」



 図星だった。

 確かにあつしは、彼女の前に立ってから、自分の考えを一切、伝えようとしていなかった。

 効率重視を意識した結果、それらしいことしか言えてなかった。



 そこに来て、あつしは初めて理解した。

 懐月なつきが、期待を裏切られたような、失望したような眼差しで、自分を見ていたことに。



「別に、悪いことではないわ。他者と働く以上、仕方のい、当たり前のことだもの。

 ただ……イング形であたしに瓜二つのことをしている今の熱田にえたに、そんな説教なんざ垂らされたくない」



 ぐうの音も出ないほどに、正論だった。

 今の自分には、彼女を止める資格など、かったのだ。



 論破され、なにも返せず、黙りこけるあつし

 そんな彼の前で、懐月なつきは再び時計を一瞥し、背中を向けた。



「手間取らせたわね。

 今直ぐ、お戻りなさい。

 あたしなら、平気。ちょっと予定には遅れるかもだけど、ちゃんと帰るから。

 だから、お願い、熱田にえた

 早く、帰って。

 あたしの前に、立ちはだからないで。

 これ以上……あんたを、嫌わせないで」

「あ……」



 離れて行く。

 手に届く距離にた、懐月なつきが。

 懐月なつきの心が、どんどん遠ざかって行く。

 自分が、不甲斐ないばっかりに。



 駄目ダメだ。

 諦念に押し潰され、覆い隠され、崩れ落ちそうになるあつし



 違う。 

 こんなんじゃ、あの人には届かない。

 通じない、叶わない、てんで足りない。



 それ以前に、俺が……。

 俺が、彼女に言いたいのは……!



格好かっこぎんだよっ!!

 あんたはっ!!」



 離れる一方だった懐月なつきがピタッと、足を止めた。

 そんな彼女の背中に向け、あつしは一頻りに叫ぶ。

 プライドも、大義名分も、世間体も、すべて度外視して。



「そうだよ、間違ってんよ!

 仮にもあんたを止めに、注意しに来た立場であるはずの俺が、異性のあんたに向けて、こんなふうに賛美してるのも!

 あんたが今、ことげに、誰にも悟られず怪しまれず、それでいてひけらかしたりもせず、あくまでも水面下で、自己犠牲精神旺盛の慈善事業をし続けてるのも!

 でも、仕方無ぇだろ!? そう思っちまってんだから! 色んなしがらみ取っ払った結果、俺ん中にゃもう、そんな畏敬の念しか残ってねんだからっ!!」



 そう。今、あつしの心を、意識を支配しているのは、それだけだった。

 スマートでいて不器用。頭がいのに抜けてる。無表情かと思いきや存外ユニーク。

 クールでストイック。純粋で仲間思い。守銭奴のくせして、折角せっかくの給料でさえ、同僚のためなら平気でどぶに捨てられる。

 そんな大人の姿に、どうして心を打たれずに、憧れずにいられよう。

 どうして、恋い焦がれずにいられよう。



「あんた、俺をっ倒してぇんだろ!?

 タメなのに偉そうに説教垂れる俺を、ちのめしてぇんだろ!?

 田舎者のくせして歯向かうことに、我慢ならねぇんだろ!?

 だから理論武装して、自分の正しさを、強さを証明し、叩き付けたいだけなんだろ!?

 だったら、そうしろよ! こちとら、望む所だ!

 ただし! これだけは、肝に銘じとけ!

 俺は正攻法、正々堂々とした真剣勝負以外、断固拒否、不認可だ!

 こんなチート紛いなやり口でのポイント稼ぎなんざ、してんじゃねぇ!

 頼むからよ! もっと普通に、戦ってくれよ!

