第3話 足ソムリエの靴屋さん
「靴、買いに行こか」
帰り道、卓美先輩はそう言った。
スニーカーの底がはがれてしまっては、鬼ごっこもできない。そういうわけで、とぼとぼ歩いて帰る。剝がれかけの靴底がペタンペタンと間抜けな音を立てる。靴ってこんな感じになるんだ……。
「え、あたしの靴ですか?」
「そら、話の流れ的に、そうやろ」
「そんな、靴くらい自分で買いに行けますよ」
身の回りのものはお母さんが揃えてくれる男子小学生でもあるまいし。
「そうやなくて、オリエン用に、もうちょい丈夫なやつをな」
ふと、先輩方の足もとを見る。普通のランニングシューズだと思ってあまり注意を払っていなかったが、よくよく見てみると、ランニングシューズにしてはちょっとゴツい。かといって登山靴と言うほど厳つくもない。
卓美先輩の靴は、割と見慣れたアシックスのマークが入っている黒と赤のボディに黄色いソールというドイツの国旗みたいなカラーリングだが、よくみると丈夫そう。
「そうですね。この機会に、自分に合う靴を探してみてはどうでしょう」
燐先輩も言う。かく言う燐先輩の足もとは水色のシューズ。これはあんまり知らないブランドだ。
「卓美の家の近くに、いい靴屋さんあるし、いっしょに行って来たら?」
薄紫にピンクのラインが入った、他の二人よりは少しゴツい靴を履いた風子先輩が、なにやらあたしに都合のいいことを言う。
え? 卓美先輩と二人で放課後ショッピング?
「店長と顔見知りやし、一応割引してくれるはずや。まぁ、あのおっさん、ちょっとめんどくさいけどな……」
卓美先輩はなぜか苦い顔をしていた。
一度家に帰り、母親に無残な姿となったスニーカーを見せ、哀れっぽくお願いして新靴購入資金を頂戴して、十八時。JR京橋駅の改札前で待ち合わせる。
せっかくなのでオシャレにキメてこようかと思ったが、時間が無かったので制服のまま。柱に寄りかかって、しばし待つ。
「おーい」
声がかかる。見ると、卓美先輩が手を振っている。先輩は着替えてきたらしく、ジャージ姿だった。学校指定のものではなく、ナイキのジャージと半パン。色は、紺に赤いライン入り。
「120円分の切符買って、入るで」
仰せのままに、切符を購入し、二人で改札を通る。
「天は片町線でここまでまっすぐ帰ってくるやろ? オレの家はここから環状線に乗り換えて、
階段を上がって、環状線のホーム。卓美先輩が行き先を説明する。ふむふむ、卓美先輩のお家は「天満」にある。メモメモ……。
「あれ? じゃあ、あたしたちの通学路、途中いっしょじゃないですか。どうして会わないんでしょう?」
あたしは重大な事実に気がついてしまう。片町線で京橋まで帰ってくるのなら、いっしょに下校するイベントがこれまでに発生していてもおかしくないはずではないか!
「まぁ、オレは嵐でも来ない限り、基本ランニング通学やからな」
「え……朝から走って学校来るんですか?」
「そうや」
そういえば、あたしたちの出会った運目のあの日も、先輩は走っていた。
「部活終わって、また走って帰るんですか?」
「せやで」
「おう……」
「天もいっしょにランニング通学するか?」
「う、ぐ……遠慮しときます」
いっしょに下校イベント、無理ですわ。
愛は、勝てなかった。
部活だけでもヘトヘトで、帰りの電車では爆睡してしまうあたしに、それは無理な相談だった。
あっという間に電車は120円分の距離を走り、天満駅へ到着する。
ジャージのポケットに手を突っ込んでスタスタ歩く先輩に、ちょこちょことついていく。駅の北側にはごちゃごちゃとした商店街、狭い道が続いている。
ほどなくして、小さな靴屋があらわれる。店頭にはアディダスやナイキといった有名ブランドのスポーツシューズが並んでいる。スポーツシューズ専門店らしかった。
その名も『モチダスポーツ』。
「いらっしゃいませー……あら、卓美ちゃんやん」
店の奥から出てきた男性が、気さくに挨拶をする。
「どうも、店長。今日はオレの靴やないねんけどな」
どうやらその人が店長らしい。健康的に日焼けした肌、ピッタリしたデニムが似合うスラッとした体形。屋内なのにサングラスをかけている。
「うちの新入生に、初心者用のトレランシューズを見繕ってほしいねん」
「あらー、あらあらあら」
店長がクネクネしながらあたしに近づいてくる。瞬時にあたしは悟った。これが、オネエってやつか……。
「あらカワイイ新人さんだこと。ささ、奥へどうぞ」
「ど、どうも。よろしくお願いします……」
外から見ると小さな靴屋だと思ったが、中に入ってみると、奥行きがあって結構広い。店内でも奥の奥、いちばん奥に、登山靴なんかが置いてあるアウトドアコーナーがあった。
「さっき言ってた、トレランシューズっていうのは、何ですか?」
後ろからついてくる卓美先輩に聞く。
「トレランっていうのは、トレイルランニングの略。山で走るスポーツや。マラソンのオフロード版、みたいなやつやな」
「なるほど」
そういえば、飯盛山でも何人か走っている人とすれ違った気がする。
「オリエン用のシューズってのも、あるっちゃあるけど、日本にはあんまり出回ってないねん。それに高くつく。せやから、トレランシューズがちょうどええ」
店長が振り返り、あたしに椅子を勧める。先に足のサイズを測るらしい。座って、靴を脱ぐ。家で履き替えてきたローファーである。スニーカーの方が楽だから、いつもはスニーカーで登校しているが、一応持っている。
「そうねぇ。オリエンってマイナースポーツやから……なんで卓美ちゃんが陸上やめてオリエン始めたのか、いまだにわからへんわ。陸上シューズならいくらでも取り扱ってるのにぃ」
「陸上は、道が一本しかないからなぁ」
卓美先輩は、腕組みしつつ、そんなことを言う。文系理系の話のときにも思ったが、なんだか卓美先輩は、常人には理解できない本能的な何かでうごいているようだ。
店長は「ほらね、意味わからへんやろ?」という風に肩をすくめて見せ、そして流れるような所作で、黒のハイソックスを履いたあたしの足のにおいをスンスン嗅いだ。
……ん⁉
「ふぇっ⁉ 何やってるんですかぁ!」
オネエっぽい店長がおもむろに女子高生の足のにおいを嗅いだという事実を認識するや否や、反射的に足を蹴り上げる。
「ぐふぁあああああ」
オネエ店長のグラサンが舞う。
「す、すいません」
思い切り顔面を蹴ってしまったので、一応謝る。いやでも、あたし悪いことしてないよね? 正当防衛だよね?
