あの夜にあったこと

 飲み過ぎてすっかり使い物にならなくなってしまったスノットさんは、テーブルに突っ伏している。まあこれは放っておいておきますか。


 さて、ドボールさんの言い分はどういったものでしょうか?


「俺はそもそも兄弟団、まあいわゆる傭兵隊で金を稼いでいてな……洗濯女の一人とイイ仲になってな。腹がでかくなったんで別の仕事を探し出した」


「それが徴税人か。アンタのその面構えなら、確かに剣はいらんな」


「ふん、その言い草は気に食わんが、確かに俺がにらみつければ、出すものを出さん奴はいなかった」


 「だろうな」というシリウスさんを無視してドボールは続ける。


「最初は小さな荘園の麦の取り立てだった。そこで仕事に慣れて自信をもった俺は、もっと大きな村のリバーミルでやっていこうとおもった。子供を育てるなら、あっちこっち行くのは良くないと思ったしな」


「なるほど」


 ……噂と違うようにも思えるが、これはドボールから見たものの見方でしかない。

 彼の言葉をあまり信用しすぎるのも考えものだ。


「ドーキンが生まれた後、ここに家を建てて落ち着いて、もう8年になるか。母親は産褥さんじょくで死んでしまって、育てるのには苦労した」


「まて、ドーキンは8歳の子供なのか?その嫁っておまえ……」


 シリウスさんが言わんとすることは解る。

 子供の嫁ならそれは、と言う事だろうが、オークではこれは普通だ。


「シリウスさん、オークは人の3倍の速さで成人になります」


「ああ、なら20代半ばって事か。」


 オークは多産で成長が速く8歳なら十分成人だ。

 その後は時間をかけて老化する。しかし闘争を好むオークは、老衰で死ぬ前にその大体が戦いで死ぬ。腰を据えようとするドボールが例外なのだ。


「続けよう……それで嫁を受け入れたわけだが、その娘はメイビルの商家に居たのをうちのせがれが見初めて連れて来たんだ」


「商家にいた?まるでその商家の娘ではなように聞こえますが」


「その通りで、娘はみなし子だ。しかし今の時代、珍しい事ではないだろう?村が消えたり、家が焼かれるのはよくあることだ。実に暗い時代だ」


「どう見ても純愛っぽいぞ。それでその娘に手を出して、頭にきたドーキンが家を出て、親父に復讐しようとしているっていう風にも俺には見えるな」


 シリウスさんの指摘に、むぅと怒りのこもった声色で喉を鳴らす唸るドボール。


 客観的にみればシリウスさんの言うとおりだ。ドボールにくわしく説明されるたびに、事はいっそう自業自得の様相を深めている。


 しかしここで怒りで説明を打ち切られても困る。彼に一つ釘を刺しましょう


「シリウスさん、私たちは判事でもなんでもありません。ドボールさんの話を最後まで聞きましょう」


「白魔女さんが言うなら……わかった、もうこれ以上余計なことは言わん」


 ごほんと咳払いをして、ドボールが続ける。


「それで……女を迎え入れた時、その日の晩に、俺は誘惑されたのだ」


「さて、帰りましょうか?」

「出口はあっちだったな」


「待て待て待て!!」


「本当だ、ドーキンの嫁に用意してあった部屋を見てもらっても構わん。俺にはよくわからんが、魔術的な何かでこう、やられたんだと思うんだ!」


「都合の悪いことを全て魔術のせいにされましても……」


 ドーキンはチャリっと音をさせて、大ぶりの鉄の鍵を取り出すと、半ば無理やりにシリウスさんにそれを握らせた。


「本当か嘘かは、今となっては自信が無くなってきたが……確かめてみてくれ」


「はぁ」


「それでお嫁さんはどうされたのです?」


「消えた。まるで煙みたいにな。俺が次の日ベッドで眠っているのをドーキンに見つかってそれからだ。すべてがムチャクチャになったのは」


 ムチャクチャにしたのでは?という言葉を飲み込むのに苦労します。


 さて、私たちはダイニングを追い出されるようにして、お嫁さんが入る予定だった部屋の前まで案内されました。


 戸を押し開けてまず感じたのは鼻につくほどの香水の匂い……しかし、ふむ?


 香水の使い方を知らない田舎娘だとしても、ここまで下品な振り撒き方はしないだろう。香りの奥に、何かを隠そうとしている?


