Task.6「恋人同士を見極めろ」

いお店よね。

 元気そうで安心したわ、ソラ」

「そっちも、元気そうでホッとした。

 でも、どうして連絡くれなかったの?」

格好かっこ悪い所、見せたくなかったのよ。

 あんたには、取り分け」

「別に、気にしなくていのに。

 恥ずかしい所なんて、いくらでも見て来たんだからさ」

「……それもそうね。

 がらにもなく、めずらしく、あたしが愚かだったわ」  

「そうだよ。

 もっと頼ってよ。

 じゃなきゃ、心配させられっ放しじゃない」

「……分かったわよ。

 次からは、そうするわ」

「ん。そうして」

「「……」」



 おいおい……と、あつしは思った。

 こんなん、いつ、誰が、誰と、どこで、どのように、何度、なにで見ても、脈ありでしかねぇじゃねぇかと……。

 なんだよ、この、圧倒的連れ添って来た感は……。



「参ったぜ……。

 まさか、あそこまでとは……」

「ああ、本当ほんとうに、けしからんね……。

 おかげさっきから、右手がノンストップだよ……」

「そりゃ、そんだけペンをせわしなく走らせ続けてりゃあなぁ。

 てか、妙ない回し止めろや」

あつしって、本当ほんとうに中学生染みてるよね」



 一縷の望みを託し、カフェ・里楽りらくを訪れたあつし凛久りく

 あつしの読み通り、くだんの謎の爽やか穏やかイケメンとセットで、そこに懐月なつきた。

 それも、カウンターではなく、テーブル席に。

 どうやら、懐月なつきの知り合いの店主(ソラというらしい)も、今日は非番らしい。



 にしても……何故なぜ二人は、向かい合ってではなく、隣り合って座っているのか。 

 輪をかけて、カップルっぽいではないか。

 おかげで、あつしは胸中が、凛久りくは脳内が騒がしくてならない。



「……ソラ……。

 ……、い……?」

 物欲し、扇情的な眼差しで、許しを乞う懐月なつき



 それを視界に入れた瞬間、自分に向けられているわけでもないのに、あつしは顔がたちまち、ブワッと熱く、赤くなった。



 凛久りく凛久りくで、「ふぉぉぉぉぉ……」と小声で叫びながら、火花でも飛びそうなまでのスピードで二次元化して行く。

 最初はストーリー、漫画仕立てにするもりだったが、それすらも焦れったいらしく、イベントスチルがごとく一枚絵にして進める。

 その光景は、紛うことく、限界オタクの姿である。

 全王様もオッタマゲである。

 ついでにあつしは、そんな彼女が怖くなって来たので、こっそり前に移動する。



「……どうぞ」

 ソラとやらは、甘く、丁寧、簡潔に返し。

 あろうことが、懐月なつきの肩を抱いた。



「……っ!?」



 思わず叫びそうになった口を抑え、息を整えるあつし

 凛久りく凛久りくで、首にかけ高さを調節した鞄とキスをし、どこぞの暗黒卿宜よろしく「シューコー……シューコー……」言っている。

 どちらかというと、凛久りくの方が重症である。



 あつしが反応に困っていると、ふと目の前のテーブルから、なにやら物音がする。

 視線を向け、ギョッとした。



 漫画だ。

 未だに鞄とイチャイチャ中の凛久りくの右手によって、目にも止まらぬスピード、それでいて静かに、テクニカルに、ハイクオリティに、アルバムの空白、純白のページが埋められ、染められて行く。

 その神業振りは最早、バクマ○の新妻エイ○のそれである。

 しかも、同時並行で左手で、負けず劣らずの早さ、上手さでスチルまで描き続けている。

 極めつけに本人、気もそぞろで、手元も原稿もまったく見てすらいないのに、いとも容易く、正確無比に、ベテラン感、只者じゃなさ過ぎるオーラを放ちながら、こんな高度な芸当を、惜しげもく披露している。

 


 なんて業の深さだ……。

 これなら、イラスト一本で食べてけるってのも頷けるわ……。

 と、そんなふうあつしが、ドン引きを通り越し、一周回って正直に見入る、感心するレベルだった。

 それはそれとして、一緒にるのは恥ずかしいので、別の席に移動する。

 


