302 明日は我が身

 すぐ近くにある胡蝶の手。

 許可きょかず、突然とつぜんれたら胡蝶はどんな反応はんのうをするのだろう。

 触れたら斬首ざんしゅと言っていた。吉乃きつのに触れようとしたとき、すごく怒っていた。だから、多分たぶん冗談じょうだんではない。


 触れてはいけない――。

 帰蝶きちょうが手を伸ばしたことに気付いたのか、胡蝶は手を引っ込めようとした。帰蝶きちょうは更に手を伸ばし、つかんだ手をぎゅっと握る。


「えへへ」

 胡蝶に笑い掛ける。力んでいた胡蝶の手の力が抜けた。


 どうにかなると思っているわけではない。帰蝶きちょうは、いのち好奇心こうきしん天秤てんびんに掛けると、好奇心こうきしんまさるというだけ。

 この後、殺されるかもしれないという恐怖心きょうふしん緊張感きんちょうかん継続けいぞくしている。帰蝶きちょうは、この感覚かんかくたまらなく好き。


 タクシーが信号しんごう以外いがいの場所で停車ていしゃする。

 まどの外は見慣みなれた景色けしき自宅じたく前に到着とうちゃくしている。


 運転手うんてんしゅ住所じゅうしょつたえていないのに、何故なぜ自宅じたく前に停車ていしゃしたのか。

 胡蝶が伝えたのは、自明じめい。だけれど、何故なぜ胡蝶が帰蝶きちょう自宅じたく住所じゅうしょを知っているのか――。

 怖い。それ以上に、これから起きることが楽しみで、普通ふつうてっする。

「またね」

 胡蝶にげ、タクシーをりる。


 玄関げんかんかぎを取り出そうと、かばん視線しせんうつす。

 視線しせんを感じ、かえると胡蝶が立っている。

 気分が高揚こうようする。胡蝶が行動こうどううつすのをつ。けれど、無言むごんでただ立っているだけ。何も言わないというよりは、何かをっている様子ようす。この状況じょうきょうで待つとすれば、玄関げんかんけることくらいしか、思いかばない。

 玄関げんかんを開けると、胡蝶が近付ちかづいてきた。予想通よそうどおりだから、気にせず家に入る。

「ただいま」

「こんな時間までどこに……友人ゆうじん一緒いっしょだったのか……」

 おこって出てきたのは、帰蝶きちょうの父親。胡蝶を見た途端とたん、ばつがわるそうにリビングへ戻る。


 帰蝶きちょうには、自室じしつがある。胡蝶を部屋へや案内あんないし、二人きりになる。

「好きなところにすわって」

 怖い――だからえて近寄ちかより、を見せる。

警戒心けいかいしんゼロか……うちは、さっきまで一緒いっしょに居た胡蝶やないよ。わかっとる?」

「まじか……」

 立ったままの胡蝶の眼前がんぜんこしろし、胡蝶を見上げる。

「うちらんかったら、あんたは今、父親ちちおや説教せっきょうけとるとこやお」

 胡蝶は、斬首ざんしゅするためではなく、説教せっきょう回避かいひさせるため、わざわざ来てくれたようだ。

「やろうね。たすかった」

「この部屋から、トンネルにつないでみる?」

 すごく興味きょうみはある。つないでみたい。でも――。

あぶないんやおね?」

 地味じみ危険きけん苦手にがて

「使い方次第しだいつなぎっぱなしにすれば、帰蝶きちょうらんときに、だれかに使われる可能性かのうせいしょうじるし、部屋へやとびらけっぱなしにすれば、家族かぞく見付みつかったり、使われる可能性かのうせいしょうじるっちゅう話。どんなものでも上手じょうずに使えば便利べんりやけど、使い方をあやまれば事故じこきるやろ。そういう話」

理解りかい出来た。それならつないでみたい」

つないどる間は、こうからも来れることをわすれんといてね」

「うん。おぼえとく」

「そこのクローゼット、丁度ちょうど良さそうやね。準備じゅんびするで、待っとって」

「うん」


 クローゼットに端末たんまつを繋ぎ、操作する胡蝶。

マイナンバーユーザーアカウントとパスワード教えて」

 関ケ原で、秘密ひみつのトンネルについて説明せつめいを受けたさい認証にんしょうに使うとおそわった。

 マイナンバーカードを手渡す。胡蝶はカードを見ながら、端末たんまつに情報を入力にゅうりょくする。

証明写真しょうめいしゃしんるで、そこのかべまえに立って」


 カシャッ。


「マイナンバーカードを使って、ピッて認証にんしょうするのと、都度つど入力にゅうりょくするの、どっちがええ? ピッてするほうが、カードいと認証にんしょう出来へんで安全あんぜん