 じゃなきゃ、男として、先輩として、大人として、元師匠として、タメとして、戦友として、競争相手として、ライバルとしての、俺の立場がぇんだよぉ!!」



 感極まったあまり、気付けばあつしの視界は、溢れる涙で遮られつつあった。

 しかし、あつしはそれを隠そうとせず、かといって袖で拭う素振りも見せず、そのまま流れるままに任せた。

 さながら、それが自分の勲章であると誇示するかのよう



「……馬鹿バカ



 それまでだんまりを貫いていた懐月なつきが、彼に近付き、ようやっと開口した。

 彼女は、あつしへの好意が垣間見える形相で、彼に近付き、その涙をハンカチで拭う。



本当ホント……とんでもない馬鹿バカね、あんた。

 なに、勝手に決め付けて、一方的にまくし立て、騒ぎ立て、あまつさえ泣いてるのよ。

 みっともないったらありゃしないわね。

 そもそも、女性に対して『格好かっこい』とはなによ?

 大体、あたし、あんたのこと、同僚だとは思ってるけど、師匠だなんて思ってはないわよ」

「〜っ!!

 す、好きで泣いてんじゃねぇ!!」 

「あら?

 あたしことが『好き』で、追いかけ、追い詰めたんじゃないのかしら?」

「思い上がんなっ! んなんじゃ断じてねぇ!

 誰の所為せいで、こんなんなってっと思って」

「あんたでしょ。

 うるさいのも、こんなんなってる原因も」



 あつしの頬を抓る懐月なつき

 離したあとあきらめたような表情を懐月なつきは見せた。



「……仕方しかたいわね。

 あんたも一緒に来なさい。

 い? これは、命令よ? あんたの上司としての、ね。

 部外者の身で気取けどって気取きどって首突っ込んで、大衆の面前で、このあたしに恥をかかせ続けた罰よ」

「部外者はぇだろ。

 つか、どこに?」

「百聞は一見にかず。

 黙って付いて来さえすればいのよ。

 とっとと行くわよ」

「けっ。偉っそーに。

 分ぁったよ。行きゃぁいんだろ、行きゃぁよ」



 こんな調子で、足を進めつつも、いつも通り喧嘩を始める二人。

 その雰囲気は、ピリピリした台詞セリフには似つかないほどに、和やかだった。





「すみません。遅くなりました。

 ちょっと、予期せぬトラブルがあって」

「いえいえ。

 ご連絡、ご足労頂き、感謝致します」

「こちらこそ。

 して、くだんの話は、どうなっておりますでしょうか?」

「滞りく完了しました」

「黒だった。ということで宜しいので?」

「ええ。お手柄がらです。

 こちらにどうぞ。ご案内致します」

「畏まりました。

 ありがとうございます」

「……」



 目の前で実にスムーズに繰り広げられる警察官と同僚のやり取りに、あつしは絶句した。

 ところで、今更ながら何故なぜ、自分は警察署になどるのだろうか。

 こんな性格、口調でありながら、ご厄介になるような心当たりは流石さすがいのだが。



熱田にえたなにしてるのよ。

 行くわよ」

「お?

 お、おう」



 懐月なつきに肘で小突かれ、仕方しかたあつしは、事情も飲み込めないまま、後に続いた。



 やがて二人は、取調室に辿り着いた。

 そこには、何人かの警察官、そして明らかに未成年とおぼしき少年達がた。

 その現場を見ても、あつしには、なにが何やら、さっぱりだった。



熱田にえた。よぉくご覧なさい。

 この坊や達が、うちで相次いで起こってた一連の騒動の犯人よ」

「は?」

「だ、か、ら。

 痴漢に万引き、器物損害に盗難、悪戯電話にラベル張り替え、セクハラ電話にトイレまり、商品の置き間違えに不明瞭な理由での返品、明らかに意図的に中身を別物にすり替えて、あるいは傷付けた上での交換対応、適当な住所を使っての偽の出張予約、ポイ捨てに喫煙、遅延行為に塗れた商品検索、不必要なほどに繰り返される両替。

 そしてなにより、度重なる過不足の原因。ピーク・タイムやセール時、閉店間際にばかり出没し、万札でしか会計をせず、それでいて五千円ではなく千円札でしかお釣りを受け取らないやり方を徹底し、複数人での横暴な態度で研修員達に精神負荷をかけ、意図的に授受ミスを引き起こさせ、結果的に着服していたのよ。