「……じゃあ……。

 ちょっと、借りる……」



 かと思えば、今度は懐月なつき側に進展。

 あの懐月なつきが。プライドも意識も身長のごとく高く、貸し借りはしないと断言してた、あの懐月なつきが。

 自分から、彼の肩に頭を乗せ、目を閉じた、寝始めたではないか。

 それはもう、恋人同士の象徴、俗に言う肩ズンではないか。



「……っ!!」



 思わぬ不意打ち、とどめを喰らい、放心寸前のあつし

 なんかもう、吐血しそうなまでに衝撃的である。

 ついには精神のみならず、肉体にまで負荷が差し迫っていた。



 ちなみに凛久りくは、声も上げずにテーブルに突っ伏している。

 それでいてペンタブ二刀流は健在、むしさらに精度が上がっている。

 気絶してるのかどうか怪しいレベルである。

 真っ白に燃え尽きつつある凛久りくに合掌し、彼女の姿を、あつしはメニューで隠す。

 最早、関わり合いになりたくないのはおろか、存在の認識すらしたくないのである。



「それで?」

 


 懐月なつきが熟睡中のため、話し相手がないはずのソラが、優雅に紅茶を嗜みながら、喋り始める。



ぼくに、何か用ですか?

 そこのお二方」



「……っ!!

 な、なんでバレたっ!?」

「あれだけ見られていれば、流石さすがに分かりますよ。

 それより、ちょっと語りませんか?

 あ……すみません。申し訳ありませんが、こちらまで来てはくださいませんか?

 僕が動いたら、が起きてしまう」



「ね……姉さん?」

 


 思わぬ呼び方に、疑問を抱くあつし

 確か彼女は、姉しかなかったような……。



 などと記憶を詮索、反芻はんすうしているうちに、凛久りくがガバッと起き上がり。



「義弟?

 幼馴染?

 いや……もしかして、隠し子? 腹違いの弟? 実弟?

 想像が……アイデアの湯水が、間欠泉が止まらないぃ……」

ぁってろ」


 

 上から手刀をお見舞い。

 今度こそ気絶させ、上書き保存し電源を落としたペンタブ二台を鞄に入れ、放置。

 そのまま単身、あつしはソラの正面に座る。



「待たせて悪かった。

 俺は、熱田にえた あつし

 そこの居眠り姫様さまの同僚だ」

「ご丁寧に、ありがとうございます。

 ぼくは、礎楽部そらべ 蛍都けいと

 姉さんの幼馴染で、タメです。

 以後、お見知り置きを」



 笑顔と共に手袋を外し、手を差し出すソラ改め蛍都けいと

 礼儀正しい対応を受けあつしは、なんやら途端とたんに恥ずかしくなり、紙ナフキンで手を拭いた後、握手に応えた。



「思った通り、お優しい方ですね」

「買い被りはよしてくれ。

 見ての通り、がらっぱちだ」

「そんなことはありませんよ。

 素朴であるがゆえに一見そう映るだけで、素材の良さ、内面の良さが見て取れます。

 それに」

「ん?」

「ただの野蛮人と、姉さんが交友を持つとは到底、思えません」

「お……おう……。

 そか……」



 なにやら先程から、懐月なつきに対する全幅の信頼が、そこはかとなく表れている。

 やはり、幼馴染というだけある、ということか。

 いずれにしても、ヤンデレの可能性がる以上、慎重に事を運ばなくては。

 そう自分に命じあつしは、目を鳴門なるとにしている凛久りくを一瞥し、親指で差しながらげる。


 

「そっちは、つむら 凛久りく

 詳しいことは知らんが、向こうで守真伊すまいさんの同僚で、唯一の理解者たる女性だったらしい。

 彼女を追い掛けて、数少ない情報を頼りに、こっちまで来たんだとさ」

「そうでしたか。

 では、姉さんの恩人ということになりますね」

「かもなぁ。

 出会ったのは昨晩で、きちんと話したのは数時間前なんで、そんなに知らんがな」

「その割には随分ずいぶん、仲がいというか、砕けていたような……」

くせなんだ。

 大家族の長男坊でな。子供の扱いには慣れてんだ。

 もっとも、流石さすがに手刀までは未経験だったがな。さっきまでは」

「なるほど。

 年季が違うと?」

「まぁ、そういうこったな。

 ところで、その、なんだ……あんたも、少しは砕けたらどうだ?