「うへぇ。香水のビンでもひっくり返したか?頭痛がしそう」


「シリウスさんでも厳しいですか、ひとつ探してみてほしい香りがあったのですが」


「すっかり猟犬扱いだな」


「あっ……すみません」


「ああいや、俺の言いかたにトゲがあったな、そういうんじゃないんだ」


「いえ、こちらこそ失礼を」


「んむ、無限に繰り返しそうだ、これくらいにしておこう」


 彼は柔和に微笑むとアゴをかいて言った。


「まあそれで、カマラさんや、俺はどんな臭いを探せばいい?」


「えっと、そうですね……アルコール、乾燥した肉の臭い?後はそう……乾いたネギの臭いでしょうか」


「それはちょっと寝室には似つかわしくないな。まるで乾物屋だ」


「ええ」


 シリウスさんは部屋の中を見回し、注意深く見回っています。

 ほどなくして何かに気が付き、カップボードの奥に残されていた黄色いビンを見つけ出しました。


「これは、んー、何だ……?継ぎ合わされたトカゲ?イモリか?」


「ははぁ、雌雄を張り合わせた、焦がしたイモリを付けた金色の果実酒ですか。これはまた、典型的な惚れ薬ですね」


「へぇ、効くの?」


「いえ全然」


「そっかぁ……」


「一体誰に使うつもりですか?冗談にしてもロクなことにはならないので、やめた方が良いかと」


「素で怒られた」


「そこまで怒ってるわけではないですけど?」


「わかった、これ以上は止めよう、うん」


「ゴホン、ネギっぽい匂いは、この蝋燭の側にある皿からするな?」


 捨て犬さんは、サイドテーブルにあった空の皿を取ってこちらに示す。

 皿の中には何かの灰が残されていた。


「これは、根を焼いた跡ですか『※ヘレボルス・ニゲル』ですか、なるほど……」


※『クリスマスローズ』とも呼ばれる有毒花。小さな花でバラに似ているが、毒草で有名なトリカブトと同じく、キンポウゲ科に属する。


「なにそれ?」


「とある信心深い少女が、神の子の誕生を祝いたいと願った時、その手に何も持っていなかったために、天使が哀れに思い、彼女に授けた花と言われています」


「伝承では天使が雪深い山の中に、白い花を咲かせたそうですが……」


「雪山で白い花って、嫌がらせか?」


「ぷっ、それは……あまりにも適切すぎる指摘ですね」


 彼の予想外の一言に吹き出してしまった。


 たまに彼はこういう事を言いだすので油断なりませんね。しばらく思い出し笑いしてしまいそうです。


「その『ヘレボルス・ニゲル』の花の根は強い薬効がありまして、心臓を早鐘の様に打ち、興奮させる効果があります」


「酒に漬けられたイモリより、よっぽど惚れ薬っぽい効果をもっていますね」


「なるほど、ここでその香を炊いた。この臭いはそのネギっぽさを誤魔化すためか」


「ええ、そうかと思われます」


「あと肉の臭いっていったら、ベッドの上だけど……なんか触りたくねぇな?」


「そこをなんとか?」


「しゃあないなあ」


 シリウスさんは眉をひそめながらベッドの上を確かめる。

 何かがシーツにしみ込んでいる。


「ふむ……ドーキンの嫁さんは、干し肉を喰いながら寝る趣味があったのか?北方人ならあり得るかもしれんが」


「……なにかありますね。まるでスライムみたいですね」


 手で触りたくないので、近くにあった羽ペンでもって、ベットの上に残されていたものを私はつんつんと突っついた。するとそれはぷるんと跳ね返った。


 ベッドの上には乾いてガビガビになった精液と一緒に、乾いた肉のような香りを残したそれが残っていた。半透明で油膜のような者で覆われた液体と固体の間のもの。


「気持ち悪いな……なんだこれ?」


「これは一部の妖魔が現実世界に現れた時、その場に残す触媒の残りです」


「残骸って事か」


 そして現実世界でこれに一番近いのは、水死体の脂肪、屍蝋といったものだ。原料をどこから調達したのかは、あまり考えたくないですね。


 なるほど、情報がまとまってきました。惚れ薬、妖魔の残り物。


 もっぱら性的関係に関係する妖魔と言うと、アレしかいないだろう。


「なるほど、これは妖魔サキュバスかもしれませんね。」


「俺でも聞いたことあるやつだ。じゃあ、ドボールは無実ってことか?」


「そこまではなんとも、サキュバスの誘惑を精神力で退けた話はいくらでもありますから……ドボールさんの意思が弱く、欲望に負けたのは事実ですね」


「まあ、それに関しては、一応男である俺からは何も言えんな。嫁さんは元々実在したのかも怪しいってことか?」


「そうですね。お嫁さんがサキュバスだったなら、それを召喚したものがいるはずです。ドーキンさんといる魔女は、最初からすべて仕組んでいたのかもしれません」


「このリバーミルで起きたこと全てが、誰かの仕込みって事か?」


「ええ、そうなりますね」


 これは何か、大きな陰謀のひと欠片かけらのような気がする。

 私たちはこの情報をもって、ドボールさんの元に戻ることにした。

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