安全あんぜんほうがええ」

「おけまる……出来た。とびらにマイナンバーカードをてると、つなげられる。とびらめてから、再度さいど当てると切断せつだんされる」

 先程さきほど胡蝶にわたしたマイナンバーカードをけ取る。説明せつめいどおり、とびらててからひらくと、クローゼットのこうに部屋へやが見える。

こうがわに行けるん?」

「うん。つながっとるあいだは、普通ふつう部屋へやと同じように往来おうらい出来る」


 はじめて入る部屋へや


「いつでもけるんやおね?」

「うん」

「いつでもっていいん?」

「うん」


 なんだか、違和感いわかんがある。


「ここは、だれ部屋へや?」

吉乃きつの

 『おい!』、『やっぱり』――言葉ことばにする感情かんじょうえらべない。

 トンネルを『つなぎたくない』と明言めいげんしていた胡蝶が、自分じぶん部屋へやつなぐはずがないと、もっと早く気付きづくべきだった。

 帰蝶きちょうは、悪巫山戯わるふざけめ付けたけれど、つづ言葉ことば誤解ごかいだったと判明はんめいする。

吉乃きつのには、知識ちしきめ込んで満足まんぞくする悪癖あくへきがある。説明せつめい上手じょうずやで、コンサルするんやったらええけど、このまま放置ほうちすれば、いつか取り返しつかん失態しったいおかしてまう。やで、危機意識ききいしきえ付けたい。やけど、うちはおきゅうえるだけのつもりでも、やりぎてまうふしがある。やで、帰蝶きちょうわりにやって」


いたら、反省はんせい後悔こうかいもせんやろ」

 部屋へやからつながっているすべての空間くうかんにある、すべてのオブジェクト暗号化あんごうかし、使用不能しようふのう状態じょうたいにした。

 所有権しょゆうけんうばい、吉乃きつのゆうする全権限ぜんけんげん解除かいじょすべてのまどふさぎ、部屋へやかぎ交換こうかん吉乃きつのが立ち入れないようにした。

 五分後、すべての痕跡こんせきすよう設定せっていし、自室じしつもどる。


「エグいな……うちでもそこまでしいへん」

自業自得じごうじとくや。復号ふくごうかぎわたしとくね。あとのことは、あんたにゆだねる」

 スマホを取り出し、発信はっしんする素振そぶりなく、唐突とうとつに話し始める胡蝶。

いとったか? 帰蝶きちょう自業自得じごうじとくやと思っとる」

 画面がめんには『前科三犯ぜんかさんぱん』と表示ひょうじされている。通話相手つうわあいては、吉乃きつのだろうと想像そうぞうつく。

『うん。反省はんせいした……』

 スマホしに、半泣はんなきの吉乃きつのこえが聞こえる。先程まで一緒に居た吉乃きつのは、山中さんちゅうねむっているから、時間軸じかんじくことなる吉乃きつの

「ええ加減かげんりなあかんよ」

復号ふくごうかぎ、ちょうだい』

帰蝶きちょうらしたのは、ハニーポット。あんたの部屋へや復号ふくごうかぎなんか、ってへんわ!」

 ハニーポットとは、攻撃者こうげきしゃをおびきせ、侵入しんにゅうさせるため、攻撃こうげきを受けやすい状態じょうたいにしてあるトラップ

 つまり、帰蝶きちょうは胡蝶ののひらの上でころがされていたということになる。そんなことにも気付きづかず胡蝶に、してやったりがおをしたことがずかしくなってきた。

『全部、廃棄するしか無い? すこしだけでも、もともどせへん? うつけにもらった物とか、色々いろいろあるの……』

「あんたが一番いちばんよう、わかっとるやろ。汚染おせんされたんやで、全廃棄やわ。バックアップを怠った、あんたがわるい。もしも相手あいて帰蝶きちょうやったら、復号ふくごうかぎをくれるで良かったのにな」


過去かこに行けば、ふせげるんやない?」

「無理やわ。シュレディンガーの猫、知っとる? 観測するまでは物事ものごと状態じょうたい確定かくていせんっていう思考実験しこうじっけん今回こんかいけんは、吉乃きつの観測かんそくしたことで、事象じしょう確定かくていした。やで、その時点じてんになったら、かなら使用不能しようふのう状態じょうたいいたる。復旧ふっきゅう出来へん事象じしょう観測かんそくしたら、それも確定かくていして後戻あともどり出来へんくなるだけやお」


 時間軸じかんじく移動いどうは、万能ばんのう能力のうりょくではないらしい。

 でも引っ掛かることがある。帰蝶きちょう父親ちちおやからの説教せっきょう回避かいひ出来ている。理由りゆうは、おそらく胡蝶の観測かんそく不十分ふじゅうぶんだったから。明日以降の帰蝶きちょうから、口頭こうとうで伝えられて知ったのだろう。

 つまり直接ちょくせつ見聞みききしていない、伝聞でんぶんによりっただけの事象じしょうは、改変かいへん可能かのうということ。


 通話内容つうわないようから、吉乃きつのがバックアップを怠ったことを観測済みで、使用不能しようふのうになるまでの間に、手立てだてをこうじられない状況じょうきょういたったと推察すいさつする。

 期待きたいさせても、こたえられる可能性かのうせい極端きょくたんひくい。この段階だんかいあきらめるのが精神衛生上せいしんえいせいじょうは、良さそうではある。

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