 ほらぁ、あれだ……口調とか、さぁ……」

「すみません。

 昔からのくせで。

 お気になさらず」

「お、おう……」



 物腰の柔らかさに反した、固い意思。

 なんというか、色々と強そうなののお出ましだなぁ。

 そんな感想を抱きつつ、話のネタに困り、あつしが困っていると。



「ところで」

「お?」

「姉さんとは、お付き合いを?」

「ぐっ!」



 思わぬ攻撃に、身構えるあつし

 が、ぐ様、反撃に転じる。



「そういうあんた」

蛍都けいとで構いません」

「じゃあ、蛍都けいとさん。

 俺のことは、好きに呼んでくれ。

 で、それは置いといてだ。あんたこそ、守真伊すまいさんの彼氏じゃないのか?」



 呼び捨てでいのに。強情で、真面目な方だ。

 とでも言いたげな、かすかに挑発的な微笑みを浮かべつつ、蛍都けいとは切なさそうに返す。



ぼくはあくまでも、姉さんにとっては、憩いの場、充電器でしかないので」

「それは……。

 好き同士……とは違う、のか?」

「似て非なります。

 姉さんは、ぼくに対し、笑ったり、甘えたりこそすれども、怒ったりは決してしないんです。

 荒々しい感情を、ぼくには絶対に、向けてくれないんです。

 昔から、そうだったんですよ。年は同じなのに、自分の方が先に産まれたからって、大人振るんです。

 ぼくは、そんな姉さんを、どうにかして倒したかった。

 ぼくにも、星実つづみさんにしてるみたいに、激情のままに叫んだり、まくし立ててしかった。

 弟以上の、以外の存在に、彼女にとっての一番いちばんに、どうしてもなりたかった。

 でも、叶わなかった。勉強でも、運動でも、それ以外のことでも、僕は常に彼女に先を越されていた。敵わなかった。

 そんなふうに日々を送っていたら、ぼくまで影響されたのか、こうなってました。

 ぼくには相変わらず、彼女を休ませる、受け入れる、治すことしか出来できません。

 まぁおかげで、高級ベッドよりも快適な寝心地をプレゼントするまでに、不覚にも成長したようですが」

蛍都けいとさん……」



 熱田にえた あつしには、恋愛経験がい。

 けれど、それでも分かる。男として、彼女に惹かれる者として。

 蛍都けいとの、呪いにも病気にも似た、複雑怪奇な胸の内を。



「今日一日中、笑顔で、あなたの話を聞かされました。

 それはもう、耳タコってレベルで。

 あつしさん。

 あなたは最初から、姉さんにツッコんでいたらしいですね。

 それからも、ことある毎に、姉さんと大喧嘩を繰り広げているとか……。

 羨ましい限りですよ。ぼくる時の姉さんは、いつだってスマートで、鉄壁で、完璧で。

 こうして休んでいる時以外は、隙の一つも見せてくれないので」

「俺から言わせりゃ、あんたの方が余程よほど、凄いよ」

「他の誰かにとっては、そうかもしれません。

 けど……姉さんに限っては、その範疇ではない。

 頑張り屋で、無理しぃで、意地っ張りで、口下手で、不器用で。

 そんな姉さんのパートナーとして相応ふさわしいのは、『静』と『動』、二つの面を、意図せず引き出せる人なんです。

 残念ながら、僕は『動』までは導けなかった。受け止め、受け入れることしか出来できなかった。

 ぼくがニ十年近くかけても達成出来できなかった偉業を。

 あつしさん。あなたは今、実に容易く、ことげに、早々に成し遂げてしまった。

 これを聞いて、ぼくがどれだけうれしかったのか、満たされたのか……悲しかったのか、分かりますか?

