第5話 木村卓美の活動報告より(1)
小学校の学校行事の中では運動会が一番好きだった。遠足の前の日は爆睡できるが、運動会の前日はワクワクして眠れなかった。
生まれ持っての負けず嫌いと大阪人のせっかち気質が、最もよく現れるのが単純なかけっこの類だというだけで、別に走ることでなくても計算テストでもリコーダーのテストでもなんでも一番が好きだった。
一番は気持ちがいい。銅メダルも銀メダルもいらない。金メダルだけが欲しかった。一位の前には誰もいない。心地のいい孤独。根が暗いわけでもないし友達もたくさんいるけれど、群れるのは嫌いだ。だから、一番がいい。
「たくちゃんは、中学校で何部に入んの?」
小学校からの帰り道、ご近所さんの
回想の中の持田――モッチーはまだ、少女らしい少女をしていた。年中ジャージ短パン姿のオレとは対照的に、リボン的なものとかフリル的なものとかが付いた服を好んで着ていた。当時も今も興味がないので正確な名称はわからない。
モッチーはいつもオレにべったりくっついて行動していたから、女同士カップルと言って男子どもにからかわれていた。オレは嫌だったけれど、モッチーの方はそうでもなかったらしい。
「どうしよっかなー。そんなおもろそうな部活もないやろしな」
近所の小学生たちの大半が進学することになる地域の公立中学校。だいたいどんな部活動があるかは把握しているが、これといったものは思いつかない。
「たくちゃんは足が速いから、陸上部がええと思うわ」
「じゃあそうしよっかな」
「判断が早い! 別にええけど」
「その代わり、モッチーも一緒に入ってや」
「う、うん。最初からマネージャーやるつもりやったし」
「ちゃうちゃう。マネやのうて、やる方や」
「え、でも……」
「でもじゃないねん。オレが欲しいのは彼女でもマネージャーでもなくて、ライバルや。腰抜けの男子どもでは相手にならんから、モッチーに頼んどるんやないかい」
「そっか……」
思えばこの時だったかもしれない。あの可愛らしかったモッチーが、ゴリゴリマッチョの持田国恵になるきっかけとなったのは……
「わかった。ウチ、やるよ。たくちゃんの隣を歩けるように、頑張るからね」
回想はまだ続く。
中学の陸上部では短距離走でそれなりの成績をおさめた……というより、かなりの成績をおさめていた。私立高校へのスポーツ推薦の話も来ていたが、「私立は金がかかるからアカン」という幼いころからの教えに従って普通に公立高校の受験をすることになった。
中学三年生の時に、モッチーに連れられていくつかの公立高校の見学に行った。
オープンキャンパス・学校公開の類は、当たり前だけれどその学校の良い面しか出さない。良さそうな話しかしない。少子高齢化と言われる中、学校側だって必死で良さそうな生徒を集めるのだから仕方がない。だから見学会なんかに行ったって実際のところはわからない。
したがって行く意味はない。
というか面倒くさい。
というのがオレの意見だったが、それはパーフェクトマネージャー・モッチーによって却下され、勝手に見学のスケジュールが組まれていた。
「やっぱり、陸上部が強い学校がええやんな。帝王寺高校は府内トップの偏差値でありながら、部活動にもめっちゃ力入れてはるみたいやで」
「いやぁ、べつに高校でも陸上やるって決めたわけやないねんけど……」
オレのライバルになってくれっていうのは、正直なところずいぶんと軽い気持ちで口にしたのだが、持田国恵という女は、超大真面目にオレのライバルとなった。小学生時代のふわふわした感じはすでに跡形もなく消え去り、むしろオレより男らしく成長してしまっていた。
モッチーは帝王寺高校をいたく気に入っていて、楠木高校の見学に行ったのはなにかのついでというか、予約してしまったから仕方がなく……という感じだった。しかしオレはそこで、出会ってしまったのだ。
フォーゲルというのはあだ名でもなんでもなく、ツグミ先輩のミドルネームだ。ツグミ先輩はドイツ人の父親と日本人の母親を持つハーフだった。
「グーテンモールゲン、迷える中学生たち。誰もが知っている、どこの学校にもありそうな部活動で満足かい? そうでない者はアタシのところに来なさい。未知の世界を教えてあげよう」
体育館に集められた我々は、各部活動の紹介トークを聞いていた。その話を参考にして、午後は部活体験会に参加するという流れだった。おそらく一年生(つまりオレらの一個上)と思われる部員たちが前に出て、30秒ほどのPRをして、はけていく。
「みんな仲良し〇〇部です! ぜひ体験に来てください!」
「□□大会進出、△△部です。全国目指してます!」
みたいな当たり障りのない一言コメントに飽き始めていたころだった。