 証拠なら、もう上がってるわ。あたしが呼び寄せた、東京で日夜、犯罪を暴いている、知り合いの名探偵によってね。

 で、警察の方々にご協力頂いて、洗いざらい自供させた所」

「……は?」



 あまりに突然過ぎる展開に付いて行けず、ポカンとするあつし

 対する懐月なつきは、胸の下で腕を組み、高圧的な雰囲気で、犯罪者達の前に立つ。



「あんた達、いつぞやアダルトコーナーにたら、あたしに注意された連中よね?

 で、それの腹いせ、資金稼ぎが目的で、寄ってたかって、あんなこっす真似マネに勤しんでいたと?

 随分ずいぶんい根性してるわねぇ。

 あたしめられたもんだわ。これでもあたし、一時期は都会で大暴れしてた、そこそこ名の知れた腕利きのキャリアウーマンなのよ?

 こっちは、あんた達を確実に一網打尽にするために、えてしばらく泳がせてやってただけなのにねぇ。

 バレるかバレないかの限り限りギリギリのスリルを味わいたかったのか、どこまでもあたし達を愚弄し尽くしたかったのかは、定かじゃない、てかどうでもいけど。いずれにしても、流石さすがにやりぎたわねぇ。

 あんた達を追い詰めた探偵くんも大層、嘆いていたわ。『態々わざわざ、自分が来るような案件じゃなかった。あたしじゃなきゃ依頼された時点で断ってた』ってね。

 可哀想な坊や達。ゲームしたいんだったら、これからはず、対戦相手のことを徹底的に洗い出しておくことね。

 まぁ……坊や達はもう、社会的にも精神的にも、そんなくっだらない真似マネ出来できそうにないけど。今回の件、マスコミ沙汰にはかろうじてなってないけど、あんた達の学校と家族、内定してた企業や大学には通達済みだから。

 田舎って、不便よねぇ。ちょっとでも悪評が生まれれば、SNSなんて目じゃないレベルで、ぐに広がるんだもの。

 これから社会復帰するのは大変だろうけど、自業自得よね。何十年もかけて甘んじて、受けなさい。

 もし本当ほんとうに改心したのであれば、あるいは、あんた達みたいな前科者も、面倒見てくれる所が現れるかもしれないわね」



「……」



 田舎の中古本屋なんぞに、収まるレベルじゃない。

 懐月なつきに対し、あつしは常々、そう思っていた。

 その認識は、間違っていなかった。彼女と自分は、生まれて来た場所も、育って来た環境も、働いて来た世界も違う。

 何もかもが、自分とは異質、別次元なのだと。



 同じようことを思っているのか、しくは単に恐れ戦いているにぎないのか。

 少年達は、謝罪する気力も、泣いて縋る様子ようすも見せないまま、ただビクビク、プルプルと体を震わせ、うつむき続けていた。





「あーん。

 お帰りなさい、あたし可愛かわい可愛かわいお金むすこちゃんたちぃ。

 無事に戻ってきてくれてママ、本当ホントうれしいわぁ。

 計画遂行のためとはいえ、手放しちゃってごめんなさいねぇ。

 もう二度と放さないからねぇ」



 そんなふうにキャラブレなまでにデレデレと頬スリスリし、キスまでし、かと思えば一瞬でポーカーフェイスに戻る懐月なつき

 ……いや。鼻歌混じりに札束ビンタをしている辺り、戻し切れてはいない模様もようだ。

 というか。



「おい……それ、弁償金……」

「違うわ。謝礼の方よ。

 そっちはきちんと、取られたり台無しにされた分の費用に回すわよ」

「だと、いがな……」

「ところでこれ、高値で売れないかしら?

 そうね……三十路の口付け金とか、どう?」

「君の名○みたいなことしようとすんじゃねぇ!

 てか、手放さないったろーが!」

「……倍になって帰って来るのなら、願ったり叶ったりじゃない?」

「踏み留まれよ!