 あなたには、ぼくが絶えず切望した、喉から手が出そうなまでにしかった力が、確かに備わっているんですよ」

「……俺には……」



 握り拳を作り、左手で右の手首を掴み、あつしは否定する。



「俺には、それしかい。

 口を開けば、いつだって言い争ってばっか、コントを開かされてばっかだ。

 あんたみたいな、静かなパターン……俺のが、憧れるよ」



 懐月なつきが気になって。

 懐月なつきで頭が一杯で。

 懐月なつきが心配だから、一緒に暮らし始めて。

 懐月なつきを知りたいから、今日だって尾行みたいな真似マネをして。

 懐月なつきの力になりたいから、こうして赤裸々に暴露して。



 それでいてなおあつしには言い切れなかった。掴み切れなかった。

 この、得体の知れない、胸を焦がす、突き動かす、高鳴らせる、打ち付ける、初めての感情の正体を。

 


「だったら。

 これから探求し、生み出せばい」



 ほんの一瞬。

 たった一言。

 それで蛍都けいとは、あつしを黙らせ、唸らせた。

 彼の心の闇を、あっさりと振り払ってしまった。



「コーヒーと同じです。

 時間をかけて吟味、焙煎、ブレンド、粉砕、暖め、冷やし、抽出し。

 そうして完成した心が、生半可、紛い物であるはずい」



 コースターにカップを置き、正面切って、蛍都けいとは語る。



「あなたはまだ、姉さん……懐月なつきと出会って、日が浅い。

 ゆえに、都会で磨き上げて来た背景も相俟って、彼女に対し、強い劣等感を抱いてしまっている。

 当然の反応です。僕もまた、今はわずかに気後れしているのが現状です。

 けど……申し訳ないが、僕はまだ、彼女をあきらめるもりは、ありません。

 彼女にとって運命の、最高の相手が見付かる、見極めるまでは」

「あんた……」



 それまでフワフワした、ナヨッとした印象を受けた好青年が、ここに来てたちまち、男らしい顔をした。

 懐月なつき凛久りくが寝てくれている現状に、あつしは心から感謝した。

 二人には悪いが、これは男同士、男だけの聖戦、決闘だ。



あつしさん。

 これから僕は、全速力で、一直線で、彼女との差を縮めます。

 あなたにも、それを願います。……いいえ。

 あなたにも、そうなって頂きます。

 本当ほんとうに、彼女のことを知りたい。

 彼女の力に、一番いちばんに、唯一になりたいのであれば」



 案のじょうだ。

 と、あつしは無意識に笑った。

 とんでもない強者、つわものじゃねぇか……と。



 だが、そんなライバルの登場を、あつしは心から歓迎した。

 おかげで、目が覚め、本腰を入れられるからだ。



「……宣戦布告。

 そう受け取っていんだよなぁ?

 

 先手必勝と言わんばかりに仕掛しかけて来たあつしに、蛍都けいとも強気に笑った。



「是非、そうしてください。

 《《あつし》」



「へっ……上等」

 今度はあつしから、右手を差し出した。

 蛍都けいとも、再びグローブを外し、手を伸ばし。

 こうして二人は、先程とはまるで異なる趣旨の、握手を交わした。



「ん……んっ……」



 ふと、蛍都けいとの肩から零れた声に、気を取られる二人。

 起こしてしまったか……と一瞬、思ったが、どうやらなおも就寝中ではあるらしい。

 要は、なんことい、ただの寝言である。



 ホッ……としたのも束の間、はたと二人は気付きづく。

 もし今、この状況、状態で、どちらかの名前でも口にしようものなら……それは、絶対ぜったい的な優位性を齎すのではなかろうか、と。



 互いに目を合わせ、うなずき合い、息も声も潜め、懐月なつきの言葉に集中する男達。

 静寂に包まれる中、やがて、そこから放たれたのは。



「あ、つ……」



 無言で拳を突き上げ、静かに涙を流し、口パクで叫ぶあつし

 一方の蛍都けいとも、見るからに不満そうではあるものの、健闘を讃えるかのごとく、音は出さずに拍手を送る。



「何してるの?

