第68話 修羅場の真犯人
「まず、おはよう、でしょ。細川さん」
「あ、そうだね。おはよう〜……ってそうじゃないよ! なんでいるの!? ま、まさか………」
美夜から疑念のこもった視線が向けられるので、俺は首を横へ振る。
第一、自分からそんな危険な轍は踏むまいて。
「起きたらいたんだよ。梨々子にはうちの合鍵、渡してあるから」
「あ、合鍵!?」
美夜の喉奥から頓狂な声が出るが、なにもそこまで驚くことはあるまい。
「別に普通のこと。うちの家の鍵も、ひなくんが持ってる」
「昔から家族ぐるみのつきあいだからな」
そもそもは親のご近所付き合いから仲良くなり、お互いの親に預けられて面倒を見てもらうこともしばしばあった。
おかげで梨々子はいまや、俺より母と親しいと言える。遠く離れた今でも、たまに連絡をしてくるのだとか。
俺の方も、梨々子母とは結構親しくさせてもらっている。たまに呼び出されては、梨々子の話やらを話の種にして、お茶に付き合うくらいの仲だ。
美夜は俯き、わなわなと震えだす。
どうしたんだよ、細川さん。
声をかけようと思ったら、顔の前に手のひらを向けられる。
「どうしたんだよは、なしだよ? どうもしてないから、私めちゃくちゃ正常だから、大丈夫。だから安心して、
え、なんで名前……?
そう思ったときにはもう、美夜は腕組みをしたうえで顎を少しくいっと上げて、梨々子と対峙していた。
美夜が名前呼んだ理由は、間違いなくこれだ。
要は喧嘩を吹っかけたわけだ、今ので。
なんで俺の呼び名くらいで喧嘩になるのかはともかく、虎と龍が相まみえるみたいに睨み合っているのだから間違いない。
もっとも恐れていた展開だ。
こうなったら二人が止まらないのは、昨日で十分に承知している。
「……動画外では、苗字呼びでしょ」
「あは、その情報古いよー。昨日、山名といろいろあって、なんだかんだで名前で呼び合う関係になったんだ。だってお泊りだし? 同じ部屋で、同じベッドで寝てたんだよ? あとのことはもうなにも言わなくても分かるよね」
「残念だけど。なんにもなかったって聞いてる」
「……ぐ、そんなの、山名が照れてほんとのこと言わなかっただけかもよ」
「そんなことない。だって、あたし部屋も見たから」
「え、見たの? 男の子の部屋だよ、勝手に?」
「いつもお掃除してるし、朝も起こしに来る時ある」
二人が同時に俺を見るが、それには頷くしかない。
そちらもまぎれもない事実だ。
「ひなくん、床で寝てた。それに、細川さん、恐ろしい寝相。なんというか……うちのお父さんみたいな――」
「そ、それは幻想だよ、幻想! 忘れろ、忘れろ~!」
「嫌。写真も撮ったから証拠ばっちり」
「な、な、なんて無慈悲な~! ちょっともう、そういうのやめてよ。消して消して!」
「嫌、妙な真似したら撒く」
「なっ、なぁ!?」
寝起きの美夜がコンディション不良だった、ということもあろう。
まるで赤子の手をひねるような言い争いだった。10対0で、梨々子に旗が上がる。
梨々子はあっという間に、美夜を言い負かしてしまう。
「消してよー」「消さない」と押し問答をして、スマホを取り合う二人。
その様子だけを見れば、まるでただの友達同士のようにも…………
いや、どちらかと言えば、強い姉と弱い妹と言ったところか。
時刻は昼下がりとはいえ、起きて数分の身には、随分と姦しいやり取りだった。
俺が耳をふさごうと手をやると、ふと横に気配がする。
見れば、姉が腕組みをして立っていた。この争いに気を奪われて、後ろの扉が開いたのに気づけなかったらしい。
「お姉、もう十分寝たの? 今日も朝まで飲んでたんだろ」
「まぁそうよ。始発で帰ってきて今起きた。なんか声がするなぁと思ったら面白いことになってない? なんか酔いが覚めてきたよ」
「普通、『目が覚めてきた』だけどな。それに全然面白くないし」
「いやぁ面白いよー。でもさすが、私の弟よね! こんなに可愛い女の子が、ひなをめぐって争うなんてさぁ。お姉ちゃん、迷うなぁ」
もう突っ込みどころが満載すぎて、その気にもなれなかった。
ため息をついていると、姉はなおも一人首肯する。
「やっぱり、りりちゃん呼んで正解だったわね」
「って、お姉の仕業かよ!」
「だって家に帰ったら弟が仕事仲間のはずの美少女と寝てるんだよ? もうこうなったら、修羅場にするしかないでしょ」
興奮を隠せない姉の様子に、素直に呆れる。酔いが覚めてこれかよ、とため息もつきたくなる。
その理論は、身内ながら、まったく理解できなかった。
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