竜胆のひみつ
玄門 直磨
竜胆のひみつ
色なき風が頬をなでる。
学校の屋上の縁に立つ私の眼下では、銀杏が黄色く色づき、風に揺られ舞っては校庭に黄色い絨毯を作っていた。
もう、この季節を過ごすことは無いのだろうと、少しだけ感傷に浸る。
私はこれから飛び降りるのだ。この世界に別れを告げるために。
すると突然、校内へ続くドアが開き、1人の女子生徒がやって来た。
その顔は、怒った風でも、悲しんだ風でもなく、真顔で、少し笑みをたたえていた。
それは隣のクラスの女子で、名前は知らない。話したことも無い。それでも向こうは躊躇なく 無言のままこちらに向かってズカズカと近づいて来る。
どうせ、コイツも『自殺は止めなよ』とか『私が相談に乗ってあげる』とか、上辺だけの優しさをぶつけてくるんだろうなぁとため息をつく。
だから、
「なに? あんた。止めたって無駄だからね」
と牽制する。
でも、その女子生徒の言動は私の想像を覆すものだった。
「良かった~、間に合った。ねぇ、一緒に飛び降りよ」
そう言って柵を超えた後、満面の笑みで私に抱きついて来た。
「えっ? えっ?」
私はあまりに唐突な出来事に理解が出来なかった。
引っ張られる体。
始まる自由落下。
その時初めて、私は実は死にたくないんだと、本心に気が付いた。
目を覚ますと、病院のベッドだった。
腕にはギプスが装着され、身体の至る所からチューブが伸びている。
(わたし、いきてる?)
口には酸素マスクが付けられているため上手く喋れない。
私が目を覚ました事に気が付いたのか、医者や看護師、両親が病室に入って来た。何やら話をしている様だが、頭がボーっとしていて会話が入って来ない。ただ分かるのは、両親が泣いているという事だけだった。
一ヶ月ほどして退院すると、私と一緒に転落した女子生徒は亡くなっていた事が分かった。入院中に警察が一度だけ来たけど、転落当時の記憶は曖昧だったし、「分からない。よく覚えていない」と答えたからか、事故として処理されたらしい。
状況証拠として争った形跡も無く、その女子生徒はよく屋上の縁に立っているのを目撃されていた事なども要因になったのかもしれない。
久しぶりに登校すると、クラスメイト達が集まって来た。
「大丈夫だったか?」とか「何が有ったの?」等と質問攻めに有ったが、曖昧に返事をして受け流した。正直煩わしい。
それに、聞いてもいないのに一緒に転落した女子生徒の情報を一方的に吹き込んできた。
それが彼女の名前らしい。
名前の通り、いつも笑顔で友達も多く、とても自殺するような生徒とは思え無いとの事だった。校庭の隅にある花壇をいつも綺麗にしており、花が好きな女子生徒であったという話もある。
そこで思った第一印象は、私とは正反対だ、という事。不愛想で、感情を表に出さず、友達も少ない私とは住んでいる世界の違う子。
隣のクラスを覗くと、彼女の席だったと思われる机には、ポツンと一輪の花が添えられていた。
学校が終わる頃には、私への興味が無くなったようにクラスメイトはいつもの雰囲気に戻っていた。
私はこれが嫌いだった。
上辺だけの関係。本人の前では悪口は言わないくせに、本人のいない所で陰口をたたく。そんなクラスメイト達が苦手だった。かといって男子と仲良くすると、嫉妬されたり変な噂を流されたりする。正直くだらない。
私は、そんなくだらない世界から逃げ出したかったんだ。
また、いつものくだらない毎日を過ごさなければならないのかとため息を吐くと、制服のジャケットに違和感を覚えた。
ポケットに何か入っている。
取り出してみると、それは一枚の紙きれだった。こんなもの入れた覚えはない。開いてみると、中身は可愛らしい字体で書かれた地図だった。
そして、一言だけ文字が書いてある。
【悲しんでいる貴女を愛します】
「なんだろ、コレ」
ぱっと見はなんの地図なのか分からなかったけど、よく見てみるとどうやらこの学校のものらしい。真上から見た図で、端っこの方に星印が書いてある。
「この場所って……」
星印が書いてある場所。それは、校庭の隅にある花壇だった。
何となく気になった私は、その花壇へ行ってみる事にした。
花壇には、色とりどりのコスモスと
それは綺麗な青紫色でとても目を引いた。
もう一度紙切れを見る。
「やっぱり、場所はここで合ってるよな」
周りを見回し、誰もいないことを確認する。そして、一本だけ生えている竜胆を引き抜いてみる。先生に見つかったら怒れれそうだけど、どうしても一本だけ植えてある事に違和感を覚え、抜きたくなってしまったのだ。
「ん? 何だこれ」
すると、竜胆の生えていた所に、何やらビニールのような物が見えた。それを土から取り出し、竜胆を植え直す。
土の中から出てきたものは、小さいビニール袋に入れられていたUSBメモリだった。
早速家に帰って中身を確認してみる事にする。
USBメモリに収められていたのは、画像データと文章データ、それに一本の動画データだった。
画像は、中条笑香の自撮り写真や、思い出の場所と思われる写真だった。色々な洋服や場所で取られたその写真はどれも可愛らしく、彼女が輝いて見えた。
しかし、その中に雰囲気の違う写真も混ざっていた。
