第2話 ショーコ
五月四日みどりの日。そんなこんなで我々は朝から山へ向かった。我々というのは滝川翔子とあたしだ。
向かう山は
大会を実施する山は事前に知ることができるので、下見をすることはルール違反ではない。もちろんどこにチェックポイントが設置されるかは当日までわからないが、あらかじめそこがどんな山なのか知っておくことはよいことだ……と、
「意外とワクワクしてきたな」
昨日梅田のユニクロで買ったスポーツウェアに身を包んだ翔子が言う。
「ホント、意外だね――」
部活がオフとは言え、オリエン初心者オブ初心者のあたしが、ホントに何もせずがっつり休むことは憚られたから、多少の運動をするつもりではいたのだ。それを卓美先輩に相談したら、交野山を下見してくるミッションを与えられたのだった。
「――翔子がついてくるとは」
京橋駅から乗り込んだ、片町線の列車内。あたしはポケットから地図を取り出して本日の想定ルートを再び確認する。燐先輩がコピーして用意してくれた地図だ。読図特訓で自信もついたし、本当は一人で行くつもりだった。
「いやいや、せっかくここまでダチを訪ねてきたのに置いてけぼりにされても困っちゃうじゃん」
「まぁそりゃそうか」
翔子の大阪訪問も突然だったのだ。彼女の決断がやたら早いところは尊敬できるところでもある。
「エスコート、よろしくね」
「へいへい」
我らが
結論から言うと、エスコートらしいエスコートをすることはなかった。登山口さえ見つかればあとはほとんど道なりで、案内板も充実しているハイキングコースだ。ただ楽しむだけならほとんど地図を見る必要さえなかった。とはいえ練習でもあるので、あたしは分岐のたびに地図と照らし合わせて植生や地形を確認した。
「…………」
あたしが真剣な表情で地図とにらめっこする間、翔子は黙ってあたりを観察していた。邪魔をしないように気遣ってくれているのかもしれない。
大きな池にぶつかってから尾根道に入ると、案外あっさりと山頂に到着した。標高は飯盛山より高いはずだが、あまり息も切れていない。あたしより山初心者であるはずの翔子に合わせてゆっくり歩いたからか、あるいはこれが成長か……。
「え、ヤバ! 見てみて!」
山頂には巨岩が鎮座しており、岩を登ると眼下には大阪の街が広がる。標高は341mと低山ながらなかなかどうして立派な眺めである。あたしたちは思わぬ映えスポットの出現に興奮し、スマホで写真を撮りまくる。
「お、こうやって見るとスゲー岩山に登ってきたみたい」
翔子があたしにスマホの画面を見せる。
青い空、岩の先にたたずむあたし。たしかに厳つい。
「いいね。翔子も撮ったげる」
オリエン部の先輩たちとは、あんまりこういうノリにはならないよな……と、ふと頭をよぎる。そもそもオリエン部のみなさんと写真を撮ったことがなかった。今度、機会があればぜひ撮ろう。そしてあたしのスマホに卓美先輩のご尊顔を……。
「何ニヤついてんの? キモイよ」
ひとしきり撮影会を楽しんだのち、他の登山者の邪魔にならないよう脇によけて、シートを広げる。いい感じにおなかが減ってきたので、リュックから母お手製のおにぎりを召喚。休みの日だというのに、張り切って朝から握ってくれたらしい。母は昔から翔子のことが大好きなのだ。
「こうして山川ママのおにぎり食べてるとさ、小学生のときの運動会とか思い出すよね」
翔子は鮭おにぎりを咀嚼しながら言う。
小学校の運動会。たしか、お昼は家族と食べてもよいというルールだった。山川家と滝川家は親子ともども仲良しだったので、必然お隣どうしブルーシートをくっつけることになるのだった。
「滝川家のからあげはマジ神だったね」
お弁当なのにあまりしなっとしていなくて、ジューシーなからあげ。ちょっと今欲しくなってきた。というか、本日の昼食はおにぎりオンリーでおかずがないのである。
「山川ママはおにぎり作りすぎるし、山川パパは写真ばっかり撮ってて食べるのも忘れてるし、愉快な家族だよね」
「そうかなぁ、平々凡々な家庭だと思ってたけど」
「わたしも、天はわたしと同じで、平凡な女の子だと思ってた……」