日本人らしくない、透き通った白い肌。髪色はほんのり自然な茶色。高校一年生のはずだが、数分前に出てきた校長先生よりも威風堂々と壇上に立つえらい美人さんがいた。
「あの人はいったい何部なんだ……」
そう。彼女は格好良く「アタシのところに来なさい」と言いながら、己が何部の代表でそこに立っているのか言いそびれたまま颯爽と壇上から消えてしまったのだった。今思えば、ツグミ先輩は正々堂々躊躇なくうっかりミスをしでかすところがあった。
体育館を出る人並みに紛れ、陸上部の体験に連れて行こうとするモッチーの手をのがれて、オレはあのハーフさんを探した。「アタシのところに来なさい」って言ってたけど、「アタシのところ」ってどこやねん。それすら言わなかった。ヒントがなさすぎるで。
「あの出で立ちからして……」
文化部の線はないだろう。とはいえ、これで普通に運動場にいたらまさに「誰もが知っている、どこの学校にもありそうな部活動」ではないか。それは期待はずれだし、そもそも運動場に出たら陸上部が何かしらの体験会を実施しているだろう。そうするとモッチーに捕まってしまうのが目に見えている。それはたいへんつまらない。
「オレの理想とするオモロい人なら、どこにいるだろうか……」
推理みたいなことは苦手だ。
「オレならどこで待つかな」
結局のところフィーリングになる。しかし結果的にはそれでよかったのだ。
「ハロー未来の新入生。よくぞここがわかったな」
ドイツ語でもハローはハロー。かくしてその先輩は校舎の屋上に立っていた。
「とりあえず、何をする部活なんか知りたくて……」
「あれ、言ってなかったか?」
「言ってなかったっすね」
「アタシたちのフィールドはここじゃあない。あっちだ」
アタシたちと複数形だが、そこには一人しかいない。もしかしてすでにオレも含まれているのか?
それはともかく、そのハーフ美人は屋上から東の方角を大雑把に指差す。クラーク先生の像みたいに堂々と指差す。ガールズビーアンビシャス。
「山……?」
そう。その指の先にあるのは生駒山脈の端の方と思われる山々だった。この街には高い建物もないので、三階建て程度だが、学校の屋上まで上がればずいぶん遠くまで見渡すことができる。
「ダスシュティムト。その通り。オリエンテーリング部の活動場所は山だ。校舎内でも運動場でも山を感じることはできない。だからここで待っていた」
オリエンテーリングか。
この時点では、山の中を駆けまわって宝探しをする遊び……みたいな漠然としたイメージだった。
「その情報がさっき欲しかったなぁ」
思わず口に出して呟く。
「アタシは部の名前すら言わなかったのか?」
「聞いてないっすねぇ」
「オーマインゴット……」
これはだいたい英語といっしょだから、わかる。というか、頭を抱えているから見た目でもどういう気持ちなのかわかる。
「わざとやってたんやないんすね」
「当たり前だ。なぜわざわざ……」
「新人を歓迎する気はないのかと。ガッツのあるやつだけ来い、みたいな」
「そういう気持ちはあるが、そんなことを言っていたら部がつぶれてしまう」
凛としていた先輩だが、みるみるボロが出てくる。
「そういえば、先輩以外の部員は……」
「アタシの学年は、アタシだけだ。次の年に新入生が何人か来てくれないと、廃部の危機だ」
にしては、PR下手すぎやろ。というツッコミは言わずに何とか飲み込んだ。
「まぁ、それはともかくとして……」
「ともかくとしてええんか?」
ツッコミがついうっかりタメ口っぽくなってしまう。
「アタシはこれから山に行こうと思うのだが、ついてくる気はあるか?」
「それは、どういう……?」
部活体験会ということなのだから、一緒にどうぞということなのだろうか。だとすれば表現がちょっとおかしい気がするが。
「学校公開に付属する形になっている部活体験会というのは、『校内で』行うことになっている。そして、当たり前だが、あの山は『校内』ではない」
そりゃそうだろう。一介の公立高校が山を所有しているわけがない。
「したがって、君がオリエンテーリングを体験するためには、君が勝手にアタシについてくる必要があるということだ!」
「なるほど!」
体験会と称して連れ出すと問題になるから、オレが勝手についていったということにしたいらしい。せこい! しかし、なかなかどうしてワクワクするやないか。
「おっしゃあ、行きましょう!」
「そう来なくては!」
こうしてオレは、モッチーからの着信をガン無視して未知なる世界へと連れ出されてしまうのだが、いい加減回想が長すぎるのでここらでやめておこう。
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