痣や切り傷等がついた裸の画像。恐らく中条笑香の物だろう。そのどれもが、おそらく自分ではなく他人に付けられた物。
そして文章データには、更に衝撃的な内容が書かれていた。
親による性的虐待。学校でのイジメ。それによって男性不振になってしまった事などだ。
読み進んでいくと、段々と心が苦しくなっていった。恐らく当の本人はもっと苦しかっただろう。
そして、そんな苦しみを救ってくれた1人の女子生徒の存在が書いてある。
私の事だった。
困っていた所を助けてもらってから好意を抱いたとの事で、そこからは私への愛がつづられていた。
自分でも気づかない私のクセや習慣、可愛いと思うところやかっこいいと思う所など、読んでいるこちらが恥ずかしくなる内容だった。
そして、最後の動画データを開く。
“えーと、こんにちは。貴女は私の事をよく知らないかも知れませんが、中条笑香です。
この動画を見ているという事は、私は死んで貴女は生きているという事ですね。
ちょっと、複雑な気持ちです。
貴女と一緒に死にたくも有ったけど、好きな人が生きてくれていて良かった。
そして、ちょっとでも私の事で悲しんでくれていたなら嬉しいです。
貴女を初めて見た時、なんて凛として綺麗な人なんだろうと思いました。
名前を知って更に素敵だなと感じて、本当に名は体を表すんだって思いました。
そして、あの日。
ハンカチを貸してくれたあの日、私は貴女の事を好きになりました。
私という存在に気付いてくれて、他の人と違って私に気遣ってくれて。
本当ならこの気持ちを直接伝えたい。もっとお話をしたい。そう思ってます。
でも、貴女とは住む世界が違い過ぎて、声をかける事が出来ず、遠くから眺めるばかりでした。
しばらく貴女を観察していると、この世界に絶望しているんだと気付きました。
あぁ、私と同じなんだ。そう思うと、もっともっと好きになりました。
でも、私のこの恋は叶わない。それは分かっている。
だからこそ、こうやって想いを伝えているんです。貴女に迷惑をかけないために。
改めて伝えます。
私は貴女が好きです。大好きです。だから、貴女は生きてください。私の好きな貴女で居てください。
勝手なお願いだとは分かってます。私のために生きてください。”
動画はそこで終わっていた。
私はすっかり忘れていたけど、トイレの前で濡れた服を着ていた女子生徒にハンカチを渡した記憶がある。それが彼女だったいう訳か。
この動画を見て、普通の感覚だったら恐怖を覚えたのかも知れない。そして、自分勝手な願いに怒るのかもしれない。
でも、私はこの中条笑香という人物に興味を持ってしまった。
この文章データに書かれた事が本当なら、彼女は壮絶な人生を生きてきた。それに同情するし、かわいそうだとも思う。
たったの17年という短い人生だったかも知れない。でも、彼女にとってはそれが地獄だった。誰が責める事が出来よう。むしろ、頑張って生きてきた彼女に好感すら覚える。
生きている内にもっと仲良くなれれば良かったのに。私自身、きっと彼女が思っているほど清らかな人間ではない。
なぜなら小学6年の頃、初めて男性を知ったからだ。相手は父親の弟、つまり伯父だった。でもそれは、こちらの同意などなく無理やりに。
その体だけの関係は、つい先日まで続いていた。けど、その伯父はもうこの世にはいない。
翌日、私は学校を休んだ。
中条笑香の自宅を尋ねる為だ。
個人情報保護が叫ばれる昨今だけど、担任に「中条さんに線香をあげたい」と言ったらすんなりと住所を教えてくれた。
中条笑香の自宅に着くと、インターフォンを鳴らした。木造の一軒家で、かなり年季が入っている家だ。
ほどなくして、奥から玄関に向かって人が歩いて来る足音が聞こえた。
出迎えたのは、無精ひげを生やしただらしのない恰好の中年の男だった。恐らくコイツが中条笑香の父親なのだろう。
私が「笑香さんの同級生で、お線香をあげたくて来ました」
と言うと、全身を舐めまわすように見た後「どうぞ」とだけ短く言うと、家に招き入れてくれた。
「仏壇は奥だから」と酒臭い息が混じった言葉を吐くと、奥へ行くよう促して来た。
すれ違いざま、尻を触って来た。その時点でキレそうになったが、何とかグッと堪えた。
(まだだ。せめて笑香の仏壇に線香をあげてからだ)
だけど、居間を抜け、奥へと続く襖を開けたが仏壇らしきものは無かった。
後ろでガチャリと玄関の鍵が閉まる音が聞こえた。
襖を開けた位置からじゃ見えないのかも知れないと、和室に入って辺りを見渡したけど、やはり仏壇は無かった。
騙したのか、実際は他の部屋にあるのか。
私は持って来ていたカバンに手を入れ、あるものを掴む。そして、振り返ると笑香の父親は既に背後にまで迫って来ていた。
手にはロープのような物を持っている。
やっぱり、持ってきてよかった。というより、本当の目的は笑香に線香をあげに来たわけじゃない。
じりじりと近づいてくる笑香の父親に向かい、私はカバンから取り出したナイフを振り上げた。
そう、伯父の命を奪ったナイフだ。
竜胆のひみつ 玄門 直磨 @kuroto_naoma
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