 じゃなくって!」

 いつも通り入れなさそうだったので、あつしは早速、本題を切り出す。



「あんた……いつから気付いてたってか、仕込んでた?」

「ん?

 最初からに決まってるでしょ?

 目深帽なんか被ってれば、『犯人は自分だ』って自己主張してるようなもんじゃない」

「じゃあ、なんでこんな、間怠まだるっこしい上にリスキーな暴挙に出たんだよ?」

 ひー、ふー、みー……と数え直しつつ、されど歩みを止めない懐月なつき

 彼女は、札束を丁寧に札束(チェーン付きな辺りお手製らしい)に入れポケットに忍ばせ、何故なぜか「ご馳走様です……」と合掌し涙を流してから、あつしに答える。

 余談だが、よもや彼女は、お金を引き下ろす度に、このルーティーンを行っているのだろうか。



「別に、変なこっちゃないわよ。

 うちの社訓、推定無罪にのっとった。それだけよ」

「本当は?」

「えー、だって、だってぇ。

 久しく味わってなかった、一攫千金欲を、一時的にでも消化したくってぇ。

 内、安月給なのが難点よねぇ。まぁその分、税金ダメージ少なくて済むから、就職したんだけれど」

「どっちも、んなこったろーと思ったわ!

 あんた、どんだけお金にご執心なんだよっ!? 周囲の迷惑も考えろっ!!」

「連中があそこまで豆腐メンタルで陰湿だなんて、計算外だったのよ。

 まさか、他のイレギュラーも、坊やたちが主犯だったなんて、さしものあたしも予想だにしていなかったわ。

 てっきり、別の犯罪者とばかり思ってたもの。

 あと、あたしが補填したのは、今回だけよ」

「あー、そうかよっ! 良心の欠片かけらは残ってるみてぇで安心したよっ!

 てか、そんなんだったら、銀行なりATMなりで一気に落としゃあいだろがっ!!」

いやよ。あんな、人気ひとける場所。疑心暗鬼待ったしじゃない。 

 愛しい我が子を狙う不埒な輩が何匹、蔓延ってることか……想像するだに悍ましいわ。

 ATMも同様よ。あたし、昔、財布に入れる直前でスラれそうになったことがあったの。ま、条件反射で背負い投げて、ついでに手が滑った振りして引ん剥いてやったけどね」

「……一応、確認だけど。

 そいつ、性別は?」

「女よ? 中身に相応して外見まで浅ましい、フリュ○みたいな芋虫女。

 しかも、面白いことに、パットで偽装しまくってたの。スッカスカなのは頭だけにしとけっての。

 エリ○さまなんて目じゃないレベルだったわ。あれじゃあ、アクシ○教徒並みの配下すら持てないでしょうね。

 あの時は、快感だったわぁ。あの盗人の、色んな羞恥心と絶望で満ちた声を聞いた瞬間、溢れそうになった唾液を抑えながら従業員を呼ぶのに、苦労したわぁ」

「……」



 こいつにとっての敵は、男だけには留まらないのか。

 そう、あつしは認識をアップデートした。



 そして、改めてみずからに言い聞かせた。

 是が非でも、全財産を賭してでも。こいつだけは、絶対ぜったいに敵に回してはならない、と。



「しっかし、残念だったわぁ。

 結局、今日、行方不明になった諭吉ちゃんは、坊や達とは無関係だったとはね……」



「ん?

 あー、忘れてた。

 それなら、ったぞ」



 実にあっさり、容易く、とんでもないことを言うあつし

 瞬間、彼は思った。後にも先にも、守真伊すまい 懐月なつきの間抜け面を見るのは、これが。

 いや……ともすれば、自分だけかもしれない、と。



「……どこに?」

「ドロワーの下。

 ったく……凡ミスも凡ミスだよ。

 だから、あんたを呼び止めに向かったってのに。

 あんたもあんただよ。普段、慎重派なんだから、こういう時も、もうちと冷静に、状況なり周辺なりチェックしろよ。

 泥臭いのぁいやなのぁ分かるが、こういうとこ怠慢にしたら、客商売じゃなくても成り立たねぇぞ?」



 いつものようにお説教を開始するあつし

 が、ふと懐月なつきが無言になり、かと思えば禍々まがまがしいオーラを放ち始める。



「はっ……なによ、それ……。

 え? じゃあ、なにあたしが負けたっての?