 二人して」



 男達が子供っぽい心理戦を繰り広げる中、ようやく目覚めたらしい凛久りくが、欠伸をしながら現れた。

 あつし蛍都けいとは、互いの顔を見合った後、少し困ったふうに苦笑いした。



あつし

 ちょっと、こちらに」



 続いて不意に、蛍都けいとあつしに手招きをする。

 言われた通りにしたあつしの肩に、蛍都けいとが反対側から、懐月なつきを預けて来る。



「お、おい?」

いさぎよく譲るよ。

 ところでつむらさん、初めまして。

 ぼくは、礎楽部そらべ 蛍都けいと

 彼女の、幼馴染です」

「幼馴染……て、ことは……」

「ええ。

 あなたの好奇心、創作意欲を刺激するようなネタを、いくつも持ってます。

 今直ぐにでも提供したい所ですが生憎あいにく、そろそろ日が暮れます。

 立ち話もなんですし、帰路に就きがてら、お話しませんか?」

「乗った」



 と、いとも容易たやすく、自然に、スマートに、あつし懐月なつきは二人きりとなった。

 その原因である蛍都けいとは、「頑張ってください」と言いたにウインクをして、凛久りくをリードしつつ、先に店を出た。



「慣れてんなぁ……」

 大方おおかた星実つづみの面倒も見ていたがゆえの賜物だろう。

 そう取りつつも、やや面食らうあつし

 そんな彼のスマホに、タイムリーにメッセージが入る。



「PS

 寝起きの彼女は甘え上戸になります

 送り狼にならないようあるいは食べられないようけてください

 あと、スタッフに頼み、今回はサービス扱いにしてもらってるので、お代は要りません」



「ねぇよ……。

 てか、いつの間にID知ったんだよ……」


 

 底知れない手際の良さにツッコんでいると、唐突に懐月なつきが目を開け、ムクッと起き上がり。



「……あっつ……」



 と、コートのボタンを外す。



 どうやら先程のは、あつしの名前を呼ぼうとしたのではなかったらしい。



「……」

 これは……不戦勝、以下なのではなかろうか……。

 いや……でも、ここで素直に伝えた所為せいで、変に拗れるのも、面白くない……。



「あれぇ?

 熱田にえたぁ?

 あははっ。可笑おっかしー。

 ソラが熱田にえたになったぁ」



 などと悶々としていたら、普段のイメージがたちまち崩壊する、恐ろしく幼い懐月なつきが出来上がっていた。

 これは最早、『甘え上戸』というより、『甘えん坊』の間違いなのではなかろうか……。と、あつしは訂正を求めた。



「違ぇよ、本物だ。

 それより、そろそろ帰んぞ?」

「はーい」



 呂律も頭も回らないながらも、素直に従う懐月なつき

 安心しつつも、これは進展もなにもあったもんじゃねぇな……と気を引き締め、立ち上がり、手を差し伸べるあつし

 そんな引率の先生に、懐月なつきは両手を伸ばし、焦点の定まらない、瞬きを何度も繰り返す両目で。



「……おんぶ」

 と、あつしがフリーズする一言。



「いや……守真伊すまいさん?」

「……おんぶ」

流石さすがに、この年で、それは……」

「……おんぶ」 

「俺よか、あんたの方が、色々とダメージが……」

 


 どうにか説得を試みるも、今の懐月なつきにはまったく話が通じないらしい。

 さながらRPGの村人宜よろしく、ハードルの高い要求を延々と連呼する懐月なつき



 終いには、愚図りそうになる。

 両腕を胸の前に構え、目を潤ませ、鼻をヒクヒク言わせ始める。



 どうやら、いよいよもって、往生際おうじょうぎわらしい。

 最後の悪足掻きに、あつしはコートを外し、懐月なつきの姿を隠すべく、彼女に被せる。



「……今回だけな」

「わーい♪」



 心から喜んでいるらしく、懐月なつきあつしの背に、勢い良く飛び乗る。

 ガテン系のあつしは、最初こそわずかにバランスを崩すものの、その後はしっかりと安定する。

 流石さすがに、これまで十一人もの弟、妹を背負って来ただけのことはある。



「しっかり捕まってろよ。

 このまま、一気に帰っぞ」

「マシン・アツッシー、出動しゅつどー♪」

「せめて、もうちょい増しマシな名前にしてくんねぇかなぁ?」

「ニエタクシー、発進はっしーん♪」

「あんた本当ホント揶揄からかってるだけってんじゃないだろうな?

