第7話 バトン

 風子先輩らの姿が見えなくなって三分後。


「え、これって、前の人が帰ってくるまで何してたらいいんですか?」

 突如手持無沙汰となったあたしは、卓美先輩に問う。


「何って、ボーっと待ってたらええんちゃう? お昼寝でもしとけば?」

「んなテキトーな……」


 しかし実際のところ、特にやることは無いようだった。運動会のリレーなら、走者がいちいち見えるから応援のしようもあるだろうけれど、オリエンでは、走者が森の中だ。ルートも自分の番が来るまでは秘密にされているわけだから、ドローンを飛ばして実況中継を見るというわけにもいかない。


 第二走者である燐先輩は軽く準備運動などしているが、卓美先輩は本当に木陰でお昼寝を始めたし、よく見ると他校も同様の動きである。


「お昼寝というのもあながち冗談ではなく、体力温存のための作戦ですよ。天さんもよければ」

 燐先輩があたしにお昼寝を勧めるが、緊張で寝られそうもない。


「第一ポイント、帝王寺高校通過!」

 いつのまにか拡声器を装備した本田先生が広場で待つ選手たちに言う。手元のタブレットにポイント通過情報が入ってくるらしい。


「続いて千亀利高校通過!」

 そういうシステム!? と興奮もつかの間、一分たたずに二位情報が。


「帝王寺高校は最初から飛ばしますね」

 燐先輩がアキレスけんを伸ばしながら言う。


 あたしは楠木高校の名前が出てくるのを今か今かと待って耳を澄ませる。


「華大附属第一ポイント通過」

「む」

「中津川高校第一ポイント通過」

「むむ」

「大仙高校第一ポイント通過」

「むむむ?」

 走ってもいないあたしが焦る。


 みんな、あたしに一番でバトンをつないでくれるはずでは?

 このコメントはあまりに他力本願が過ぎるので口には出さないが。


「楠木高校第一ポイント通過」

 結局、第一ポイントは六位通過ということだった。


「大丈夫ですよ。風子を信じて」

 燐先輩が隣で力強く断言する。


「は、はい……」

 とは言いつつも、第二ポイントでも順位は変わらず。


「ほう、やはり上りで仕掛けるおつもりですか」

 突如、なわてくんが何やら解説を始める。あたしも暇なので彼の解説を聞くことにする。


「やはりって、畷くんは風子先輩のこと、知ってるの?」

「そら知っとるよ。有名やで」

「そうなんだ」

「林原先輩は、一見地味やけど、坂道でその実力を発揮するクライマーや。こういう山岳エリアで差をつけることができる! ……その、勢いの落ちない登りの姿から、ついたあだ名が『林の上昇気流グローヴライジング』‼」


「――『林の上昇気流グローヴライジング』⁉」


 何だそのあだ名⁉ 誰が考えたんだよ……。


「第三ポイント、楠木高校通過!」

「え?」

 あたし、聞き逃してたのか?


「間違いではないですよ」

 にやり、と燐先輩。


「僕もちゃんと聞いてたで。第三ポイントは一位通過や」

 畷くんの証言で、事実だということが確認する。


 第二ポイントでは六位だったのに、一気に五人抜いて一位に躍り出たのだ。いったい何が起こったのか……。



 ハラハラしながら途中経過情報と畷くんの新聞部情報を聞いていると、あっという間に三〇分ほど経過する。


「第二走者、そろそろ準備を!」

 本田先生が声をかけ、燐先輩と帝王寺高校の副部長・朱色の増井長谷子ますいはせこ先輩が配置に着く。


 来るときに見た神社の向こうから、風子先輩が走ってくる。


「燐ちゃん!」

「よく頑張りましたね。あとは任せて!」

 燐先輩は地図とEカードを受け取り、すばやく位置確認をしてスタートする。


 あたしは急いで風子先輩に水とタオルを手渡す。風子先輩は頬を上気させつつ、律儀に礼を言う。大きなお胸が大きく上下している。ラストスパート、全速力で走ってきたのだ。


 そのすぐ後に、帝王寺高校多々良先輩が帰ってきて、増井先輩がスタートする。さらに少し時間をあけて、千亀利高校、華大附属、中津川高校、紅焔学園……と続く。


「楠木高校、第三ポイント通過!」

 本田先生が途中経過を実況する。


「順調すぎて不気味やね」

 と、解説の畷くん。


「ふむふむ」

 これはあたしの相槌。


「帝王寺高校、華大附属高校、第三ポイント通過」

 ほとんど間髪入れず。かなり近づいている。


 帝王寺高校は副部長の増井先輩。華大附属といえば、ウェットスーツの人たちだ。そういえば、あの怖そうな人たちは……?


