13-2 伯物存故

日時

【五月二日】 

場所

【社日夕支部】

人物

【中園司季】


「やあ、中園司季。今日も元気かい?」


 断りもなく扉が開けられる。

 白髪着物姿の女性、子守里がそこに居た。

 プライベートなんかあったもんじゃない。


「生きてはいますよ。」

「いい返事だね。生存の定義について考えたくなるほどいい返事だ。」


 最近姿を見ていなかったが、相変わらずらしい。


「今日はどんな用事ですか? また覚醒体となんかしますか?」

「いや、今日は君を含めた実験は入っていないよ。むしろその逆、休暇だ。」

「社に休みなんてあったんですね。」

「ここは案外ホワイトなんだよ。一部役職を除けばね。」


 子守里は笑顔をたたえながら、一部役職で自分を指差した。


「人材は貴重だ。社の職員になると言う事は普通の人生を棄てる事、覚醒体から人類を守る為に命をかけることに他ならない。だからこそ、職員は大切にしなければね。有給もあるし、消化率はほぼ百パーセント。ボーナスも出るし、給料も高い。なにより、一応公務員だからね、失業もない。」


 福利厚生の話を俺にされても困る。


「無論、君も職員と同じ扱いを受ける事になる。君の入所日は四月二十七日になっているから、今日で六日目。完全週休二日が一般職員には義務付けられているから、君には今日と明日休んでもらうよ。」

「突然言われても困るんですが。」

「すまないね。私の方も後処理で色々と忙しくて把握と報告が遅れた。本来は部署で休暇の管理をするわけだが、君はほら色々と特殊だからね。私が管理しないといけなくてさ。」


 あんな事の後処理だ。

 忙しくて当然だろう。


「それは、お疲れ様です。」

「君から労いの言葉を貰えるとは思ってなかったよ。」


 いつか聞いたような台詞だ。

 よくよく考えると割と失礼な言葉じゃないか?

 子守里は俺をどんな人間だと思っているんだ。いや、人間だと思っていないのか。


「外には出られないんですよね。」

「いや、報告さえすれば出て良いよ。外泊も可能だ。勤務日の午前九時までに戻れば問題ない。もっとも、外で社や覚醒体、異品やその他の機密事項を漏らすような事があれば君を今までのように扱う事はできなくなるし、君の友人、知人、家族に至るまで既に処理を終えているから、仮に会ったとしても君を中園司季として認識はできない。」


 俺からそう聞かれることを予測していたようにすらすらと子守里は説明する。

 俺はもうこの世界に存在しない人間になったのだと、思い知らされる。


「君にとってあの街は既に君の街じゃなくなってしまっているかもしれないが、行くのは止めないよ。ついでにハクゾンも既に公開が終わってしまっているからね。どうしても観たいなら、少し待ってくれ。実は円盤を予約したんだ。」


 ユズが生きていたら意気投合していたかもしれない。


「酔狂ですね。」

「アル・フォレストの他作品なら全部持っているから貸すぞ。」


 ユズがまだ人類として存在していたなら。

 いや、俺はそれをまだ諦めたりはしていない。


「遠慮しておきます。一緒に観る約束をした人がいるんで。」

「ふふ、そうか、君も案外一途なんだね。」


 子守里が頬を歪ませて笑う。 


「あの羽ペンはまだ壊れたままですか?」

「実に残念ながらね。」


 詩刀祢さんを人間に戻したあの羽ペンは折れると同時にその力を失ったらしい。


「一人だけなんてケチな事は許さないさ、これまでにアレが覚醒体に変えた人数と釣り合いが取れてなさすぎる。」


 それは、子守里には珍しく、心の底から言ったように聞こえた。


「現状ありとあらゆる手段を用いて復元を試みているよ。」

「前例はないんですよね?」

「覚醒体が人類に戻ったなんて話なら、以前は言った方が正気を疑われるような話題だったよ。君の発見は、言うなれば相対性理論の発見のようなものかもしれないね。」

「相対性理論はよくわかりませんけど、奇蹟みたいなことってのは理解しました。」

「その理解で問題ないだろう。」


 話も概ね終わったと、子守里は部屋を出るような雰囲気を出す。


「あの。」


 ずっと気になっていた事が一つあった。


「なにかな?」

「旭陽さんは、どうなってますか?」


 彼女とはあの日ヘリの中で別れたきり影も形も見ていない。

 社に楯突いた人間が無事だとは思えないけど、気になった。


「ようやく最近心神喪失状態から回復する兆しが見えたので、夕鶏の情報を話して貰っているよ。貴重な情報源だ。」

「知ってる事を全て話したその後は、どうするんですか?」

「少なくとも、君が危惧しているような事はしないよ。あの騒動の後では詭弁に思えるかもしれないが、社にとって人命は重い。まぁ、責務程ではないけどね。」

「それなら、アレで洗脳したりするんですか?」

「嘯風を持つ者が最もしてはいけない事がそれだよ。仮に君が純粋な社の職員だったとする。人類を守る使命感に燃え、その為に命を賭する事すら厭わないような職員だったとする。」


 諭すように子守里は言う。


「そんな君の目の前で、敵だった人間が嘯風を使われて味方になったとしよう。自分のように使命に燃える社の職員になったとしよう。その時、君は自分の持っている感情や使命感を果たして自分のものだと信じ続ける事ができるかい? 敵のように自分の感情も植え付けられたものだと、僅かな疑念も挟まずにいられるかい?」


 彼女の話す想定は、ともすれば現実にありそうな話だった。


「難しいかもしれません。」

「だから嘯風を洗脳目的で使う事はしないんだよ。世界の命運がかかるような我々の仕事では些細な疑念すら全てを台無しにしかねないからね。」

「それじゃ、陽愛さんはどうなるんですか?」

「彼女次第だ。彼女が社で働く事を望むのなら善処するし、地上に戻りたいのなら一切合切を忘れて貰った上で解放しよう。現状から考えると、その決断にはまだまだ辿り着きそうにはないけどね。さて、長居しすぎた。そろそろお暇するとしよう。」


 子守里は雑に話を切り上げる。


「時間があまりないし、なにより君は本日休暇中の身だ。それじゃ、いい休日を。」


 彼女なりに気を遣ったのかも知れない。

 独りになった部屋で、ぼんやりと天井を見上げた。

 なにをしようか。

 なんとなく、子守里との話を思い出す。 

 羽ペンの復元ができるならそれに越したことはない。

 そうでなくても別にいい。

 他にも同じ事ができる異品が存在する可能性はあるんだ。

 ここに居ればそういった異品に出会える確率は上がる。

 絶対にユズを人間に戻してやる。

 一人きりの部屋で意気込む。

 それにしても、なにをしようか。

 社に来てから、あの騒動が終わってから、俺の日常はそれほどハードなものではなかった。

 二回ほど覚醒体との実験に付き合わされた以外は等々木さんや他の蔵の職員の手伝いみたいな雑用をするくらいで、アルバイトにしても楽な毎日だった。

 やりたい事も特にない。

 行きたい所も特にない。

 本当になにをしよう。

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