 だったら、後で承知しないかんな?」

 


 そんなこんなありつつも、ニエタクシーは言われるままに店を出、守真伊すまい家を目指し始める。

 その道中、あつしは心底、神に感謝した。守真伊すまいさんをスレンダーにしてくれて、ありがとう、と。

 




「ぜぇ……ぜぇ……」

 


 数分後。

 あつしは、春にもかかわらず、思いっ切り汗を掻いていた。

 


 当然である。

 いくら、普段は率先して荷物運びをしている細マッチョでも、成人女性を運ぶのは中々、骨が折れる。

 しかも案のじょう、コートをかけていようとも人目を引き、奇異の視線を向けられ、恥ずかしさと怖さ、「それでも落としてだけはなるものか」というプレッシャーにまで支配、侵略されている。

 肉体的にも精神的にも、コンディションは最悪である。



 せめて足に包帯巻いて、満足に歩けない的な雰囲気を演出しておくべきだっただろうか……。

 などとあつしが後悔していると、その背中に懐月なつきが語る。



「……ねぇ、熱田にえた



 普段には及ばないまでも、高校生レベルの受け答えは可能になった懐月なつき

 そんな彼女に、あつしは目線だけ送る。



「……だよ。

 気が紛れる面白い話でもしてくれんのか?」



 懐月なつきの回復具合に合わせ、やや挑発的な、いつもの調子で喋り出すあつし

 そんな彼の首に、懐月なつきが両手を巻き付ける。



 しまった。

 流石さすがに、巫山戯ふざけ過ぎた。

 てか今、呼吸まで怪しくなったら、流石さすが不味まずい。

 そんな様子ようすで、あつしが危機感を覚えた刹那せつな



「……ごめん」



 と、懐月なつきが緊急謝罪会見を開き出した。

 


 構えていたあつしは、やや逡巡したあと、遅れ気味だった徒歩ペースを直した。



「……だよ、藪から棒に。

 なんの話だよ?」

「昨日から、あたし……あんたを、ぞんざいにしてた」

「んなもん、初対面の時点から、変わらずだろ?」

「そうじゃなくって……。

 それ以上に、以外に。あんたに、塩対応してた……。

 あたし守真伊すまいさん」」



 懐月なつきの言葉を遮るあつし

 その声は、いつになく優しかった。



「……そういうの、してくれや。

 あんたは、そういうたちじゃねぇ。

 いつも、どんな時でも。たとえ、はたからすりゃあ相当カオス、シュールな状況だろうと、澄まし顔でクールに、ドライに、あくまでもフラットに。

 それが、あんたのスタイル、スタンダードだ。

 俺が鼻持ちならない、困らされて、振り回されてばっかの。それ以上に憧れる、強くて格好かっこい、どこまでもぐな、臨機応変に対応出来できる生き方だ。

 だから」



 懐月なつきの足を支え、抱え直し、苦し紛れに、照れ隠しに笑いながら、あつしは続ける。



「こんなとこで、こんな理由で、『ごめん』の無駄打ち、安売りすんな。

 あんたはなぁ、守真伊すまいさん。万が一にも自分が間違えた時。本気で、完璧にミスったと感じた場合だけ、サラッと謝ってくれりゃあい。

 ドシッと、ビシッと、ピシッと! いつだって、そうやって、偉そうに構えててくれや。

 じゃねぇと、そのぉ、なんだ……気が気じゃねぇんだよ、こっちゃぁよぉ。

 迷惑、とまでは言わねぇし、断じて思っちゃあいねぇがなぁ……いつにも増して、戸惑っちまうんだよ」



 あつしのダサい、けれど率直な意見。

 それを受け、懐月なつきは小さく笑う。

 