 このあたしが? あんたごときに?

 馬鹿バカ言うんじゃないわよ……。出張代でなん人、愛する我が子をなくなくくしたと思ってるのよ……。

 認めない……断じて、認めない……。こんなの、あたしは、あたしが絶対、認めない……。

 グッバイ軍配とか、冗談じゃないわ……。あたしは、グッバイ失敗、グッバイ心配寄りなのよ……」

「す、守真伊すまいさん?

 漢字、違うぞ?

 あと、色々と弱そうだぞ?」

「そもそも、あたしは最初から、過不足の件だけは、あいつの仕業だって確信してた……。

 裏を取らなきゃみんなが、特にあんたが生意気に、頭ごなしに糾弾して来そうだったから、それがいやで、面倒で呼び出しただけなのに……。

 そうよ……。全部、あんたの所為せい……あんたが、あたしの愛息子を殺したのよ……」

「や、だなぁ、人聞き悪い。

 ほ、ほらぁ、あれだろ? 諭吉のことだろ? ようは、万札だろ?

 そういう紛らわしい言い方は、控えてくれないとぉ。ただでさえ俺、人相悪いんだし、さぁ……。

 てか、あれだ。だったら最初から、近くの探偵とかに済ませとけばかったんじゃ……?」 

「少しは頭使え……こんな田舎に優秀な、信頼の置ける密偵なんて、わけいでしょうが……。

 仮にたとしても、そんなんを当てにしたら、ドブるだけじゃない……。

 あたしは賢いの、完璧なの、完全無欠なの……だから最初からえて、確定ガチャ感覚で、URを引き抜いたんじゃない……。

 あんた、脳味噌ノーマルなの……?」

「普段ならそれで満足するんだが、今の流れからして中々に不当だなぁ……。

 高望みはしないから、せめてSR《エスレア》くらいにしてくれよ……」



 依然として横でブツブツと呪詛を唱える懐月なつき

 どうしろってんだよ……てか、どうすりゃかったってんだよ……と毒付きつつ、いつもより気持ち弱めな語気で合いの手なりツッコミなりを入れるあつし



 そうして二人は、露骨に怪しい様子ようすで、トボトボと帰社したのだった。





 井出、戸松、端山。

 井戸端トリオと呼ばれる、【libve-rallyライヴラリー】名物の奥様チーム。

 そんな三人に誘われ、休憩中にもかかわらず、懐月なつきは外出せず、スタッフルームにた。



「あ、あの……。

 なんでしょうか……」



 身に覚えがぎる所為せいで、がらにもなく萎縮する懐月なつき

 一方、井戸端トリオは無言で、懐月なつきにも座るように命じた。

 詮無いので、懐月なつきは従った。



「……お金」

「え?

 え、ええ……。

 あたしが一時的に建て替えてました、けれど……」

「そうじゃないわ」

「どこにったのか、あつしちゃんに聞いたの?」



 どうやら、怒っているわけではないらしい。

 胸を撫で下ろした懐月なつきは、兜の尾を締め直し、正直に返す。



「……ドロワーの下、と」

「はぁ……」

「やっぱりねぇ……」

「そんなことだと思ったわ……。

 あのあつしちゃんだもの……」

「不憫……。

 報われないにもほどるわ、あの子ったら……」

「そりゃ、『生熱田いけにえた』だなんて呼ばれるに至るわよ……。

 あの子、あんまりにも自分を、みずから率先して犠牲にしぎなのよ」

「しかも、無自覚で、一切躊躇ちゅうちょせず即行動し、それでいて口も立つだなんて」

本当ホント……不遇の星にでも生まれたのかしら、あの子は」



 要領を得ないやり取り。

 懐月なつきは、単刀直入に尋ねる。



「あれね?