「千亀利高校がいつの間にか華大附属に抜かれてるね」

 聞いていたらわかるのに、わざわざ口に出す解説の畷くん。


「ああん?」

「おおん?」

 傍らに待機している千亀利高校の第三、第四走者にガンをつけられる。部長の方は車地くるまじさんだったか。やはり迫力がある。もしかして、あたしこの人と同じ走順なんじゃ……。


「あ、や、何でもないっす」

 焦る解説。知らんふりをするあたし。


「森本燐先輩といえば、機械のように正確な読図と、これまた機械のように冷静沈着なペース配分で有名――ひとは彼女を『森の精密機械シルヴァ・インストゥルメント』と呼ぶ!」

 注意を逸らすためなのか、畷くんは解説を再開。


「――『森の精密機械シルヴァ・インストゥルメント』⁉」


 だから誰が考えるんだよ、その二つ名……。


「もしかして、うちの高校ってすごいの……?」

 なんかみんなに二つ名というか異名があるし。


「知らずに入ったん? 去年は二年の部長一人と一年の三人――つまり現在の木村・林原・森本先輩のことやけど――で春季は帝王寺とかなり僅差の二位。近畿大会では優勝しとるで」

「まじで? 優……勝……?」

 さっき「千亀利高校と熾烈な二位争いしてる」とか言ってた時に出せよ、その情報。


「まぁ、去年は伝説の先輩がおったからなぁ……」

 さすがにお昼寝タイムは終わったのか、卓美先輩が起き上がって準備運動を始めている。


「なんで今まで黙ってたんですか?」

「だって聞かれへんかったし……」

 頭ポリポリ。


「あんまりガチやと思われたら入部してくれへんかなーと思って」

「なる……ほど……」

 たしかに、事前にガチの強豪校だと知っていたら入らなかったかも……? 実際のところ、入ってみても「ガチの強豪校」感はなかったわけだが。


「楠木高校・帝王寺高校、第三走者準備を!」

 いつのまにか、華大附属はちぎられてしまって、いまや一騎打ちだ。


 卓美先輩と持田先輩が立ち上がり、にらみ合う。


「なんやお前、アンカーちゃうんかい」

「ふふん……卓美の考えとることはお見通しや。思い通りにはさせへんで」


 各校の部長クラスはアンカーになるだろうから、そこまでで差をつけてあたしにパスをするという先行逃げ切り作戦がバレていたようだ。


 ということは、あたしの相手は模擬戦の日と同様に広瀬藍ひろせあいちゃんということになる。


「まぁ、別に構へんわ。相手が誰やろうと関係ないからな」

 卓美先輩、不敵な笑みも格好いい。


 しかし模擬戦の時に負けてしまった組み合わせなのだが……?



「なんや、一番で帰ってきてもうたら、オレの活躍する場がないやんけ」

 頬を上気させて走ってくる燐先輩に対して、卓美先輩はそんな軽口をたたく。


「油断して、大逆転されないでくださいよっと」

 バトンがつながる。


「せやで。すぐ追いついたるから、必死で走っとくんやな」

 帝王寺高校の第三走者、持田先輩が言う。


 卓美先輩が最初からトップスピードで爆走する。


 燐先輩は風子先輩の隣に腰を下ろす。珍しいことに、眼鏡に落ちた汗を拭うのも忘れている。


 それとほぼ同時に、帝王寺チームは増井先輩が戻ってきて、持田先輩にバトンタッチ。

「うぉおおおおおおおおお!」

 格好つけることも忘れて気合の雄叫び。



「あの二人って、どういう関係なんだろう?」

 二人が出発してから、あたしは準備体操しつつ、緊張感に打ち震えつつ、ふとそんなことを漏らす。


「新聞部データベースによると、因縁の関係とあるね」

 畷くんが応答する。なんかそこだけ情報薄すぎない? それならあたしの方がよく知ってるわ。


「なんか、実家が近所っぽかったけど」

 持田先輩の父親(?)である『足ソムリエ』さんを思い出しながら、言う。


「せやね。中学いっしょで、二人とも陸上部やったって言ってたけど」

 風子先輩による追加情報。


「二人とも……?」

 卓美先輩が元陸上部っていうのは、何度か聞いたけれど、持田先輩もいっしょだったとは。なんでまた二人ともオリエンに転身したのだろう? これは――怪しい!