「あんたって……真性のMよね」

「知っか。

 だとすりゃあ、あんたは筋金入りのドSだろうが」

「スマート、スペシャル、スタイリッシュ。

 果たして、どれのことかしらね?」

「サタン一択過ぎんだっての」



 気付けば、すっかり日常会話に戻っている二人。

 ほどなくして、どちらからともなく、笑い声が溢れた。

 


 なんだか、不思議である。

 こうしている間に、二人とも、羞恥心なんて吹き飛んでしまった。

 考えてみれば、当たり前だった。自分達は常日頃、体裁の悪い喧嘩ばかりしているのだから。

 別に、今に始まったことではないのだ。



「なぁ、守真伊すまいさん。

 今朝までは無理だった。今だからこそ、言えるけどよぉ。

 あんた、凛久りくに二次創作なりTSなりされてるってのが、いたたまれないだけだったんだろ?

 そりゃあそうだ。俺だって正直、恥ずかしいわ」

「……正解よ。

 その様子ようすだと、凛久りくやソラと、もう話したみたいね」

「おう。

 速攻で仲良くなったわ」

「……人のこと、取っ付きづらそうな割に親しみやすいだとか、結構な酷評してるくせに、熱田にえた

 あんただって充分、コミュ強じゃない」

「どうだろうなぁ。

 類友ってだけじゃね?

 あんたの周りに、善人しかねぇってのが真相じゃね?」

「当然よ。

 あたしは、人付き合いにおいても、完璧だもの」

「しゃしゃんな」

「いつだって、いくらだって、しゃしゃってあげるわよ。

 あんたは、こういうあたしがタイプなんですものねぇ、熱田にえた

 精々せいぜい、泣いて喜びなさい」

「だぁぁぁぁぁ!

 さっきの、撤回! やっぱ、嫌ぇだわ!」

「『綺麗』だなんて、うれしいわ。

 てか、熱田にえた。あんた、そんなでも一応、曲がりなりにも、広義的にも、奇跡的にも男でしょ?

 だったら、二言なんて情けない真似マネ、するんじゃないわよ」

「狭義的にも性別的にも、れっきとした男だってーの!!

 てか、顎撫でんな! ビクッとするわ!」

「『ゾクゾクする』の間違いでしょ?

 素直になりなさいよ」

「あんたがな!?

 てか、その、あれだ……押し付けんなぁ!?」

「当ててんのよ。

 てか、男だったら、これくらいの役得、黙るなり誤魔化ごまかすなりして、心行くまで堪能なさいよ。

 折角せっかく、お零れあげてるってのに」

「その所為せいで、あんたを零しそうになってんだよぉ!?」

 


 こんな感じで、喧嘩けんかのゴールに事実確認、仲直りを済ませた二人は、またしても口喧嘩を始める二人。

 かと思えば、今度は懐月なつきが黙り始めたので、あつしも大人しくなる。



「……ねぇ。

 やっぱり、言わせて頂戴ちょうだい

 ……ごめんなさい。熱田にえた



 はずだったのに、沈黙も、あつしからの願いも破る懐月なつき

 しかし、あつしは何も言わない。懐月なつきが薄情者などではないことを、熟知しているから。きっと、何か理由があるに違いないから。



「断っておくけれど。

 これは、無駄打ちでも、安売りでもない。

 有意義で、必要なことだから」



 予想的中。

 やはり、あつしが納得するだけの、根拠がった。



「……そか。

 んじゃあ、こっちも、ありがたく受け取っとくわ」

「……ええ。

 ところで、熱田にえた

 そろそろ、降ろしても良くないかしら?

 あたし、普通に話せてるわよね?」

「そっちを先に言えやぁ!?」

「……こういう時は、男性を立てるべきなのでは、と……」

「気遣われずとも、さっきからずっと、立たされっ放しだってーの!

 色んな意味で!」



 つくづくあつしは思い知った。

 自分は、自分達は、シリアス向きではないのだと。

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