第2話 どこにもない
ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン。
蓮を乗せた電車は池袋に向かって走り続ける。東条大学に行くには池袋で乗り換える必要がある。2度の乗り換えに片道1時間半の通学。
蓮は吊革に掴まり、ワイヤレスイヤホンで音楽を聞きながら、朝に遭遇した女子高生のことを思い返していた。
プシュー、停車した電車のドアが開く。1人の女子がそろりそろりと蓮に近づき、「えい」と言いながら、蓮に膝カックンをした。
突然、背後から膝に衝撃が加わったので蓮の耳から白いイヤホンの片方が落ちる。
「はい。落としたよ」
膝カックンした犯人である女性は、転がっているイヤホンを拾うと連に差し出した。「梨沙か。ビックリさせるなよ」
「あれ、何だか反応が悪いなあ。まだ頭が起きていないの?」
梨沙はいわゆる元カノという存在で、別れてもこうして普通に話すし、梨沙にはすでに新しい恋人がいた。
「いや、今朝方、変なことがあったから、ちょっと考えていたんだ」
「変なこと?」梨沙は連と並んで吊革を掴んだ。
向かいの家に誰かが引っ越してきたこと。その子がやたらと可愛い女子高生だったこと。そして挙動不審だったこと。時間はたっぷりあるので一から十まで梨沙に説明した。
「ふーん、その女子高生ってお化けなんじゃないの?」
「朝から女子高生のお化けに出会うって、なんだか現実味がない。しっくりこないんだよなあ」
「蓮、もしかしてビビっているの?」梨沙は楽しそうに蓮の横顔を覗き込んだ。
「いや、全然。お化けだとしても、あの子は可愛かった。それは断言できる」
「はあ」梨沙は溜め息を吐いて「蓮、あのさ、あんた留年して、今年で何歳になるんだっけ?」と蓮の年齢を尋ねた。
「ええーと、今年で22歳になる」
「あんた、私よりも2歳上なのに、何をわけのわからないことを言っているの?もう一度留年するつもり?」
「それは無理。そもそも俺だって好きで留年したわけじゃない!」つい語気が荒くなる。
「だったら、そんなわけのわからない女子高生に気をとられていないで、ちゃんと勉強をしたほうがいいんじゃないの?私はそう思うけれど」
梨沙から捲し立てられ、一気に現実に引き戻される。
「わかっているんだけど、ただ気になったから」言葉が尻つぼみになる。梨沙の言う通り、どこの誰かもわからない女子高生を可愛いと褒めている場合ではない。
「梨沙、就職活動はどんな感じ?」
「まあ、東条大学ってそれなりに良い大学だから選り好みしなければ、就職先はすぐに見つかると思う」
「はああ」今度は蓮が盛大に溜め息を吐いた。
「俺だって今年は就職活動するはずだったのに・・・」
「ぼやいても進級はできないよ。諦めてもう2年頑張りなさい」梨沙は励ますように連の背中をパンと叩いた。
「あと2年で済めば良いんだけど・・・」
「あー、朝から落ち込まないでくれる?せっかく蓮の姿を見つけたから同じ車両に乗ったのに陰気臭くなる」
「ごめん、ごめん」
「わかれば良いんだけど。連は基本的には真面目で良い奴なんだから頑張って」
「ありがとう、梨沙」
どうして梨沙と自然消滅のような別れ方をしてしまったのだろう。蓮は梨沙に不満があるわけではなかったし、それは梨沙も同じはずなのだが、なぜか関係が途切れてしまった。ただ、考えてみると、蓮の留年が確定した辺りで梨沙との関係は、より希薄になってしまったような気がしていた。
留年なんかするものではない。後悔する連と後押しをしてくれる梨沙を乗せた電車は池袋に向けて更に走り続けた。
✦
「じゃあね、蓮。ちゃんと授業を受けるんだよ」
「わかっているって」
4年生の梨沙はゼミに、そして3年生の連は見慣れた教室に向かって別々に歩き出した。
蓮は腕時計をしていないので、スマホで時間を確認する。9時20分。9時半からの授業に間に合うことができた。
「これなら煙草を1本吸えそうだ」前のポケットに手を入れると、くしゃくしゃに潰れた煙草の箱とライターが指先に触れた。
歩きながら煙草を取り出そうとしたとき、蓮は違和感を覚えた。
前ポケットに煙草とライター。
後ろのポケットにはスマホと財布が定位置だが、何かおかしい。
蓮は両手で前と後ろのポケットをバンバンと叩いた。
「あ、あれ?」
焦燥感に駆られる。駆け足でベンチに向かうと、蓮はポケットの中身を全て取り出した。
スマホ、煙草、100円ライターが2本。足りない、明らかにない。
財布がない。
改札はスマホにいれてある交通系電子マネーをかざしたので、現金は使っていない。
「嘘だろ?俺の財布はどこに消えた?」
パニックに陥った蓮は何も入っていないポケットをまたパンパンと叩き、なぜかその場で一回転をした。
ふと、ある言葉が脳裏を過ぎる。
『お金には注意をしてくださいね』
あの子は確かにそう言った。詳しく聞く前に窓を閉じられてしまったが、間違いなくそう言っていた。
「ああ、もう!」蓮は授業に出るどころではなく、下を向きながら歩いてきた道を戻って行った。
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