「片思い……やろなぁ」

 これまた風子先輩だ。


「どっ、どどどどど、どういうことですか?」

「持田さんはな、卓美がオリエンやるってゆうたから、自分もオリエン部に入ったらしいねん」

 すっかり体力回復したらしい風子先輩は、意味深な笑みとともに、そんなことを言う。


「それで帝王寺高校の四天王……しかもそのトップになるなんて、生半可な努力ではできなかったでしょうね」

 畷くんの補足が入る。


「陸上の時は、持田さん、一度も卓美には勝てなかったと聞きます。まぁ、卓美情報なので誇張かもしれませんが」

 息の整いつつある燐先輩が入ってくる。


「それで、『片思い』ですか」

 ただ勝ちたいがために陸上からオリエンまで追いかけてくるなんて、暑苦しい片思いもあったものだ。


「それだけかなぁ……?」



 風子先輩の表情が気にかかったが、そこに本田先生の声が割って入る。

「楠木高校、第二ポイント通過!」


「え、はや!」

 思わず叫ぶ。だってついさっき出発したと思っていたのに、いつの間にか第二ポイント。

 第一ポイントの通過聞いてなかった……。


「で?」

 あたしは新聞部一年生に向かい合う。


「『で』とは?」

 キョトンとする畷くん。


「だから、卓美先輩にもあるんでしょ? 恥ずかしい二つ名みたいなやつ」


「よう聞いてくれました。木村卓美先輩は、とにかく速い。とにかく猛スピードで道なき道を突き進むことから、『木々の疾風オフロードスプリンター』と呼ばれているッ‼」


「――『木々の疾風オフロードスプリンター』⁉」


 ふーん、いいじゃん。


「楠木高校、帝王寺高校、同時に第三ポイント通過!」

 あれ?


「追いつかれちゃってますけど!?」

 かっちょいい二つ名はどうした?


「あちゃー」

 と風子先輩。


「やってしまいましたね」

 やれやれ、と燐先輩。


「作戦失敗ってことですか?」

 ぶっちぎりの一位で戻ってきてもらわないと、アンカーはあたしなのに!


 部長だし、イケメンだから、勝手にめちゃくちゃすごい人なんだと思っていたけど、実はそんなに……なのか?


 まわりの第四走者とおぼしき選手たちを見る。

 帝王寺高校の広瀬藍ちゃん。彼女の実力はすでに思い知らされている。

 華大附属の部長、鰍沢かじかざわさん。なんかもうめっちゃ速そう。

 千亀利高校の部長、車地さん。なんかもうめっちゃ怖そう。


「まぁ、たぶん大丈夫やで」

「卓美は、追いつめられた方が速くなりますから」

「え……?」

 先輩たちの謎コメントにポカンとしたその瞬間。


「楠木高校第四ポイント通過――第四走者、準備してください」

 本田先生のアナウンス。


「ほんとだ……」

 第四ポイントは卓美先輩が先に通過。さっきの失礼な思考は取り下げ。さすがあたしの卓美先輩。



 いよいよだ。

 深呼吸する。

 一か月ちょいの修業を思い出せ。学んだことを、今度こそ活かすんだ。自分に言い聞かせる。


 風子先輩と燐先輩が、あたしのそばに立った。

「ファイトやで!」

「落ち着いて。大丈夫です」


 木陰から、卓美先輩が現れる。相変わらずのスピードでこちらへ向かってくる。

 あたしは、身体を前へ向ける。顔と右手は後方へ。


「おっしゃぁあああああ! 行け、天‼」


 風子先輩、燐先輩、卓美先輩から、今あたしの手に、バトンが受け渡される――

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