 ゴミ箱から発掘したの」

「……は?」



 ようとしたら、先にネタバラシされた。



「しかも、レジ下だけじゃないわ。

 加工台や買取台の下、バックヤードやパソコンルーム、店中のすべてのゴミ箱を漁ったの。

 無論、後処理に困らないよう、散らかさずにね」

「あの子ったら、本当に信じられないわ。

 いくら、肘までの手袋越しとはいえ、埃や吸い殻、煙草なんかも入ってるゴミ箱に、微塵の迷いもく、突っ込むんだもの」

「しかも、指の感覚だけで探り当てるだなんて。

 慣れたものよねぇ、本当ホント

「それにしても、まさかパソコンルームだったとはねぇ。

 両替のチェックをしている時に落としたのかしらねぇ」

いずれにしても、気を付けましょう。

 これ以上、あつしちゃんの負担にならないよう



 勝手に話し始め、勝手に落とす井戸端トリオ。

 おかげ懐月なつきは、無視されたことも合わせて、戸惑い中である。



「……なんで、それをあたしに?」



 このまま放っておいても脱線するだけだと察し、自分から真意を問う懐月なつき

 そんな彼女に、奥様方は微笑ほほえんだ。



「あなたに、教えたかったからよ。

 無駄じゃないお喋りだって、るってこと

大方おおかた、都会ではさぞかし苦労したんでしょう?

 無駄口を叩くなとか、口答えするなとか、そういうの言われ続けてたのよね?

 それこそ、田舎から出ていない私達には、想像も及ばないくらいの」

「……大変ではありましたね」



 事実なので、臆面もしに答える。

 そんな小生意気な懐月なつきの発言に、三人はドッと笑った。



「安心なさい。

 内は、このご時世にめずらしく、アットホームを地で行く職場だもの」

「だから、無理強いはしないけど、なるべく休憩は一緒に過ごしてしいわ。

 丁度あなたが、家族と一緒に食事を取るのと、同じように、ね」

「私達も、あなたのこと、もっと知りたいの。

 あなたの好きな物、好きなこと、もっと教えてしい。

 あなたと、もっと仲良くなりたいのよ」

「そうそう。

 気心が知れていた方が、コミュニケーションも取りやすいわよ」

「別に、スマホをポチポチしながらでも一向に構わないわ。

 今時、それくらい普通だし、その程度で目くじら立てるほど、狭量でもないもの」

「ここには、あつしちゃんお手製の料理、お菓子だってるのよ。

 あの子、ほぼ毎日、非番の日だって、差し入れてくれるのよ。

 まぁ私達も、お駄賃なりでお返ししてるけどね」

本当ホント、あの子には感謝したってし切れないわ」

「早く素敵な貰い手が現れるといのだけど」

「ほら。

 やっぱり、あれよ。

 私達が、あの子のお見合い相手を探しましょう」

「でも前、断られたじゃない」

「今度は水面下で、バレないように、やるのよ」

「じゃあドラマ部分は私に任せて頂戴ちょうだい

 きっちりシナリオを作り上げてみせるわ」

ぁよ。

 井出さん、昼ドラ好きなんだもの。

 絶対ぜったいドロドロするに決まってるわ」

「戸松さんだって、イヤミス好きじゃない」

「……」



 案のじょうというか、なんと言うか……。

 いつの間にか、すっかり井戸端会議にシフトしてあるトリオ。

 


 しかし、懐月なつきはそこに、居心地いごこちさを覚えた。

 熱田にえた家に招待された時と、同一種の。



「……聞かせてください」

 スマホを片手に、懐月なつきは頼む。

「あいつの弱味を握るのに、打って付けです」



 なおも強気な、懐月なつきの物言い。

 それを受け、奥様方の話は更にヒートアップ。

 懐月なつきも、満更でも無さそうな様子ようすで、それを聴き、まれに質問する。



 この日から、懐月なつきは休憩室に居着くようになった。

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