第4話 はじめての山
各々体操服とジャージに着替える。合格発表の日に買わされた白いTシャツの裏には『KUSUNOKI HIGH SCHOOL』と刺繍がほどこされている。短パンとジャージは学年ごとに色分けされていて、あたしたち一年は青、先輩たち二年は緑だった。ここにはいないが、三年生は赤だった。たぶん。
木村卓美先輩は男らしくスパッと制服を脱ぎ捨て、体操服上下を装着。半袖をさらにまくってノースリーブスタイル。踝まで出ているスニーカーソックスで、今にも走り出しそう。
林原風子先輩は脱いだものも簡単に畳みながら着替え、上はTシャツ、下はジャージという出で立ちになる。ちなみに脱いだらすごかったが、見なかったことにする。
森本燐先輩はブレザーをハンガーにかけ、脱いだものを几帳面に畳みながら着替える。黒タイツをスルスルと脱いで、黒いスポーツタイツをまたスルスルと履いたのはちょっとした驚きだったが、それも言わないでおく。
準備の整ったところで校門を出る。学校最寄のコンビニの脇を通って住宅街を歩く。普段は走るらしいのだが、今日は新入生歓迎略して新歓のためおしゃべりしながら歩くのだとか。歓迎されるべき新入生ってあたししかいないけど。
踏切を越え、山並みに向かって真っすぐ突き進む。途中、近くの小学校から子どもたちの元気な声が聞こえた。そのあたりから、だんだん道が坂になってくる。
「山が近づいてきて、ワクワクするやろ?」
「え、えぇ、まぁ」
卓美先輩の笑顔に癒されつつも、あたしはぎこちない受け答え。なんとなく空気というかにおいが変わってきたのは感じるけれど、べつにワクワクするような感じではない。むしろ慣れないので緊張感すらある。
「中学の時は何部やったん?」
風子先輩がのんびりした調子で尋ねる。
「いやー特に部活はしてませんでした」
せっかく話しかけてくれたのに、なんと盛り上がらない回答だろうか。
「あっはっは。まぁ東京には近くに山なんかないやろからなー」
「い、いや、山が無かったからではなく……」
「そうですよ卓美。東京にだって山はあります。高尾山とか……」
そう主張するのは燐先輩。思わぬところからちょっと的外れなツッコミ。
「そ、そうかぁ、山あったんか。見直したで、東京」
卓美先輩がバシバシとあたしの背中を叩く。何を見直されたのか意味不明だが、スキンシップがちょっと嬉しい。割と痛いけど。
などなど話している間に、道が川と合流する。急に風がひんやりしてきて、少し気持ちがいい。うん。
「お、着いたで。ここがいつものスタート地点やな」
そこは、小さな神社だった。川をまたぐ小さな橋を越えて、石段を上ると鳥居がある。
「ここは
「……ごくり」
なぜか唾を飲み込む音が響く。あたしの喉だ。どうやら緊張しているらしい。木々がざわめき、人々が踏みしめただけの、あまり舗装されていない道が続いている。先は少し登りになっているので見えない。
「なんや緊張しとるんか? もしや山処女か」
「しょ、しょしょしょ、処女?」
いきなり何を言いだすんだこの先輩は。
「山に登るのは初めて? って聞きたいんやと思うよ?」
風子先輩がフォローする。
たしかに山らしい山に登ったことはないような気がする。小学生の時のキャンプも、割と開けたキャンプ場だった。オリエンテーリングもどきをやったのも、森の中に作られたアスレチックみたいなところで、だった。
「そ、そうかもしれません」
「ほな、オレが天の処女もらったるわ」
「ひょえ、光栄でふ!」
漫画みたいに、ボン!と顔が赤くなる。
「卓美、山川さんが混乱していますよ」
「あらあら~」
「おっしゃ行くで~」
あたしの心境を知ってか知らずか(たぶん知らないだろう)、卓美先輩はずんずん山に入っていく。
しばらく歩いたところで、
「そろそろ一個目が出てくるで」
卓美先輩が言う。
指差す方を見ると、少し開けたところに、一本のポールが立っていた。ポールの先端には、一つの面が白と橙で半分ずつ彩られた三角柱型フラッグが付いている。
「これが『コントロールポイント』や」
卓美先輩がドヤ顔で説明になっていない説明をする。いきなり専門用語言われても……
「簡単に言うと、チェックポイントですね」
すかさず燐先輩が補足。
「オリエンテーリングのルールはめっちゃシンプルなんや。地図とコンパスを頼りに、山野を駆け、このチェックポイントを順に通ってゴールするまでの時間を競う。それだけや」
さらに風子先輩が説明をする。
「せやせや、そういうこっちゃ」
卓美先輩は偉そうに腕を組み、こくこくうなずく。
「これは『Eカード』と言います」
つづいて燐先輩が取り出したのは、一枚のカード。それをスイカみたいに……関西風に言うとイコカみたいに、『コントロール』にかざす。ピッ。
「これで、このチェックポイントを通過したことになります」
「なるほど、山の中だけどハイテクですね。てっきりスタンプラリーみたいなものかと思っていました」
「昔はそんなんやったみたいよ。でもこれを使えば、コンピューターに位置情報、通過時間とかが記録されるから、便利なんよ」
これは風子先輩。
「せやせや、そういうこっちゃ」
卓美先輩はどうやら、細々したことを説明するのが苦手らしかった。さっきから相槌をうってばかり。
しかしそんなことはいつものことらしく、燐・風子両先輩は説明を続ける。
「次は地図を見てみましょう。ここの鳥居マークが先ほどの御机神社ですね」
燐先輩が取り出したのは一万分の一の地形図。一応社会で勉強したので、基本的な地図記号や等高線くらいはわかる。燐先輩のほっそりした指が、川のそばの鳥居マークを指す。
「そこからほぼ等高線上に沿って、緩やかに登ってきて、今がここ。①って印ついてるとこや」
次に風子先輩のやわらかそうな指が(別に太いわけじゃない)、燐先輩の指先からつぅと滑らせて赤の①印までやってくる。
「地図と実際の地形をアイデンティファイさせてみーや。よぉわかるで」
ここで卓美先輩がコンパスを持ち出す。透明なプラスチック製のもので、地図の上に置いてもその下の部分が見える。理科の磁界の実験か何かで使ったものとは、少し違う。
「あいでんてぃふぁいとは?」
「地図上の方角と、実際の方角を一致させるってことやね」
Identify 確認する。同定する。
風子先輩は卓美先輩から受け取ったコンパスで、実演してみせる。地図上の東西南北を表す記号、あの不格好な矢印みたいなやつの北と、コンパスの針の赤が指す方向をあわせる。
「これで地図と実際の地形の位置関係が一致したことになりますね」
地図を見てから、実際の道を見る。①から鳥居マークまでの道と、今歩いてきた道が重なる。地図上では鳥居マークを背にして左側に山が広がっている形になるが、もちろん実際に今歩いてきた道を背にして立ってみると、左手が山の斜面になっている。
「なぁるほど。こうやって現在位置を確かめるわけですね。GPSを使わずとも」
「GPSも高い機械買ったらええねんけど、オリエンでそんなもん使ったら反則やな。スマホもNGや」
「そうです。オリエンは知的なスポーツなのですから」
燐先輩が何故か得意げに眼鏡をくぃっと持ち上げる。
「まぁ知的なんもええけどさ。今日のお勉強はこんくらいにして、とりあえず山頂まで行こうや。めっちゃ眺めええねんで」
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