「いや、謝らんでもええで」
卓美先輩がそう言って、あたしの肩に手を置く。
「フッ……いい蹴り、いい脚よ……」
店長は起き上がり、サングラスをかけなおす。
「今の一撃で、だいたいわかったわ」
店長はトレイルランニングコーナーにあるシューズを物色し始める。
「あなた、初心者も初心者、運動自体をあまりしてこなかったみたいね。でも、ここ最近オリエンを始めたことで、急激に筋力がついてる」
オネエ店長が急にイケボで解説を始める。
「ど、どうしてわかるんです?」
「においから足の発汗状態がわかるし、自ら蹴られることで、足のサイズ、土踏まずの形、筋力が手に取るようにわかるの」
オネエ店長はドヤ顔で答える。
「いや、それは普通に聞いてもらった方がよかったんですが……」
「ダメよ。実感が無いと、正確なことがわからへんもん……あら、サイズが無いわ。ちょっと裏の在庫見てくるわね」
店長は何かを探しに、スタッフルームへ消えた。
「まぁ、あの人はマゾで足フェチの変態やけど、見ての通りオネエやから、他意はないんや」
卓美先輩が、フォローっぽいことを言う。
「…………」
「変わった人やけど、巷では『足ソムリエ』って呼ばれとって、何気に評判はええんや」
「マジすか……」
なんだよ『足ソムリエ』って……。
「お待たせ~」
スタッフルームから、箱を持ったMで足フェチの店長が出てくる。
「ほら、履いてみて?」
箱から取り出したのは、グレーのトレランシューズ。メッシュ素材で軽く、それでいてソールは分厚い。ソールとロゴがピンク色で、なんだか可愛らしい。
「す、すごい……ぴったりフィットしてます……」
「せやろせやろ」
履いた瞬間にわかる。いや、履いた瞬間がわからないほどにフィットしている。まるで最初から履いていたみたいに、それが自分の一部だったみたいに、いまだかつてないフィット感。
両足履いて、歩いてみる。靴の裏のグリップが効いていて、地面を掴んで歩いているようだ。普通のスニーカーとは、全然違う。
「気に入った?」
「はい。これください!」
即決。
「毎度~」
靴を入れてもらった袋を抱え、店を出る頃には、ドM足フェチオネエ店長が、すごい『足ソムリエ』という評価に変わっていた。
「あれ、お前ら何してるん?」
店先で、突如声をかけられる。見れば、制服姿の女子高生がそこに立っていた。胸元のリボンがまったく似合っていない――
「なんか今、失礼なミドルネーム考えてなかったか?」
素敵な筋肉をお持ちの持田先輩があたしの心を読む。マッチョという属性で人物を認識していたことがばれたのだろうか。やばいやばい。
「い、いえ……持田先輩こそ、どうしてここに?」
「どうしてって、ここがウチの家やし……」
「へ?」
靴屋さんを、振り返る。店名は『モチダスポーツ』……。
「ま、まさか……」
「せやで、さっきの店長は、こいつの親父さんや」
「…………」
「あれ? オカンか?」
卓美先輩も混乱している。
「たしかにややこしいけど、あれでもオトンや」
持田先輩はベリーショートの頭をボリボリかく。
「まぁ、ここに来たってことは、靴買いに来たんか。一年生の」
「そうやで」
「ども、山川天です」
名前覚えられてないっぽいので、一応名乗っておく。あたしは確かに初心者だけれど、敵として認識すらされていないのは、なんだかちょっと悲しいし。
「山川やったか。覚えとくわ……」
低い声で言って、持田先輩は靴屋へ入っていく。おそらくこの二階が居住スペースになっているのだろう。
「そういえば、中学が一緒なんでしたね」
「まぁ、幼馴染っちゅうやつやな」
幼馴染か……これはある意味強敵出現という感じだ。
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