「ん?」
あたしは梅干しの酸っぱさに、顔をしかめる。
「流行りのものには一通り手を付けるけど、これといった趣味もない。何かにハマっても長続きはしない。勉強は親を困らせない程度にはやるけど、べつに探求心があるわけでもない。そんな小中学生時代だったじゃん?」
めちゃ辛辣な分析やんけ。
「ん、おう。そうかもね……今もそんな感じだけど」
不意打ちのシリアスモードに戸惑うあたし。
「今は違うよ。天は変わった。わたしを置いて――」
梅干しの種がポロリと手のひらに落ちる。
「――なんてね。ビビった?」
翔子は不意にニカッと歯を見せて笑った。歯には海苔がついている。
「ビビったよ。急にメンヘラになるなよ」
「演劇部にでも入ろうかな、才能あるかも」
小学生の時はスイミングスクールに通わされていたけれど、別に泳ぐのが好きなわけではなかった。中学ではいろんな部活に仮入部した挙句、結局は帰宅部だった。思い返せばあたしが特定のスポーツに一生懸命になっているのは珍しいというか、あたし史上初なのかもしれなかった。
今日も頭の中はオリエンテーリングのこと、春季大会のこと、それからもちろん明日の模擬戦のことでいっぱいだった。大真面目に地図と山ばかり見ていて、山頂に着くまで翔子には退屈をさせてしまったかもしれない。
「あたしに構ってもらえなくて、寂しかったんだね。ヨシヨシ」
あたしはおにぎりのせいでまだべたつく手をふきもせず、翔子の頭をヨシヨシしにかかった。
「ちょ、やめろ。なんか髪にくっついてるんだけど!」
「なんかあたしのことばっかり聞いてくるけどさ、翔子の方はどうなのよ。高校生活は」
帰りはヤマツツジの咲き誇る尾根道を選んで下っていく。
「だから平々凡々だって。宇宙人も未来人も超能力者も出てこないよ」
「そりゃ出てこないでしょうよ。アニメじゃないんだから」
しゃべりながら、スピードが出すぎないように気を付ける。模擬戦前日に調子こいて膝故障なんてシャレにならない。下りは得意という自負があるからこそ、要注意。
「友達……は、まぁいるでしょうね」
どちらかというと、友人とのコミュニケーションスキルは翔子の方があたしより上手だ。陽キャグループの中でもそこそこの位置をゲットして、平和な学園生活を送る。あたしはそれについていく。それがこれまでのスタイルだった。
「そうね」
翔子はつまらなそうに応える。
「イケメンとか、気になる人とかいないの?」
「いないねぇ……目の保養なら、ユーチューブで間に合う」
たしかに翔子は、あまりアイドルグループに熱を上げたりすることはなかった。人並みに見ることはするんだろうけれど、特定の誰かのファンになったりはしない。かくいうあたしもそうだけど。
そうだったけど……というのが正しいか。今は卓美先輩のファンだ。愛していると言ってもいい。
「翔子はあたしが変わったっていうけどさ、それって愛なんですよ、うん。愛が大事だと思うなぁ」
「は?」
登山道はせまいので、あたしが先を歩き、翔子が後ろから歩いてくる。だから表情は見えないけれど、なんとなくどんな表情かは想像がつく。
「愛が山川天を変えた。愛は地球を救う。つまりはそういうことですな」
「ほーん」
気のない返事が後頭部に向けてやってくる。
「でもまぁ、わたしも何かはじめてみるかな」
「お、恋ですか? やっぱり気になる人がいるんじゃん」
「だから学校にはいないって。恋じゃないけど、なんか部活でもやるかなーって」
「何やるの?」
「それはヒミツ」
「なんでやねん」
「大阪っぽいけど、それは使い方合ってるのか?」
下山したら一度山川家へ帰り、シャワーを浴びた。それから翔子を新大阪の駅まで送っていく。
「じゃあね。明日の模擬戦……だっけ? がんばってね」
「おうよ」
オレンジのキャリーケースとともに翔子が改札を抜ける。
「今度はあたしが東京に行くからね」
翔子はヒラヒラと手を振り、人ごみの中に消えていった。
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